本稿は「原子力資料情報室通信」No.257(1995年10月)に掲載された。

<ミンスク・シンポジウムでの報告より>

放射能汚染地域に生息する野ネズミの経世代的細胞遺伝学的損傷

 R.I.ゴンチャロワ、N.I.リャボコン(ベラルーシ遺伝・細胞遺伝学研究所)


 チェルノブイリ原発事故が人々や他の生物にもたらした長期的な遺伝的影響を評価することは、極めて現実的で重要な課題である。その第1段階として、我々の研究室では1986年より、森に生息する小型哺乳動物集団の放射能学的および遺伝学的モニタリングを実施している。本稿では、広く分布しかつ世代交代が短いので指標動物として適切な、野ネズミ(ヤチネズミ)の骨髄細胞における細胞遺伝学的な損傷について、1986-91年の観察結果を報告する。

 

実験

 野ネズミの世代交代は短い(平均寿命1年以下)ので、1986-91年の間に12〜18世代が経過したと推測される。セシウム137の放射能汚染レベルが異なる、以下の4地点を選び、野ネズミの長期的観察を行った。

No.1:プリルク保護地区(原発から北西330km)、セシウム137汚染密度0.2キュリー/km2

No.2:ベレジノ自然保護地区(北北西400km)、0.5キュリー/km2

No.3:マイスク村(北60km)、2.4キュリー/km2

No.4:バブチン村(北北西40km)、41.2キュリー/km2

野ネズミの捕獲は夏から秋にかけて行い、捕獲地点での地表ガンマ線量を同時に測定した。さらに実験室において、野ネズミの全身ガンマ線計測と、1988年からは捕獲地点の土壌を採取しガンマ線測定を実施した。全部で1125匹の放射能測定を行った。

 細胞遺伝学的な損傷については、通常の方法を用いて、骨髄細胞の染色体の構造的異常(染色体異常)と数的異常(倍数性異常)の頻度を調べた。1匹当り100〜150個の骨髄細胞を観察した。

 

放射能測定結果

 4地点での地表ガンマ線量率と野ネズミの体内蓄積放射能量を表に示す。地表ガンマ線量率は、1986年以降大幅に減少した。野ネズミの体内からセシウム137、セシウム134、ルテニウム106、セリウム144といったガンマ線放射能が野ネズミの体内に認められたが、セシウム137の寄与が主である。また1991年には、かなりのレベルのアメリシウム241がNo.4の野ネズミに認められた。体内放射能量の変動をみると、1987-88年に最大となり、その後減少傾向が認められる。野ネズミの放射能摂取経路は主に食物であると考えられるが、食物連鎖中での放射能移行の時間遅れが1987-88年のピークとなったものであろう。いずれにせよ、1991年までには、外部被曝線量と内部被曝線量ともに大きな減少が認められる。

 

 表 捕獲地点の地表線量率と野ネズミの体内蓄積ガンマ線放射能量


       地表線量率(マイクロレントゲン/時)       体内放射能量(キロベクレル/kg)


       1986 1987 1988 1989 1991     1986 1987 1988 1989 1990 1991


No.1      25  12  12  12  12     0.19 0.27 0.23 0.13    0.15

No.2                  12                    0.48

No.3     600  65  65  65  30     9.5    23.3 10.0     6.3

No.4 17000-2400  650  650  610  150     15.8 26.3 80.0 45.0 13.7 11.3


*:この値は1986年5月に測定された(最初の捕獲は86年8月).他の値は、捕獲期間の平均値.

 

細胞遺伝学的観察結果

 野ネズミの骨髄細胞に観察された染色体異常頻度の変化を図Aに示す。チェルノブイリ事故前の1981-83年にベレジノ自然保護地区で観察された染色体異常頻度は、0.41±0.12%であった。

 No.1においては、1986年の値はこの比較対照値と同じレベルであるが、その後染色体異常の増加が認められる。汚染レベルの大きいNo.3とNo.4においては、全観察期間(12〜18世代)を通じて、比較対照値の3〜5倍の染色体異常が認められている。高汚染地域の染色体異常の特徴は、(断片対、腕間逆位といった)染色体型の異常がかなり含まれていることである。

 図Bには、野ネズミ骨髄細胞に観察された倍数性異常細胞の頻度を示す。事故前の値は、0.04%であった。比較的汚染の小さいNo.1とNo.2を含め、いずれのポイントにおいても倍数性異常の増加続いている。

 

 以上の観察結果から、ここでは以下の2点を指摘しておきたい。

・被曝線量率の大幅な低下にもかかわらず、染色体異常は減少せず、倍数性異常は増加の傾向を示している。このことは、野ネズミの世代が交代するにつれ、骨髄細胞の放射線に対する感受性が大きくなりつつあることを示唆している。

・No.3とNo.4では、放射能汚染レベルが15倍以上も異なるのに、同じレベルの細胞遺伝学的損傷が観察される。このことは、低線量率被曝にともなう線量-効果関係の曲線に、(効果が一定となる)プラトー領域が存在することを示唆している。

(要約 今中哲二)