本稿は「技術と人間」1994年8・9月合併号に掲載された。

 

最近のベラルーシ事情(3)

                            今中哲二

 


 昨年秋からベラルーシの研究者と一緒にやっている、チェルノブイリの放射能汚染に関する共同研究の関係で、6月28日から10日ほど、同僚の小出氏と一緒にミンスクへ出かけてきた。私としては、昨年6月、12月に次ぐ訪問であった(「最近のベラルーシ事情」93年9月号、「続・最近のベラルーシ事情」94年1・2月号)。共同研究についてはさておき、半年余りでのミンスクの変化など気が付いたことをいくつか報告しておきたい。

初代大統領選挙

 ベラルーシは、旧ソ連から分かれて生まれた15の国の中では、大統領制を敷いていない数少ない国であったが、今回の訪問の直前、6月23日に大統領選挙の投票が行われたところであった。日本で得ていた情報では、(日本の?)マスコミの予想に反してルカシェンコが1位になり、本命の現首相ケービチが2位であった。しかし、ルカシェンコの得票率は過半数に達しなかったため、2次投票が予定されているということだった。

 ミンスクで聞いた話では、第1次投票には6人が立候補し、その結果は次の通りである。投票率は79%であった。

                      (得票率)

・ルカシェンコ:最高会議汚職調査委員会議長  45 %

・ケービチ:現首相、旧共産党勢力       17

・パズニャーク:ベラルーシ人民戦線      13

・シュシケビチ:前最高会議議長        10

・ドゥプコ:コルホーズ議長、保守派       6

・ノヴィコフ:新共産党             4

 

 ルカシェンコは、モギリョフ州のソフホーズ(国営農場)議長で、1990年の選挙で最高会議に当選、年齢は40才代後半か。政党などの支持基盤はないが、派手な言動で浮動票人気を集めているようだった。軍隊時代は共産党学校の将校だったらしい。また、選挙戦中にピストルで狙われたこともあったようだ。ケービチは、旧ソ連時代からこれまで首相をつとめた実力者で、旧共産党時代からの勢力の代表といったところ。パズニャークは、ベラルーシ人民戦線(BNF)の議長。BNFは、反ロシアのベラルーシ民族派政党である。ソ連時代の末期には、チェルノブイリ汚染地域の住民運動と連携したり、かなりの支持を集めていたが、このところ地盤沈下の傾向のようだ。シュシケビチは、ベラルーシ国立大学物理学の元教授で、1990年の選挙後から最高会議議長を務めていた。傾向としてはリベラルだが、支持基盤を持たず、昨年議長を解任された。

 私たちが日本へ戻ってからであるが、7月10日の2次投票では、ルカシェンコ80%、ケービチ14%(投票率70%)で、結局ルカシェンコがベラルーシの初代大統領に選ばれた。

 選挙戦をみる限りルカシェンコの圧勝である。今回のミンスク滞在中、何人かの知り合いにルカシェンコ評を聞いてみた。

A氏(研究者、BNF支持):ルカシェンコは、態度が粗暴で教養もない、人気取りのパフォーマンスばかりで、ロシアのジリノフスキーと同じく危険な人物。

B氏(ジャーナリスト、リベラル):1次投票ではシュシケビチに投票したが、2次投票ではルカシェンコに投票する。彼は案外有能で、ケービチよりまし。

C氏(研究者、親ロシア):ルカシェンコに実務能力はない。ロシアとの関係改善を考えると、ケービチを選ぶのが現実的な選択。

D氏(研究者、BNF支持):ルカシェンコもケービチもダメ。2次投票はボイコットして無効にすべき。

E氏(研究者、反ユダヤ主義):ルカシェンコは支持しない、反ユダヤを鮮明にしているジリノフスキーを支持する。

 E氏の反ユダヤ主義は別としても、ルカシェンコに対する評価が、パーソナリティに対する評価も含めて、全く別れているのに驚かされた。ウソかホントか定かでないが、A氏によると、「男には仕事を与え、女には亭主を与える」というのがルカシェンコのスローガンとのこと。いずれにせよ、現在の経済危機の中での大衆の不満をうまく取り込んだようである。ルカシェンコの路線は、対外的にはロシアと仲良くし、経済改革に対しては市場経済化を急がない、という方向らしい。

 

 ベラルーシの政治的状況の詳細を私が承知しているわけではないが、私としては、判断の座標軸を何本かたてて考えることにしている。たとえば、次の3つの座標軸である。

・旧勢力維持派か改革派か?

・親ロシアか反ロシアか?

・資本主義化促進か抑制か?

