ベラルーシ国内ニュース

2004年10-12月

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2004年12月

04/12/01
ミンスク市検察は11月30日、ベラルーシ・ヘルシンキ委員会の人権活動家Pahanyaylaを、大統領侮辱の罪で告発する手続きをはじめた。Pahanyaylaは、スウェーデンのTV局とのインタビューで、ルカシェンコ大統領、Sheyman検事総長らが1999-2000年の反対派失踪に関係していると述べた。

04/12/02
ルカシェンコ大統領は1日、大統領府の新長官Sheymanに対し、国の安定と政府システム管理を強化するよう訓示した。「外国の事件、とりわけウクライナの状況は、国家管理が弱いと重大な結果をもたらすことを示している」とSheymanは答えた。

04/12/03
ルカシェンコ大統領は2日、海外旅行を減らし国内旅行をするようベラルーシ国民に訴える政策をとるよう政府に指示した。公式データによると、ベラルーシ国民は年間10億ドルを海外旅行に使っている。「このお金を国内に留まらせたい」と大統領は述べた。

04/12/06
駐ミンスクドイツ大使館の一等書記官は3日、ベラルーシ当局が、チェルノブイリの子供保養運動をしている慈善団体を規制しようとしている、と述べた。ドイツ大使館は毎年、チェルノブイリの子供たちに約2万3000のビザを無料で発給しているが、ベラルーシ当局はそうした外国旅行をすべて教育省の管轄におこうとしている。

04/12/06
統計省によると、1月から10月の間に国営企業の平均月給は12%増加し、139.1ドルから170.5ドルとなった。

04/12/08
EUは7日、10月17日の議会選挙と国民投票に関連して、ベラルーシの高官2人に対しEU域内への入国を禁止することで合意した。制裁措置の対象は、中央選管議長Yarmoshynaと治安警察隊長Padabedである。

04/12/09
政府系労働組合議長Kozikは8日、独立系労働組合が政府と大統領を転覆させようと企んでいる、と批判した。Kozikによると、独立系組合は西側からの命令で活動しており、そのメンバーは約5000人である。

04/12/10
ルカシェンコ大統領は大統領府で9日、隣国での最近の出来事は、国家の安定には強力で管理能力のある政府が重要であることを示している、と述べた。「そのような事態が我が国で起きるのを防ぐため、外国の影響下にある組織をすみやかに統制する必要がある」と語った。

04/12/13
ミンスクの10月広場で10日、約400人が、反対派行方不明者への関心を訴えて人間の鎖デモを行った。集会を組織したのは統一市民党と青年運動Zubrで、参加者はオレンジの服を着て、ウクライナでの反対派運動への連帯を表した。警官は妨害しなかった。

04/12/15
EUは14日、サハロフ記念人権賞の受賞者に、ベラルーシの独立系ジャーナリスト組織であるベラルーシジャーナリスト協会(BAZh)を選出した。賞金5万ユーロがBAZh議長Litvinaに与えられた。「ヨーロッパ社会が言論の自由と人権を支持していることが我々にとって重要である」Litvinaは述べた。

04/12/15
ベラルーシ、カザフスタン、ロシア、ウクライナの政府代表が15日ミンスクに集まり、統一経済圏(SES)の結成について協議した。会議に参加したのは、ベラルーシ副首相Kobyakov、ウクライナ首相代行Azaroy、ロシア副首相Khristenko、カザフスタン副首相Mynbaev。

04/12/17
前下院議員で元石油公社総裁Skutawが11月末に逮捕されていた、と16日に報じられた。検察局の広報係は、容疑の内容をはっきり述べなかった。Skutawは議会で、産業・燃料・交通・企業委員会の議長をしており、逮捕の数日前にルカシェンコ大統領と会談していた。

04/12/20
ミンスクの民間紙Narodnaya Volyaの副編集長Silichは17日、ベルギーに政治亡命を求めた。Silichの妻によると、2002年9月の記者会見でルカシェンコ大統領に不法武器輸出による大統領特別会計についての質問をして以来、尾行や無言電話などのいやがらせが続いている。

04/12/21
大統領府広報は20日、ルカシェンコ大統領が14-19日お忍びでカザフスタンを訪問していた、と発表した。ナザルバーエフ・カザフスタン大統領の招待で、2国間協力の強化などを話し合った。

