ウクライナ国内ニュース

2002年7-9月



 
 
  


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2002年9月

02/09/03
Piskun検事総長は3日、約2年前にみつかった首なし死体が2000年9月に失踪したGongadze記者のものであることを、法医学専門家が公式に確認したと述べた。

02/09/03
Lytvyn国会議長は3日、449人の議員の会派所属を以下のように述べた。我らのウクライナ119人、共産党63、ウクライナ企業労働党40、ウクライナ地域37、社会民主党・統一35、Tymoshenkoブロック23、社会党21、ヨーロッパの洗濯18、民主イニシアティブ18、人民民主党17、人民権力17、ウクライナ農業者16、人民の選択15、統一ウクライナ9、無所属11。

02/09/04
「私は、誰の言うことも聞かない当局者に対して抗議する運動を支持する」と述べたものの、我らのウクライナのリーダーYushchenkoの9・16抗議行動に対する態度はあいまいである。我らのウクライナは、14-15日にクチマ大統領や反対派リーダーを集めてフォーラムを開催する予定である。

02/09/05
Seminozhenko副首相は4日、大統領が先月発表した改革を実現するには、大統領の任期を2年間延長する必要があり、「憲法改正プロセスにあるときの大統領任期延長は、立法機関が不安定な状況下での安定要因となろう」と述べた。

02/09/06
リボフで5日、1万人以上が参加して、7月27日の航空ショー悲劇の40日法要が行われた。我らのウクライナのYushchenkoと、Tymoshenkoは参加したが、同じく同市にいた、社会党のMorozと共産党のSymonenkoは、不測の事態を危惧する主催者の要望により参加しなかった。

02/09/09
クチマ大統領はドネツク州で6日、我らのウクライナのYushchenkoが率いる連立内閣に賛成すると述べた。「Yushchenkoは自由に多数派を形成し、私は彼と握手するつもりだ」と大統領は述べた。

02/09/10
進歩社会党、ロシアブロック、全ウクライナ左翼連盟「正義」のメンバー約500人が9日、イラクに対する米国の政策に抗議して、キエフの米国大使館前でピケを行った。

02/09/11
キエフの独立広場で10日、Tymoshenkoブロック、社会党、共産党が主催した反政府集会に約3000人が参加した。反対派リーダーたちは、キエフ市民に16日の反政府行動を支持するよう訴えた。

02/09/11
我らのウクライナのリーダーYushchenkoは10日、彼と「彼の政治パートナー」は16日に独立広場で開かれる反政府抗議行動に参加するだろう、と述べた。

02/09/12
議会は12日、今月はじまる第2会期の議案を承認した。議案として採択されたのは、2003年予算、税金法、労働法などで、大統領罷免の議案上程は否決された。

02/09/12
我らのウクライナのYushchenkoは11日、Lytvyn議会議長と会談し、議会多数派の形成について議論した。会談にはTymoshenko」も立ち会った。

02/09/13
キエフ地方裁判所は12日、キエフのヨーロッパ広場で16日に予定されている反対派の抗議集会を禁止する決定を行った。裁判所によると、集会は秩序を混乱させ、市民生活を破壊する恐れがある。一方、社会党議員Bokyyは議会で13日、16日の「立て、ウクライナ」運動はいかなる状況でも開催される。

02/09/16
約2万人が参加して、キエフで16日、反政府キャンペーンがはじまった。この日は、Gongadze記者が2年前に失踪した日であり、集会はGongadze記者への黙祷ではじまった。

02/09/16
約50の政党や組織の代表1200人以上が集まって、14日と15日、我らのウクライナYushchenkoの主導により「ウクライナ民主化のためのフォーラム」が開かれた。Yushchenkoは、現在の政治的、社会経済的危機を克服するため、議会多数派の形成などを呼びかけた。しかし、ルフのリーダーKostenkoは「2002年の当局は、1970年の共産党と同じである」と批判した。社会党のMorozは、「立て、ウクライナ!」キャンペーンに参加する決議を訴えたが、フォーラムは採択しなかった。

02/09/16
我らのウクライナのYushchenkoは15日、議会での民主的多数派の形成に向けて、ウクライナ企業労働党、民主イニシアティブ、ウクライナ農業党、人民民主党との協力に署名した。5つの会派を合わせると、449議席のうち200に達する。企業労働党のTyhypkoによると、ウクライナ地域(37議席)も加わるであろう。

02/09/17
前日の反大統領デモの後、大統領府の前ではじまったキャンプピケを、機動隊が17日の夜明け前排除した。反対派リーダーTymoshenkoによると、約5000人の機動隊員が、1500人のピケ隊を襲った。警察によると、64人が逮捕された。反対派は、24日に大きな抗議集会を計画するとともに、連日の小デモを予定している。

