本稿は、「原子力資料情報室通信」No.262(1996年3月)に掲載された。

チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線障害

                    今中哲二


 チェルノブイリ原発事故の発生から4ヶ月後の1986年8月、ソ連政府はIAEA(国際原子力機関)に事故報告書を提出した。その報告書などに基づくと、急性放射線障害が現われたのは237名で、全員が発電所職員と消防士であったと。うち28名が放射線障害により3ヶ月以内に死亡した。その他、事故現場で行方不明のままになった1名、事故当日火傷で死亡した1名、後になって放射線障害以外の病気で死亡した1名を加え、チェルノブイリ事故による直接の死者は31名とされている。そして、周辺住民の間には1件の急性障害も認められなかったことになっている。

共産党秘密文書

 チェルノブイリ事故当時のソ連で最も大きな権力を持っていたのはソ連共産党であり、その中枢が共産党中央委員会政治局であった。事故が発生すると、その政治局に対策グループが設置され、事故対策の基本方針が決められていた。ソ連崩壊後の1992年4月、その対策グループの秘密議事録が暴露された。暴露したのは、ウクライナ選出の旧ソ連最高会議代議員でジャーナリストのヤロシンスカヤである。その議事録に基づくと、対策グループの最初の会合が開かれたのは事故から3日後の4月29日で、議長は当時のソ連首相ルイシコフであった。以降5月末までは、ほぼ連日のように会合が開かれている。周辺住民の放射線障害に関する報告が最初に現われるのは5月4日の議事録である。議事録に出てくる放射線障害についての報告を表にまとめた。死亡者や重症者の数は、発電所職員と消防士らのものにほぼ対応しており、表には住民以外の数字も含まれている。しかし、子供や幼児にも急性障害の診断があることは、一般住民の間に急性障害があったことを示しており、表に示された病院収容者の大部分が住民であったことは間違いない。表のような報告とともに、6月4日の議事録には、「ソ連および外国ジャーナリストに対する定例記者会見参加者への指令」が添付され、「急性放射線障害の診断は、187名の被災者に対してなされ(全員発電所職員である)、うち24名が死亡した(他に2名が事故時に死亡)。病院に収容された住民には、子供も含め、放射線障害の診断は認められていない」という指令が残されている。ヤロシンスカヤはその著書「チェルノブイリ:極秘」(平凡社1994年)で、当時の共産党幹部たちが如何に情報を隠し国民を欺いてきたか、ジャーナリストとしての自らの経験を通じて克明に描いている。

ルパンディンの現地調査

 ロシア科学アカデミー・社会学研究所のルパンディンは、チェルノブイリ原発に隣接するベラルーシ・ゴメリ州のホイニキ地区で、事故直後の状況について、医師からの聞き取りと当時のカルテの調査を行い、1992年に発表している(「隠れた犠牲者たち」技術と人間、1993年4月号)。ホイニキ地区では、地区病院に加えて軍野戦病院が2つ設置されて住民の検診と治療にあたった。住民を収容する基準は、甲状腺からの放射線量が1ミリレントゲン/時以上を示すか、白血球数が3000以下に減少した場合であった。急性放射線障害に対する治療マニュアルが医師全員に配布され、第T度の急性障害として治療にあたるよう指示があったが、放射線障害という診断を下すことは禁じられた。ルパンディンらが地区病院のカルテを調べ直した結果、第T度の急性放射線障害例75件と第U度の症例7件が確認された。原発周辺全体の住民では数1000件の急性障害があったであろうと彼は推定している。追記しておくと、1990年秋、ホイニキ地区病院の記録保管室から事故当時のカルテ3000〜4000枚が盗まれたとのことである。

生き続けるソ連政府見解

 ソ連の崩壊、民主化の進展にともない、「隠れた犠牲者たち」についての事実が次々と明らかになり、さらには、そうした事実の解明に向けて科学的なアプローチが始まるかと期待されたが、事態はそのような方向には動いていない。むしろ、いっそうの無視、切り捨てに向けて動いている。WHO(世界保健機構)は、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ当局とともに「チェルノブイリ事故健康影響評価プログラム(IPHECA)」を、日本などの出資を基に1992年から開始した。昨年11月にその報告会が開かれたが、その結論をまとめた要約レポートは、「原発周辺30km圏からの避難住民および汚染地域住民において、急性放射線障害は観察されなかった」と述べている。また、この4月にIAEAが予定しているチェルノブイリ10周年国際会議の主要な目的は、「科学的事実を'神話'や'推測'と峻別すること」とされている。

 科学が事実を明らかにする有効な方法の一つであることは確かであるが、使いようによっては事実をなかったことにする方便にも利用できる、ということに改めて注意して行きたい。

 

 共産党中央委員会政治局事故対策グループに報告された病院収容者の数


1986年5月4日 病院に収容された者1882人。検査した人数全体は3万8000人。さまざまなレベルの放射線障害が現れた者204人、うち幼児64人。18人重症。

5月5日 病院収容者は2757人に達し、うち子供569人。914人に放射線障害の症状が認められ、18人がきわめて重症で、32人が重症。

5月6日 病院収容者は3454人に達する。うち入院治療中は2609人で、幼児471人を含む。確かなデータによると、放射線障害は367人で、うち子供19人。34人が重症。モスクワ第6病院では、179人が入院治療中で、幼児2人が含まれる。

5月7日 この1日で病院収容者1821人を追加。入院治療中は、7日10時現在、幼児1351人を含め4301人。放射線障害と診断されたもの520人、ただし内務省関係者を含む。重症は34人。

5月8日 この1日で、子供730人を含む2245人を追加収容。1131人が退院。病院収容中は5415人、うち子供1928人。315人に対し放射線障害の診断。

5月10日この2日間で、子供2630人を含む4019人を病院に収容。739人退院。8695人が入院中で、うち放射線障害の診断は、子供26人を含め238人。

5月11日この1日で、495人を病院に収容し1017人が退院。8137人が入院中で、放射線障害の診断はうち264人。37人が重症。この1日で2人死亡。これまでの死亡者数は7人。

5月12日ここ数日間で、病院収容2703人追加、これらは主にベラルーシ。678人退院。入院治療中は1万198人、うち345人に放射線障害の症状あり、子供は35人。事故発生以来8人が死亡。重症は35人。

5月13日この1日で443人病院収容。908人が退院。入院中は9733人で、うち子供4200人。放射線障害の診断は、子供37人を含む299人。

5月14日この1日で、1059人を病院に追加収容し、1200人が退院。放射線障害の診断は203人にまで減少。うち、32人が重症。この1日に3人死亡。

5月16日入院中は、子供3410人を含め7858人。放射線障害の診断は201人。15日に2人死亡し、これまでの死亡者は15人。

5月20日この4日間に病院に収容したのは716人。放射線障害は、子供7人を含め、211人。重症は28人で、これまでに17人が死亡。

5月28日入院中5172人で、放射線障害は182人(うち幼児1人)。この1週間で1人死亡。これまでの死亡者は22人。

6月2日 入院中3669人で、放射線障害の診断171人。重症23人で、これまでの死亡者24人。

6月12日入院中2494人で、放射線障害の診断189人。これまでの死亡者24人。