04/12/22
ロシア首相Fradkovとベラルーシ首相Sidorskiは21日、2005年のガスプロムからベラルーシへのガス供給量について、191億立方mで合意した。「技術的余裕があれば」14億立方m追加される。価格については、ロシア側は1000立方m当り44.68ドルを要求し、ベラルーシ側は18%の値引きを求め、合意に至っていない。

04/12/23
ミンスク市警察は22日、ウクライナの大統領選挙監視団に参加しようとした60人を一時的に拘留した。監視団は、キエフに向けて汽車で出発する前に集合したところで拘留された。警察によると、不審な集団がいるとの通報があったとので拘留した。汽車に乗り遅れた監視団はバスの調達を試みている。

04/12/28
法務省は24日、ミンスクの独立系世論調査機関NISEPIに対しこの3ヶ月間で9回目の警告を出した。NISEPI所長Manayeuによると警告の理由は些細なもので「法務省にはNISEPIを閉鎖するほどの理由はないが、そうするのが仕事である」。NISEPIは1992年に設立されたベラルーシで最初のNGOシンクタンクである。

04/12/30
Korbut財務大臣は29日、ベラルーシの債務総額は12月に1億5000万ドル増加し、8億ドルになったと述べた。債務増加は主に、12月中旬のロシアからのローン1億7500万ドルによる。
 
  



2004年11月

04/11/01
国民議会は29日、科学アカデミー「総裁(president)」の名称を、科学アカデミー幹部会「議長(chair)」に変更する大統領令を承認した。科学アカデミーでは1928年の創設以来presidentの名称を使用していた。ルカシェンコ大統領以外、国内のすべての組織でpresidentの名称が禁止される。

04/11/02
グロードゥナ地方裁判所は1日、ベラルーシジャーナリスト協会のMazheykaに対し、不許可デモに参加した罪で7日間の拘留を判決した。Mazheykaと4人のジャーナリストは、先に国民投票を批判して逮捕されたBirzha infarmatyi紙編集長Raubetskayaに対する判決に抗議して10月27日にデモを行った。

04/11/03
ベラルーシ司法省は最近、各政党事務所の所在地を住居から事務ビルに移すよう命令を出した。アパートを政党事務所とするのが許されるのは、住居とは別の入り口がある場合のみとなる。ベラルーシ人民戦線のLabkovichによると、90%の支部で新たな事務所を探す必要がある。

04/11/05
ルカシェンコ大統領は4日、米国大統領選挙について、ベラルーシの基準に照らせば非民主的で受け入れられない選挙だ、と述べた。「我々が米国のような選挙を行っていたら、とっくに信頼を失っていただろう」と大統領は述べた。

04/11/08
グロードゥノ州Vaukavyskの新聞”Mestnaya gazeta”の編集長Shantarovichが、情報省による1カ月の発行禁止令に抗議して行っているハンガーストライキは18日目に入った。情報省の広報担当次官は、Shantarovichのハンストについて、「我々には国営新聞がひとつあれば他の新聞は必要ない」と述べた。

04/11/09
ドイツのHecker駐ベラルーシ大使は8日、フリードリッヒ基金のKurthの入国が拒否されたことの説明をベラルーシ当局に求めた。Kurthは5日、ベラルーシ側のブラックリストを理由に、ミンスク空港で入国できなかった。Kurthはこれまで、ヨーロッパとベラルーシとの対話に関連した会議やワークショップを行ってきた。

04/11/10
ベラルーシ外務省は、フランステレビ局TF1に雇われているロシア人ジャーナリスト3人の取材資格を停止した。3人は、閉鎖されたYakub Kolas学院の自主授業を撮影した際に、警察署に拘留された。

04/11/12
ベラルーシKGBは10日までに、4月から拘留されている、元外務大臣Marynichに対する捜査を完了した。Marynichは、公文書窃盗、武器不法所持などの罪に問われている。彼は、1994-98年に外務大臣、それからラトビア大使などを務めたのち2001年に辞任し、ルカシェンコ大統領に反対して、その年秋の大統領選挙に立候補した。

04/11/15
グロードゥノ州の新聞Mestnaya gazetaの編集長Shantarovichは9日、情報省による1カ月の発行禁止処分に抗議して行っていたハンガーストライキを中止した。医者の勧告に従ったもの。

