ベラルーシ国内ニュース

2001年7月-9月


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2001年9月

01/09/04
9月2日、反対派大統領候補Hancharykを支持する集会がミンスクの10月広場で開かれ約3000人が参加した。Hancharykは、選挙での勝利を確信していると述べ、9月9日投票終了後の午後8時に再び広場に集まろうと呼びかけた。

01/09/04
ロシア国営放送テレビRTRは9月2日、ルカシェンコ・ベラルーシ大統領をたたえる30分間の番組を放映した。

01/09/04
9月4日、大統領選挙の事前投票がベラルーシ全国6753の投票所ではじまった。事前投票は理由の提示なく可能であるため、反対派は繰り返し不正の温床と批判してきた。

01/09/05
9月4日ミンスクの共和国宮殿でルカシェンコ支持の集会が開かれ2500人が集まった。ルカシェンコ大統領は、過去5年間にベラルーシのGDPは36%、工業生産は65%増加し、2005年の平均月給は250ドルに達すると述べた。また大統領は、「選挙がすんだら、OSCE代表のWieckをベラルーシからけり出してやる」と息巻いた。

01/09/06
大統領寄りの”Sovetsksya Belorussiya”紙は5日、米国、イギリス、ドイツの情報機関が結託して、ルカシェンコ大統領を倒すための”White Shock“作戦をたくらんでいるという記事を載せた。その作戦によると、9月10日に全国から反対派の若者がミンスクに結集し、大統領府を攻撃する。

01/09/07
ルカシェンコ大統領は6日、選挙終了後に反対派が集会を予定していることにふれ、「彼らにはなにもできないし、法に違反する行為はすみやかに断固たる措置をとる」と述べた。

01/09/07
来る9日のベラルーシ大統領選挙に関連し、各国の新聞は7日、以下のような見出しとともに論評した。エコノミスト「腐った国家」、ウォールストリートジャーナル「ヨーロッパ最後の独裁国の選挙」、モスクワタイムス「ルカシェンコのライバルに勝ち目なし」、フィナンシァルタイムズ「悲しい国家」、ザガーディアン「ソビエト時代にワープした恐怖体制」など。

01/09/10
Yamoshyna中央選管委員長は10日、ルカシェンコ現大統領が圧倒的多数で2期目に当選したと発表した。ルカシェンコの得票率は75.62%で、Hancharykが15.39%、Haydekevichが2.48%だった。投票率は83.85%。

01/09/10
Hancharyk候補は9日の投票終了の4時間後、広場に集まった2000人の反対派を前に、当局により投票は大々的にごまかされたと述べた。Hancharykによると、独立した集計ではルカシェンコが46%で、彼が40%であった。

01/09/10
OSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)の監視顧問団は、選挙は国際的な基準をみたしておらず、公正でなかった、という声明を発表した。声明によると、ベラルーシ当局は、あらゆる手段で反対派のキャンペーンを妨害した。

01/09/11
EU外交政策チーフSolanaは10日、ルカシェンコ大統領の地滑り的勝利について、「選挙プロセスに明白な疑問がある」と表明し、EUは今後もベラルーシの草の根民主主義を支援すると述べた。一方、ミンスクを訪れているヨーロッパ議会のメンバー5人が9日、ベラルーシの選挙は公正ではなかったが、これ以上ベラルーシを孤立に追い込むのも民主主義の発展につながらない、と発表した。

01/09/11
CISの選挙モニタリング団は10日、選挙は自由でオープンであり、民主的基準に合致したものであったと表明した。

01/09/11
ミンスクで10日、約2000人の反対派が参加し、大統領選挙は不当であり、再選挙を要求する集会をもった。一方、ルカシェンコ大統領は、反対派は無力だ、と語った。

01/09/13
Shymau経済大臣は12日、政府企業の平均賃金を今年の末までに26.6%引き上げると発表した。Shymauによると、7月の平均賃金は13万8700ベラルーシルーブル(公定レートで99.3ドル)だった。

