ベラルーシ国内ニュース

2001年4月〜2000年6月


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2001年6月

01/06/04
プーチン・ロシア大統領は6月1日ミンスクで、今年のベラルーシ大統領選挙にCISから選挙監視団を派遣すると述べた。その決定は、ルカシェンコ・ベラルーシ大統領の要請によるものである。

01/06/04
国外亡命中のベラルーシ人民戦線分派のリーダーPaznyakはポーランドのクラコフで6月2日、今年の大統領選挙に出馬すると発表した。

01/06/05
グロードゥノで6月4日、ロシア・ベラルーシ連邦の議会評議会が2日間の日程で開催され、ウクライナからの議員団も参加した。参加議員らは、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア議員連盟を結成し、スラブ民族の統合を目指す、と宣言した。

01/06/06
ルカシェンコ大統領は5日のロシア・ベラルーシ議会評議会で、ロシア側が連邦の発展に消極的であると、激しく非難し、モスクワが対外貿易政策に非協力的なら、連邦解消もありうると述べた。

01/06/07
世界銀行は5日、ベラルーシに対し2260万ドルのローンを与えることを承認した。ローンの対象は、暖房の改善、学校や病院での照明の改善にあてられる。このローンは、1994年にルカシェンコ大統領が市場経済改革を凍結して以来はじめての融資である。

01/06/07
国民評議会は7日、大統領選挙を9月9日に実施することを賛成74反対12で決定した。投票数の50%を越える得票者がなければ、2週間後に第2次投票が実施される。

01/06/08
国民評議会による9月9日の大統領選挙日の決定を受けて、中央選管委員長Yarmoshynaは、大統領候補イニシアチブの申請は6月15日までにし、イニシアチブ登録された候補は8月9日までに10万人の賛同署名を集めると、公式な候補として選挙運動できる、と発表した。

01/06/11
ベラルーシテレビは9日、OSCE(欧州安全保障協力機構)ミンスク監視顧問団のWieckは、西側のスパイであり、ベラルーシにサボタージュのネットワークを作ろうとしている、と非難した。

01/06/12
2人の元検事、PetershkevichとSluchakがマスコミに送った電子メールで、反対派政治家ZakharankaとHanchar、ロシアORTテレビのカメラマンZavadskiの失踪暗殺にベラルーシの高官が関与している、と伝えてきた。PetershkevichとSluchakによると、暗殺は、Sheyman前安全保障会議議長の指示により、前内務大臣Sivakouが組織した。KGBと検事総局が、Zavadski事件を調査し遺体発見を試みたところ、ルカシェンコ大統領が、Matskevich KGB委員長とBazhelka検事総長を解任した。

01/06/13
ベラルーシの約200のNGOが結集し9月9日の大統領選挙に向けて、少なくとも1万4000人のオブザーバーからなる、独立モニタリンググループを結成した。人権活動家Byalatskiは、「我々ははじめて、ベラルーシ全国におよぶ、非党派、独立で単独のモニタリングネットワークを結成した」とコメントした。

01/06/13
ミンスク地方裁判所は12日、反対派活動家でジャーナリストのShchukinに対し、暴力行為の罪で3カ月の禁固判決を下した。Shchukinは、2000年1月16日Navuman内務大臣の記者会見に参加するため内務省ビルに入ろうとして阻止された。

01/06/14
亡命中の反対派リーダーPaznyakが大統領選挙に立候補登録を郵送してきた、とYarmoshyna中央選管委員長が13日発表した。中央選管は立候補が有効かどうか憲法裁判所に諮問するが、現行憲法では、大統領候補は少なくとも選挙前10年間ベラルーシに住んでいること、と規定されている。Paznyakは、1990年代はじめに、最も影響力のあった反対派であるベラルーシ人民戦線のリーダーで、1994年の大統領選挙では12%を得票した。1999年に、人民戦線は2派に分裂した。

01/06/14
ルカシェンコ大統領は14日、大統領選挙への立候補登録のため、中央選管事務局を訪れた。それまでに、Tsyareshchanka, Haydukevich, Domash, Kazlouski, Kalyakinの5人が登録しており、Yarmoshyna選管委員長によると、最終的な候補者は約15人であろう。

