本稿は「原子力資料情報室通信」No.287(1998年4月)に掲載された.
チェルノブイリ原発事故処理作業者の健康状態に関する報告
今中哲二
チェルノブイリ事故の後始末作業に従事した人々(いわゆるリクビダートル)の健康状態に関する興味深い報告書を入手したので紹介しておきたい。「リャザン州リハビリテーションセンターでの長期観察データに基づくチェルノブイリ原発事故処理作業者の被曝影響とその対策のための勧告」と題するその報告書は、ロシアのリャザン州(モスクワの南西約200km、人口130万人)に居住しているリクビダートルの健康状態を、州当局と生物物理研究所が調査し1995年にまとめたものである(全文34ページ)。調査対象者数は1886人と、60万から80万人といわれているリクビダートル全体からすればわずかであるが、対象者が少ない分、逆にしっかりしたデータが示されている。
調査対象
チェルノブイリ事故以前からリャザン州に居住し、チェルノブイリ事故処理に従事後、再びリャザン州に戻ってきた男性リクビダートルが調査の対象で、対象期間は1986年から1993年(一部1994年)である。元々放射線に対する知識を持っていた専門家(原子力関連技術者や医者を指していると思われる)は調査対象外とされている。調査対象者がチェルノブイリで事故処理に携わることになったきっかけは、義務兵役中40%、予備役の召集52%、志願者8%になっている。表1に、対象者の作業時の年齢、作業の時期、記録された被曝線量を示す。作業時年齢は18歳から40歳が92%で、いわゆる働きざかりの年頃である。作業時期は1986年と1987年が合わせて91.2%と大部分を構成し、1986年と1987年はほぼ同数である。1986年4〜6月に作業に従事した96人は、これから紹介するデータの中で特に注目されるグループである。被曝線量の記録は、どこまであてになるかは別として、対象者の約3分の2に得られている。ただし外部被曝の記録だけであり、内部被曝については何のデータもない。作業時期別の平均被曝線量は、当然のことながら、1986年の作業者が最も大きく203ミリシーベルトである。外部被曝全体の分布では、500ミリシーベルト以上の9名(0.7%)が注目され、なかでも1シーベルト以上3名の平均線量は1.883シーベルトと、急性の放射線障害が十分に考えられる線量である。
表1 調査対象者の作業時年齢、作業時期、記録された被曝量 作業時年齢の分布: 年齢 18-21歳# 21-30歳# 31-40歳 40-50歳 割合 3.7% 38% 50.1% 8% 作業時期の分布: 1986年 1987年 1988年 1989年 合計 人数(%) 856(45.4)* 865(45.8) 136(7.2) 29(1.5) 1886 作業時平均年齢** 34.3 32.8 平均作業期間 約2ヶ月 約4ヶ月 約4ヶ月 うち: 線量記録あり
63.9% 61.6% 86.0% 24.1% 63.8% 平均線量(mSv) 203 95 50 16 139 被曝線量の分布: 線量範囲(mSv) 50以下 51-250 251-500 501-1000 1000以上 人数(%) 330(27.4) 840(69.8) 25(2.1) 6(0.5) 3(0.2) 平均線量(mSv) 25 164 288 778 1883 #21歳は重なっているが原文のまま. *このうち96人(5.1%)は1986年4〜6月に作業に従事.