01/09/13
人権活動家Shchukinが12日、3ヶ月の服役の後釈放された。Shchukinは今年1月、Navmau内務大臣の記者会見に出席しようとして逮捕された。Shchukinはジャーナリストに、「他の収容者によからぬ影響を与えた」という理由で20日間懲罰牢に収容されたと語った。

01/09/14
Khvastou外務大臣は13日、ヨーロッパはベラルーシへの態度を考え直すであろう、とベラルーシテレビで語った。Khvakouは、10日に発表されたOSCE監視顧問団の予備的レポートにふれ、ベラルーシを孤立に追い込むという政策は建設的でないとする見解を評価した。

01/09/14
ルカシェンコ大統領は13日、テロに関連して米国大使館へ弔問に行く途中、訪問をキャンセルした。消息筋によると、米国側が弔問中のテレビ撮影を拒否したため。

01/09/17
EUは14日、ベラルーシ大統領選挙について、選挙が自由でも公正でもなかったとするOSCEの評価を支持すると発表した。その発表によると、ベラルーシが孤立から抜け出るためには、人権と民主主義の発展が必要である。

01/09/17
中央選管は14日、大統領選挙の公式結果を発表した。それによると、投票率は83.86%で、ルカシェンコの得票率76.65%、Hancharyk15.65%、Haydukevich2.48%であった。

01/09/17
ベルパン通信が行ったミンスク市民500人を対象とした調査では、ルカシェンコ大統領に投票したのは44%であった。中央選管によると、ルカシェンコのミンスクでの得票率は57.37%である。

01/09/18
反対派約200人が17日、行方不明政治家らの事件に抗議して、ミンスクの大統領府の前で「人間の鎖」ピケットを行った。反対派は、行方不明者の事件をヨーロッパ法廷に訴える意向である。

01/09/19
EC議会評議会(PACE)は18日、9月24-30日にストラスブルグで開かれるPACE会議にベラルーシから、政府側から国家評議会、反対派からは旧最高会議を招待すると発表した。

01/09/20
ルカシェンコ大統領の2期目の就任式が20日、ミンスクの共和国宮殿で行われた。ロシア下院議長や各国の外交団が出席したが、駐ミンスク米国大使Kozakは欠席した。

01/09/21
ルカシェンコ大統領は20日、「西側は現実を見るべきであり、ベラルーシ国民の選択を尊重すべきである」と語った。前日の大統領就任式にEU諸国は、大使の替わりに低位の外交官を出席させた。ポーランドやリトアニアも同様であった。

01/09/21
大統領候補Hancharykは、先の大統領選挙は不正だったとして、真実を明らかにするための協力を国際労働組合に訴えた。Hancharykによると、数千件の違反があった。

01/09/21
憲法の規定に従い、Yarmoshyn首相は、内閣総辞職を大統領に提出した。ルカシェンコ大統領は総辞職を受け入れ、現内閣は新内閣がきまるまでの暫定内閣となる。

01/09/24
べラルーシ外務省は22日、「9月11日に米国で発生した非人道的テロに対する報復行動に関連し、ベラルーシ政府はテロリズムを根絶する国際的な斗いを支持する」と声明した。

01/09/24
大統領選挙の国内監視団を組織した人権センター”Viasna”リーダーのByalatskiによると、監視団員に対する迫害や訴追が行われている。ミンスクのHalichは選挙係員を「悪党」と呼んだことで裁判にかけられる。何人かの教師は首になった。

01/09/25
ルカシェンコ大統領は、内閣再編にともない、大臣の数を44人から28人に減らす変更を行った。主要な大臣は留任する予定。Yarmoshyn前首相も再任されるもようであるが、最終決定はまだ。

01/09/26
EC議会評議会(PACE)の選挙監視団長Gorisは25日、ストラスブルグのPACE会議で、大統領選挙が民主的でなかったことには失望したが、PACEのベラルーシ隔離政策も効果がなかった、と述べた。

