ウクライナ国内ニュース

2004年10-12月

 

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2004年12月

04/12/01
最高会議は1日、ヤヌコービッチ内閣の不信任案を、必要数を3つ越える、賛成229票で採択した。しかし、政府計画を承認してから1年以内は、議会は首相を解任することはできないとされており、この決議が合法かどうかははっきりしていない。最高会議は、ヤヌコービッチ内閣の計画案を3月に承認している。

04/12/01
約10万の人々が1日、内閣不信任を審議している最高会議の建物を取り巻いた。また、大統領府と政府庁舎の閉鎖も継続している。ウクライナの人々は、1991年12月1日の国民投票でソ連からの独立に賛成した。

04/12/02
反対派ユーシェンコと現首相ヤヌコービッチは1日、クチマ大統領、Kwasniewskiポーランド大統領などを交えて、円卓会議を開き、危機脱出の妥協点を相談した。暴力で問題を解決しないこと、政府庁舎のブロックを解くこと、最高裁の判断をまってから選挙に関する結論を出すこと、などを合意した。

04/12/02
ドネツク州議会は1日、州を自治政府としウクライナに連邦制を導入するよう憲法改定を求める州民投票を1月9日に行う決議を採択した。また、ドネツク市書記長Levchenkoは、ロシア下院に対し「ウクライナとの関係強化」するよう要請した。

04/12/03
最高会議は3日、イラクからウクライナ軍を撤退させる決議を、賛成257票で採択した。決議が有効になるには。クチマ大統領の署名が必要である。決議を支持したのは、共産党、社会党、Tymoshenkoブロック、クチマ支持グループで、ユーシェンコの「我らのウクライナ」からは100人中24人だけだった。

04/12/04
ヨーロッパ議会は2日、11月21日のウクライナ大統領選挙結果には明らかな違反があったとし、年内に第2回投票のやりなおしを求める決議を採択した。抗議グループに対しては、政府機関の包囲を解き、政府機能が正常化するよう訴えている。

04/12/06
クチマ大統領は6日、新大統領選挙法と大統領権限削減の憲法改正に同時に署名する用意があり、必要であれば最高会議まで出かける、と述べた。「私には、善意に基づいて妥協する用意がある」と大統領は述べた。

04/12/06
ヤヌコービッチは4日、大統領の再選挙に出馬すると述べた。「先の投票で1500万票を得ており、次の投票でも勝利を確信している」し、11月21の投票を無効とする最高裁判断は「政治的圧力による」と陣営は語った。

04/12/06
最高裁は3日、ヤヌコービッチを勝者とした11月24日の中央選管決定を取り消し、3週間以内、すなわち12月26日までに再選挙を行うよう決定した。最高裁によると、中央選管は、選挙違反に関する1000件以上の訴えを無視した。

04/12/07
ユーシェンコとヤヌコービッチは6日、再選挙に向けて、クチマ大統領、Lytvyn最高会議議長などと円卓会議を開いた。EU代表Solana、OSCE代表Kubis、ポーランドとリトアニアの大統領、ロシア下院議長も同席し、中央選管委員の更迭、新選挙法を採択することで合意した。

04/12/08
最高会議は8日、賛成402反対21棄権19で、憲法改正案と選挙法改正案を同時に採択した。クチマ大統領は投票の直前に議場に入り、法案に直ちに署名した。また大統領は、反対派からの要求に従い、検察総長Vasilyevを罷免した。

04/12/08
最高会議は8日、ヤヌコービッチの勝利を宣言した中央選管を解散し、大統領の推薦に基づく18人から、新中央選管委員15人を選出した。15人のうち11人は再任だった。

04/12/08
クチマ大統領は7日、12月26日の再選挙までヤヌコービッチ首相の職務離脱を認める命令に署名した。これは、首相不信任を採択した12月1日の最高会議決議を無視したものである。

04/12/09
ユーシェンコ支持派は9日、2週間続いた政府庁舎の封鎖を解除した。しかし、大統領府の封鎖とフレシチャク大通りの占拠は続けている。

04/12/09
新しい中央選管は8日、新議長にDavydovychを選出した。Davydovychは、11月24日のヤヌコービッチ勝利決定に署名しなかった、3人の前中央選管委員のひとりである。

