ベラルーシ国内ニュース

2001年10-12月


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2001年12月

01/12/03
ベラルーシ・ジャーナリスト連盟は11月30日、国民評議会に提出が予定されているメディア法は、マスコミの表現の自由を束縛するだろう、と発表した。法案によると、非登録の政党やNGOのいかなる活動についても報道することは禁止される。

01/12/04
最高裁は3日、ベラルーシ学生連盟(ZBS)に対し、法務大臣の警告を4回無視したとして活動禁止の命令を出した。法令では、法務大臣の2回の警告の後に活動禁止にできる。

01/12/05
Navitski首相は国民評議会に4日、経済行動計画を提出した。計画によると、改革を徐々に進め、2005年までに平均月給250ドルを達成する。2002年春までに、農業製品の価格を自由化する。

01/12/07
9月の大統領選挙に出馬したベラルーシ労働組合連盟(FTUB)議長のHancharykは6日、FTUB総会の後、議長不信任の動議はあったものの圧倒的多数が彼を支持した、とジャーナリストに語った。

01/12/10
ミンスクで9日、ZakharankaやHancharら行方不明政治家の真実を明らかにするようルカシェンコ大統領に要求して、「平凡な人々の鎖」という集会が開かれ、約500人が参加した。同様の集会はゴメリやブレストなどでも開かれ、ブレストとバラーノビッチで約20」人が逮捕された。

01/12/11
政府報道官の発表によると、今年1月から11月までの間、ベラルーシのGNPは前年同期に比べ4%以上増加し、農業生産は約5%増加した。

01/12/11
ミンスクの中心街で10日約20人の芸術家が、当局者の風刺画や禁止本を並べ、検閲に対して抗議した。

01/12/12
Khvastou外務大臣は11日、今月はじめのルカシェンコ大統領とプーチン大統領の会談では、ベラルーシとロシアの統合へ向けての政治ステップを急がないことで合意した、とジャーナリストに語った。

01/12/13
ルカシェンコ大統領は12日、ミンスク訪問中のベルギー議会副議長Henryと面会し、ベルギーのベラルーシへの支持を賞賛した。「ベルギーの姿勢は、ベラルーシにとって建設的で友好的なものである」と大統領は述べた。

01/12/14
グロードゥノ裁判所は13日、独立系地方新聞Pahonya紙編集長Markevichに対し、320ドルの罰金刑を宣告した。11月19日に彼の新聞発行が停止された際に抵抗したため。Mrakevichは、「現在の法廷は、社会全体ではなく、たった一人の人物に奉仕しており」控訴しない、と述べた。

01/12/17
ベラルーシ人民戦線保守キリスト教党とベラルーシ人民戦線党は16日、ミンスクでそれぞれの大会を開いた。ベラルーシ人民戦線(BNF)は、かつては影響力をもつ政党であったが、1999年にBNF保守キリスト教党とBNF党に分裂した。BNF保守キリスト教党は、1996年から外国亡命中のPaznyakをリーダーに再選し、BNF党はVyachorkaを再選した。

01/12/18
Navitski首相は17日、地方から首相まで、すべての公務責任者は、自分の責任区域での給料支払いが終わるまでは、給料が支払われないという政府令を発表した。新聞報道によると、現在の給料未支払い額は500億ベラルーシルーブルで、月給全体の11%である。

01/12/18
モギリョフ州当局は最近、ロシアから安いパンが流入するのを防ぐため、国境地帯のKrychau、Klimovichy、Katsyukovichy3地区でのパン価格を引き下げた。ロシアからのパンは消えたが、パンを買う行列ができた。3地区で値段を下げた分、他の地区での値段を上げたため、人々がパンを買ってよその地区で売ろうとしているためである。

01/12/19
国民評議会は18日、2002年予算案を承認した。歳入は3.9兆ベラルーシルーブル(26億ドル)で歳出は4.2兆ベラルーシルーブル。2002年の歳入不足はGDPの1.5%である。

01/12/20
ルカシェンコ大統領は19日、国営石油化学企業の民営化に関するガイドラインを政府に示した。民営化されても、経営者が従業員を解雇したり、給料を下げることは許されない。また、労働団体や地方当局の合意がなければ、民営化されない。

01/12/20
ミンスク地方裁判所で19日、Chyhir前首相の息子、Alyaksandrら3人の若者に対する裁判が始まった。Alyaksandrは、自動車窃盗の容疑で2月10日から拘留されており、有罪になれば禁固7年?17年となる。Alyaksandrは、罪を否定し、他の二人は、Alyaksandrの罪を証言するよう警官によって拷問されたと法廷で証言した。