01/09/27
ロシア・ベラルーシ議会評議会のKontsevoiは26日、ロシア・ベラルーシ連邦予算の分担金額のうち、今年1?8月ベラルーシは予定されている金額の8.3%しか拠出していない、と述べた。2001年の予算は23億ロシアルーブル(7800億ドル)で、ロシア65%、ベラルーシ35%の配分である。ロシア側は全額拠出すみである。
 
 



2001年8月

01/08/01
ルカシェンコ大統領は7月31日、反対派政治家らの暗殺に彼の側近が関与したという報道を否定し、側近への攻撃は大統領自身を狙ったものである、と述べた。

01/08/02
反対派リーダーらは8月1日、現大統領は選挙に敗れても権力を放棄しないし、暴力をもって地位を守ろうとするだろう、という声明を発表した。一方、大統領は7月31日の記者会見で、選挙で自分は90%以上の支持を得るだろうし、選挙結果を疑う試みに対しては断固とした措置をとる、と述べた。

01/08/02
OSCEミンスク顧問監視団の団長Wieckは8月1日、OSCEが反対派を応援しているというルカシェンコ大統領の批判を否定し、OSCEの立場は中立である、と述べた。

01/08/03
来月の大統領選挙に向けてのEC議会評議会(PACE)ミンスク派遣団は8月3日、行方不明反対派の状況に関するこの2年間のベラルーシ政府の対応について、深く失望すると発表した。派遣団リーダーのDavisは、反対派への弾圧を危惧するとともに、先週ベラルーシへの入国ビザを拒否されたOSCE選挙監視団を入国させるよう、ベラルーシ政府に要望した。

01/08/06
法務大臣は3日、未登録の政党、労働組合その他の組織に関する情報を掲載すると、犯罪行為に該当すると、新聞社に警告した。7月25日と27日、"Belorusskaya Delovaya Gazeta"紙が、「独立監視」団体の結成について報じたことに対応したもの。

01/08/06
グロードゥノ州Radun市の第2学校の教師は、夏休み休暇前に、大統領選挙でだれに投票するか答えるように要請された。回答は、校長のもとに記録される。

01/08/07
Nasha Niva紙が7月30日から8月1日にかけてミンスクで実施した、大統領選挙に関する世論調査によると、ルカシェンコに投票するのが29%、反対派のHancharykが27%、国粋主義者で自由民主党のHaidukevichが9%であった。ルカシェンコ大統領は先週、90%以上を得票すると述べている。

01/08/08
反対派大統領候補Hancharykは7日、前ミンスク刑務所長Alkayevが、反対派暗殺に政府高官が関与していたことを確認した、と発表した。Alkayevは、内務大臣Navmauの命令により、内務省将校Pavlyuchenkoに、暗殺用のピストルを渡した、とされている。

01/08/09
ルカシェンコ大統領は8日、ベラルーシへのRFE/RLラジオ放送の拡大は内政干渉である、と述べた。RFE/RL放送は、大統領選挙のほぼ1カ月前の8月6日に、ベラルーシへの放送を強化した。

01/08/10
約40人の統一市民党メンバーが9日、ベラルーシテレビの建物を取り巻いて、行方不明反対派に関する報道に抗議した。ベラルーシテレビは、統一市民党は西側への亡命を援助しており、行方不明反対派もそうして西側に隠れている、と報道したもの。

01/08/13
Boucher米国務省報道官は10日、9月9日の大統領選挙が自由で公平でなければ、ワシントンとミンスクの関係は改善されない、と述べ、さらに、OSCE選挙監視団の入国を認めないベラルーシ政府を批判した。

01/08/14
大統領候補Hancharykは13日、民主団体や政党、またDomash候補と、大統領選挙統一キャンペーンに関する協定にサインした。Domash候補は、中央選管に候補として正式に登録されたのちに辞退する。正式登録されなかった候補の多くもHanchryk陣営に加わるものと見られている。

01/08/14
中央選管は14日、9月9日の大統領選挙の候補として、現大統領Lukashenko、労働組合連盟リーダーHancharyk、前グロードゥノ州知事Domash、自由民主党首Haydekevichの4人を正式登録した。ルカシェンコ大統領は登録式において「ベラルーシには外国のお節介は必要ない」と述べた。