04/12/10
Omelchenkoキエフ市長は10日、「オレンジ革命」を組織している救国委員会に対し、フレシチャク大通りのテント村を移動させるよう要請した。

04/12/10
26日の選挙に向けて選挙運動をはじめたヤヌコービッチ首相は9日、現在のウクライナの状況を「反憲法的クーデター」と、ドネツクのテレビで批判した。「私には1500万人の支持がある」とヤヌコービッチは語り、一部がユーシェンコ支持に傾いた政府当局を批判した。

04/12/13
ユーシェンコの原因不明の病気を治療したウィーンの病院長Zimpferは11日、ユーシェンコの血液サンプルから許容レベルの1000倍のダイオキシンを検出した、と発表した。ウィーンからキエフに戻ったユーシェンコは12日、「毒物をもったのが当局の仕業であることを確信している」と述べた。

04/12/14
選挙運動中のヤヌコービッチは13日、クチマ大統領の事態処理に深く失望し、「彼は、国家や人々の利益ではなく、自分と家族の利益を守った」と批判した。また、ポーランド大統領その他の外国からの仲介を内政干渉であったと批判した。

04/12/14
Finantial Times紙は14日、21日の選挙以降クチマ大統領は、ヤヌコービッチ首相とMedvedchuk大統領府長官から反対派鎮圧のため武力行使の圧力を受けていた、と報道した。

04/12/15
ヤヌコービッチはウクライナ南部のMykolayivで15日、26日の選挙の際には数1000人の支持者が「革命」を阻止するためキエフへ出向く用意があり、「昨日セバストポリでは3万5000人のボランティアが登録した」と述べた。また、11月21日の選挙後に、クチマ大統領に内務省部隊の投入を要請した、という報道を否定した。

04/12/15
ウクライナ政府は14日、2001年10月4日におきたウクライナ軍ミサイルによるロシア旅客機撃墜事件で、ロシア人遺族への補償のため780万ドルをロシアに支払うことで合意した。また、イスラエル人遺族の補償に760万ドルをイスラエルに支払うことで合意した。事件では78人の乗客が死亡した。

04/12/15
国家統計局によると、2004年10月末のウクライナの人口は4735万人で、前年よりも26万8400人減少した。

04/12/15
クチマ大統領は15日、ウクライナ治安当局の第1副議長Satsyukを解任した。反対派候補ユーシェンコは、毒により病気となる前日にSatsyukの別荘で会食した。

04/12/17
ドネツク州議会は16日、州の自治と国の連邦化を導入する憲法改定へ向けての地域住民投票を1月9日に実施するという先の決定を撤回した。最高会議が、州政府権限の増加に向けた憲法改正案を採択したことにともなうもの。

04/12/20
中央選管は、26日の選挙に向けて8295人の国際監視団を登録した、と発表した。

04/12/20
ユーシェンコは17日、治安局長官Smeshkoおよび副長官Satsyukと9月5日に会食した際に毒がもられた、という証拠はないと述べた。「誰が犯人とは言わないが、当局の仕業である」とユーシェンコは語った。

04/12/21
ユーシェンコとヤヌコービッチが、100分間のテレビ討論を行った。ユーシェンコは、11月21日の投票ではヤヌコービッチ側が300万票のでっち上げをおこなったと批判した。ヤヌコービッチは、「オレンジ革命」は合法的な選挙結果をひっくり返す暴動であると批判した。

04/12/22
ユーシェンコ派のTomenko議員は21日、ヤヌコービッチ側は26日の選挙に向けて「合法的と反革命的」のふたつのシナリオを考えていると述べた。合法的な方は最高裁判断と選挙法改定の合憲性を問う方法で、2つめは、警官隊と軍隊の導入である。Tomenkoはまた、22日に独立広場前のキャンプを撤収すると述べた。

04/12/22
青年組織PORAは22日、大統領府入り口の封鎖を解除した。しかし、建物前のピケットは残した。

04/12/22
中央選管は22日、外国からの選挙監視員が12271人に達したと発表した。

04/12/23
ユーシェンコは22日、キエフの独立広場に集まった8万人を前に26日の投票では11月のようなゴマカシを許さないよう訴えた。そして26日の投票後は勝利まで独立広場に集まるよう呼びかけた。

04/12/23
ウクライナ治安局は22日、大統領候補ユーシェンコの健康悪化に治安局は関係していない、という声明を発表した。メディアは、9月5日ユーシェンコが治安局高官と会食した際に毒を盛られた、と示唆している。

