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本稿は、「技術と人間」1992年8月号に掲載された



チェルノブイリ原発事故による放射能汚染と被災者たち

(4)

                           今中 哲二


 

 事故が発生した翌日の1986年4月27日、チェルノブイリ原発から60kmほど西に位置するウクライナ・ジトミール州ナロージチ地区(日本でいえば郡に相当)の民間防衛隊長マカレンコは、ジャガイモの植え付けで、朝から畑に出ていた。11時か11時半ごろ、彼は突然気分が悪くなり、口が乾いて喉が痛みはじめた。天気は良かったが、川の岸辺に、灰色か、茶色がかった薄いもやのようなものが流れているのに気付いた。仕事を止めて家に戻ると、地区党委員会第一書記のメルニクから、党委員会事務所にくるよう呼び出され、チェルノブイリ原発で事故が起きたようだと知らされた。それを聞いて、マカレンコには、朝の体験がピンときたという。

 ナロージチ地区の民間防衛隊には、放射線測定器が1台あった。多分、核戦争に備えたものであったろう。以下は、マカレンコが測定した、ナロージチ地区党事務所前での空間放射線量値である(1)。

 4月27日、16時 3       レントゲン/時

      18時 1.7     レントゲン/時

   28日、9時 0.6     レントゲン/時

      13時 0.022   レントゲン/時

      18時 0.016   レントゲン/時

 5月8日    0.00075 レントゲン/時

   14日    0.0006  レントゲン/時

 自然放射線によるバックグラウンドは、普通0.01ミリレントゲン(0.00001レントゲン)/時程度であるから、3レントゲン/時というと、その30万倍である。マカレンコにとって、その数字がどんな事態を意味するのかは、皆目分からなかった。一度に浴びる放射線量が100レントゲンを越えると、吐き気・おう吐などの急性障害が現れはじめると言われている。3レントゲン/時という値は、もしもその状況が数日間継続すれば、住民の間に続々と急性障害の患者が出るほどの放射線量である。測定値は逐次、民間防衛隊の本部や党委員会に報告したが、住民への警告などの措置はまったく行われなかったという。

 原発事故による周辺への影響は、その時の気象条件によって大きく左右される。チェルノブイリ周辺では、事故後2日間は西の方へ風が向かい、それから2、3日は北の方へ、その後は南向きの風が主であった(2)。4月27日は、ナロージチ地区の方へ風が吹いていた日である。

 放射能雲が襲ったときに、もしも雨が重なると、事態は極度に悪化する。空気中の放射能が地表に洗い落とされ、雨がない場合に比べはるかに高濃度の汚染が生じる。私と同僚の瀬尾氏が一昨年、チェルノブイリ北西250kmにある汚染地域の村を訪ねたとき、同行してくれたベラルーシの研究者の話によると、そこでは、事故直後の放射線量が0.8〜1.5レントゲン/時にも達したという(3)。これは、 27日から28日にかけて、ベラルーシの南東部一帯で雨があり、空気中の放射能を地表に降らせたためである(2)。

 汚染地帯の住民の健康に関するソ連当局の公式見解は、住民の中で急性の放射線障害が現れたものは一人もないし、晩発的な影響も無視できるほど小さい、というものであった。しかし、先月号でも紹介したように、今年4月のイズベスチヤ紙の記事(本稿に続く訳文参照)は、事故直後、続々と住民が病院に収容されていたことを明らかにしている。

 これまで、事故時の運転員や消防士たち、リクヴィダートル(事故処理作業従事者)、ならびに事故直後避難住民について述べてきたが、今月は、汚染地域の住民の状況についてまとめてみる。

1.放射能放出と汚染の状況

 チェルノブイリ事故による放射能放出の特徴は、原子炉の爆発とそれに続く黒鉛火災により、約10日間にわたって放射能の大量放出が継続したことである。放出された放射能の量は、1986年のソ連報告書(4)によると、全部で約1億キュリーとされ、そのうち、事故直後の甲状腺被曝が問題となるヨウ素131は730万キュリー、広範囲で長期的な汚染が問題となるセシウム137は100万キュリーとされている。しかし、ソ連報告書の値は、かなり小さめに放出量を見積もっており、私たちの評価では、ヨウ素131は2500万キュリー(炉内の70%)、セシウム137は430万キュリー(57%)という値が得られている(5)。広島の原爆で生成したセシウム137の量は3000キュリー程度であるから、430万キュリーというと、その1400倍になる。