01/08/15
ベラルーシ独立モニタリンググループは14日、大統領選挙結果の「平行開票所」を全国約500カ所に置く予定と発表した。グループのByalatskiによると、NGOの1万5000人のメンバーが参加し、9月9日の開票を監視し独自に集計する。

01/08/15
ベラルーシ政府は15日、OSCEの選挙監視団に対しようやく正式招待状を発送した。

01/08/16
ベラルーシ東部のモギリョフ市で15日、行方不明者の運命について真実を要求する「人間の鎖」ピケットに約200人が参加した。警察はピケットをけちらかし、20人を拘留した。一方、モギリョフ州検察は、未公認「ズーブル運動」支部のメンバー5人を告発した。5人は8月14日に、ルカシェンコ大統領が以前に議長をしていた農場を訪れ、大統領を侮辱する寸劇を行ったもの。

01/08/17
ベラルーシ外務大臣は16日、OSCEの判断は偏っていると批判した。ワルシャワにいるOSCEの選挙モニタリング団は、15日に招待状はうけたものの、まだベラルーシビザを受け取っていない。

01/08/17
法務省は16日、Hancharykを反対派統一候補とする協定は憲法違反である、と述べた。法務省によると、Hancharykが主張している民主的議会選挙は憲法と相いれないし、未登録団体「新ベラルーシ」「地域ベラルーシ」「97年憲章」が署名している協定は法的に無効である。

01/08/20
国家経済捜査委員会は17日、”Nasha Svoboda”紙の特別版40万部をミンスクの印刷所で押収した。委員会は、押収の理由を印刷所が財政に関する書類を提出できなかったためと述べたが、特別版は大統領候補Hancharykに関する記事を掲載していた。

01/08/21
OSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)民主人権局(ODIHR)の選挙監視メンバー15人が20日、ミンスクでの活動をはじめた。ODIHRは29人の長期監視メンバーに加えて、選挙当日には150人の監視メンバーを派遣する意向。ベラルーシ当局は、2人のメンバーに対しビザを拒否した。

01/08/21
ロシア共産党首ジュガーノフはミンスクで20日、ロシア・ベラルーシ連邦を推進するルカシェンコ大統領を賞賛し、ロシア共産党が引き続きルカシェンコを支持すると述べた。一方、ベラルーシ共産党は、反対派統一候補Hancharykの支持にまわっている。

01/08/22
22日にテレビ放映された、各30分間の大統領候補選挙キャンペーンのなかで、Domash候補は、自らは候補を辞退し、Hancharyk候補を支持するよう国民に訴えた。ルカシェンコ大統領は、自分が再選されると、5年後の平均月給は、現在の100ドルから250ドルにすると述べた。またHaydukevich候補は、来年から月給を350-400ドルにすると述べた。

01/08/23
ミンスク死刑囚刑務所の前所長Alkayeuは22日、"Belorusskaya delovaya gazeta"紙とのインタビューで、ベラルーシ当局が反対派政治家ZakharenkoとHancharの殺害に関係していたことを断言した。Alkayeuによると、彼は特殊部隊将校にピストルを渡すよう命令された。「ルカシェンコが選挙に敗れると、1週間以内に事件の真相が明らかになるだろう」と述べている。

01/08/23
財務警察は22日、"Narodnaya volya," "Rabochy" "Belorusskaya delovaya gazeta,"など主な独立系新聞を印刷しているマジック印刷所の印刷機を封印した。マジック社の支配人によると、封印の理由は、2カ月前に裁判でマジック側が勝訴した件の蒸し返しである。

01/08/24
ミンスクのOSCE監視顧問団は23日、ベラルーシ外務省に対し、NGOのコンピューター押収に抗議する書簡を送った。大統領選挙に関連して、NGOや独立系新聞のコンピューターが最近次々と押収されている。