04/12/28
開票100%の結果、ユーシェンコ51.99%、ヤヌコービッチ44.19%であったと中央選管は28日に発表した。ユーシェンコ西部・中部の19州とキエフ市、ヤヌコービッチは東部・南部の9州とセバストポリで勝利した。

04/12/28
ユーシェンコは28日、ロシア紙イズベスチアのインタビューで、大統領に就任したら最初にモスクワを訪問すると語った。「ロシアはパートナーであり、過去の問題は未来を拘束しない」とユーシェンコは語った。

04/12/28
ヤヌコービッチは28日、イズベスチア紙とのインタビューで、いかなる状況下でもユーシェンコと協力することはない、と述べた。「我々は強力な野党として議会でユーシェンコと対決する。議会での多数派を目指す」と述べた。

04/12/30
ユーシェンコ支持グループは29日、政府庁舎の玄関を封鎖し、ヤヌコービッチ内閣の閣議開催を阻止した。最高会議は12月1日にヤヌコービッチ内閣の不信任を採択しているが、クチマ大統領は首相をまだ解任していない。

04/12/30
ユーシェンコは29日、新内閣の首相候補としてTymoshenkoの名をあげた。その他の首相候補には、選挙運動リーダーPoroshenko、社会党党首Moroz、産業企業党党首キーナフの名をあげた。

04/12/30
ユーシェンコは29日、彼の政権の課題として、汚職追放、社会政策、ヨーロッパへの統合をあげた。ロシアとの関係について「友好関係を保つべき永遠の隣人」と述べた。
 
 


2004年11月

04/11/01
中央選管の発表によると大統領選の結果は、開票率94.2%の段階で、ヤヌコービッチ40.11%、ユーシェンコ39.16%である。さらにMoroz 5.77%、Symonenko 5.02%、Vitrenko 1.54%である。投票率は74.38%だった。

04/11/01
中央選管によると、予想とおり、ヤヌコービッチはウクライナ東部で票を集め、ユーシェンコは西部で票を集めている。ヤヌコービッチ支持は、Donetsk州で86.74%、Luhansk州で80.53%、クリミアで69.19%、Kharikov州で57.63%、一方、ユーシェンコ支持はIvano-Frankivsk州で89.38%、Ternopil州で87.98%、Lviv州で87.42%、Volhyniaで76.97%だった。キエフでは、ユーシェンコ支持が62.36%でヤヌコービッチは14.69%だった。

04/11/02
国際ルネッサンス基金は1日、ヤヌコービッチとユーシェンコに対し、21日の決選投票に向けてテレビ討論会を行うよう提案した。

04/11/03
中央選管は3日、開票率97.67%の段階で、ヤヌコービッチ票39.88%、ユーシェンコ票39.22%と発表した。選挙後10日以内に最終結果を発表するよう定められているが、いつ発表されるか定かでない。キエフでは2日、当局による不正操作に抗議して約5000人の学生が集会を行った。

04/11/04
中央選管委員長Kivalovは3日、10月31の大統領選挙はいくつかの投票区で無効であったとジャーナリストに語った。「約50の投票区で手順が報告されなかったり不適切だったりした」とKivalovは述べた。

04/11/04
我らのウクライナの議員Rybachukは3日、中央選管委員長Kivalovが、ヤヌコービッチに不利な選挙の最終結果を発表しないよう大統領府から圧力を受けていると述べた。Kivalovはそうした圧力を否定している。

04/11/05
ヤヌコービッチ首相は4日、ユーシェンコとのテレビ討論は行わない、と述べた。「ユーシェンコ陣営は選挙前から私を侮辱しており、そんな輩と同席する必要はない」とヤヌコービッチは語った。ユーシェンコ側は、ヤヌコービッチのテレビ討論拒否は、自信のなさのあらわれだ、と述べた。

04/11/05
ウクライナ共産党は、大統領決選投票でどちらの候補も支持しないことを決めた。一方労働党のMorozは、決戦投票以前にユーシェンコが労働党の政治改革案に同意するなら、ユーシェンコを支持すると述べた。

04/11/08
キエフで6日、独立広場で開かれたユーシェンコ支持の集会に5万人が集まった。ユーシェンコは、いまだに10月31日投票の最終結果を発表しない中央選管を批判した。

