Vremya Novostyej紙 2001年5月23日 記事




今年の1月、フランスの物理学者で、「チェルノブイリの惨事」(桜井醇児訳、緑風出版、1994)のベラ・ベルベオークさんよりメールが届き、いくつかの手紙が添付されていました。ゴメリ医科大学の学長であるBadazhevsky教授が昨年7月いわれなく逮捕されたが、国際的救援運動のおかげもあって暮れに釈放された。しかし、いまだにミンスクから離れることを禁じられている、という内容でした。
翻訳して紹介しておきます。
2000年3月8日
今中哲二


親愛なる皆様:

 
国際キャンペーン「Bandazhevskyを自由に」と国際アムネスティの迅速な行動によって、(1999年)12月27日午後4時、Bandazhevsky教授は釈放されました。身柄引き取りに出向いたNesterenko教授によると、彼は20kgもやせ10歳以上歳をとったように見えた、とのことです。しかし、彼はしっかりしており、6カ月間の拘留中に屈服しなかったことを喜んでおりました。刑務所では、手と足に錠がかけられていたそうです。
 彼は、いまだ何らかの行為で検察から告発されているわけではありませんが、彼の家はゴメリにあるのに、ミンスクから離れることを禁じられています。彼の裁判は5〜6カ月は始まらないでしょうし、わけの分からない拘束理由も消えるかも知れませんが、誰にもわかりません。また、ゴメリ大学へ入学するため彼にワイロを送ったことを学生が認めた、というウワサも流されています。彼の健康状態は悪く、体力を回復する必要があります。ここに、彼からの手紙を2つ紹介します。彼は、急速に回復し元気を取り戻しつつあります。
 彼を釈放させるため助けて頂いた皆様、チェルノブイリ被災に関する重要な証人の命を支えて頂いた皆様に感謝いたします。

 

Michel Fernex教授 PSR/IPPNW スイス

Solange Fernex WILPF フランス


<私の釈放のために助力してくれたすべての人たちへの手紙>
2000年1月2日
親愛なる皆様;
 困難に際し、私と私の家族に示してもらった助力と支持に対し心からの感謝を申し上げます。いつの日か、直接お会いして御礼を述べることができるよう望んでおります。Nesterenko教授はずっと、私を心配する科学者や市民からの手紙をすべて知らせてくれていました。心からすべての方々に御礼申し上げます。
 皆様の介入によって1999年12月27日に私は釈放されましたが、そのかわり、ミンスクから出ることが禁じられています。

 Nesterenko教授とともに、私はいま、これからの研究プラン作りをはじめており、じきに皆様にお知らせします。実際のところ、私はゴメリ大学で働くことを妨げられており、私の人生は大きく変わらざるを得ませんでした。私の最新の著書が、「体内摂取された放射能に関する病理学」というタイトルで英文で出版されます。チェルノブイリ事故の健康影響についての仕事を継続する所存です。

 感謝と尊敬を込めて

Y.I.Bandazhevsky

(急いで翻訳したので、不十分のところ悪しからず。S.Fernex)



<一般市民と科学者へあてたBandazhevsky教授からの手紙>
2000年1月13日
親愛なる皆様:
 私に起きた悲劇的事件の間に、これまでそして現在の、私と私の家族に対するみなさんからの支持に感謝申し上げます。
 真実は明らかになる、と確信しています。ここで述べておきたいのは、この10年間私は、1986年に起きたチェルノブイリ事故の健康影響と人体組織内に摂取された放射性物質の影響研究に没頭してきたことです。それに関連して、私の指導のもとで設立されたゴメリ医科大学では、放射能汚染地域住民の大規模な健康調査、汚染食料を用いた動物飼育実験、といった広範な科学的研究に取り組んできました。

 こうした研究は、放射能が体内に取り込まれたときの現象と病理学的プロセスを解明するとともに、放射能からの防護に関する基準を設定することに寄与しました。ゴメリ医科大学では、私の指導のもと、30もの博士論文が作成され、多数の科学的文献が発表されました(私の分だけで200篇に及んでいます)。研究には国からの資金を受けていません。