01/12/21
ルカシェンコ大統領は、20日の国家安全保障労働者の日、ミンスクのKGBクラブで演説し、現在のベラルーシKGBの第1の課題は、汚職と組織犯罪の摘発である、と述べた。また、ベラルーシを孤立化させようという西側や米国の政策は失敗し、そうした政策が間違っていたことがはっきりした、と述べた。

01/12/28
ルカシェンコ大統領はモスクワで26日、プーチン大統領との会談ののち、「ベラルーシにとって、ロシアと統一する方針は不変であり、そうでなければ、私は政治生命を失う」と述べた。一方、プーチン大統領は、「ロシア・ベラルーシ統合の成功は、安定と継続性の中で進められる。統合のテンポを遅らせず、また急がないことが重要である」と語った。

01/12/28
OSCE(全欧安保保障機構)ミンスク派遣団のWieck団長は、12月31日で4年間の任期が終わるが、21日、ベラルーシの人権問題に若干の改善の兆しがある、と語った。しかし、「議会機能の向上、メディアの国家独占の廃止、人権の尊重、反対派への抑圧廃止」などの問題点を指摘した。

01/12/28
反対派ズーブル運動のメンバー17人が、仲間を自殺に追いやったことに抗議して27日、ベラルーシKGBの建物でピケットを行った。ズーブルのメンバーZaitsev(24歳)は12月20日、KGBからスパイになるよう強要されたという遺書を残して首つり自殺した。


2001年11月

01/11/01
ミンスク市当局は10月31日、ベラルーシ共産党による11月7日の十月革命記念日のデモ行進を禁止し、独立広場でのレーニン像への献花式典だけ許可した。共産党リーダーKalyakinは「前代未聞の事態であり、憲法が認めた市民の権利を否定するものである」と述べた。

01/11/02
OSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)の民主人権事務所は1日、9月9日のベラルーシ大統領選挙監視団の最終報告書を発表した。報告書によると、今回の大統領選挙は、1990年コペンハーゲン文書で示されたOSCEの民主選挙基準に合致していない。選挙プロセスにおいて、当局側は反対派に対しさまざまな妨害を行い、国際監視団にたいしても侮辱するキャンペーンを行った。

01/11/05
ベラルーシ政府は2日、国家評議会に2002年度予算案を提出した。収入は3.9兆ベラルーシルーブル(25億ドル)を見込み、歳入欠損は3440ベラルーシルーブルでGDPの1.5%である。

01/11/05
ロシア中央選管委員長Veshnyakovは5日、9月のベラルーシ大統領選挙は、「ロシアや他の国が見習うようなものではなかった」と述べ、「ベラルーシの仲間に、将来の選挙が民主的であるよう重要なアドバイスをする」と述べた。

01/11/06
EUのTACIS事務局は5日、チェルノブイリ事故の影響について、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの人々を啓蒙するための計画に、これまでに120万ドルを使ったと述べた。TACIS計画では、事故影響に関する科学的知見をあつめ、汚染地域で生活するための勧告を、本、パンフレット、ビデオ、CDにまとめて配布した。「CDによって汚染食品をクリーンにすることはできないが、ウクライナの食品の90%がクリーンであることを学ぶことができる」と計画関係者は述べている。

01/11/07
Navitski首相は6日、IMFミンスク派遣団と会談し、ベラルーシ政府は経済の自由化、民営化を進め、中小企業を育成すると述べた。一方、IMFのOdling-Smeeは、IMFによるベラルーシ支援の可能性について議論することは尚早であると述べ、労働生産性が向上していないのに賃金を上げる政策は失敗する、と指摘した。

01/11/08
十月革命84周年を記念し、約500人の政府系共産党と、約200人の反対派共産党が11月7日、独立広場のレーニン像の前で、別々に集会を行った.

01/11/08
共和党上院議員Helmsは7日「ベラルーシ民主化2001法」という法案を議会に提出した。法案の目的はルカシェンコ体制に制裁を加え、ベラルーシの民主勢力を支援することである。ベラルーシとの貿易停止、ベラルーシ政府財産を凍結するとともに、民主勢力へ約3000万ドルの支援を提案している。

01/11/09
警備警察は8日、ミンスク郊外のKurapatyメモリアルでピケットを行っていた反対派やNGOグループを実力で排除した。ピケットは、スターリン時代に「人民の敵」が葬られたKurapatyメモリアルが道路工事によって破壊されるのに抗議して6週間前から行われていた。警官隊は、こん棒と催涙ガスを用い、数名が逮捕された。