04/11/15
プーチン・ロシア大統領は12日、キエフを訪問し、21日の決選投票を前にしたヤヌコービッチとの会談がテレビで放映された。プーチン大統領とクチマ大統領は、クリミア半島のKerch海峡に関する2国間協定に調印した。

04/11/16
ベラルーシは15日、第59回国連総会に提出する予定だった「米国における民主主義と人権に関する決議」を撤回することにした。外務省報道官Savinykhによると、「米国の圧力によって、決議を自由に議論できない」。

04/11/18
ルカシェンコ大統領は17日、何度でも大統領になれる憲法改正案に署名した。署名の式典で大統領は、議員や政府高官を前にして、ベラルーシの国策を変更する必要はない、と述べた。

04/11/19
ルカシェンコ大統領は18日、KGB議長Yerynを解任した。情報筋によると、Yerynは10月17日の国民投票に抗議する反対派の代表と10月18日に会談をもったことが大統領の不評を買ったものと思われる。

04/11/22
内務大臣Navmauは19日、ベラルーシでは今年5人の死刑判決と処刑を行った、と発表した。「この5年間は少なくとも毎年7人が死刑になっているが、これは重大犯罪の1%以下である。現在終身刑を受けている104人のうち3分の1が死刑になることを望んでいる」とNavmauは述べた。

04/11/23
EU外相会議は22日、10月17日の議会選挙、国民投票はいずれも不正なものだったとして、投票に関係した15人の政府高官に対するEU入国拒否を決定した。15名は、反対派失踪に関連するこれまでの4人の入国拒否リストに追加された。

04/11/24
ルカシェンコ・ベラルーシ大統領は23日、ヤヌコービッチ首相に電話し、大統領選挙の勝利を祝った。

04/11/30
ルカシェンコ大統領は29日、大統領府長官Latypauを解任し、後任に検事総長Sheymanを任命した。後任の検事総長には、最高裁副議長Miklashevichを任命した。Sheymanは、ルカシェンコが1994年に大統領になってからいまだに仕えている数少ない部下である。
 
 


2004年10月

04/10/01
情報大臣Ruskaevichは先週、ミンスク州の新聞"Rehiyanalnaya hazeta"に対し、3カ月の発行禁止命令を出した。未登録でテレビガイドを掲載したり、勝手に発行日を変更したことがメディア法違反とされた。"Rehiyanalnaya hazeta"の編集長Mantskevichによると、発行禁止の理由は政治的なものである。

04/10/04
警官が2日、約100人が集まって反対派組織の結成について会議を行っていた自由労働組合事務所に踏み込んだ。反対派組織はAychyna(祖国)という名で、10月24日に結成大会を予定していた。テレビ局によると、この組織はアルカイダやチェチェンのテロリストと関係がある。

04/10/05
マシンガンをもった警官がオルシャで3日、反対派統一市民党の議員候補Ananyeuと選挙スタッフが選挙ポスターを掲示しているところを拘留した。Ananyeuらは数時間後に釈放された。

04/10/06
米国議会下院は4日、ベラルーシの民主化を求める「ベラルーシ民主化法」を満場一致で採択した。法は、ベラルーシでの民主化を進めるNGOやマスコミへの援助を定めている。

04/10/06
ミンスク地区裁判所は5日、ベラルーシ自由労働組合リーダーのAntonchykに対し、不許可集会と公共秩序紊乱の罪で15日間拘留の判決を下した。Antonchykによると、私的な場所で公共秩序紊乱の罪が認められたのははじめてである。

04/10/07
ルカシェンコ大統領は6日、米国のベラルーシ民主化法について、「我が国に圧力をかけようとする馬鹿げた試みだ」と一蹴した。10月17日には、国民投票に勝つだけでなく、国民議会の110議席すべてで勝利する、と述べた。

04/10/08
ルカシェンコ大統領は7日、旧ソ連KGBの創始者であるDzerzhinskiの記念碑除幕式に参列した。記念碑はミンスク郊外の彼が生まれた村に建設された。「特殊任務の基礎を設立した偉大な人物であった」と大統領は述べた。

04/10/12
全国6619カ所と外国40カ所の投票所で12日、議会選挙と国民投票の早期投票がはじまった。議会選挙には110の選挙区に400人以上が立候補している。反対派は同日、早期投票には参加しないよう訴えた。

