ベラルーシ国内ニュース

1999年10月〜1999年12月


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1999年10月

99/10/1
ミンスクで9月30日、1万5000人の労働者が集会を開き、「現在の経済政策、非合理な税制、ベラルーシルーブルの下落、政府の余計な出費のため、企業が倒産しつつある」と述べた宣言を採択した。また、雇用契約に関する大統領令を撤回するよう要求した。

99/10/6
ベラルーシ警察は10月4日、「96年春人権グループ」の事務所に、捜索令状もなく侵入し、パソコンなどを押収した。グループのリーダーA.Byalatskiによると、押収されたパソコンには、ベラルーシでの人権侵害データが入っていた。彼によると、進入した警察の中には、Udovikou内務省次官がいた。

99/10/8
ヨーロッパ議会は10月7日、ベラルーシが民主政治と経済改革の道を歩むよううながす決議を採択した。ヨーロッパ議会は、ルカシェンコ大統領の任期は、前憲法に則って1999年7月20日で終わったとみなしている。

99/10/13
法務省は、ベラルーシ独立労働組合の登録を拒否した。その理由は明らかにされていないが、組合のリーダーたちによると、政府に同調しなかったり、抗議行動を行ったことへの政府からの嫌がらせである。

99/10/13
パンの価格が最近20〜30%値上がりした。原料とエネルギー代が高くなったためである。黒パン1kgが30400ベラルーシルーブル(0.1$)であるが、製造費は68000BRなので公営企業は採算割れしている。今年の収穫が悪かったことも値上がりの原因のひとつである。

99/10/18
ミンスクで10月17日、「freedom march」という集会が開かれ、1万〜1.5万人が参加した。1996年春以来の大きな反政府デモとなり、大統領辞任、ロシアとの連邦放棄、政治犯の釈放、弾圧の中止を訴えた。約2万人のデモが大統領府から500mに近づいたとき、警官隊と衝突し、約150人の負傷者と92人の逮捕者がでた。

99/10/20
ミンスク市当局によると、17日の「freedom march」で拘留された93人のうち、17人が短期刑、19人が罰金刑となり、23人が行政委員会送りとなった。一方、V.ShchukenとA.Lyabedzkaは、marchを組織したとして19日に逮捕された。

99/10/21
17日のデモで逮捕されたStatkevichは、ハンガーストライキに入り、黙秘を続けている。彼と面接した弁護士の話では、警官隊との衝突は、当局側が挑発したものであった。一方、Lyabedzkaには10日間の拘留という判決が出された。

99/10/21
ルカシェンコ大統領は、2000年1月1日より、ベラルーシルーブルを1000分の1に下げるデノミを実施すると発表した。BRの現在のレートは、公式には1$=297,000BRであるが、闇値は1$=660,000 BRである。Bahdankevich国立銀行総裁は、デノミにより経済状態がよくなるわけではない、と述べた。

99/10/25
「人権に関する国際ヘルシンキ連合(IHF)」は10月24日、ベラルーシの状況は悪化していると発表した。IHFはOSCE(全欧安全保障会議)に対し、ルカシェンコ大統領をイスタンブールで予定されている次回サミットに招待しないよう勧告した。

99/10/27
モスクワ滞在中のルカシェンコ大統領は26日、10月17日の「freedom march」は外国からの指示と援助によるものだ、と語った。デモを組織するため、NGOを通じて30万ドルの提供があった。

1999年11月

99/11/1
反対派の中心勢力であるベラルーシ人民戦線は、30日に開かれた総会で、新しいリーダーとしてV.Vyachorkaを選出した。前任のPaznyakは1996年から国外亡命中である。Vyachorkaによると「ルカシェンコは独立を放棄しようとしている。我々は理論ではなく実行で反対しなければならない」

99/11/2
IAEAは31日、チェルノブイリ事故影響の低減のため、ベラルーシへの援助を増やすと表明した。IAEA副総裁のJihuiは、汚染地域訪問の後、「ベラルーシは事故影響の克服のため我々の援助を必要としている」と述べた。

99/11/3
ミンスク滞在中のEU調査団は11月2日、「ベラルーシの人権の状況は全体的に不十分である」と発表。Nyberg団長によると「失踪した反対派リーダーの状況が最大の関心事である」。EU側の希望はは2000年に自由な選挙が実施されることである。メディアの自由と非政府組合を支持するため、EU側からベラルーシに550万$の供与がなされることになった。

99/11/4
11月3日より、ベラルーシ製のウォッカの値段が25%上昇した。これは今年に入って8回目の値上げで、180%の上昇である。10月末にウォッカ不足があったのは、この値上げのためだったというウワサがある。

99/11/8
ミンスクで11月7日、十月革命82周年の官制デモが実施され、約1万人が参加した。参加者は「社会主義よ永遠に!」「レーニン・スターリン・ルカシェンコ」といったプラカードを掲げた。

99/11/11
ルカシェンコ大統領は11月10日、政府と中央銀行に対し、インフレの沈静、通貨下落の防止などに失敗すれば「諸君の職務はほかの者がやることになろう」と警告した。

99/11/15
ミンスクで人権モニタリングを実施しているOSCE次長のKleinerは11月12日、ベラルーシの人権状況は不十分で、警官が暴力を用いたり、国家管理メディアが人権侵害の報道をしていないと述べた。

99/11/18
ミンスクの3つの経営者団体が、ビジネスマンに対し穀物輸入のための寄付を呼びかけている。秋の収穫不良のため、ミンスクでのパンの供給不足が懸念されている。