01/11/13
Khvastou外務大臣は9日、米国上院議員Helmsによって提案された「ベラルーシ民主化2001年法」は不愉快であり、2国間の外交関係断絶をもたらすだろうと述べた。一方、ベラルーシ人民戦線リーダーのVyachorkaは、「政治的に重要なステップであり、反対派への援助を歓迎する」と述べた。

01/11/14
最高経済裁判所は13日、グロードゥノ市の反対派ベラルーシ語新聞「Pahonya」に対し発行停止を決めた。ベラルーシのメディア法によると、1年間に当局から2回の警告を受けた新聞は閉鎖される。Pahonya紙は、2000年10月と2001年9月に警告を受けた。

01/11/15
農業省次官Rubanikは14日、ベラルーシ農業全体の負債は1.1兆ベラルーシルーブル(7億2000万ドル)に達し、政府の援助なしには克服できない、と述べた。今年の末には、赤字農業企業の数は1400になり、全体の57%となる。

01/11/16
国家評議会は15日、2002年度予算の第1読会を採択した。歳入は3.9兆ベラルーシルーブル(25.2億ドル)で、2億2600万ドルの歳入欠陥(GDPの1.5%)を見込んでいる。Korbut大蔵大臣は、今回はじめて、予算には計上されない大統領基金の明細を明らかにした。来年の基金は250万ドルで、武器輸出によって充填される。

01/11/19
国立銀行総裁Prakapovichは16日、ロシアがベラルーシを対等に扱わなければ、2005年に予定されている通貨統合を延期することもありうると述べた。

01/11/21
軍人労働組合議長Narchylaは21日、Navitski首相に、軍人に対する給与を引き上げるよう要請した書簡を送った。書簡によると、軍人の給与は、大統領が8月までに達成すると約束した月100ドルには遠く及ばない。

01/11/26
9月の大統領選挙に反対派から立候補したHancharykは25日、ベラルーシの現体制との関係改善を画策しないよう西側諸国に呼びかけた。彼によると、ベラルーシ孤立化政策がなくなると、政治的対話もなくなり現体制を強化するだけとなる。

01/11/26
ルカシェンコ大統領は23日、自らが委員長を務めるベラルーシオリンピック委員会で、来るソールトレーク冬季オリンピックでベラルーシ選手団は10個のメダルを獲得すべきだ、と述べた。Yauhenスポーツ大臣は先週、3つのメダルを期待していると述べたが、大統領によると、バイアスロンだけで3つ、フリースタイルであと4つ、10個を目指すべきだと述べた。

01/11/27
OSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)議会委員会代表のZapfはミンスクで27日、OSCE議会委員会はベラルーシ当局との対話を今後も継続すると語った。Zapfによると、9月大統領選挙は民主的な基準には合致していなかったが、ベラルーシ孤立化政策も非生産的であると述べた。

01/11/28
過去数週間の間に、検察当局は210件の告発を行い720人の逮捕状を裁判所に請求した。逮捕されているのは主に、役人や国営企業の幹部である。97憲章グループのウエブサイトによると、この大量逮捕は、大統領の「誇大妄想の特徴をもつ軽度の精神病」によるものである。

01/11/30
1999年から行方不明の反対派政治家Hancharの夫人Zinaidaが29日、プーチン・ロシア大統領にあてた公開書簡を発表した。「反対派政治家の失踪や事件に対する当局の冷淡さに、ベラルーシやロシアの人々だけでなく、遠い国の人々も危惧している。ベラルーシとロシアの友好は、人々の犠牲の上に築くことができるだろうか」と訴えている。
 
 


2001年10月
01/10/01
ミンスクトラクター工場の労働者約500人が9月28日、給料支払いの遅れに抗議して、工場近くの道路を約2時間封鎖した。工場側は、9月半ばに支払うと約束しいていた。

01/10/01
科学教育労働者組合のChobatovaは9月27日、9月のミンスクの教師の平均月給が104ドルであるという、Paulauミンスク市長の発言を否定した。Chabatovaによると、ミンスクの教師の平均給料は5万1000ルーブル(35ドル)であり、収入を補うため残業を強いられている。

01/10/01
ルカシェンコ大統領は10月1日、前Yarmoshin内閣での副首相であったNavitskiを、新首相に指名した。

01/10/04
ベラルーシ労働組合連盟(FTUB)の評議会は3日、ルカシェンコ大統領の再選を祝福し、FTUBと政府との今後の協力関係を望むと発表した。FTUBの議長は、先の大統領選挙で敗北したHancharykであるが、評議会のメンバーの多くはHancharykが議長を辞任することを望んでおり、12月の連盟大会で決定される。

01/10/05
ルカシェンコ大統領は4日、Khvastou外相に対し、EU諸国との友好関係を再建するよう指示した。大統領によると、「大統領選挙監視団の見解は、ベラルーシの孤立化を意図していない」。