04/10/13
OSCE民主人権事務所のStrohalは12日、10月17日の選挙監視メンバーのうちチェコとギリシャ国籍メンバーの入国をベラルーシが拒否した、と発表した。ベラルーシ外務省によると入国拒否の理由はこれまでの2国間関係である。チェコは2002年のNATOサミットの際にルカシェンコ大統領の入国を拒否し、ギリシャは今年のオリンピックの際にSivakouスポーツ大臣の入国を拒否した。

04/10/14
ルカシェンコ大統領は13日、ロシア人ジャーナリストとの会談で、ロシアには1999年ベラルーシ・ロシア条約で締結した共通通貨導入を行う用意がない、と述べた。1999年条約では、2005年にロシアルーブルを共通通貨とし、2007年に新共通通貨を導入するはずであった。

04/10/18
中央選管は18日、大統領の任期制限撤廃に関する国民投票について、投票率89.73%で賛成86%、つまり有権者の77.3%が賛成した、と発表した。中央選管のYarmoshyna委員長は「エレガントな勝利である」と述べた。また、国民議会110議席のうち108議席が確定したが、反対派からの当選者はなかった。

04/10/19
OSCEの短期選挙モニタリング団長Tinsgaardは18日、17日の選挙と国民投票は、民主的基準を著しく満たしていなかったと述べた。モニタリングを行った投票所の60%で開票は不透明だった。一方、CISからの選挙モニタリング団長Rushailoは、選挙と国民投票は民主的なものだった、と語った。

04/10/19
ルカシェンコ大統領は18日、有権者の77%が支持してくれるような勝利は予想していなかった、と述べた。「私のとって勝利は圧倒的なものであった」と述べ、反対派が主張するようなゴマカシは不可能であると語った。

04/10/20
ミンスク市街で19日、議会選挙と国民投票結果に対し数百人が抗議行動を行い、警察は約50人を拘留した。拘留された人々には、反対派ベラルーシ社会民主党首Statkevichや統一民主党首Lyabedzkaが含まれていた。

04/10/20
政府与党6派(労働党、社会民主党統一、地域党、統一党、民主イニシアティブ、ソユーズ)が20日、議会をボイコットし議場に現れなかった。議会には248人の議員が参加し、法令の採択には十分だった。Lytvyn議長は前日、与党は議会の早期解散を目論んでいる、と語った。

04/10/21
ミンスク地区裁判所は20日、17日の選挙と国民投票結果に抗議する集会に参加した30人に対し、不許可集会の罪で10日から15日間の拘留の判決を下した。機動警察は19日の集会で44人を拘留している。

04/10/21
ブッシュ米国大統領は20日、先に議会が採択したベラルーシ民主化法に署名した。新法は、ベラルーシの民主勢力を支援し、人道目的以外のベラルーシ政府への援助を禁止している。

04/10/22
中央選管は21日、17日の国民投票の最終結果を発表した。それによると、有権者の90.28%(631万人)が投票した。555万人(有権者の79.4%)が賛成し、69.2万人(9.9%)が反対した。一方、出口調査を行ったギャロップ・バルチックによると、賛成は投票者の48.7%だった。

04/10/22
Salidamasts紙の記者Charkasovaが21日、ミンスクの自宅アパートで刺殺されているのが発見された。

04/10/26
警察は25日、17日の国民投票結果に抗議するデモ参加者9人のうち8人を拘留した。抗議行動は次第に小さくなっている。

04/10/26
ルカシェンコ大統領は25日、国営企業従業員の給料を11月1日から平均27%増加すると発表した。大統領は、年末にはベラルーシ国民の平均給与が月195ドルになると述べた。

04/10/27
ベラルーシ政府は26日、不法な宣教活動を理由に2人の米国人を国外追放した。2人はモギリョフ州で、慈善事業と称して、モルモン教の布教を行った。モルモン教は、州に登録されておらず、その布教は宗教法違反とされる。

04/10/29
反対派5プラスに結集していた4党は27日、国民投票と議会選挙結果の真実を知らせるキャンペーンをはじめることで合意した。統一市民党、ベラルーシ人民戦線、社会民主党、ベラルーシ共産党のリーダーが地方遊説し国民に訴える。