 最初の判断軸は、ケービチのように旧共産党時代から残っている勢力かそれ以外かという軸である。旧共産党の力はなくなったものの、その幹部連はいまだ政府や企業体を牛耳っているようだ。反ロシアの代表がBNFである。たとえ経済的に行き詰まってもロシアと仲良くするのはいやだ、という人々がBNFを支持している。経済体制については、社会主義経済が崩壊した現在、いずれにせよ市場経済へ向かわざるを得ないというのは誰もが認めている。しかし、その移行の仕方やテンポについては意見が分かれている。ロシアに比べると、ベラルーシでの企業民営化や土地私有化はあまり進んでいないようだ。ルカシェンコの路線は一応、「改革・親ロシア・資本主義化抑制」のようである。

 私としては、もう二つ、

・チェルノブイリ被災対策の強化か切り捨てか?

・原発建設推進か反対か?

という判断軸をもっているが、ルカシェンコがどんな立場かは知らない。ベラルーシでの原発建設計画は、政府が昨年エネルギー計画に盛り込んだものの、最高会議では承認されておらず、その後の進展はないようだ。

 

インフレの現状

 ミンスクに着くたびに、まずガソリンの値段を聞くことにしている。今回の値段は、1リットル4500BR(ベラルーシルーブル)であった。昨年12月には1リットル1100BRだったので、この半年で4倍の値上がりである。ちなみに、1年前は1リットル100R(ルーブル)だった。ベラルーシの普通の労働者の給料は現在、月40万から60万BR程度なので、ガソリンを100リットル買えばおしまいである。

 ベラルーシの通貨は2年ほど前、ルーブル圏に残ったまま、ロシアルーブル(R)と対等な独自クーポン(ベラルーシルーブル、BR)が発行され、1年前まではまがりなりにも公定レート(1対1)で通用していた。その後、ベラルーシルーブルとロシアルーブルの関係が、公定レートから崩れ始め、昨年暮れで約1対3、この6月で約1対12程度にまでベラルーシルーブルが下落している。形の上ではまだルーブル通貨圏にあるものの、実質的には離れてしまったというのが現状である。表1にこの1年間の物価や交換レートなどの変動を比べてある。いまだに物価が統制され安定しているのはパンと牛乳だけとのこと。黒パンの値段が、1片(約500g)300BRだった。

 

   表1:ミンスクでのこの1年間の物価などの変動


             1993年6月  1993年12月   1994年6月


<ベラルーシルーブルの交換レート>

ロシアルーブル(1R)   1:1      1:3       1:12

米ドル(1$)       1:1200    1:4500      1:25000

日本円(1¥)       1:11     1:41       1:250

<物価:ベラルーシルーブル単位>

ガソリン(1リットル)    100      1100      4500

地下鉄・バス(1回)      10       50      200

肉(1kg)        1800      7000     35000

トマト(1kg)      1200      6000     35000

ウォッカ(1本)       600     10000     20000

 

研究者の月給(BR)   5万〜10万          40万〜60万


 

 一般の物価はこの1年に20倍から40倍である。一方給料の方の上昇はせいぜい10倍足らずのようなので、給料は実質的に半分から4分の1以下になったことになる。もしも日本でそんな事態になったら、我々の生活はなりたたず、パニックか暴動であろう。ところが、ミンスクの外観は落ちついたもので、1年前には朝から晩まで聞かされていた「クリージス」(危機)という言葉さえ、むしろ余り聞かれなくなっていた。人々はもはや、クリージス慣れしてしまった、という感がした。もちろん、給料だけでは食べて行けない。そこで知人に、ミンスクの人々がどうやって生きているのか私には分からない、というと、自分にも分からない、という答が返ってきた。ただ、人それぞれに、本業以外の別収入を探したり、ツテを頼りに食料を調達したりしているとのことであった。ミンスクの人々の生活を支えているものの一つがダーチャ(別荘)である。労働者のほとんどがミンスク郊外に150坪から300坪程度の敷地のダーチャを持っており、夏の間にジャガイモや野菜を作っている。

 半年前と変わったことの一つは、街角に公営の両替所が増えて、ドルとベラルシルーブルとの交換が容易になっていたことである。どこの両替所にもかなりの行列が出来ていた。私の直感としては、ベラルーシルーブルは下落するので、もらった給料を、安定しているドルに交換しているものと考えた。ところが実際は反対で、給料だけでは足りないのでみんな、なけなしのドルをベラルーシルーブルに交換しているとのことであった。

 私と同じくらいのミンスクの研究者の給料は、日本円にすると2000円から3000円に過ぎず、単に収入を比較すると、私の100分の1にも満たない。世の中の仕組みはともあれ、不条理としか言いようがない。

 

