ウクライナ国内ニュース

2005年1-3月



 
  


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2005年3月

05/03/01
内務大臣は2月27日、2000年9月にゴンガゼ記者を誘拐した犯人2名を特定し、治安局が逮捕した、と発表した。逮捕された容疑者は、ゴンガゼ記者殺害を自供したと伝えられており、誰が殺害を命じたかが今後の焦点となる。

05/03/02
ユーシェンコ大統領は1日、ゴンガゼ記者殺害事件の容疑者を逮捕した、と発表した。大統領は、事件を調査せず犯人を擁護したクチマ体制を批判した。「私と私のチームはこの事件を解決する」と大統領は付け加えた。

05/03/03
検事総長Piskunは2日の記者会見で、ゴンガゼ記者の誘拐・殺害の容疑で2人の容疑者を拘留したと発表した。2人は内務省の関係者で、「記者を尾行し、一人になったところで車に押し込んだ」とPiskunは述べた。

05/03/04
前内相Kravchenkoが4日、別荘で自殺した。Kravchenkoは、ゴンガゼ記者殺害事件の関係で、4日に検事総局で事情聴取を受ける予定だった。クチマ前大統領の元ボディーガードMelnychenkoが盗聴したというテープによると、Kravchenkoはゴンガゼ記者殺害を大統領と共謀した。

05/03/07
Lutsenko内務相は5日、Kravchenko前内務省は自殺の際に「親愛なるみな様、私は批判されるようなことは行っていない、私はクチマ大統領とその側近たちの政治的陰謀の犠牲となった」という遺書を残したと述べた。治安局のTurchynovによると、遺書にはGongadze記者の誘拐殺害事件について多くの情報が含まれている。

05/03/07
クチマ大統領は5日、滞在中のチェコからキエフに戻り、「神と人民の前において、私は無実である」と述べた。いわゆるMelnychenkoテープでは、クチマ大統領が、自殺したKravchenko前内務相にGongadze記者の暗殺を指示したことになっている。

05/03/09
ドイツ訪問中のユーシェンコ大統領は8日、フィッシャー独外相と会談し、ウクライナのWTO加盟への支持を求めた。ユーシェンコ大統領はまた、EU加盟について「2016年以前」に達成したいと述べた。

05/03/10
検事総局報道官Astapovによると、ゴンガゼ記者殺害事件に関係してクチマ前大統領の尋問が行われる。「前大統領自身が尋問を希望している」とAstapovは述べた。

05/03/11
検事総局で10日、クチマ前大統領に対する尋問が行われたが、詳細は明らかでない。共産党のSymonenkoによると、昨年の大統領選挙でユーシェンコを当選させたことの見返りとして、クチマ前大統領は米国から個人的な安全保障を約束されている。

05/03/14
Tymoshenko首相は13日、内閣から提出された法案を議会が拒否すれば、再び大規模大衆行動が起きるだろうと警告した。今月はじめ最高会議は、関税法と2005年予算案を否決した。「オレンジ革命はまだ終わっていない」と首相は述べた。

05/03/15
財務大臣Pynzenykは14日、ヤヌコービッチ前内閣が2004年、170億フリブナにおよぶ闇収入を隠していた、と発表した。ヤヌコービッチ内閣は、それらの財源を怪しげな計画へのローンに使っていた。

05/03/16
ウクライナ人民党(UNP)Kostenkoは16日、「我らのウクライナ」会派を離脱し、19人の議員による独自会派を結成する、と述べた。今月はじめ、ユーシェンコ支持派は「我らのウクライナ人民党」(NSNU)を結成し、UNPに対しNSNUに加わるか独立するように求めていた。NSNUの議員は40人である。

05/03/16
イラクに派遣されている1600人のウクライナ軍のうち、最初の137人が15日に撤退をはじめた。5月15日までにさらに550人が撤退し、年末までに残りが引き上げる。

05/03/17
ユーシェンコ大統領は16日、ソビエト軍およびウクライナ反乱軍で闘った退役軍人たちに、「相互理解の和解宣言」に署名するよう求めた。ウクライ独立を求めたUPAは第2次大戦中に、ナチスドイツ、ソ連、ポーランド反ナチスゲリラと戦った。

05/03/21
プーチン・ロシア大統領が19日にキエフを訪問しユーシェンコ大統領と会談した。「統一経済圏を作ることが2国間関係を強化する」とプーチン大統領は述べた。また、Tymoshenko首相に対し、モスクワを訪問するよう招待した。

