本稿は「原子力資料情報室通信」No.253(1995年6月)に掲載された。

<ミンスク・シンポジウムでの報告より>

チェルノブイリ事故後のベラルーシにおける先天性胎児障害

G.ラズューク、佐藤幸男ほか (ベラルーシ遺伝疾患研究所、広島大学原爆放射能医学研究所)

 


 1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故の結果、多くの人々が放射能汚染の中で暮らすことを余儀なくされている。IAEA(国際原子力機関)によるチェルノブイリ事故影響調査の報告書は、「放射線被曝と人々の先天的異常との関係を示すような疫学データは得られていない」と述べているが、汚染地域の人々の間では自分や子孫への健康影響の心配が広がっている。

 ベラルーシ共和国においては、チェルノブイリ事故以前より、先天性形成不全モニタリング(79年より)、胎児・初期胚異常モニタリング(80年より)といった先天性障害に関する調査プログラムを国家規模で実施している。ここでは、人工流産胎児と新生児において観察された先天性障害データとチェルノブイリ事故との関係について報告する。

人工流産胎児データ

 チェルノブイリ事故以前に、我々はすでにミンスク市について1万件以上の人工流産胎児の観察データを蓄積していた。チェルノブイリ事故が起きてからは、ゴメリ州やモギリョフ州の汚染地域の病院からミンスク市の我々の研究所へ人工流産の胎児サンプルを取り寄せて検査している。顕微鏡を用いた観察により、まず胎齢を決定し、胎児の臓器に異常が認められる場合は、約50種類の形成不全に分類している。表1は、これまでのデータをまとめたものである。チェルノブイリ事故以前のミンスク市のデータに比べ、ミンスク市やゴメリ市では事故後、形成不全の増加は認められていないが、1986年から調査を実施している汚染管理地域では、統計的に有意な増加が認められる。一方、1989年から調査をはじめた汚染管理地域では増加は認められていない。

 形成不全の内訳を分析してみたが、胎児の放射線被曝に特徴的と考えられている、臓器細胞死に起因するような分類がとくに増加しているわけではない。86−92年データについてミンスク市と汚染管理地域での内訳を比較してみると、いずれの分類も汚染地域の頻度の方が大きいが、なかでも統計的に有意に大きいのは、口唇・口蓋裂、腎臓・尿管異常、多指症であった。

 

表1 人工流産胎児に観察された先天性形成不全


                              (汚染管理地域)

           ミンスク市       ゴメリ市    7地区  2地区


         1980-85 86後半-92    1986-92    86後半-92 1989-92


 観察胎児数    10168   11057      1595      994    837

 形成不全頻度  5.6±0.3 4.4±0.3    4.3±0.8    9.9±1.7 3.2±0.9

(胎児1000人当り)


*:80-85年のミンスク市に比べ、5%の有意レベルで増加

 

新生児データ

 ベラルーシ共和国においては、新生児に観察された先天性形成不全の登録が義務付けられている。形成不全の診断には、一定の診断基準が定められており、医師の経験とか病院による診断の違いはない。医師の記入した調査票がミンスクの遺伝学センターに送られ、我々の研究所が記載をチェックしたのち半年ごとに集計されている。ベラルーシの登録制度は、ヨーロッパ諸国や日本に比べ遜色ないものである。

 表2は、チェルノブイリ事故以前と以後での新生児の先天性障害頻度を、居住地区の放射能汚染レベル別に比べたものである。対照地域には、ゴメリ州とモギリョフ州の汚染の低い地区が選ばれている。いずれのグループにおいても、チェルノブイリ事故後、形成不全頻度の増加が認められるが、その増加は、放射能汚染が強いほど大きい傾向が認められる。また、年度別に見ると、15キュリー以上のグループでは、1987年と1988年にピーク(1000人当り8.14件と8.61件)が観察されているが、他のグループではそのようなピークは観察されていない。形成不全の分類のうち、高汚染地域で顕著な増加を示しているのは、多指症や複合的形成不全症であった。

 事故直後の1986年12月から1987年2月に生まれた子供たちは、放射能汚染が強い時に母親の胎内にいた子供たちであり、他の時期に生まれた子供たちに比べ大きな胎内被曝を受けている。しかし、彼らのデータでは先天性障害の増加は認められていない。このことは、放射線の影響は、直接的な胎内被曝としてよりも、親の生殖細胞の突然変異にともなう遺伝的影響として現れていることを示唆している。しかしながら、放射線被曝の遺伝的影響を明らかにするため、セシウム137による親の平均被曝線量と新生児の先天性異常との関係を17の汚染地区について分析してみたが、両者の間に明確な相関関係は認められなかった。

 放射線被曝は、放射能汚染地域で観察されている先天性障害増加の原因の一つであろう。ビタミン不足や貧しい栄養バランス、化学物質による環境汚染、さらには精神的ストレスにともなう変調など、多くの要因が複合して先天性障害の増加をもたらしているであろう。チェルノブイリ事故にともなう遺伝的影響をキチンと評価するには、そうした要因を考慮しながら、長期にわたる疫学的調査が必要である。

      (要約 今中哲二)

 

表2 新生児に観察された先天性形成不全


 セシウム137汚染密度   事故前(1982-85)   事故後(1987-93)  事故後の増加

 (1平方km当り)    症例数  1000人当り  症例数  1000人当り   %


 15キュリー以上        151  3.87±0.31   337  6.92±0.38    79

 1〜5キュリー       559  4.61±0.19   1108  6.22±0.19    35

  対照地域         678  4.72±0.18   1217  5.86±0.17    24