 こうしたとんでもないインフレや経済危機のきっかけは、いうまでもなくソ連の崩壊である。それまで旧ソ連の15共和国でやってきた社会主義分業体制が崩れ、各共和国が政治的、経済的に分断されてしまった。ソ連時代は、モスクワが決める経済計画にしたがって生産していれば、物資や金は上からまわされてきたが、ソ連崩壊で経済システム全体がまわらなくなってしまった。そこで各共和国とも独自に、社会主義計画経済から市場経済をめざすことになるが、資本の不足、金融システムの欠如、流通の未整備など、市場経済への道は、当初に考えたほど容易ではなかった。まして、市場経済化にともなっては、必然的に国際市場での資本主義的競争にまきこまれることになる。弱者は強者から痛めつけられる、というのが資本主義の原則である。産業基盤の弱い国が、資本主義経済にまきこまれてますます困窮しつつある、というのがベラルーシの現状である。

 ベラルーシに比べればロシアは強国である。ソ連崩壊直後は、ベラルーシ、カザフサタンなどと一緒にルーブル圏を作り、ともに市場経済化をめざそうとした。しかし、それらの国が市場経済化のお荷物になるとみるや、ロシア独自での市場経済化に走り出した。他の共和国へのルーブル札の供給を減らしたり、旧ルーブル札を新ルーブル札へ切り替えたりして、ベラルーシやカザフスタンを実質的に切り離してしまった。またロシアは、ソ連時代はタダのような値段で供給していた石油やガスの代金を国際価格で支払うよう求めだした。現在のベラルーシ経済にとって一番の重荷は、この石油・ガス代金の支払である。ロシアへの負債が、ベラルーシ経済の足かせのようになっているようだ。

 その一方で、ベラルーシ経済をロシア経済に取り込む動きもあるようだ。今回の大統領選の少し前、ベラルーシ政府とロシア政府の間で、共通ルーブル圏に関する協定が結ばれた、というニュースが流れた。ベラルーシルーブルを1対1でロシアルーブルに交換し、通貨政策を基本的にロシアに委ねる、という内容である。ミンスクで知人にその話をすると、単にケービチ首相の人気取りに過ぎない、ロシアでも失業者が増え、ろくろく給料も払えていないのに、そんな協定をロシア議会が批准するはずがない、とのことだった。

 ベラルーシとロシアという関係では、ロシアは経済強国であるが、世界全体の資本主義という枠組みの中では、その対外負債は700億ドルを越え、ロシア自身が弱い立場におかれている。日本企業のロシア進出はまだ少なそうだが、モスクワで目についたのは、韓国企業のTVコマーシャルや広告塔であった。少々乱暴な言い方かも知れないが、西欧や日本など先進資本主義国からはロシアがいじめられ、ロシアからはベラルーシのような国がいじめられる、という基本的構造があるようだ。

 

マフィアについて

 最近のロシアに関する日本の報道では「マフィア」という言葉がしばしば登場する。ロシアなりベラルーシで使われているマフィアという言葉は、日本人が一般的にイメージする、マフィア=暴力団とはかなり違っている。もちろん、組織暴力団としてのマフィアも含まれているが、通常はもっと広い意味で使われている。露天商から闇屋はもちろん、場合によっては新興の民間企業すべてを含めて「マフィア」という言葉が使われる。

 今回のミンスク訪問で気が付いたのは、町中でみかけるマフィアの数が減っていたことである。1年前なら、人が集まる駅や広場では、音楽カセットや食料などの物売りマフィアを必ず見かけたが、今回はほとんどみかけなかった。その理由はなんだろうと考えて至った結論は、吸い上げるべき金が大衆にはもはやなくなってしまったのでは、ということである。向こうの知人に話すと、まさにその通り、という返事であった。1年前ならレストランに行くと、必ず若者のマフィアがたむろしていたが、今回はそんな光景を一度もみなかった。

 もちろんマフィアにもピンからキリまである。ピンの方では政府中枢と結託して甘い汁をすっているようだ。ミンスク郊外の保養地一帯が、土地民有化のどさくさにすべてマフィアのものになっていた、という話も聞かされた。彼らは、新聞やテレビも押さえているので、そうした「悪事」はめったなことでは報道されない、とのことである。ミンスク郊外をドライブしたとき、煉瓦作りの大きくてりっぱなダーチャがたくさん建設されているところがあった。聞くと、それらはマフィアたちのダーチャで、建設費は10億BRは下らないだろう、とのこと。10億BRといっても、日本円にすると400万円にしかならないが、ベラルーシにおいては普通の労働者の給料の100年分以上である。マフィアや高級官僚たちへの大衆の憤懣が、ルカシェンコを大統領に選んだ一因であろう。

 