05/03/22
ジトーミル州検察は22日、昨年秋の大統領選挙での選挙違反捜査を終了し、8人を起訴した。ある人物はYanukovichに11回も投票し、ある地区選挙委員は偽ってYanukovichの勝利を宣言した。

05/03/23
内務相副長官Moskalは22日、収賄および職権濫用の容疑で、前副知事のうち12人、前地区長官のうち58人について起訴手続きを進めていると述べた。またクチマ前大統領の財産管理長で、行方をくらましているBakayを、大統領用別荘売却など7件の容疑で告訴した。

05/03/24
内務相と検事総局は23日、反対派政治家Chornovilの1999年の自動車事故死について再調査を行うと述べた。Chornovilはソ連時代には政治的囚人で、独立後Rukh党のリーダーだった。多くの反対派は、この事故は政治的に仕組まれたものと考えてきた。

05/03/25
昨年の選挙で敗れたYanukovichは、キルギスタンでの政変について、CISの選挙監視団とOSCEの選挙監視団とが別の見解を述べた結果、ウクライナと同じような事態が起きた、と述べた。共産党のSymonenkoは、中央アジアにおける米国の策謀を非難した。

05/03/29
最高会議は25日、ティモシェンコ内閣による2005年度予算修正案を圧倒的多数で採択した。歳入は1085億フリブナ(205億ドル)で歳出は1153億フリブナ。財政赤字はGDPの1.56%となる。2005年のインフレは9%と見込まれている。2004年は12.3%だった。

05/03/30
ウクライナ外相Svystkovは30日、ミサイルをイランや中国に密輸していた国際グループを解体した、と発表した。治安局の調べによると、密輸グループは、2000-2001年に、12基のX-55ミサイルを輸出していた。

05/03/30
ユーシェンコ大統領は29日、地方自治権の拡大に賛成であり、秋までに必要な憲法改定を行うと述べた。大統領は、昨年12月に採択された、「大統領中心システム」から「議会中心」へ移行するためのプラットフォームを支持している。

05/03/31
社会党リーダーMorozは30日、欧州議会評議会(PACE)の代表に対し、ウクライナの民主主義は何も進展していない、と述べた。「Gongadze暗殺事件はオレンジ革命につながったが、革命勝利の後は忘れ去られ、捜査が引き延ばされている」と述べた。
 
 


2005年2月
05/02/01
社会党首Morozは31日、社会党が政府ポストの6分の1を引き受けるという条件で、ティモシェンコ首相に賛成すると述べた。首相指名が承認されるには、最高会議で226票の賛成が必要であるが、ユーシェンコの我らのウクライナとティモシェンコ・ブロックを合わせて、今のところ140人である。

05/02/02
ティモシェンコ暫定首相は1日、彼女の内閣候補と知事候補のリストをユーシェンコ大統領に提出した、と語った。ティモシェンコによると、前内閣メンバーや前知事はまったく候補に含まれていない。

05/02/03
ユーシェンコ大統領は2日、首相候補ティモシェンコ、大統領秘書長Zinchenko、安全保障会議議長Proshenkoなどと7時間にわたる会談を行い、新内閣メンバーについて相談した。一方、Morozが率いる社会党は3日、新内閣に候補者を出さず、Tymoshenko内閣の政府プログラムも支持しないことを決めた。

05/02/04
最高会議は4日、450議席中373票の賛成でティモシェンコ首相を承認した。ティモシェンコ首相の承認に先立ちユーシェンコ大統領は、「我々は透明で、誠実で、責任ある政府を実現する」と演説した。首相承認後に大統領は、キーナフ第1副首相など主要閣僚を任命した。

05/02/04
最高会議では、議員の離合集散が続き、ヤヌコービッチ前首相を支持していたグループが減っている。現在の勢力分布は、我らのウクライナ101、共産党59、ウクライナ地域54、人民農業党33、統一社会民主党23、社会党24、統一ウクライナ22、ティモシェンコブロック19、民主ウクライナ16、ソユース15、企業産業党15、民主イニシアティブ14、センター12、人民民主党共和国10、となっている。

05/02/07
前日のティモシェンコ首相の承認とユーシェンコ大統領による内閣任命を受けて、最高会議は357人の賛成で、ティモシェンコ内閣の内閣プログラムを承認した。新内閣の顔ぶれは、第1副首相キーナフ、外務相Tarashuk、国防相Hrysenkoなどである。

05/02/07
ユーシェンコ大統領は4日、24州の知事とセバストポリ市長を交代させる命令に署名した。オレンジ革命でユーシェンコを支持したキエフ市長Omelchenkoは留任する。