 ゴルバチョフが共産党書記長として登場したのは、事故の約1年前のことであった。すでにグラースノスチが叫ばれていたが、チェルノブイリ事故による放射能汚染やその影響については、当時のソ連の最高権力機関である共産党政治局によって、厳重な箝口令がしかれた。ソ連国内の詳しい汚染状況がしだいに明らかになり始めたのは、事故から3年たった、1989年頃からである。共産党権力の崩壊と平行しながら明らかになってきたと言えよう。図1は、セシウム137による汚染状況を示したものである。こうした地図が明らかになって、私たちが驚いたのは、北東150〜300kmとか東北東400〜600kmのように、相当離れたところにも、飛び地のように汚染地域が広がっていたことである。その形を一見すると、モスクワに近づく放射能雲を撃ち落として、モスクワを放射能から守ったかのように広がっており、人工降雨を試みたというウワサも伝えられている。その真偽は明らかでないが、数万平方kmにも及ぶ広さを考えると、人工降雨というより、自然の気象条件がもたらしたものであろう。

図1 チェルノブイリ周辺600km圏でのセシウム137汚染

 一般に、汚染地域とは、セシウム137による地表の汚染密度が、1平方km当り1キュリー以上のところをさして使っている。表1に汚染地域の面積を示す。1キュリー以上の汚染を合わせた面積13万平方kmとは、日本の本州の半分くらいの広さである。1平方km当り1キュリーの汚染といっても、一般の人にはピンと来ないであろうが、たとえば、日本の法令に基づくと、放射能取り扱い施設では、放射線管理区域というものを設定しなければならない。管理区域とすべき基準のひとつに、ある値の表面汚染を越える恐れのある場所、というものがあり、その表面汚染の値が、1平方km当り1キュリーに相当している。

 表2は、汚染地域の住民数であるが、1キュリー以上の汚染地域を合わせると550万人にも達している。1989年7月ベラルーシの最高会議は、15キュリー以上の汚染地域の住民を全員移住させるという決定をした。15キュリー以上の汚染の面積は、3共和国を合わせると、1万平方km余りにおよび、福井県(4200平方km)、京都府(4600平方km)、大阪府(1900平方km)を合わせたくらいである。15キュリー以上の住民の数は約27万人になり、事故直後に周辺30kmから避難した13万 5000人と合わせると、40万人にもおよぶ人々が家を追われた、ということになる。

  表1 セシウム137による汚染面積

                          単位:平方km

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

               汚染の程度(キュリー/平方km)

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

           1〜5    5〜15  15〜40  40以上  1以上合計

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

ロシア共和国    3万9280   5450   2130   310    4万7170

ベラルーシ共和国  2万9920  1万170   4210   2150    4万6450

ウクライナ共和国  3万4000   1990    820   640    3万7450

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

3共和国合計    10万3200  1万7610   7160   3100   13万1070

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

                  1991年4月26日のプラウダ紙より.

   

    表2 汚染地帯の住民数

                             単位:万人

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           セシウム137の汚染程度(キュリー/平方km)

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

          1〜5   5〜15  15〜40  40以上   1以上合計

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

ロシア共和国    157.1   21.8   11.0   0.5    190.4

ベラルーシ共和国  173.4   26.7   9.5   0.9    210.5

ウクライナ共和国  122.7   20.4   3.0   1.9    148.0

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

3共和国合計    453.2   68.9   23.5   3.3    548.9

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

1990年ソ連ゴスプラン委員会の報告に基づく.ただし、ロシア共和国については、

人口密度を1平方km当り40人とし、表1のデータを用いて補正した.