 我々の研究成果は定期的に、新聞、ラジオ、テレビといったメディアや国会に報告してきました。残念ながら、私の逮捕と収監は、ゴメリ医科大学の研究活動を妨害するための口実となってしまいました。もともときわめて困難な状況下で設立された医科大学は、、破壊されてしまいました。

 汚染地域住民の健康状態は現在、破局的な状態です。ゴメリ州の1999年の死亡率は、出生率の1.6倍でした。我々の国家は存亡の危機にあります。ベラルーシならびに国外の人々にとって、病理学的プロセスを解明や放射線防護方法の確立といった、体内放射能の健康影響問題の研究がきわめて重要であると私は確信しております。そこで私は、こうした問題に興味をもつ市民社会と科学者のすべての構成員に対し、我々の努力を連帯させるよう要請と提案をするものであります。

 こうした行動のひとつは、チェルノブイリ原発事故によって汚染された地域に、病理学と放射線防護の研究に関する国際独立科学センターを設立することでしょう。そこでの研究により、実際の人体への放射線影響に関する知見が得られるでしょう。このセンターの活動は、資金源をふくめ、政府組織から独立したものでなければなりません。世界中のさまざまな国の科学者がセンターにやって来て、そこで得られた知見はすべての人々に明らかにされるでしょう。

 もしあなた方が私のこの提案に興味を抱かれるなら、資金の問題も含め、あなた方の意見と私の意見を議論し問題解決へ向けてともに取り組みましょう。

 私を助けるため、活動して下さったり現在も活動されているすべての方々に改めて感謝致します。

 敬具

Y.I. Bandazhevsky

c/o Professor Nesterenko

Institute BELRAD, Minsk, Belarus

neste@hmti.ac.by




2001年5月23日  「Vremya Novostyej」

低線量の事件
放射線の危険性について訴えるゴメリの研究者が、収賄容疑で訴えられている



 ゴメリで地元の医科大学のユーリー・バンダジェフスキー学長に対する公判が大詰めを迎えている。彼の容疑は、大学の入学志願者に賄賂を要求する犯罪グループを組織したというものだ。検察当局は、バンダジェフスキー被告の9年の自由剥奪を求刑している。一方、弁護側は、この事件は政治的な性格をもったものだと主張している。弁護側によれば、ベラルーシの当局は、低線量の放射線が人体に与える影響が著しく過小評価されていることを立証した、バンダジェフスキー被告の研究結果が公表されるのを阻止しようとしたのだという。それは、実際のところ、低レベルの放射能も人体に蓄積され、その影響で腎臓や肝臓、それに心臓や肺が冒されているというものだ。

  しかし、当局がとる公式見解によれば、危険なのは、あくまで高線量の放射線だけだということになっていいる。そうした立場をもとに、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は1999年、チェルノブイリ問題に対する新しい取り組みを表した。ルカシェンコ大統領によれば、放射能汚染により国内農地の4分の1が放置されていることは、認めがたい無駄だという。そして、1980年代末から90年代はじめにかけて人々が避難した汚染地への、新たな入植が、新たな国政の基本となった。チェルノブイリのゾーンでは、再び学校や病院、住宅が建設され、ガス供給や水道システムが整備されている。

  バンダジェフスキー事件は、実際、そうした公式見解に反する一連の論文が発表されたあとに表沙汰となった。医科大学の学長である彼に、賄賂を受け取った容疑かかけられたのだ。ただ、最大かつ現時点においても唯一の証人は、証言を拒否し、ゴメリ医科大学内には、学生らに前学長の賄賂要求について証言するよう求めるための電話窓口が設けられている。しかし、弁護側は、いずれにせよユーリー・バンダジェフスキー被告の容疑を立証する直接的な証拠は存在しないと見ている。一方、公判の開始前に「核戦争に反対する医師団」は、彼に特別賞を授与し、また欧州会議も彼に「自由のパスポート」を与えている。

ユーリー・アンドレエフ 、ミンスク
(平野進一郎 訳)