01/06/15
大統領候補者登録は14日の段階で13人となった。新たな立候補者は、前大統領府長官Sinitsyn、現ラトビア・リトアニア・エストニア大使Marynich、ベラルーシ労働組合連合議長Hancharykである。登録は15日に締め切られ、中央選管が20日までに審議し、それから支持署名を集めるキャンペーンが行われる。

01/06/18
中央選管は15日、9月9日の大統領選挙へ向けて候補者登録の申請を行なったのは25人にのぼったと発表した。マスコミにとって予想外だったのは、亡命中の反対派リーダーPaznyakと、60-70年代の共産党リーダーPyotr Masherauの娘、Natalia Masyaravaの立候補申請である。

01/06/19
ベラルーシの行政当局は現在、大統領選挙へ向けて地方選挙委員の選任を進めているが、ミンスク、ビテプスク、ゴメリ、ベレスト各州の行政当局は、ルカシェンコ大統領に忠実な人々のみを選出し、NGOや反対派代表の参加を拒否している。ベラルーシの選挙法に基づくと、選挙委員の選出は行政当局の権限であり、これまで反対派や国際組織から非民主的であると批判を受けてきた。

01/06/19
ベラルーシ最高裁の軍事パネルは18日、前ゴメリ医科大学学長Bandazheuskiと副学長Raukouに対し、大学への入学と引き替えに賄賂を受け取った罪で、禁固8年の刑を下した。Bahdazheuskiは、放射線に関する高名な専門家で、チェルノブイリ事故に対する政府の政策を批判してきた。

01/06/20
中央選管は19日、大統領選挙候補に申し込みした25人のうち22人を正式登録した。登録された候補者は、6月20日から7月21日の間に10万人以上の署名を集めると、正式候補となる。

01/06/20
人権活動家Volchakは18日、先週、ベラルーシ当局が反対派政治家HancharやZakharenkaをふくめ約30人の暗殺を行ってきた、と暴露した2人の検察官PetrushkevichとSluchakの政治亡命を米国が認めた、と発表した。

01/06/21
ベラルーシ・ヘルシンキ委員会とVyasna人権センターの発表によると、地方選挙委員会にNGOは全国で600人以上を推薦したが、民主勢力から選ばれたのは、結局ビテプスク州の1人だけであった。民主勢力側のSiuchykによると、「当局は、これまでの選挙ですでにゴマカシに手慣れた人々を選出した」

01/06/22
検事総局は、政府高官が暗殺を組織したという元検察官PetrushkevichとSluchakの発表を捜査の対象にしないことを決定した。検事総局の報道官によると「モラルを欠いた元同僚の宣伝にはのらず、中傷は彼らの良心にまかせる」

01/06/22
ルカシェンコ大統領は21日、ロシアのテレビ局がベラルーシの状況について偏った報道をしていると非難した。ルカシェンコによると、ロシアのテレビは、ベラルーシの政治状況を非文明的で醜いものと報道している。「選挙が終わるまではこのままだが、それがすんでからはロシアのマスコミに対し必要な措置をとる」と恫喝を加えた。今月はじめ、ORTテレビが反対派の大統領候補4人を紹介する放送をしたのち、ミンスクでロシアからの放送が1日停止した。

01/06/25
ベラルーシ・ポーランド国境のブレスト要塞で24日、ルカシェンコ大統領とアレクセイ2世ロシア正教総主教が、ナチスドイツとソ連の開戦60周年の合同追悼式を行った。

01/06/25
ベラルーシKGBは22日、米国市民Perriolloを、マリファナ所持の容疑で逮捕した、と発表した。KGBによつと、Periolloは米国政府が資金を出している人権グループのエージェントで、学生や生徒を対象とする4つのプロジェクトに関係している。

01/06/27
ベラルーシ農業産業同盟委員長のYarashukは26日、民主勢力調整評議会がすすめている5人の反対派大統領候補の一本化に、自分も参加すると発表した。Yarashukによると、統一候補を選ばなければ、ルカシェンコ現大統領に勝つのは不可能である。

01/06/27
1999年末に解任された前大統領府長官Ivan Tsitsyankouの妻、Halina Tsitsyankovaが"Belorusskaya delovaya gazeta”紙に公開書簡を発表した。その書簡によると、Tsitsyankouが最近大統領を批判するインタビューを行ったため、大統領はSheyman検事総長に対し、仕返しにTsitsyankouの家族を迫害するよう命じている。