 

2.汚染地帯住民の被曝線量

 広島・長崎の原爆による放射線被曝は、爆発時に放出されたガンマ線によるものが中心であり、いわば瞬間的な外部被曝と考えてよい。一方、チェルノブイリの汚染地帯での被曝は、環境の放射能汚染によるものであり、地表に沈着した放射能からの外部被曝とともに、作物などに移行した放射能を体内に取り込むことによる内部被曝を考えねばならない。また、放射能汚染による被曝は、現在も続いており、被曝のしかたは、広島・長崎の場合とは違っている。

 汚染地帯の住民の被曝線量を考える場合、まず、どのような期間の被曝について議論しているのかを明らかにしておく必要がある。たとえば、事故直後の話をしているのか、現在までに被曝した線量であるのか、さらには将来までにわたる被曝も含めているのか、といったことである。

 被曝の時期によって問題となる放射能も違ってくる。長期的にみれば、半減期が30年と長く、作物などに取り込まれやすいセシウム137による被曝の寄与が最も大きくなるが、事故直後では、別の放射能による被曝の方が大きい。たとえば、事故後2ヶ月程度の内部被曝で最も問題になるのは、ヨウ素131の取り込みによる甲状腺の被曝である。また、事故後1週間程度の間、地表に沈着した放射能からの外部被曝に大きく寄与するのは、はテルル132(半減期約3日)などである。

 表3は、ウクライナ・ナロージチ地区(西方60kmあたり)(1)とベラルーシ・ブラーギン地区(北方40kmあたり)(6)の子供たちの甲状腺被曝を測定した値である。先月号では、別のデータを基に、事故直後の避難住民9万人の甲状腺被曝線量を推定し、15〜30kmから避難した子供の甲状腺被曝については平均210レムという値が得られたが、その値は、表3のブラーギン地区避難村の子供たちの平均値とピッタリ一致している。平均値の大きさもさることながら、数1000レムもの甲状腺被曝の子供たちがかなりの数に上っていることと、被曝線量の分布の幅がきわめて大きいことが注目される。ひとつの地区内でも、放射能雲の濃淡が大きかったことを窺わせる。

表3 チェルノブイリ周辺の子供たちの甲状腺被曝線量測定値

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ウクライナ・ナロージチ地区     ベラルーシ・ブラーギン地区

線量範囲(レム) 人数    線量範囲(レム)    人数

・・・・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・         

                      (非避難村)(避難村)

   0〜30    1473       0〜30    282    55

  30〜75    1177      30〜75     339    66

  75〜200     826      75〜200    331    78

 200〜500     574     200〜500    167    51

 500〜2500    467     500〜1000    55    15

・・・・・・・・・・・・・   1000〜2000    15     9             

  合計人数   4517 人   2000〜3000    3     2

  平均線量    243 レム  3000〜4000    1     0

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・         

                 合計人数  1193 人  276 人

                  平均線量   150 レム 210 レム

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 ナロージチは文献6、ブラーギンは文献1による.  

 汚染地帯住民550万人全体の被曝線量がどれくらいであるのか、測定値とともにキチンとまとめられた、信頼できそうな報告を紹介できればよいのであるが、残念ながらそのような報告を、私はいまだに目にしていない。そこで、例によって私なりに、いろいろなデータを参考にしながら、旧ソ連ヨーロッパ地区住民7500万人について被曝線量の評価を試みたのが表4である(7)。セシウム137の汚染レベル別に、事故後1年間と70年間の全身線量、および甲状腺被曝を示してある。

   表4  住民の被曝線量の見積り

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汚染レベル          全身線量(レム) 

(キュリー    人数  ・・・・・・・・・・・・・   甲状腺線量(レム)      

 /平方km) (万人)  始めの1年  70年間

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 40以上    3.3   15    56      子供 510

                            大人 140

15〜40   23.5    6.7   26      子供 230

                            大人  66

 5〜15   68.9    2.1   10      子供  64

                            大人  18

 1〜 5  453.2    0.6    2.4     子供  17

                            大人   5

 1以下  7000      0.1    0.5     子供   2.5

                            大人   0.7

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私の原稿で毎回登場していただくイリイン博士らが、汚染地域住民の70年間にわたる被曝線量を見積った論文(8)があるので、彼らの値と比較してみる。イリインらによると、厳重監視区域の27万人の今後70年間にわたる全身被曝線量は、 26.6レムとなっている。イリインらの厳重監視区域は、表4で言えば、15〜40キュリーと40キュリー以上の汚染レベルを合わせた地域に対応している。その70年間の平均被曝線量を計算すると、29.6レムとなるから、イリインらの値と、よい一致を示している。しかしながら、ヨーロッパ地域7500万人の被曝線量は、イリインらが0.42レムで、私の方が0.81レムであるから、2倍ほど私の方が大きい。これは、将来の内部被曝の見積りが、私の方が大きいためである。