**疾病障害者となった人々(表4)の作業時平均年齢の値.
調査結果
作業当時の医療記録によると、咳込み、衰弱、吐き気、嘔吐、心臓痛といった健康悪化の症状が1986-87年のリクビダートルの84〜88%に記録されていた、と報告書は述べている。非常に興味深い記述であるが、残念ながらその記録についての詳しい記述はない。
死亡率:表2示すように1986年から1993年にかけての8年間の死亡者は87人であった。作業時期別に死亡率を比べると、86年作業者の値が大きいこと、また91年から死亡が急増していることの2つが直ちに注目される。86年作業者856人から8年間で55人(約16人に1人)という死亡は、かれらの作業時平均年齢が30代前半であったことを考えると直感的にもかなりの大きさである。年齢構成などほぼ同質の集団で考えられる、86年作業者と87年作業者の死亡率を比べると、86年作業者の方が約2倍である。このことは、86年作業者の被曝線量の大きいことが死亡の増加と関係していることを示唆している。死因については、@事故・中毒・自殺(39.4%)、A循環器系疾患、B死因不明、C悪性新生物、と述べられているが、残念ながら細かいデータは示されていない。
調査集団全体の累積死亡率は10万人当り4613人で、リャザン州の同年齢男性平均の7116人に比べ小さな値である。しかし、リクビダートルは元々健康な人々であったこと、年齢構成の異なる集団の比較方法がはっきり示されていない(かなり雑な比較と思われる)といった問題があるので、以降のデータを含め、州平均と比較する議論には注意が必要である。
ガン発生率:表3はガン発生に関する調査データである。8年間の累積ガン発生率は1000人当り14.9件であるが、1986年作業者では18.7件であり、作業時期とガン発生率との相関性が認められる。なかでも1986年4〜6月作業者96人からは7件(約14人に1人)のガンが発生しており、このグループのリスクが極めて大きいことを示している。部位別の発生数では、甲状腺ガン、脳腫瘍、眼のガンといった比較的まれなガンの発生が認められる。
同時期の同年齢男性の州平均ガン発生率は1000人当り24.2件と、リクビダートルより大きいが、死亡率の場合以上に、比較の妥当性の問題が残る。
表2 作業時期別の死者数と死亡率 作業時期 1986-1993年の累積 各年度の死者数 死亡時平均年齢 死者数 死亡率* 1986 87 88 89 90 91 92 93 1986 55 6425.2 2 2 6 3 6 4 15 17 38.5 1987 28 3236.9 3 2 1 6 7 9 37.5 1988 3 2205.9 2 1 1 42.3 1989 1 3448.3 1 42 合計 87 4612.9 2 2 9 5 7 12 23 28 州平均 7116** *10万人当り.**同年齢男性の州平均. 表3 ガン発生数とその部位 作業時期 1986-1993年の累積 部位別の発生数 発生数 発生率* 消化器 甲状腺 肺 喉頭 脳 腎臓 眼 その他 1986 16 18.7 4 2 3 1 2 1 3 (うち4-6月) (7) (72.2) (3) (3) (1) (1) 1987 10 11.5 3 2 3 1 1 1988 2 14.6 1 1 1989 0 0 合計 28 14.9 7 4 3 3 3 2 2 4 州平均 24.2 *1000人当り 疾病障害者:表4は、疾病障害者と認定された数の推移を示している。疾病障害者とは、身体障害や病弱のため通常の労働に従事できないと認定された人々で、症状の重篤な順に第T度から第V度に分類され、程度に応じた社会保障の対象者となる。1886人のリクビダートルのうち1993年までの認定者は454名(第T度2名、第U度327名、第V度125名)で、調査対象の24.1%に達している。対応する州平均の疾病障害者率に比べ約4倍の数字である。
死亡やガンの場合と同じく、認定者の割合と作業時期と間に極めて顕著な相関関係が認められる。疾病障害率は作業時期が早いほど大きく、とりわけ、1986年4-6月作業者の値は93.8%と、ほぼ全員が疾病障害者といえるほどの数字である。1991年から認定者数が急増し始めていることは、死亡率の場合と同じ傾向であり、死亡率、ガン発生率、疾病障害率に共通の要因が関与していること、つまり事故処理作業時の被曝の後遺症としてそれらの影響が現われていることを窺わせる。