01/06/28
ロシア、ベラルーシ、ウクライナの国境に近い村で27日、アレクセイ2世ロシア正教総主教とルカシェンコ大統領が、スラブ3国と正教の統合を訴える声明を発表した。アレクセイ2世の5日間のベラルーシ訪問は、ローマ法王のウクライナ訪問に対抗するものと受けとめられているが、注目されるほどの群衆を集めることはできなかった。総主教はは、YerynベラルーシKGB長官をはじめ、数人のKGB高官に称号を与えた。

01/06/29
大統領候補の健康チェックを実施しようという先の提案に続いて、ルカシェンコ大統領は、7月3日にミンスクで大統領候補者を集めてレースをやろうと提案した。レース参加者は、素足、ローラースケート、ローラースキーのいずれかを自由に選べるが、大統領はローラースキーを使う。この提案に対し社会民主党のShushkevichは「大衆が望んでいるのは、大統領の肉体能力テストではなく、精神的健康テストである」とクールに反応した。
 

 



2001年5月



01/05/02
ミンスクで5月1日、ベラルーシ労働組合連盟が組織したメーデー集会が開かれ、約1000人が参加した。当局は集会を許可しなかった。グロードゥノのメーデー集会では約20人が拘留された。

01/05/04
この秋に予定されている大統領選挙での反対派候補、Chyhir、Hancharyk、Domash、Kalyakin、Kazlouskiの5人が5月3日、選挙運動の相互協力についての声明を発表した。最終的には円卓会議を開いて1人の候補に絞り込む。

01/05/09
ルカシェンコ大統領は8日、戦勝記念日にちなむ演説で、1940年代にベラルーシ征服に失敗した勢力が、ユーゴスラビアのような第4の戦争をしかけており、(大統領候補の)5人の裏切り者を国内に仕立て上げている、と述べた。

01/05/10
戦勝記念日の9日、ルカシェンコ大統領は5000人に退役軍人の先頭に立って行進を行ない、「外国勢力が我々に彼らの価値観や政治方針を押しつけようとしている、ソビエトの栄光が黒く塗られようとしている」と述べた。

01/05/11
ミンスク地方裁判所はは10日、ズーブル運動メンバーのPyanykhに対し、4月21日に路上でルカシェンコ大統領を侮辱するショーを行った罪で10日間拘留の判決を下した。Pyanykhらはホッケー狂の大統領の扮装をして、大統領の精神病を揶揄した。

01/05/14
ベラルーシ検事副総長Snyahirは11日、行方不明のロシアORTテレビカメラマンZavadskiは、2000年7月7日、元内務省特殊部隊員Ihnatovichが率いるギャング一味に誘拐された、と語った。ベラルーシ捜査当局によると、Zavadskiは、Ihnatovichがチェチェンでロシア軍に逮捕されるところを撮影された仕返しに誘拐された。ORT特派員Sheremetは、Zavadskiの誘拐は、反対派政治家の失踪と同じく政治的なものである。

01/05/15
ボブルイスク市のBelshyna国営タイヤ工場において、ベラルーシ自由労働組合(BFTU)の活動家Zakhozhayaが、BFTU工場支部の承認を求めて13日間のハンガーストライキに入った。

01/05/16
民主勢力調整評議会は15日、来るべき大統領選挙に向けての会議を開いた。社会民主党・人民会議のKarolによると、評議会は「1週間以内に」ルカシェンコ大統領に対抗する統一候補を決定するが、評議会の意向は前グロードゥノ州知事Domashに傾いている。

01/05/16
18日にミンスクで開かれる「第2回全ベラルーシ人民大会」に向けて、全国で2500人の代表が選ばれた。2月の大統領令によると、大会では、2001-2005年の社会経済発展計画が議論される。また、ルカシェンコ現大統領が、大統領候補として指名されるであろう。

01/05/17
保守キリスト教党副議長Papkouが16日、3月25日に行なわれた不許可デモの際の公務執行妨害容疑で逮捕された。しかしながら、保守キリスト教党の関係者によると、Papkouが逮捕されたのは、5月18日に予定されている「第2回全ベラルーシ人民大会」への抗議行動と関係したものである。