02/09/18
クチマ大統領は、16日の集会決議を手渡そうとする反対派との面会を拒否した。Medvedchuk大統領府長官によると、決議は大統領を中傷している。

02/09/19
クチマ大統領は18日オデッサで、16日にキエフで起きたような抗議行動は、外国投資家を怖がらせ国外へ逃げ出す可能性がある、と述べた。一方、反対派の祖国党は、世界約50カ国のリーダーに、16日の集会決議とクチマ大統領とコンタクトしないよう要請するアピールを送った、と発表した。

02/09/19
農業省によると、今年のウクライナの穀物生産は3670万トンで、1ヘクタール当りの平均収量は2.82トンであった

02/09/20
大統領支持9会派が、議会多数派を形成しようとして我らのウクライナのYushchenkoにすりよっっている。しかし、Yushchenkoは、大統領支持派のうち、4つの会派とのみ協力する協定に署名している。

02/09/23
キエフの独立広場で20日と21日、数100人の活動家が、24日に議会前で予定されている大規模反大統領抗議行動に参加するよう呼びかけた。一方、当局は、17日のピケ撤去の際に逮捕された抗議者のうち、最後の9人を釈放した。

02/09/24
24日、5000人以上が議会前に集まり大統領の辞任を要求した。議会内では、反対派議員と大統領派議員が、大統領辞任要求の決議案を巡ってののしりあった。一方、反対派活動家約200人が23日、24日に予定されている集会のために10分間の放送時間を与えるよう要求し、UT-1テレビ局を90分間占拠した。

02/09/25
50人の反対派議員(共産党19、社会党12、Tymoshenkoブロック11、我らのウクライナ8)が、16日の抗議集会決議をクチマ大統領に手渡すため、大統領府に押し掛け、ビルを占拠した。クチマ大統領は「ボルシェビキのような行動である」と批判したが、共産党Symonenko、社会党Moroz、Tymoshenko、および我らのウクライナのOrobetsと25日朝に会うと約束した。

02/09/26
クチマ大統領は26日、キエフ訪問中のHoon英国国防相に対し、イラクに武器を供給したことはないと述べた。一方、Zlenko外務大臣は25日、クチマ大統領はイラクへのレーダー売却を承認したかもしれないが、売却は実行されなかった、と述べた。

02/09/27
Pekhota議員は27日の議会で、大統領支持の9会派が議会多数派を形成したと述べた。多数派は226人で、9会派216人、無所属9人、反対派1人とされている。大統領支持会派は前日、226-228の賛成でいくつかの決議を成立させたが、Lytvyn議長はいずれも大統領の承認にまわすことを保留している。議会の規律委員会によると、出張中や病欠の議員が投票していた。

02/09/30
クチマ大統領は28日テレビ演説を行い、反対派の抗議行動を批判した。「5000万人の選挙結果を、5万人の要求で変えることはできない」、「人民から選ばれたものとして、国家で起きることに全責任を負う」と述べて、辞職する意向のないことを示した。

02/09/30
ウクライナの高官が匿名で語ったところでは、Kolchugaレーダーシステムをイラクに売却したのは、ウクライナではなくてロシアであった。彼によると、大統領執務室でレーダー売却についての会話があったのは確かであるが、ロシアに先を越された。
 
 



2002年8月

02/08/01
Donetsk州のZasyadko炭坑で7月31日、爆発事故により20人が死亡した。Donetsk州の別の炭坑で7月8日に35人が死亡する事故があったばかりである。Zasyadko炭坑では、1999年5月に50人、2001年8月に55人が死亡する事故があった。

02/08/02
米国国務省の高官は1日、ウクライナがイラクに対し武器を輸出したという証拠はない、と述べた。マスコミは4月、国連制裁に違反し、ウクライナがイラクに4つのレーダーシステムを輸出した、と報じていた。

02/08/06
3万トンのカスピ海産石油を積んだタンカーが4日、オデッサの南オイルターミナルに到着した。カスピ海石油をヨーロッパに輸送するための、ウクライナの野心的なパイプライン計画の一部である、オデッサ・Brodyパイプラインの最初の石油である。

02/08/09
政府は8日、ウクライナの人口のうち1310万人(27.2%)が貧困であるというレポートを発表した。一人あたりの月収175フリブナ(33ドル)以下が貧困である。貧困者の多いのはトランスカルパチア州(46.6%)、クリミア(38.4%)、フメリニツキ州(36.8%)である。世界銀行によると、ウクライナは一人あたりGDPが745ドル以下の、最貧65カ国に入っている。