表4 疾病障害者の割合 作業時期 1986-1993年の累積 各年度の認定数 認定数 認定率* 1987 88 89 90 91 92 93 1986 271 317 15 21 12 22 42 68 91 (うち4-6月) (90) (938) (4) (2) (3) (18) (28) (35) 1987 165 191 5 6 5 35 39 70 1988 17 125 6 2 3 6 1989 1 36 1 合計 454 241 15 26 24 27 79 110 168 州平均 56.9 *1000人当り 表5は彼らの疾病の内訳である。循環器系疾患(高血圧や心臓病)が1位であるのは一般的としても、中枢神経系疾患や精神病の多いことが注目されるであろう(両者合わせて46%、州平均の場合は合わせて9.4%)。
表5 疾病障害者の疾病の内訳 病名 人数 % 循環器系 151 34.5中枢神経系 108 24.7精神病 95 21.7悪性新生物 27 6.2胃潰瘍 13 3.0腎臓疾患 12 2.7脊椎関節疾患 12 2.7内分泌系 7 1.6外傷等後遺症 6 1.4慢性肝疾患 4 0.9気管支炎 3 0.7合計 438その他の影響:調査対象のうち1068人の甲状腺を調べた検査結果では、甲状腺肥大、甲状腺種などといった症状が601人(56%)に認められ、有症率は州平均の1.7倍であった。そのうち、甲状腺種、自己免疫甲状腺炎、甲状腺中毒症といった重い甲状腺疾患(59人)の有症率は州平均の約10倍であった。
1987年から1994年にかけて調査対象者から171人の子供が生まれている。子供をつくる年齢層(18歳〜35歳)での8年間の出生率(1人当り0.22人)は、州平均の3分の1であった。
コメント
リクビダートルの健康状態が悪化しているという話は、マスコミ報道、体験談、断片的データなどでずいぶん前から言われている。また、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアのチェルノブイリ被災3ヶ国では、リクビダートルを含め被災者の国家登録制度が作られ追跡調査が行われ、徐々にではあるがデータが報告されつつある。
そうした情報・データの中で、筆者が最も注目していたのは、リクビダートルの疾病障害者率が近年急上昇していたことであった。図1は、今回入手したデータを、これまでのデータと合わせて示したものである。いずれのデータにおいても1990年頃から疾病障害者率の急激な増加が認められる。今回の報告書のポイントは、図1のような傾向が、死亡率やガン発生率にも認められていることである。これまでのデータの限りでは、疾病障害者の増加は、認定されて社会保障を受けるための「見かけの増加」であるとか、「放射能恐怖症」やアルコールびたりのせいである、といった説明も可能であった。今回のデータは、死亡率、ガン発生率、疾病障害者率に共通する要因があることを示しており、その要因として第一に考えられるのが事故処理作業にともなう被曝である。
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注:リャザン州は表4のデータ、ツーラ州(ロシア)は、Delgado(1998)、ロシア全体のデータはIvanov(1996)、ウクライナのデータはBuzunov(1996)による.各出典は今中編KURRI-KR-21を参照されたい.
IAEAなどが主催して1996年4月に開かれた「チェルノブイリ10年総括会議」は、リクビダートルは注目すべき集団ではあるが、白血病を含め彼らの間に被曝の影響は認められない、と結論している。その5年前、IAEAが開いた国際チェルノブイリプロジェクト会議について指摘しておきたい。その会議では、健康悪化を主張するベラルーシ代表などの抗議を無視し、住民への被曝影響は認められないと結論した。しかしその後のデータを前にして、結局IAEAなどの専門家も、甲状腺ガンの増加が被曝影響であることを認めざるを得なくなった。チェルノブイリ事故の被害はできるだけ小さめに見せかけたい、という人々の努力はこれからも続くであろうが、事実を示すデータがそうした人々の願望を崩して行くことを期待したい。
一方、放射線影響研究所が行っている広島・長崎原爆生存者に関する最近のデータにおいても、これまで被曝影響として認めらてきたガン死に加えて、循環器系、呼吸器系、消化器系疾患といったガン以外による死亡の増加が報告され注目されている。リクビダートルに関する被曝影響は、こうした意味でも注目されるものである。