 表4では、40キュリー以上の汚染地帯での始めの1年間の全身被曝線量は15レムである。いわゆる自然放射線による被曝は、年間100ミリレムほどであるから、15レムというと150年間分の自然放射線被曝に相当する。注意しておきたいのは、この15レムというのは、平均値を求めたものであり、実際には、この値よりよりはるかに大きな被曝を受けた人がいたと考えられることである。先に述べたイズベスチヤ紙の記事で明らかにされたような事故直後の住民患者は、そうした人々であろう。

3.IAEA報告

 図1に示したような広範な放射能汚染が明らかになった後、汚染地帯での汚染対策をめぐって、各共和国とモスクワ中央との間で対立が生じていた。モスクワ側は、イリイン博士らが中心になって、「生涯70年間に35レム」という移住基準に関する考え方を打ち出した。それに基づき、1平方km当り40キュリー以上の汚染地帯の住民は移住させるが、それ以下の汚染地帯では、食料を運び込むなどすれば移住の必要はない、とした。一方、ベラルーシなど共和国側は、その土地で普通通りに生活できるようにすべきだ、という考え方のもとに、15キュリー以上の汚染地帯から全員を移住させる決定をした。汚染対策の責任は、基本的にはモスクワ政府にあったが、40キュリーと15キュリーでは、表3にあるように、移住対象人数は、3万人と27万人と大きく違ってくる。日本の国会にあたる、ソ連最高会議でも、いろいろ議論があったが、対立は解消しなかった。ソ連国内で決着できないのなら外国に頼もう、ということで、1989年秋、当時のソ連首相ルイシコフは、IAEA(国際原子力機関)にチェルノブイリ事故の調査を依頼することにした。

 1990年4月、IAEAは、日本の放射線影響研究所の重松逸造所長を委員長として国際諮問委員会(IAC)を発足させ、IACのもとに各国から200人の専門家を集め、国際チェルノブイリプロジェクトを開始した。プロジェクトの目的は、ソ連国内の汚染状況と住民の健康の調査、住民の防護対策の妥当性の検討とされた。1991年5月、ウィーンのIAEA本部で、1年をかけて行われたプロジェクトの報告会が開かれた(6)。プロジェクトの結論をかいつまんで言えば、汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ、「ラジオフォビア(放射能恐怖症)」による精神的ストレスの方が問題である、1平方km当り40キュリーという移住基準はもっと上げてもよいが、社会的条件を考えると今のままでしかたないであろう、というものであった。

 報告会の席上、ベラルーシやウクライナの代表は、汚染地帯の住民の健康影響は、すでに自明のことになっており、プロジェクトの結論は認められない、と発言し、報告会のあと抗議の声明を出している(本稿に続く訳文参照)。

 国際プロジェクトの健康調査では、汚染地帯の住民853人と非汚染地帯の住民 803人を調べているに過ぎない。たとえば、白血病の発生率はふつう、年間10万人当り2〜5件である。かりにその値が10倍であったとしても、年間10万人当り20〜50件、つまり、2000人から5000人に1件であり、チェルノブイリプロジェクトが現地調査で白血病の増加を見いだせなかったとしても、何の不思議もない。また、リクヴィダートル(事故処理作業従事者)とか事故直後の避難住民については、調査の対象にされていない。プロジェクトは、被災者のほんの一部を調査したに過ぎず、その結果から、事故の影響全体を結論できるようなものではない。プロジェクトの調査から言えることは、せいぜい、汚染地域と非汚染地域それぞれ800人余りの調査の限りでは健康影響は認められなかった、ということである。