01/05/18
Khvastou外務大臣は17日、これ以上「破壊活動」を続けるようだと国外追放すると、OSCE(欧州安全保障協力機構)監視顧問団のWieck団長に警告した。Khvastouによると、OSCEは昨年の議会選挙においても反対派選挙モニターに資金を提供し、ベラルーシの政治舞台の登場人物となっている。

01/05/23
ミンスクで18日、約2500人の代表が集まり、「第2回全ベラルーシ人民大会」が開催され、2001-2005年のベラルーシ社会経済発展計画が採択された。ソビエト流の集会においてルカシェンコ大統領は、2005年のGDPは2000年に比べ40%増加し、経済の発展とともに人々の生活が向上する、2005年の平均月給は250ドルになるだろう、と演説した。第1回大会は、1996年に問題の国民投票の前に開催された。

01/05/23
行方不明反対派についての真実を要求し、18日の人民大会に抗議していた反対派30人以上が、警察官により逮捕された。反対派政治家Lyabedzkaによると、「我々は、2000人のエキストラが動員された、ひとりの男にによる悲劇的喜劇を目撃した」

01/05/24
ベラルーシKGBのKotau報道官は21日のテレビで、OSCE顧問監視団のWieck団長がルカシェンコ大統領の追放を企んでいると述べた。Kotauによると、Wieckはドイツの元情報将校で、現大統領転覆のための秘密会談を行っている。

01/05/25
ミンスクのOSCE顧問監視団は22日、OSCEが破壊活動を行っているとするKhvastouベラルーシ外相の発言を不当なものと否定するとともに、Wieck団長が現大統領の転覆をたくらんでいるというKGBの発表は、OSCEへのベラルーシ大衆の信頼失墜をねらったものと批判した。

01/05/29
5月26日、数十のNGOの代表800人以上が各州からミンスクに集まり、大統領候補としてDomash氏を応援することを確認した。集会決議は、5人の反対派大統領候補が選挙キャンペーンで協力するよう求めている。

01/05/30
ミンスクで29日、約400人のメンバーが集まり、ベラルーシ作家同盟の大会が開かれ、Ipatavaを新会長に選出した。旧会長Nyaklyayeuは、1999年6月から当局の弾圧を避けてポーランドとフィンランドに滞在していたが、最近ベラルーシに戻った。旧会長は大会で、反対派を支持する決議をするよう求めたが、採択されなかった。

01/05/31
前最高会議議長のShushkevichが率いるベラルーシ社会民主党は30日、反対派から出馬が予定されている5人の候補が、国家主権について明確な態度を示さなければ、民主勢力調整評議会から脱退すると決定した。社会民主党は、主権と通貨の維持、94年憲法への復帰、国旗と国章の復活を主張しているが、5人の反対派候補は、ロシアとの連邦に賛成している。

01/05/31
31日未明、ミンスクのロシア大使館に、手榴弾が投げ込まれたが、爆発による被害は軽微だった。爆発があったのは、プーチン・ロシア首相やカシャノフ首相らが、CISサミット参加のためミンスクに到着する数時間前だった。


2001年4月




01/04/03
人権センター議長でベラルーシ人民戦線副議長のVyasnaに対し、3月25日の「自由の日」に不許可デモを組織した罪で、10日間の監獄刑が判決された。

01/04/05
ミンスク裁判所は4日、保守キリスト教党代表のBelenkiに対し、3月25日の「自由の日」に不許可デモを組織したとして、15日間の禁固刑を判決した。

01/04/06
青年戦線リーダーSevyarynetsに対し3日、不許可デモを組織した罪で10日間の禁固刑が下された。また同日、ミンスク州のBarysauで、「ズーブル運動」の4人の活動家に対し、「行方不明の人々はどこにいるのか?Zakharanka、Hanchar、Krasouskiはどこに?」と落書きした容疑で司法手続きがはじまった。

01/04/09
ルカシェンコ大統領は6日、今年の大統領選挙の対抗候補に対し西側は5億ドルの支援を計画していると述べた。大統領によると、その情報は元ロシア首相プリマコフから入ったものである。