02/08/12
農業政策省のMelnyk書記は9日、ウクライナの今年の穀物収穫は3500万トンに達したと発表した。昨年は3970万トンであった。

02/08/13
7月27日の航空ショー墜落事件調査委員会の長である、国家安全保障委員会議長Marchukは12日、「航空ショー主催者、市当局、パイロットに多数の違反と欠陥があったことが悲劇を招いた」とクチマ大統領に報告し、空軍司令官、パイロット、市当局に観客85人死亡の責任がある、と述べた。クチマ大統領はMarchukに9月15日までに最終結論を出すよう命じた。

02/08/15
我らのウクライナのPoroshenko議員は14日、秋に予定されている反対派行動に我らのウクライナが参加するかどうかは、来週開かれる政策会議で決定されると述べた。一方、社会党のVinskyy議員は、9月16日に全国抗議行動を行い、社会党、共産党、Tymoshenkoブロック、我らのウクライナが参加する、と発表している。また、我らのウクライナのリーダーYushchenkoと4人のメンバーが13日、クチマ大統領と会談した。

02/08/21
「クチマなしのウクライナ」運動は20日、Gongadze記者失踪2周年にあたる9月16日にキエフの独立広場で大規模抗議集会を予定している、と発表した。集会の主な要求は、クチマ大統領の退陣とジャーナリスト・政治家の失踪や死亡の責任者処罰である。

02/08/22
Piskun検事総長は21日、議会に対し、反対派リーダーTymoshenko議員の不逮捕特権を停止するよう要請した。検事局はTymoshenkoに対し、彼女が1995-97年にウクライナ統一エネルギーシステムの会長であったときの資金横領などで捜査している。Piskunによると、有罪となれば10-15年の刑である。

02/08/23
我らのウクライナは、憲法裁判所に対し、クチマ大統領が2004年の大統領選挙に出馬できるかどうか判断するよう要請した。1996年に制定された現憲法は大統領の在任期間は、2期10年までと規定している。クチマ大統領は1999年に再選されたが、現在を現憲法下での1期目とするか、2期目とするかで、次期大統領選に出られるかどうかが決まってくる。

02/08/26
社会党Moroz、Tymoshenko、共産党Symonenko、我らのウクライナYushchenkoが23日集まって、来月の抗議行動についての議論を行った。Morozによると、我らのウクライナも抗議行動に参加することで合意した。

02/08/26
ウクライナ独立11周年の8月24日、約4000人の軍人がキエフ中心街をパレード行進した。最近の世論調査によると、独立に賛成するかどうかの国民投票が現在行われたとして、独立賛成48.8%、反対33.9%であった。

02/08/27
我らのウクライナは、25日に開催した評議会で、9月に予定されている反政府抗議行動に参加することを決定した。

02/08/28
議会への大統領代表Zadorozhnyyは27日、旧統一ウクライナのメンバーを中心に、非公式に231人の議員が多数派形成に協力している、と述べた。また、キーナフ現首相が連立内閣を率いることになろう、と述べた。

02/08/29
大統領支持の労働ウクライナのTabachnykは28日、議会多数派はすでに230名に達したと述べた。現在、憲法改正に必要な300名以上をめざして、我らのウクライナと話し合いを行っている。一方、我らのウクライナのKostenkoによると、議会多数派はいまだ形成されておらず、我らのウクライナが反対にまわると、いかなる決定、予算、法律も議会を通過できない。

02/08/30
我らのウクライナは29日、クチマ大統領への公開書簡を発表し、「当局の行動が、ウクライナの国益、安全、独立を阻害し、社会的な対立をあおっている」と現政権を批判した。Yushchenkoによると、多くの議員が政権側から恫喝を受け、信条を変えて政権側の多数派形成に協力するよう要請されている。
 
 




2002年7月

02/07/03
EU報道官Kemppinenは2日、ウクライナが「市場経済国」と認められるには、まだ多くのことが残っていると述べた。EUはウクライナに対し、法制度、メディアの自由、市場経済での改革を要求している。

02/07/08
ウクライナ東部ドネツク州Ukrainsk市の炭坑で7日、火災が発生し34人が死亡した。火災が発生したのは地下570mのベルトコンベアで、107人が作業中であった。ウクライナでは今年の1-6月にすでに116人の鉱山労働者が事故で死亡している。昨年の鉱山犠牲者は約300人であった。