 また、プロジェクトでは、汚染地帯の住民8000人にフィルムバッジ(9)を配布し、2ヶ月間の外部被曝を測定しているが、その測定結果は、90%が検出限界以下であった。放射能の測定をしたり被曝線量の見積りという仕事をしているものの一人として、私は、その測定によって、放射能汚染量と外部被曝線量の関係を知る上で貴重なデータが得られるものと期待していた。たとえば、表4のような被曝線量の計算手法が妥当かどうかを、そういったデータで検証できる。しかし、私の期待はまったく裏切られてしまった。90%が検出限界以下ではデータとして使いようがない。プロジェクトの測定の目的がどこにあったのか、私には分からないが、意味あるデータを得ようとするなら、フィルムバッジよりもっと感度のよいTLDバッジを使うべきであった。

4.汚染地帯住民の健康影響

 1989年にチェルノブイリ周辺の広範な汚染が明るみに出て以来、周辺住民の被災状況について、大変な放射能汚染、家畜の異常、子供の病気の増加といった情報が、断片的ながら、主にマスコミを通じ、次々と流れてくるようになっていた。そういったマスコミ情報が、原発の立地計画におよぼす影響を憂慮していた、西側の原発推進勢力にとって、「放射能汚染の影響は問題にならない」という国際チェルノブイリプロジェクトの結論は、望むところであった。日本においても 1991年6月、各地の原発の地元関係者を集めて、IAEA報告の説明会が開かれている。「チェルノブイリ、チェルノブイリと騒いでいるのはマスコミだけだ」と宣伝するのが彼らの狙いである。

 住民への放射線影響を科学的に明らかにするための理想を言えば、事故直後から、汚染地域の住民全員とそれと比較できるような非汚染地域の住民について、疫学的な健康追跡調査を行い両者を比較する、ということになる。もちろん、そのような理想的な調査は存在しない。もともと、人間を対象とする疫学的調査というものは、広島・長崎被爆生存者の追跡調査をはじめ、それなりの限界を抱えているものである。私たちの行うべきことは、理想的ではなくとも信頼できそうな調査データを集め、そうした結果を組合せながら、全体への影響を考えて行くことであろう。

 昨年5月のIAEA報告会での、ベラルーシとウクライナの学者6名の、汚染地域住民やリクヴィダートルたちの健康影響についての発言を、本稿の後に紹介してある。彼らの発言によると、免疫機能の低下、子供たちの甲状腺障害や染色体異常、妊婦の障害など、さまざまな影響が認められている。

 表5と表6は、本誌の昨年12月号で紹介した(10,11)が、ベラルーシの汚染地域において、人工中絶胎児と新生児における発達障害を調べたデータである。どちらのデータも、汚染地域において発達障害の発生率が大きいことを示している。

 もちろん、発達障害を引き起こす要因は、放射能汚染以外にも考えられ、これらのデータだけから、発生率の増加を放射能汚染の影響であると断定することはできないが、胎内被曝の影響を示唆しているデータである。

 表7は、医者としての立場から現地調査を実施してきた、佐藤らの論文のデータである(12)。ウクライナのキエフ内分泌研究所とベラルーシのミンスク第1病院における甲状腺ガン手術数を示している。佐藤らによると、これらの病院は、各共和国での甲状腺ガン手術を集中的に行っており、共和国内の甲状腺ガンの大部分を網羅している。チェルノブイリ事故による被曝の特徴の一つは、これまで述べてきたように、子供の甲状腺被曝が大きかったことである。1988年頃から、ウクライナ、ベラルーシともに、子供の甲状腺ガン例が急増しはじめており、IAEAでの地元の学者の発言を裏付けている。

表5 ベラルーシの汚染地域における人工中絶胎児の発達障害発生率

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                             高汚染地帯     

           ミンスク市    ゴメリ市   (モギリョフ州南部

                           とゴメリ州南部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

        1980   1986後半   1986後半     1986後半

          〜1985  〜1987    〜1987     〜1988前半

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

検査胎児数   5732 1920   674      196

発達障害数    321   96    29       18

発生率(%)   5.6  5.0   4.3      9.2

統計的有意差   (基準)   無     無        有

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

                                            

 

表6 ベラルーシの汚染地域における新生児の発達障害発生率

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              1984〜1985  1986後半〜1988前半

               観察数  発生率     観察数   発生率

                 (1000人当り)       (1000人当り)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     

ゴメリ州:

  高汚染地帯11地区    56  4.55     93  7.66

  対照地区          7  4.77     10  5.33

モギリョフ州:

  高汚染地帯6地区     22  3.68     41  5.61

  対照地区          8  4.23     11  4.94

高汚染地帯17地区      78  4.27    134  6.89

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     

白ロシア全体(上記を除く)1691 5.04   2274   5.65

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     

                                           

表7 ベラルーシとウクライナにおける甲状腺ガン手術数の推移

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             1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    

ミンスク第1病院:

  小児甲状腺ガン           0  1  1  6 18 33 50

キエフ内分泌代謝研究所:

  小児甲状腺ガン      0  1  2  2  1  3  6 20 11

  小児以外の甲状腺ガン 46 21 19 36 33 46 43 39

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1991年のデータは、ミンスク第1病院は9月9日まで、キエフ内分泌代謝研究所は9月

5日まで.

 

 チェルノブイリの被災状況を出来るだけ明らかにしたくない人々は次のように言うであろう。放射能汚染に社会的関心が寄せられれば、たくさんの人が診察を受けたり、診断レベルの向上などにより、それまで見過ごされていた例まで含まれるようになり、見かけ上、病気の発生率は増加する、また、チェルノブイリ周辺は、食事中のヨウ素が不足しており、甲状腺障害はもともと風土病のようなものである、それ故、伝えられるような病気の増加が、放射能汚染によるとは証明されていない、と。

 私の問題のたて方は、彼らとは反対である。つまり、報告されているような病気の増加が、見かけ上の要因で説明できるものでなければ、放射能汚染の影響を示唆しているものと考えることにしている。

5.ガン死影響の予測

 子供の甲状腺ガンは別として、これまでに紹介してきた住民の健康影響は、いわゆる晩発性の影響には含まれない。前にも述べたように、免疫系の機能低下といった障害は、「慢性的」あるいは「亜急性的」障害とでも呼ぶべきものではないかと思っている。

 子供の甲状腺ガンの増加は、晩発的影響としてのガンが現れ始めたことを示しているが、こうした発ガン影響は、汚染が継続することを思えば、数100年間に及ぶものであろう。

 イリイン博士らソ連の放射線医学の権威23人が連名の論文で、チェルノブイリ事故による70年間の被曝線量を見積り、ガン死影響を予測している(8)。その結論と、それに対比した私のガン死予測を表8に示してある。イリインらによると、チェルノブイリ事故による住民へのガン死影響は、厳重監視地域の27万人から 274件、旧ソ連ヨーロッパ地域7500万人から1168件である。自然発生のものに比べ、それぞれ、0.7%と0.011%の増加に過ぎず、そういった増加を追跡調査によって確認することは困難である、と彼らは述べている。

表8 チェルノブイリ事故による周辺住民のガン死予測

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               イリインら            今中

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           70年間の   予測される   70年間の   予測される 

           集団被曝線量  ガン死数    集団被曝線量  ガン死数  

           (万人・レム)         (万人・レム)        

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  高汚染地帯     726     274件    796    3万1600件

  (27万人)                                 

旧ソ連ヨーロッパ地域 3110    1168件   6150   24万6000件 

 (7500万人)

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こうしたガン死影響の予測のやり方を簡単に説明しておこう。まず、個々人の被曝線量を算出し、それらを足し合わせた集団被曝線量を算出する。私のデータの場合、表4に示してある、各グループの人数と平均被曝線量を掛け合わせると、全体で6150万人・レムという集団被曝線量の値が得られる。一方、どれだけの集団被曝線量で将来1件のガン死を生じるかという値、いわゆる放射線ガン死のリスク係数というものが知られている。表9にそのリスク係数についてのいくつかの値を示してある。現時点での知見で言うと、リスク係数の大きさは、100万人・レム当り、最大でゴフマン博士の4000件、最低でICRP(国際放射線防護委員会)1990年の500件といったところであろう。集団被曝線量に、そのリスク係数をかけると、その被曝集団に将来もたらされるであろうガン死数が得られる。私の場合のリスク係数は、100万人・レム当り4000件とし、旧ソ連ヨーロッパ地区で 24万6000件のガン死数となっている。もしも、ICRPの1990年のリスク係数を採用すると、その値は8分の1の3万1000件となる。