01/08/24
ロシア自由民主党のジリノフスキー党首は23日ミンスクで、Haydukevich大統領候補を、ベラルーシ自由民主党党首の座から追放する意志を明らかにした。ジリノフスキーは、ルカシェンコの再選を支持している。ジリノフスキーによると、ベラルーシ自由民主党の結成にあたってHaydukevichを援助したが、ルカシェンコの対抗馬になったことは背信行為である。

01/08/27
26日、ソビエト崩壊後で最大規模の軍事演習がベラルーシではじまった。Nyoman-2001と名付けられた演習は、兵士9000人、車両1600台、戦車、重火器、飛行機が参加し、9月3日まで行われる。

01/08/27
ベラルーシ政府は26日、米国市民Robert Fieldingを、反対派と結託し今度の選挙でルカシェンコ大統領の転覆を企んだとして国外追放した。ベラルーシKGBによると、Fieldingは米国労働産業連盟のメンバーで、Hancharyk候補を応援して内政干渉を行った。

01/08/28
ベラルーシとロシアのマスコミは27日、内務省特殊部隊(SOBR)が1999年9月に反対派リーダーHancharと彼の友人Krasouskiを殺害したと証言するビデオを受け取った。ビデオに出ているのは、KGB将校UhlyanistaとZharnasekという人物である。証言によると、誘拐された二人は、ベラルーシ北部ByahomlのSOBR要員によって殺害され埋められた。埋められたとする現場もビデオで示された。

01/08/28
前農業大臣Lyavonauと前KGB副長官のKezは27日、今年はじめに、当時のKGB長官Matskevichおよび当時の検事総長Bazhelkaと交わした会話についてジャーナリストに語った。二人の話によると、MatskevichとBazhelkaは、行方不明者殺害事件を捜査し、実行指揮者のPaulyukevichを逮捕した。さらに、当時の安全保障委員会議長Sheymanと当時の内務大臣Sivakouの逮捕承諾をルカシェンコ大統領に求めたところ、MatskevichとBazhelkaは解任され、事件捜査は葬られた。

01/08/28
ベルパン通信社が8月23-26日にミンスク在住の500人を対象に実施した世論調査によると、大統領選挙でHancharykに投票すると答えた人が38%で、ルカシェンコ大統領は32%だった。Haydukevichが8%で、誰にも反対が12%、まだ決めていないが10%だった。一方、独立社会経済政治研究所が8月に、全国1500人を対象に行った調査では、ルカシェンコ47%、Domashが12%、Hancharykが11%、Haydukevivhが4%だった。

01/08/29
パウエル米国務長官は28日、25日のベラルーシ独立10周年へのメッセージの中で、米国?ベラルーシの友好関係を復活するため、自由で公正、民主的な選挙を実施し、人権を擁護するようベラルーシ政府に呼びかけた。

01/08/29
当局は28日、ルカシェンコ大統領を中傷したとの理由で、”Rabochy”紙特別号4万部を押収した。特別号には、大統領と大統領府の財政的違反に関する記事が掲載されていた。

01/08/29
内務大臣Navumauは28日、特殊部隊によってHancharとKrasouskiが殺害されたというビデオテープはでっち上げである、と述べた。Nuvmauとジャーナリストらは死体が埋められたとする場所を調べたが、死体などは見つからなかった。

01/08/30
ルカシェンコ大統領はテレビインタビューで、パウエル米国務大臣のメッセージに対し、無礼、珍奇で許し難い、彼らの文明はたかが300年だが、我々は2000年以上である、と述べた。

01/08/31
駐ミンスク米国大使館は30日、先週米国市民Fieldingが国外追放されたことに強く抗議する、と発表した。大使館によると、Fieldingはホテル登録の不備という理由で25日に逮捕され、10時間の取り調べののち、荷物をまとめるまもなくポーランド行きの列車に乗せられた。