 ミンスクに比べ、モスクワのマフィアの方は、市場経済や資本の蓄積がある程度進んだせいか、資本主義的ビジネスに積極的に取り組んでいるようだ。日本との合弁ビジネスをやっている若者が、自分はマフィアだ、と胸を張っていた。モスクワで現在、最も人気のある商売は銀行のようである。テレビや新聞には銀行の広告があふれている。なかでも、MMMという銀行は、1ヶ月100%というとんでもない利息と派手なTVコマーシャルで、数100万人から巨額の資金を集めたとのことだが、金を集めるだけで実質的なビジネスはやっておらず、結局日本の豊田商事のようにパンクしてしまい、取り付け騒ぎが起きているというニュースが現在流れている。

 ミンスクでは、マフィアたちの悪どいやり方に大衆的な怒りが集まっている感じがしたが、モスクワではもはや、マフィアは羨望の対象でもあるようだ。ロシアでは、市場経済の時流に乗った金持ち層と、貧困・極貧層とに階層分化が進みつつある。何とも痛ましいのは、以前なら悠々自適の生活で、世間からも敬われたはずの年金生活者たちが最も苦しい状況におかれていることである。

 

おわりに

 私たちの共同研究は、「チェルノブイリ原子力発電所4号炉事故による放射能放出量と事故直後の被曝線量評価に関する研究」というテーマで、トヨタ財団から330万円の研究助成を受け、昨年秋から期間1年で始まった。ベラルーシ側からは、放射線生物学研究所、ベラルーシ国立大学、ラジオエコロジー問題研究所、水気象委員会の研究者が参加している。この共同研究は、公的な機関どうしの共同研究とは違って、契約文書のようなものは作らず、研究者どうしの個人的な信頼関係を基礎に進めている。しかしながら、所期の成果を順調にあげつつあるとは言いがたいのが実際である。まずは言葉の壁から始まって、研究のシステムや習慣の違い、文化的背景の違い、さらには経済状況の違いなど、多くのバリアーにぶつかってきた。「時間」に対する感覚とか、「約束」という概念も、こちらが持っているものと向こうのものとでは少し違っているようだ。

 ベラルーシの研究者とのつき合いで最も気をつけてきたことは、イーブンな権利を持つ共同研究者としての関係性を作って行くことである。一つ間違えると、こちらが金を出して向こうのデータを買うという関係になりかねない。「契約文書のない個人的な共同研究」というような習慣は向こうになく、ベラルーシ側もはじめは少々とまどったようであるが、徐々にこちらの思惑も理解されつつあるようだ。最終的にどの程度の研究成果が出せるか分からないが、いずれにせよ、共同研究を通じて出来てきた個人的な関係は大切にして行きたいと思っている。

 

 共同研究のチーフだった同僚の瀬尾健は、6月5日肺ガンのため急逝致しました。昨年12月に私とミンスクへ出かけたときは、病魔の存在は分かっていませんでしたが、今年3月にガンが見つかったときには末期の病状でした。近代医学での治療を拒否し、漢方薬を試みましたが、病気の進行を止めることはできませんでした。私にとっては、価値観の方向を同じくする同僚であり、サイエンスにおいては見習うべき先輩でした。この場を借りて、ご報告するとともに、彼の冥福を祈らせていただきます。

                (いまなかてつじ、京都大学原子炉実験所)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真説明

1.7月3日は、ナチスからのミンスク解放50周年記念日で、盛大な祝日だった。ベラルーシ各地から退役軍人が集まりパレードをしているところ。

 

2.ミンスクの勝利広場で行われた記念式典を見物していると、プラカードを持った男が現れた。片面には「退役軍人達よだまされるな、ケービチとチェルノムィルジンは真のチェルノブイリだ!」、反対側には「ナチズムはコミュニズムよりましだ、ドイツに行けば、仕事が、家が、薬がある!」とベラルーシ語で書かれていた。回りの群衆からブーイングを受け、暴力沙汰になりそうだったが、結局警備員が連れていった。(チェルノムィルジン・ロシア首相が式典に参列していた。)

 

3.同じ日の勝利広場近くでのベラルーシ人民戦線のパレード。ベラルーシ国旗にまじって米国旗や英国旗を掲げている。赤旗はもちろんロシア国旗もない。

 

4.ナチスによる住民の虐殺を記念する村、ハティニで彫像を見上げる小出氏。村でたった1人生き残った父親が殺された息子を抱えあげているところ。戦争中ベラルーシでは4人に1人が死んだ。

 

5.知人宅に招待されてごちそうになった後、森を散歩し、焚き火をしながら再び乾杯しているところ。ミンスク郊外のアパートは森に囲まれている。金では量れない贅沢。緯度が高いため夏場は10時過ぎまで明るい。