表9 ガン死リスク係数のいろいろな見積り

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   評価者(年)           ガン死リスク係数

               (100万人・レム当りのガン死数)

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 ICRP(1966)               約40件

 ICRP(1977)              約100件

 米国科学アカデミー(1980)       10〜500件

 ゴフマン(1981)             約4000件

 今中(1986)            600〜2000件

 国連放射線影響委員会(1988)    400〜1100件

 米国科学アカデミー(1990)         約800件

 ICRP(1990)               500件

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イリインらと私の集団被曝線量を比べると、厳重監視区域でほぼ同じ、旧ソ連ヨーロッパ地区で2倍違っているだけであるが、結論であるガン死数では、200倍も違っている。つまり、ガン死のリスク係数が違っているのである。イリインらの論文には、医学的で人道的な見地にたって、いかにも影響を大きめに見積もったというような記述があるが、結局のところ、100万人・レム当り38件と、きわめて小さなリスク係数を採用している。権威ある学者の論文だといって、その結果を鵜呑みするととんでもないことになる、という典型であろう。

6.おわりに

 「チェルノブイリ原発事故による放射能汚染と被災者たち」ということで、4回にわたって、チェルノブイリ事故の被災状況についてまとめてきた。この作業に取り組んだきっかけの一つは、今回紹介したIAEAの報告である。その報告をまにうけると、「原発で考えられるほぼ最悪の事故が起きたとしても、周辺住民への健康影響は無視できるほど小さい」ということになってしまう。ごく部分的な調査でしかないIAEA報告を基に、チェルノブイリ事故の全体を語ることが、全くナンセンスであることは、十分に示すことができたと思っている。

 また、事故に対して基本的に責任を負うべき旧ソ連当局が、いかに事故の影響を小さくみせようとしてきたかも、十分に示せたと思っている。ソ連そのものはなくなってしまったが、イリイン博士ら、ソ連の公式見解の主導者たちは、依然として重要なポストにある。事故被災者救済の責任は、各共和国に委ねられることになったが、今後は各共和国それぞれでイリイン博士のような人々が現れてくるであろう。そして、チェルノブイリ事故の被災状況はできるだけ伏せておきたい、日本などの原発推進勢力が、彼らを支援して行くであろう、ということに注意を向けておきたい。

 私としては、原子力の安全問題に関心を持つ研究者として、被災者側の視点からチェルノブイリ事故の解明に取り組みたい、と考えている。しかし、「被災者側の視点」などといっても、結局は、私なりの思い込みの視点でしかないであろう。また、科学的データなどといったもので解明できる事実とは、全体の一断面にしか過ぎない、ということも銘記しておきたい。

 チェルノブイリ事故は、言うまでもなく、原発開発史上最悪のものであったが、それが日本に住む私たちにどういう意味をもっているのか、もちろん人それぞれに違っているであろう。最後に、日本や米国の原発で最悪の事故が起きた場合、どのような被害が出ると予測されているのか、チェルノブイリ事故の場合と比較したものを表10に示しておく。

 

   表10 原発災害の規模

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                 原産会議報告  ラスムッセン報告 チェルノブイリ事故

                 (1960)   (1975)    (1986)

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電気出力(kw)          16万      100万      100万

放射能放出量(キュリー)      1000万     約6億       4.5億

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急性死者(人)           540      3300        ?

急性障害(人)          2900     4万5000      数万?

永久立退き人数又は面積       3万人     750km2     約40万人

                                   (約1万km2)

農業制限又は除染面積(km2)  3万6000    8300     2万8000

損害評価額(円)          約1兆      4.2兆      約60兆

その時の日本の国家予算(円)    1.7兆      21兆       54兆

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1.V.M.Chernousenko, Chernobyl: Inside from the Inside",

  Springer-Verlag, Berlin, 1991.

2.藤田祐幸、「チェルノブイリ原発事故による放射能影響」、慶応義塾大学日吉紀要、自然科学No.11、1992年3月.

3.今中哲二、「白ロシアでの放射能汚染調査」、技術と人間、1991年12月.

4.USSR State Committee on the Utilization of Atomic Energy,

  August 1991.

5.瀬尾健・今中哲二・小出裕章、「チェルノブイリ事故による放射能放出」、

  科学、1988年2月.

