本稿は、原子力資料情報室編「チェルノブイリ10年:大惨事がもたらしたもの」(1996年4月)に掲載された。
チェルノブイリ原発事故による放射能放出量
今中哲二
チェルノブイリ事故では、最初の爆発で一瞬にして原子炉と建屋が破壊されてしまった。さらに、爆発に続いて黒鉛火災が発生し、火災を消火するため、ヘリコプターから炉心めがけて総計5000トンにおよぶ砂、鉛などが投下された。結局、事故発生から10日後の5月6日になってようやく大量の放射能放出が終息したことになっている。
事故から3年たった1989年頃、原子炉の破損状況を調べるため、コンクリートの壁に穴を開けて、炉心にテレビカメラが挿入された。炉心部には、破壊された燃料棒や黒鉛ブロック、投下された物資がぎっしりと詰まっているであろうと考えられていたが、全く予想に反してほとんど空っぽの状態であることが判明した。
チェルノブイリ事故が史上最悪の原子力事故であったことは間違いないが、ではどれくらいの放射能がどのように放出されたかとなると、いろいろと報告はあるものの、いまだにはっきりしない部分が多い。主な放射能について、これまでに発表されている放出量推定のいくつかを表にまとめておく。
1986年ソ連政府報告
1986年8月にIAEAに提出されたソ連政府の事故報告書に示されている放出量の値である。希ガス放射能5000万キュリー、その他エアロゾル放射能5000万キュリー合計1億キュリーという86年ソ連報告の放出量は今でもしばしば引用されている。炉心内蔵量に対する各放射能の放出割合は、その元素の化学的な性質によって違ってくる。86年ソ連報告では、もともと気体である希ガス放射能は全量、揮発性の大きいヨウ素やセシウムはそれぞれ20%と13%、ストロンチウムやプルトニウムといった高融点金属類では3〜4%程度の放出割合になっている。
86年ソ連報告の放出量推定方法の詳細は明らかでないが、事故直後のチェルノブイリ周辺での放射能汚染や事故炉上空での空気中放射能測定データなどを基にしたようだ。報告書の値は、数字が矛盾するなどいろいろ問題はあるが、放出量を考える際のたたき台としての意味を持っている。ここでは次の2つの問題点を指摘しておく。
ソ連国外の汚染を無視:チェルノブイリの放射能は北半球のほぼ全域に達したが、86年ソ連報告の値はソ連国内だけの沈着量に基づいている。たとえば、長期的な汚染で最も問題となるセシウム137の放出量は100万キュリーとされている。ところが、ソ連外のヨーロッパ諸国に沈着したセシウム137だけでほぼ100万キュリーであり、86年ソ連報告の値はかなりの過小評価となっている。
実放出量でなく換算値:ソ連報告の値はすべて、事故から10日後の5月6日時点の放射能量に換算された値で、ヨウ素131のように半減期の短い放射能については、実際の放出量よりかなり小さくなっている(日々の放出量をある時点の量に換算しておいた方が全体の解析に便利なため)。ソ連報告に示されている放出パターンのデータを基に日々の実放出量を逆算してみると、ヨウ素131で2.5倍の1800万キュリー、エアロゾル放射能全体で2.8倍の1億4000万キュリーとなる。
その他の放出量推定
瀬尾ら:86年ソ連報告の値をそのまま受け入れるわけには行かないので、同僚の瀬尾を中心として私たちは、世界中からの放射能汚染データを収集し、独自の放出量評価に取り組んだ。ソ連報告書に示されている数少ないソ連国内の汚染データとヨーロッパ諸国でのデータとをつなげる形で、大陸規模での放射能沈着パターンを決定し、それを積分するという方法で総沈着量の推定を行った。その結果は86年ソ連報告に比べ、セシウム137で4.3倍、ヨウ素131で3.5倍、エアロゾル放射能全体では2.2倍となった。
今中ら:ソ連国内の詳しいデータを入手して以前の解析をやり直そうということで、1993年私たちは、トヨタ財団から研究助成を受けベラルーシの研究者と共同研究を始めた。瀬尾の急逝やベラルーシ側の事情もあり、当初の目論み通りには進まなかったが、ベラルーシのデータを追加し、瀬尾の方法を延長する形で得られたのが今中らの値である。瀬尾らの値に比べ、セシウム137とヨウ素131の放出量は30〜40%小さい値が得られた。
グディクセンら:米国ローレンス・リバモア研究所のグディクセンらは、気象データを用いて大気中放射能拡散計算を行い、北半球各地での測定値と比較しながら放出量を推定している。推定手法が全く異なっていることを考えると、セシウム137やヨウ素131の値は、瀬尾ら、今中らとまずまず一致していると言えよう。
ドブルイニンら:ロシアのクルチャトフ研究所のグループの推定値で、86年ソ連報告を修正したものと考えられる。
まとめ
放射能放出が終息したと言われている5月6日以降にも、実はかなりの放射能放出があったことを示唆する敷地上空の空気中放射能測定データが最近になって明らかにされる(Dobryninら、1993)など、チェルノブイリ事故の放射能放出量についてはいまだに再検討の余地が残されている。とりあえず今の段階での今中なりの結論を言わせてもらえば、セシウム137は300万キュリー(炉内の43%)、ヨウ素131は5000万キュリー(5月6日換算で2000万キュリー、炉内の55%)、高融点金属類や核燃料は3〜6%がチェルノブイリ事故によって「敷地外」に放出された。
なお、空っぽの炉心にあったはずの核燃料の行方であるが、一部は爆発時に燃料棒丸ごと炉外に放り出され、その後片づけられて「石棺」のガレキの中に、一部は溶融して溶岩のように流れ出し、建屋地下で固まっているものと思われる。それぞれの量がどのくらいかについては、推定値はあるもののそれほど確かとは思えない。
主な放射能の放出量推定値(すべて5月6日換算値、単位:万キュリー)
放出量推定値(カッコ内は放出割合、%)
半減期 炉内蔵量
ソ連政府報告 瀬尾 今中 グディクセン ドブルイニン
1986 1988 1993 1989 1993
ヨウ素1131 8.05日 3650 730 (20) 2540 1700 1970 1900
セシウム137 30.2年 770 100 (13) 435 250 240 230
ルテニウム103 39.3日 11000 320 (2.9) 1040 330 72 380
ストロンチウム90 28.8年 550 22 (4.0) 53 - - 22
ジルコニウム95 64日 11900 380 (3.2) 560 590 23 400
セリウム144 284日 8570 240 (2.8) 460 340 14 360
プルトニウム241 14.6年 470 14 (3.0) 25 - - 16
炉内蔵量は86年ソ連政府報告書の値.−は推定値なし.それぞれの出典は、瀬尾ら:科学、1988年2月号、今中ら: 1993年度トヨタ財団研究助成報告書、Gudiksen et.al:Health Physics,57,1989, Dobrynin et.al:Radiation Protection Dosimetry,50,1993.