01/10/10
ベラルーシ外務省のLatushka報道官は9日、ベラルーシは国際テロリズムとの断固たる斗いを支持してきたし、今後も支持すると発表し、「一定の条件下では武力の使用もやむを得ない」と述べた。

01/10/10
ベラルーシ労働組合連盟は9日、政府の給料未払いは10月段階で334億ベラルーシルーブル(2250万ドル)に達し、危機的なレベルにあると警告した。

01/10/11
ルカシェンコ大統領は10日、ヨーロッパ諸国のベラルーシ孤立化政策は非生産的であり、ヨーロッパ諸国や国際機関はベラルーシと対話をはじめるべきだ、と語った。大統領によると、ヨーロッパは先の大統領選挙結果を認めるべきで、「ヨーロッパの前に跪かせようとする政策」をやめるべきである。

01/10/11
国民評議会は10日、賛成81反対12で、Navitski首相を承認した。Navitski新首相は演説のなかで、2005年までに平均給与を月250ドルにすると述べた。

01/10/12
ロシアORTテレビは11日、ORTカメラマンZavadski失踪事件の非公開法廷に、ORT記者を立ち会わせるようルカシェンコ大統領に要求した。Zavadski失踪事件の容疑者Ihnatovichほか3人の公判は10月23日に開始されるが、非公開で開かれる。

01/10/17
農業省第1次官Prakopauは16日、ベラルーシは今年約100万トンの穀物を輸入すると発表した。今年の穀物収穫は520万トンを越えず、大統領の目標に180万トン届かなかった。

01/10/19
ルカシェンコ大統領は18日、科学アカデミーの総裁とアカデミー幹事会メンバーを共和国大統領が指名するという命令を公布した。これまで、科学アカデミー総裁はアカデミー会員の総会で選出されていた。19日、ルカシェンコ大統領は、前大統領府長官Myasnikovichを科学アカデミー総裁に指名した。

01/10/23
統一市民党(AHP)は22日、大統領府に対し、民主化に向けての話し合いを呼びかけた。AHPリーダーのLyabedzkaによると、話し合いの内容は、選挙プロセスの透明化、政府管理メディアへの反対派のアクセス、反対派抑圧の停止、立法府権力の拡大の4点である。

01/10/24
ミンスク州裁判所は24日、2000年7月に行方不明となったORTカメラマンZavadski誘拐の容疑者の裁判をはじめた。容疑者のうちには、元内務省特殊部隊Almaz隊員のIhnatovichも含まれている。検察によると、Ihnatovichらは、チェチェンでAlmaz部隊員がロシア軍と闘ったというインタビュー報道に対する報復としてZavadskiを誘拐した。

01/10/25
反対派調整評議会は24日、政府に対し、国際機関の仲介のもとで政治的対話を開始するよう呼びかけた。同様の対話は、2000年の議会選挙の前にも試みられたが、成果はなかった。

01/10/25
数十人の青年戦線活動家が24日、ミンスク刑務所の前で、10日間の拘留を受けているリーダーのSavyarynetsを激励するピケットを行った。ピケット参加者は「サーシャ(ルカシェンコ大統領)にかわってパーシャ(Sevyarynets)を!」とスローガンを叫んだが、警備警官に蹴散らされた。

01/10/26
ミンスク地方裁判所は25日、ORTカメラマンZavadski誘拐その他約20件の容疑で起訴されている4人の公判の延期を決定した。主犯のIhnatovichは、容疑を否認してハンガーストライキを行った。

01/10/29
約1500人の保守キリスト教党メンバーが28日、スターリン時代に人民委員会によって「人民の敵」が大量処刑された、ミンスク郊外のKurapatyでデモ行進を行った。最近の道路計画が、Kurapatyメモリアルを通っていることに抗議したもの。Kurapatyでは20万人が殺害された、と言われている。

01/10/29
Navitski首相は26日、彼の内閣は真剣にベラルーシ経済の自由化に取り組むと述べた。許認可の必要なビジネスの削減、登録手続きの廃止、地方当局のビジネス参加などである。

01/10/30
大統領補佐官Posakhauは29日、ベラルーシでの社会・政治的対話の必要性を訴えた。Pasakhauによると、すべての階層と政治グループが集まる必要があるが、外国勢力は排除される。2000年にも、当局は対話を訴えたが、反対派のボイコットにより挫折した。

01/10/31
米国とイスラエルの情報機関によると、ベラルーシはイスラム過激派への最大の武器供給国である。情報筋によると、2001年前半にベラルーシは、アラブ、パレスチナ、アルバニアのイスラム過激派に5億ドルの兵器を売却した。