6.IAC/IAEA,“The Internatinal Chernobyl Project: An Overview",

  “The Internatinal Chernobyl Project: Technical Report",

  “The Internatinal Chernobyl Project: Proceedings of an

   International Conference",IAEA,1991.

7.外部被曝全身線量:まず、5グループの各汚染レベルでのセシウム137の平均沈着量を、それぞれ、1平方km当り60、27.5、7.5、2および0.3キュリーとした。そのセシウム137の値を基準にして、その他の放射能の沈着量の比を、測定値を参考に、表Aのように仮定した。沈着はすべて4月28日に生じたものとし、それらの放射能からの地上1mでのガンマ線量を、地中への放射能の移行も考慮しながら計算し、建物などの遮蔽係数を0.4として掛けたものを外部被曝線量とした。

   表A 地表に沈着した放射能の組成比

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  放射能の種類    半減期  セシウム137に

                 対する比

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  セシウム137    30.2 年   1

  セシウム134     2.06 年   0.5

  セシウム136    13.1 日   0.3

  ヨウ素131      8.04 日   17

  ヨウ素133     20.8 時間  34

  テルル132      3.25 日   17

  ルテニウム103   39.4 日   4.7

  ルテニウム106   367  日   1.0

  ジルコニウム95   65.5 日   3.3

  バリウム140    12.8 日   3.3

  セリウム144    284  日   2.3

  モリブデン95    2.75 日   7.5

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  放射能の比は、4月26日午前0時に換算した

  値である.

 

内部被曝全身線量:セシウム137による内部被曝が主と考えられるので、外部被曝のうちのセシウム137の寄与分を基準にして、その値に一定の係数を掛けた値を内部被曝全身線量とした。その係数値は、15キュリー以上、1〜15キュリー、1キュリー以下に分け、それぞれ、0.5、1、2とした。高汚染地帯の値を小さくしたのは、農業制限やクリーンな食品の供給を考慮したものである。

甲状腺被曝線量:先月号の注で述べたが、事故15日後の空間線量が分かれば、その値を基に、ソ連報告書の式を用いて、吸入による子供の甲状腺被曝を評価できる。外部被曝の場合と同じ方法で、15日後の空間線量を計算し、まず吸入による子供の甲状腺線量を求め、大人はその0.56倍とした。経口取り込みによる甲状腺被曝は、ポレスコエ地区などでの、実際の甲状腺線量測定値と、そこでの吸入による線量の評価値との差を参考に、子供については吸入の2倍、大人は0.5倍とした。

8.L.A.Illyn et.al.,“Radiocontamination patterns and possible health

  consequences of the accident at the Chernobyl nuclear power station",

  J.Radiol.Prot.,Vol.10,No.1(1990).(論文では、厳重監視区域について、被曝管理を今後実施した場合としない場合の予測がされている。表8の値は、実施しない場合のものである。実施した場合のガン死数は、203件である。)

9.フィルムバッジとは、個人用の放射線測定器のひとつで、放射線に感光するフィルムの入った小さなケースを胸に下げておき、後に現像して、フィルムの黒化度から被曝線量を推定する。IAEAの配布したフィルムバッジの検出感度は、20ミリレムとされている。15キュリー以上の汚染地域の2ヶ月間の測定で90%が検出限界以下というのも不思議であるが、TLD(熱蛍光線量計)バッジを使っていれば、検出感度は1ミリレム以下であり、全員の線量を測定できたであろう。

10.I.A.キリロヴァら、「白ロシア諸地域の胎児において観察された発達障

  害の発生率」、白ロシア保健衛生、1990年6月(邦訳、技術と人間、1991年  12月).

11.G.I.ラズュークら、「ゴメリ州とモギリョフ州の南部地域における新生

  児の先天性発達障害の調査」、白ロシア保健衛生、1990年6月、(邦訳、技  術と人間、1991年12月).

12.佐藤幸男ら、「チェルノブイリ核被災地における後障害の実状報告」、

  広島医学、Vol.45、No.2(1992).

(訂正:先月号の終わりで紹介したIAEA会議での発言は、コノプリャ氏ではなく、ベラルーシ・チェルノブイリ事故影響委員会議長のケーニク氏の発言である。)