04/11/08
労働党は6日、選挙で勝利した場合の政策協定をユーシェンコと結び、21日の決選投票でユーシェンコを支持することを決めた。協定によると、2005年1月までに憲法改革法案を成立させ、2006年1月から施行する。農地の売買を禁止し、戦略的重点企業の民営化をキャンセルする。

04/11/09
産業企業党リーダーのKinakhは8日、21の決選投票でユーシェンコを支持すると発表した。11月2日に発表されている中央選管による第1回投票の予備結果では、Kinakhの得票率は0.94%で5番目だった。社会党のMorozはユーシェンコ支持を6日に発表している。

04/11/09
11月3?7日に行われたRazumkovセンターによる世論調査によると21日の選挙で、2027の有権者のうちユーシェンコに投票が44%、ヤヌコービッチが37%だった。両候補に反対が5%で、12%は未決定だった。

04/11/10
中央選管は10日、10月31日の大統領選挙第1回投票の結果を発表した。ユーシェンコが39.87%で、ヤヌコービッチは39.32%だった。

04/11/10
国営テレビUT1は9日、ヤヌコービッチ支持に偏った報道を拒否したキャスターHolosnyaskを解雇した。Holosnyakは先週、ユーシェンコ側にも同じだけの機会を与えるべきだとして、ヤヌコービッチよりのニュースを読むことを拒否した。

04/11/12
ヤヌコービッチ陣営は、21日の決選投票で3-4%の差でユーシェンコに勝利すると発表し、第1回投票でのユーシェンコ側の選挙違反を批判した。一方、ユーシェンコ側も、3-4%の差での勝利を予測している。

04/11/12
ヤヌコービッチ首相は11日、役人、検察官、裁判官の給料を11月から28%引き上げる決定に署名した。一方、議会予算委員会によると、選挙前の年金引き上げにより、外貨準備が、9月の150-180億フリブナから、70億フリブナ(13億ドル)に縮小した。

04/11/15
クチマ大統領は15日、1+1チャンネルのTVインタビューで、Yanukovich内閣は5点満点の4強であると持ち上げ、大統領選挙決戦投票でのユーシェンコ-Moroz連合は迎合主義的であると批判した。

04/11/16
ヤヌコービッチとユーシェンコは15日、国営テレビUT-1で100分間のテレビ討論を行った。ヤヌコービッチは、2003年9.6%、2004年13.4%という経済成長を協調した。ユーシェンコは、「国民の3分の2が窮乏している。ヤヌコービッチは金持ちのための大統領になりたがっている」と述べた。

04/11/18
ユーシェンコ支持者たちは、21日の大統領選挙後、キエフの独立広場に集まり、選挙結果の独自集計を行う。選挙スタッフのTomonenkoによると、地域選管から発行される公式資料に基づいて集計する。一方、ヤヌコービッチ側選挙スタッフのTihipkoによると、選挙の結果不穏な状況になれば、中央選管を守るため、東部州からヤヌコービッチを支持する約4万人の炭坑労働者を呼び寄せる。

04/11/18
ウクライナの2004年の穀物収穫は4500万トンで独立以来最大であった、と17日の農業労働者デーに新聞が伝えた。記念日のコンサートで、クチマ大統領は、子供から小麦の束を受け取り、それをヤヌコービッチ首相に渡した。

04/11/19
反対派大統領候補ユーシェンコは19日、21日の決戦投票での当局側の「強攻策」を心配している、と述べた。「強攻策」では、開票結果の如何にかかわらず22日の朝にヤヌコービッチ側の勝利が宣言される。「大規模な選挙違反があった場合には、我々は街頭に出て我々の権利を守る」とユーシェンコは述べた。

04/11/22
反対派候補ユーシェンコは、22日に発表された中央選管の開票結果はゴマカシであるとして、大衆的な抗議行動を訴えた。中央選管は開票率99.14%で、ヤヌコービッチ49.42%、ユーシェンコ46.69%と発表した。一方、2つの出口調査では、いずれもユーシェンコがリードしていた。

04/11/23
少なくとも10万人の人々がキエフ中心部の独立広場に集まり、大統領選挙結果のゴマカシに抗議する集会を行っている。ユーシェンコによると、ヤヌコービッチ側は、310万票を不正に上乗せした。キエフのフレシチャトク通りには約300のテントが設営された。

04/11/23
OSCE国際選挙監視団は22日、ウクライナの決選投票は、さまざまな点で民主主義的な基準を満たさなかった、との予備結果を発表した。当局はメディアを独占し、民主主義的な選挙プロセスを守る気を見せなかった、と選挙監視団コーディネーターは述べた。