99/11/19
人権運動組織Spring-96のリーダーAles Byatatskiが18日逮捕された。10月に押収されたコンピューターを受け取りに警察署へ出向いた際、10月17日のデモを組織したとして逮捕されたもの。

99/11/23
10月の平均月給は、9月の46ドルに比べ、41ドルへと下がった。ルーブルでは18.8%の上昇であったが、交換レートは32.6%減少したもの。

99/11/24
ベラルーシ政府は12月1日より、平均15.2%年金を増額する。現在の実勢交換レートで、最低年金は月6.8ドル、平均17.7ドル、最高29.3ドルとなる。

99/11/29
ミンスクのメインストリートで24日、政治犯への連帯とロシアとの連邦に抗議を表明するキャンドル集会が開かれ、1500人が集まった。「悲しみと連帯の時間」と名付けられたこの抗議行動は、ルカシェンコ大統領の権力拡大につながった、1996年の国民投票3周年に合わせたもの。6人が逮捕された。

99/11/30
Syarhey Linhベラルーシ首相は29日、エネルギー関連のベラルーシの負債が半分になったと発表した。石油については1億ドルが5000万ドル、電気代は8000万ドルが4000万ドル、ガスは2億3600万ドルが1億6000万ドルとなった。

1999年12月

99/12/1
8カ月間拘留されていた、Chyhir前首相が11月30日に釈放された。しかし、職権濫用と410万ドルの損失を国家へ与えた罪での裁判に問われている。Chyhirは、ベラルーシからも政治からも離れることはない、と述べた。

99/12/2
12月1日のグリブナの交換レートは、1ドル4.95-4.97グリブナで、2月に政府が決めた変動幅3.4-4.6を越えている。あるディーラーによると、変動幅などナンセンスである。

99/12/3
米国務省のRubinスポークスマンは12月2日、ベラルーシ前首相Chyhir氏の釈放を歓迎すると発表し、Chyhir氏の訴追をやめること、他の政治犯を釈放すること、行方不明者の所在を明らかにするようベラルーシ政府に要求した。

99/12/6
12月4日ベラルーシ全国から約120人の代表がミンスクに集まり、民主化・自由選挙運動が結成された。新グループのリーダーには、前最高会議議長のMechaslau Hryb氏が選ばれた。

99/12/8
12月7日より、民間組織の名前に「ベラルーシ」「ベラルーシ共和国」「national」「popular」の文字を使うことが禁止された。法務省によると、そうした語を使っている団体は名前を変えねばならない。

99/12/9
ベラルーシ・ロシア連邦条約の調印にともない12月8日ミンスクで、小さな抗議活動が2つあった。午前中に約40人が、午後に約250人がメインストリートで抗議のデモを行なった。

99/12/14
ルカシェンコ大統領によって指名された110人で構成される、ベラルーシ下院は12月14日、ベラルーシ・ロシア連邦条約を、賛成101反対1で批准した。

99/12/14
4月以来行方不明だった、前国立銀行総裁Vinnikova氏が外国で生存していることを、電話により新聞社が確認した。Vinnnikovaによると「危うく死ぬところだったが、神の手により権力から救われた」と述べたが、詳細は語らなかった。彼女は、10カ月間KGBに拘留されたのち、自宅軟禁中に失そうしたもの。

99/12/15
国立銀行は14日、外国通貨の自由取引を解禁し、ミンスクでは1ドル72万ベラルーシルーブルだった。また、民間銀行に対し70?95%の外貨を国立銀行に売却する命令も取り消した。

99/12/16
1999年2月に実施された国勢調査の結果が12月15日発表された。人口は1004.5万人で1989年に比べ10.7万人の減少。都会居住者が69%。ベラルーシ人81.2%、ロシア人11.4%、ポーランド人3.9%、ウクライナ人2.9%、ユダヤ人0.3%、その他0.8%。ベラルーシ語が36.7%でロシア語が62.8%。

99/12/17
独立系労働組合のリーダーMarynichと6人の組合活動家が12月16日、ミンスクの自動車工場の集会で逮捕された。集会は、企業側が組合の財産や文書を没収したことに抗議し、約1000人が集まっていた。Marynichは負傷し病院に運ばれ、夜に釈放された。

99/12/20
ルカシェンコ大統領は17日、法務省に登録されていない団体の活動に対し、罰則を科す法令にサインした。違反者には、最低賃金10?50倍の罰金、再犯者には50?100倍または15日の拘留。

99/12/23
ルカシェンコ大統領は政府に対し22日、「賃金を引き上げ、不当な賃金差別をなくし、未払いを解消するよう」要求した。「負債を抱える企業のマネジャーがなぜ大臣よりも高給を受けているのか?」という問いに満足な回答を得られないまま、閣議は予定よりも早めに終了した。

99/12/28
ベラルーシ人民戦線のVyachorka派は26日、党派の名前を「Public Association BNF」に変えることを決定した。「ベラルーシ」などの言葉の使用を禁止する法令に対応したもの。

99/12/30
統一市民党(AHP)は29日、当局と反対派の交渉を妨げているとして「ベラルーシ・レジーム」を批判した。AHPによると、OSCEのサンクトペテルブルグ会議で採択された決議、イスタンブールのOSCEサミットでの宣言が守られていない。具体的には、政治犯の釈放、行方不明者の調査、自由な選挙といった項目である。