01/08/31
ベラルーシKGBは30日、27日以来行方不明となっているKGB将校Uhlyanitsaの捜索を開始した。Uhlyanitsaは、政府が行方不明政治家の暗殺に関係していたというビデオに登場しており、ビデオが公表される数時間前から失踪した。KGB報道官は、Uhlyanitsaの身の上に何か起きたものと見ている。一方、反対派活動家は、問題の新ビデオは、反対派行方不明に関してこれまでに発覚した事実の信用失墜を狙ったでっち上げ、と見ている。
 
 
 



2001年7月

01/07/02
国民評議会議長のPapouは6月29日、14人の代議士によって「ヨーロッパは共通の家」会派が結成された、と発表した。会派の目指すところは、ヨーロッパ議会に国民評議会を認知させることである。ベラルーシの国会は現在、定数110の国民評議会(下院)と定数64の共和国評議会(上院)で構成されているが、民主的な選挙で選ばれたものではないとしてOSCEからは承認されていない。

01/07/09
ソビエト時代の共産党リーダーの娘で、大統領選挙に名乗り出ていたMasheravaは7月5日、立候補を辞退する、と発表した。彼女の支持署名を集めていたグループのチーフKhmyalnitskiは同日、彼女の辞退は驚きである、と述べた。NISEPI世論調査によると、彼女の支持率は、Chyhir前首相と同じ17%であった。なおルカシェンコ大統領が44%でトップである。

01/07/10
ベラルーシ軍事法廷は10日、スパイ容疑でドイツ市民Letzに対する非公開裁判を開始した。Letzは昨年10月、ベラルーシKGBの要請によりモスクワで逮捕されたが、スパイ活動の内容については明らかにされていない。

01/07/10
1994-99年にかけて大統領府長官であったTsitsyankouは9日の週刊紙”Den”で、ルカシェンコ大統領はベラルーシに大規模な盗聴システムを築いていると述べた。大統領府では最近、2000万ドルで音声による個人認識装置を購入した。

01/07/11
OSCE(欧州安全保障協力機構)議会評議会は、ベラルーシの代表を「空席」する方針を継続することを確認した。OSCEはベラルーシ国民評議会を非民主的であるとして承認していないし、従来承認していたベラルーシ最高会議は昨年任期が終了している。

01/07/12
独立社会経済政治研究所(NISEPI)のSasnou副所長によると、ベラルーシ国民の48%はルカシェンコ大統領の政治に満足し、48%が不満である。NISEPIの調査によると、大統領選挙でルカシェンコに投票するのは、4月では37%だったが6月では36%だった。

01/07/13
Sheyman検事総長は12日、ロシアORTテレビのカメラマンZavadski誘拐に関連して、4人を起訴した。起訴された中には、元ベラルーシ反テロリスト部隊の2人が含まれ、5人の暗殺と2人の誘拐容疑である。6月に発表された2人の元検事の証言によると、Sheyman自身が反対派の抹殺に関与している。

01/07/13
モギリョフ州のKrychauで12日、警官隊が独立系新聞社”Volny horad”を襲撃し、3人のジャーナリストを逮捕するとともにコンピュータなどを接収した。新聞社のオフィスは、大統領候補Domashのキャンペーン本部と同じ建物にあり、新聞社側によると、選挙キャンペーンへの妨害である。

01/07/16
労働組合連盟議長で大統領候補であるHancharykは13日記者団に、反対派政治家の失踪に政府高官が関与していたことを示す文書のコピーをもっていると述べた。手書きのそのコピーは、誰が暗殺を命令し、誰が実行したかを明らかにしている。Hancharykは、そのコピーをルカシェンコ大統領に送り、暗殺責任者の名前を公開すると述べた。

01/07/18
Hancharykは17日、反対派暗殺に関与した政府高官の名前を示した文書を公開した。犯罪捜査局の前チーフLapatsikからNavumau内務大臣にあてたレポートのコピーによると、前安全保障会議の議長Sheymanが内務省特殊部隊に対し、Zakharanka、Hanchar、Krauskiの暗殺を命令している。もう一つの文書によると、前内務大臣Sivakouが特殊部隊長に対し刑務所からピストルを持ち出すことを許可している。現在、Sheymanは検事総長で、Sivakouは大統領府副長官である。