04/11/24
数10万人の人々が、いまだ最終結果の発表されていない選挙結果に抗議して、3日連続の抗議集会を開いた。約2000人がフレシチャク通りのテントに泊まり込んでいる。チャンネル5テレビによると、ウクライナ各地で抗議集会が行われている。

04/11/24
ユーシェンコは最高会議で23日、大統領選挙勝利の宣誓を行った。宣誓は、緊急議会で選挙無効決議の採択に失敗した後に行われ、象徴的な意味しかもたない。

04/11/24
政府系テレビであるチャンネル1+1とインテルの4人の記者が、検閲に抗議して退職した。記者らは、記者会見で「真実を語ろう」と同僚たちに訴えた。

04/11/24
約150人の外交官が、21日の選挙結果を批判する声明を出した。「国家は、ウクライナ国民から真に信頼されている人物によって率いられるべきだ」と声明は述べている。

04/11/29
キエフ独立広場の集会は8日目に入った。ユーシェンコ支持派は、政府庁舎と大統領府を「人間の鎖」で囲んで封鎖した。

04/11/29
ウクライナ東部・南部15州から約5000人の地方議員がSeverodonetskに集まって、ヤヌコービッチ支持の大会を開いた。「不法な大統領が出現するならば、我々は自衛のための権利を行使しる」と大会声明は述べている。大会には、ヤヌコービッチとモスクワ市長ルシコフが参加した。

04/11/29
最高会議は27日、21日の選挙は「違法で国民の意思を反映していない」という決議を採択した。決議には255人が賛成した。しかしながら、最高会議には、選挙結果を無効にする法的権限はない。

04/11/29
最高裁は25日、ヤヌコービッチを選挙の勝者とする公報の印刷を停止する決定を行った。この決定は、選挙違反について最高裁が判断するまで、ヤヌコービッチは大統領に就任できないことを意味している。一方、中央選管は前日、ヤヌコービッチ49.46%(1510万票)、ユーシェンコ46.61%(1420万票)とする最終結果を発表した。

04/11/30
最高会議は30日、「選挙は違法で国民の意思を反映していない」という27日の議決を取り消す決議を採択した。決議には共産党と政府系議員232人が賛成した。

04/11/30
クチマ大統領は、ヤヌコービッチ首相やLytvyn最高会議議長らと会談し、21日の決選投票の再選挙を行うことが現在の危機から脱出するための方策であると述べた。

04/11/30
ヤヌコービッチ首相は29日、21日の選挙での大量選挙違反が明らかになれば、DonetskとLuhanskの2州で再選挙を行うことに合意する意向を示した。

04/11/30
最高裁は29日、大統領選挙の有効性に関する審議をはじめた。判断がいつ下されるかは不明である。
 
 
 


2004年10月

04/10/01
反対派大統領候補Yushchenkoは9月30日、マスコミに対し、中毒事件に関する診断捏造疑惑の報道をやめるよう伝えた。Yushchenkoの公式HPは、彼の中毒について「ウィルスまたは通常の食品に含まれない化学物質が原因である」という、ウィーンの病院の医療記録を掲載した。

04/10/04
反対派大統領候補の選挙責任者Zinchenkoは3日、「Yushchenkoの毒物中毒に医学的根拠がない」とウィーンの病院が発表したというロイター通信は偽りである、と発表した。Zinchenkoが病院の医師に確認したところ、ロイターの情報は病院とは関係なかった。

04/10/05
大統領候補のYushchenkoとYanukovychはともに、10月31日の選挙に向けてのテレビ討論会を拒否した。Yanukovychの選挙スタッフによると、決戦投票での討論会には参加する。

04/10/06
1万1000人を対象とした9月の世論調査によると、YushchenkoとYanukovychはまったく互角であった。第一回投票でのYushchenko支持は31.5%で第2回では38.2%だった。一方Yanukovychは第1回30.6%で第2回37.5%だった。

04/10/08
大統領候補Yushchenkoの中毒事件を調査していた議会特別委員会は7日、Yushchenkoの病気が毒物によるとも、よらないとも言えないという報告を発表した。事件調査に関わったウクライナの医師と治療にあたったウィーンの医師が署名した声明によると、Yushchenkoの病気は生物系のものが関係している。