01/04/10
ルカシェンコ大統領は10日、上下両院議員が集まった国家評議会で演説し、駐ミンスク米国大使は今後議会の公式行事に招待されないと語った。

01/04/11
ルカシェンコ大統領は10日の国家評議会で、反対派は今年の大統領選挙に向けて「ユーゴシナリオ」を準備している、と演説した。大統領によると、1万4000人の選挙モニターが独自のコンピューターシステムで選挙結果の集計を行ない、独自の結果を発表する。そして街頭へ出て議会の占拠を試みるであろう。

01/04/12
OSCE顧問グループ団長Wieckは11日、今年の大統領選挙で顧問グループは国内の選挙モニタリンググループと協力することを再確認した。Wieckの声明は、反対派の選挙モニタリング活動を阻止するという大統領の前日の演説に答えたもの。

01/04/13
ベラルーシ上院は12日、ロシア・ベラルーシの通貨統一条約を、賛成95反対3で批准した。2005年1月1日から、ロシアルーブルが唯一の通貨となり、2008年1月1日から新通貨が導入される。

01/04/17
3月12日に交付された、選挙に関連した活動やセミナーに対し外国からの援助を禁止する大統領令が16日に発効した。大統領令は、憲法秩序の変更、政府転覆、社会・人種不安の掻きたて、選挙の準備、議会のリコール、ストライキの組織、街頭デモ、セミナー、その他の宣伝活動に対する資金援助を禁止している。

01/04/17
ベラルーシ外務省は13日、チェコの週刊誌ジャーナリストPlavecを「不適当活動」の理由で拘留し国外追放した。チェコ外務省は、拘留・追放の理由には根拠がない、と述べた。

01/04/18
OSCE監視顧問団は17日、OSCEが選挙監視員をスパイとして雇っているという、ベラルーシKGB議長の発言を否定した。OSCEは、今年後半の大統領選挙に向けて、各投票所でのモニタリング活動のために1万4000人を配置する予定。

01/04/20
ルカシェンコ大統領は19日のテレビで演説し、今年の穀物収穫量は最低でも600万トンで、700万トンを目標にしなければならない、と述べた。2000年の収穫量は490万トンであった。また、ベラルーシで利益を得ている外国の石油会社や銀行は、コルホーズへの寄付をしなければ国から追放すると述べた。裕福なベラルーシ人にも農業への寄付を呼びかけた。

01/04/23
ズーブル青年運動のメンバー25人が21日、ミンスク市内の公園で1000人の観衆の前で「最終診断」というパフォーマンス劇を行い逮捕された。ルカシェンコ大統領は中度の精神病であるという診断のパロディで、「独裁は病気であり、民主主義は健康。健康を選ぼう!」とルカシェンコ大統領のマスクをしたパフォーマーが観衆に訴えた。一方同日、反対派青年戦線のメンバー17人も、ミンスク郊外の公園で「バンガローへの最後の行進」という不許可集会を行い逮捕された。

01/04/24
EBRD(欧州復興開発銀行)のLemierre総裁は23日、秋に予定されている大統領選挙が公平に実施されなければ、EBRDはベラルーシとの関係を停止することを検討すると述べた。EBRD評議会は、昨年の議会選挙が不公正なものだったことを憂慮している。

01/04/25
中国への3日間の訪問を終えたルカシェンコ大統領は24日、ベラルーシと中国との貿易は、現在の年間2億ドルから、2年後には年間5億ドルに達するだろうと述べた。

01/04/26
ベラルーシのルカシェンコ大統領は26日、チェルノブイリ事故15周年の式に参加するためゴメリ州の汚染地を訪問した。ウクライナのクチマ大統領、Yushchenko首相、Plyushch議長は、事故処理で働いた軍人羅のモニュメントと墓に花束を捧げた。ベラルーシ反対派も同日、追悼式典を予定している。

01/04/27
ミンスクで26日、反対派が組織したチェルノブイリ15周年のデモに5000から7000が参加した。Nikitchankaアカデミー会員は、184万人がベラルーシの汚染地域に住んでいる、政府がチェルノブイリ対策のために支出している額は、「チェルノブイリ税」として集められている額より13%少ない、と述べた。

01/04/30
Kamvol織物工場の数百人の女性従業員が27日、3月分の給料支払いを求めて工場近くの道路を封鎖した。工場のマネージャーは、従業員たちをなだめるため、3万9000ルーブル(29ドル)ずつを支払った。約3000人の従業員がいるKamvol工場の平均給料は月53ドル。