02/07/10
NATO事務総長Robertsonはキエフで9日、ウクライナのNATO加盟を歓迎するが、そのためには長い道のりが必要である、と語った。Robertsonによると、ウクライナのNATO加盟には、少なくとも5年必要である。ポーランドの新聞によると、ウクライナのNATO加盟を、積極的に支持しているのは、ポーランド、米国、トルコで、一応支持しているのはドイツ、チェコ、ハンガリーである。残りの国は懐疑的。

02/07/12
ウクライナ議会は11日、国連決議による武器禁輸国への武器輸出を調査する特別委員会を設置した。委員会の議長は共産党のSinchenko議員である。Sinchenko委員長によると、同様の委員会は前議会にもあり、議会は検事総長に対し10件の違法輸出について調査するよう勧告したが、1件も起訴には至らなかった。

02/07/15
Gongadze記者殺害に関する議会調査委員会のZhyr前委員長が13日、第35選挙区(Dnipropetrovsk)で行われる再選挙への立候補を取り消された。Zhyrは、3月に行われた第1回投票で破れたが、中央選管が再選挙を認めていたもの。選挙キャンペーン中の資金問題で、Zhyrは有罪となり、地方選管が資格を取り消した。Zhyrは、クチマ大統領批判の急先鋒だった。

02/07/16
ウクライナ駐在イラク大使Ibrahimは15日のキエフの記者会見で、国連制裁に違反してイラクがウクライナで武器を購入した、という報道を否定した。報道は、2000年にイラクは、ウクライナからハイテクレーダーシステムを購入した、というもの。Ibrahimは同時に、イラクはウクライナの兵器技術に関心をもっており、「ウクライナに石油が必要なように、イラクには兵器技術が必要だ」と語った。

02/07/17
約650人の炭鉱労働者が16日、キエフのエネルギー省前に集まり、未払い給料の支払い、賃上げ、補助金増額を要求した。国内209の炭鉱のうち約3分の2が国営で、炭鉱労働者は約60万人である。

02/07/18
キエフで17日に開かれたEU・ウクライナ合同会議の後、EU貿易分析局チーフPradoは、「ウクライナの経済改革が進んでいることは明らかだが、すべてがうまくいっているわけではない」と述べた。ウクライナのWTO加盟に関連し、Pradoは、ウクライナ政府が法整備、とくに著作権問題を前進させるよう求めた。

02/07/19
Zlenko外相は18日、セバストポル海軍基地をロシアに貸す協定をウクライナは遵守すると述べた。1997年の協定により、基地の80%はロシア黒海艦隊に20年間貸与されることになっている。Zlenko発言はウクライナのNATO加盟に関連したもの。

02/07/22
クリミアのヤルタで19-20日、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバの大統領が集まってGUAMサミットが開かれた。GUAMは、ロシアの影響外での協力をめざして1997年に結成された。

02/07/24
Kozachenko副首相は23日、EUと穀物輸出の交渉を進めており、昨年同様、今年も約200万トンの輸出を期待している、と述べた。今年の穀物収穫量予測は3500万トンで、昨年は3970万トンであった。

02/07/25
ロブノ州評議会は、大統領、内閣、議会に対し、ウクライナ反乱軍(UPA)を公認し、元兵士に退役軍人の地位を与えるよう要請した。UPAは1942年に結成され、ナチ占領下のウクライナで、ドイツ軍、ソビエト軍、ポーランドパルチザンと戦い、第2次大戦後もソビエト軍との戦いを継続した。

02/07/26
社会党議員Vinskyyは25日、大統領選挙の繰り上げ実施を要求して9月16日に全国抗議行動を行うと発表した。参加するのは、社会党、共産党、Tymoshenkoブロック、我らのウクライナで、その日はGongadze記者失踪2周年にあたる。

02/07/29
リボフの航空ショーで27日、スホイ27戦闘機が墜落して観客が巻き込まれ、史上最悪の航空ショー事故となった。子供23人を含む83人が死亡し、116人が負傷した。クチマ大統領は、29日を国家服喪の日にすると発表した。

02/07/29
検察当局は、リボフ航空ショー事故の責任に関連し、Strelnikov大将とSerhiy中将の逮捕命令を出した。「怠慢により軍務において重大な結果をもたらした」容疑である。また、2名のパイロットについても、飛行規則違反で捜査が始まっている。

02/07/31
反対派リーダー4人が、リボフの航空ショー事故について共同声明を発表した。社会党Moroz、我らのウクライナYushchenko、共産党Symonenko、Tymoshenkoの4人で、「事故の責任は、国家の問題を省みず自己の権力に執着している人物に率いられている政治システムにある」と述べている。