04/10/12
反対派大統領候補Yushchenkoは10日、不可解な病気治療のため入院していたウィーンの病院から帰国し、リボフ市で10万人の群衆を前にして「私は健康であり、私のすべてを自由で民主的なウクライナに捧げる」と演説した。同行のオーストリア人医師によると、病気の原因はいまだに明らかでない。

04/10/13
反対派大統領候補Yushchenkoは12日、大統領に選ばれた際に出す最初の5つの大統領令を明らかにした。まず、2005年の最低生活必要費用を月423フリブナ(80ドル)に引き上げ、最低賃金と年金がそれを下回らないようにする。現行の最低生活費用は362フリブナで、最低賃金は237フリブナである。

04/10/14
反対派Yushchenko支持勢力が、10月31日の選挙で敗北したら50万人の支持者で中央選管を包囲する計画を立てている、という声明を現首相Yanukovych派が出した。「そうした状況を防止するためあらゆる措置をとるよう大統領に要求する」と声明は述べている。

04/10/15
反対派リーダーらは14日、当局が行おうとしている17日の選挙シナリオを発表した。2つの投票用紙を用意されており、無記入の方を選挙民に渡し、もう一方は記入済みである。開票で数えるのは記入済みの方で、本当の投票の方は投票終了後直ちに廃棄される。

04/10/15
10月7-10日に行われた世論調査によると、Yanukovych支持は第1回投票で34.2%、決選投票で42.2%だった。一方Yushchenko支持はそれぞれ30.5%と34.4%だった。16.5%は誰を支持するかまだ決めていない。Yanukovych支持が増えたのは、ロシア語の公用語化と2重国籍の容認を約束したからとみられる。

04/10/18
キエフで16日、約4万人の学生が参加してYushchenko候補支持の集会を開いた。Yushchenkoは、Yanukovych支持がリードしているという最近の世論調査について、「大衆を操作しようとするデマである」と述べた。

04/10/21
Yushchenko大統領候補を支持する「人民権力」のハリコフ支部は20日、31日の大統領選挙に向けて当局側が「実力行使」をはじめたという声明を出した。ハリコフのYushchenko選挙事務局チーフPatykunが同日、運転していた車に爆弾を積んでいたとして逮捕されたことをうけての声明。一方、リボフでは、約2000人の学生が、青年組織Poraへの弾圧に抗議して警察署前で集会を行った。

04/10/25
クチマ大統領は22日、17日の国民投票勝利を祝ってルカシェンコ大統領に電話した。クチマ大統領は、週末に予定されているナチスからのウクライナ解放60周年式典に参加するようルカシェンコ大統領を招待した。

04/10/25
キエフで23日、反対派大統領候補Yushchenkoを支持して公正な選挙を求める集会に、10万?15万人が参加し、ソ連崩壊後もっとも大きな集会となった。「選挙が公正であれば当局側の候補に勝利の見込みはない」とYushchenkoは演説した。Yushchenkoは、22日にドニエプロペトロフスクの2万人集会、24日にはシンフェローポリの1万8000人集会に参加した。

04/10/26
チャンネル5テレビの記者たちが25日、選挙キャンペーンに対する当局による圧力に抗議してハンガーストライキに入った。裁判所は最近、反対派Yushchenkoを支持するチャンネル5に対して、銀行口座を凍結する決定を出した。

04/10/27
ウクライナ訪問中のプーチン・ロシア大統領は26日、ウクライナのテレビインタビューに生放送で出演した。プーチン大統領は、ウクライナ経済の順調な成長を賞賛し、CIS諸国の経済協力推進を主張した。

04/10/29
キエフで28日、ナチスからの解放60周年式典が行われ、8000人以上の兵士と退役軍人がパレードした。式典には、クチマ大統領、プーチン大統領、Alievアゼルバイジャン大統領が参加した。

04/10/29
反対派大統領候補Yushchenkoの選挙対策責任者Zinchenkoは27日、プーチン大統領がウクライナの大統領選挙に影響力を行使していると非難した。Zinchenkoによると、メディアはプーチン大統領のインタビューやニュースを流すよう強制されている。

04/10/29
ウクライナの約40人のジャーナリストが28日、大統領選挙キャンペーンに関連する圧力に抗議する声明を出した。「当局はテレビ局やそのオーナーに対し、偏った報道をするよう圧力をかけている」と、ICTVチャンネルのShvetsは述べた。声明にサインしたジャーナリストは同日中に89人となった。