01/07/19
OSCE顧問監視団のWieck団長は18日、ベラルーシ政府に対し、9月9日の選挙に向けて、14人の長期オブザーバーと150人の短期オブザーバーを招待するよう要請した。

01/07/19
18-19日にミンスク訪問中のJiang Zemin中国国家主席は、「いかなる国も自分たちの将来を選択する権利があり、中国はベラルーシ国民が選んだ道に敬意を払う」と述べた。

01/07/20
4人の失踪政治家らの妻が19日、夫の運命についての真実を明らかにするよう国際社会がルカシェンコ体制に圧力をかけるよう、ビデオを通してジャーナリストに訴えた。Karpenkoは1999年4月ミンスクの病院で不審死した。Klimauは3年間刑務所に入れられている。Zavadskiは2000年7月行方不明になった。Krauskiは1999年9月、Hancharとともに行方不明になった。

01/07/23
Chyhir、Domash、Kalyakin、Kazlouskiの4人の大統領候補が21日、民主勢力を結集しルカシェンコ大統領を倒すため、大統領候補を辞退し、ベラルーシ労働組合連盟議長のHancharykの応援にまわると発表した。一方、中央選管の発表によると、正式候補となるのに必要な10万人の署名が集まったのは、22人の登録候補のうち、ルカシェンコ、Hancharyk、Domash、Haydukevichの4人である。

01/07/23
ベラルーシ軍事法廷は21日、ドイツ人Letzに対し、スパイの罪で7年の刑を言い渡した。法廷は非公開で開かれ、Letzの弁護人によると、彼は部分的に罪状を認めた。

01/07/24
米軍の将軍でNATO参謀総長Ralstonは23日、米国基金によるゴメリ市輸血センターの開設式に出席した。米国陸軍は、チェルノブイリ被災者のため40万ドルをセンターに提供した。
01/07/25
24日の夜、何者かがミンスクの独立系新聞”Den”の編集局に侵入し、4台のコンピューターを盗んだ。Den紙は、行方不明反対派に関する25万部の特集を準備中だった。Den紙は、先週にも窃盗にあっている。

01/07/25
ロシア外務省は24日、プラハで活動中のベラルーシ人RFE/RL記者Navmchykに対する、ロシア入国ビザを拒否した。Navmchykはベラルーシ人民戦線の活動家で、1996年に国外へ脱出し米国の難民認定証を受けている。

01/07/26
ルカシェンコ、プーチン、クチマの3大統領が25日、ベラルーシのビテプスクに集まり非公式会談を行い、ジェノバサミットや戦略防衛構想について議論した。3大統領は、ビテプスクで7月20日から始まっているスラブバザール音楽フェスティバルに参加したものだが、ルカシェンコ大統領の選挙に対する宣伝とみなされている。

01/07/27
ミンスクで26日、行方不明反対派に関する回答を政府に求めて1500人がデモを行った。統一市民党のLyabedzkaによると、「ベラルーシは巨大な墓場になりつつあることを我々は自覚する必要がある」

01/07/27
Hancharyk、Chyhir、Kalyakin、Domash、Kazlouskiの5人は、ルカシェンコ大統領に対抗するため、Hancharyk支援の単一事務所を設立することを決めた。また、10万人の支持者署名を集めることができなかったラトビア・エストニア大使Marynichも、Hancharyk支持にまわることを明らかにした。

01/07/30
ミンスクで27日、ソビエト連邦からのベラルーシの独立記念日を祝って数百人がデモ行進し、20名が逮捕された。デモを組織したのは若者の反対派、ズーブル運動で、デモがSvisloch川にさしかかったところで、平服の治安部隊に阻止された。

01/07/31
自由民主党リーダーのHaidukevichが、ベラルーシ労働組合連盟議長のHancharykに対し、大統領候補を辞退し、Haidukevich支持にまわるよう要請した。Haidukevichによると、ルカシェンコ大統領に勝てる反対派候補は彼のみであり、「ミンスク以外ではHancharykが誰なのか誰も知らない」