05/02/08
ティモシェンコ首相は8日、検事総局に対しすべての民営化手続きの合法性を調査するよう要求した、と述べた。ティモシェンコによると、検事総局はすでに、Kryvorizhstal社の民営化を承認した高等経済裁判所の決定について、最高裁判所へ提訴している。

05/02/09
Tarasyuk外務大臣は8日、ウクライナ政府はイラクからの軍隊撤退を近々発表すると述べた。ユーシェンコ大統領は、撤退に向けてワシントン、バグダッド当局者と協議をはじめる。

05/02/10
ユーシェンコ大統領は10日、新たに州知事に指名したChuprunの紹介のためドネツク市を訪問した。州庁舎へ向かう途中でユーシェンコは、ヤヌコービッチの支持者から雪玉攻撃の洗礼を受けた。

05/02/11
検事総長Piskenによると、ユーシェンコの毒物中毒は、9月5日の治安当局者との夕食の際にしかけられた、と考えられている。「政府当局者が事件に関係していたことは疑いない」とPiskenは述べた。

05/02/11
大統領選挙でユーシェンコに敗れたヤヌコービッチはテレビインタビューで10日、新政府と協調することもやぶさかでないと述べた。この2週間、彼はモスクワ郊外に滞在し、プーチン・ロシア大統領と短い電話を交わしたことを明らかにした。

05/02/14
ティモシェンコ首相は12日、司法大臣Zvarychがもうすぐ、クチマ前大統領に対する特権について提案を行うと述べた。前内閣はクチマ大統領に対し、大統領給与の継続、別荘と2台の車、3人の補佐官を、終身保証するする決定を行っていた。

05/02/15
ティモシェンコ首相は15日、ユーシェンコ、ティモシェンコ、モローズの間で、行政権力ポストの分配に関する協定があったことを明らかにした。協定によると、モローズの社会党が6分の1、ティモシェンコ・ブロックが5分の1、残りを我らのウクライナが占めることになっていた。

05/02/16
ユーシェンコ大統領は15日、「2004年の選挙で我々に対立した人々は誰ひとり現政権には入れない」と述べた。この原則は、州や地区行政にも適用され、5000?6000人の行政官が入れ替えとなる。

05/02/17
治安局長官Turchynovは17日、昨年の選挙期間中のユーシェンコとティモシェンコ間の電話会談の不法録音について捜査をはじめたと述べた。Turchynovによると、盗聴録音はトップレベルからの支持で実行された。

05/02/18
国防大臣Hrytsenkoは18日、22日からブリュッセルで開かれるNATOサミットではNATOへの加盟申請を行わない、と述べた。Hrytsenkoによると、ウクライナ軍がNATO加盟の要件をみたすには、あと2、3年が必要である。

05/02/22
ロシア外相Lavorovは21日にキエフを訪問し、2国間の戦略的パートナーシップを強調したが、ウクライナ側の反応は冷静なものだった。ウクライナ外相Tarasyukは、「統一経済圏の話は、EU統合やWTO加盟に支障のない範囲での問題である」と述べた。

05/02/23
ユーシェンコ大統領は22日ブリュッセルで米国大統領ブッシュと会談し、「ウクライナはEU加盟とNATOへの参加を望んでいる」と述べた。「ウクライナはユーロ・NATOファミリーの一員として歓迎されるべきだ」とブッシュ大統領は答えた。

05/02/24
ユーシェンコ大統領はヨーロッパ議会で23日、EUへの加盟がウクライナの基本的目標であると演説した。ユーシェンコによると、加盟交渉は、現行のアクションプランが終わる2007年から始められる。

05/02/25
社会党のMorozは24日、検事総長Piskenに対し、Gongadze記者殺害事件に関するいわゆるMelnychenko録音テープを公式調査の証拠として採用するよう要請した。クチマ大統領のボディーガードであったMelnychenkoが録音したテープには、大統領がGongadze暗殺に関与したことが記録されていると言われている。

05/02/25
クリミアの海軍基地からステラ3M型対空ミサイル発射台とミサイル2つが行方不明になり、ウクライナ国防相が捜索している。発射台は1人で操作でき、半径4.5km以内の範囲で高さ3万mまでの飛行物体を攻撃できる。

05/02/28
内閣は26日、クチマ前大統領への特典供与を取り消す決定を行った。未公表の1月19日の内閣決定によると、クチマ前大統領には、月8293フリブナ(1560ドル)の年金、ボディガード(複数)、秘書、補佐官、政府別荘の生涯使用権、2台の車と4人の運転手、コック1人、メイド2人などの特典が与えられた。クチマ大統領には、1994年に離任したKravchuk元大統領と同じく、月755ドルの年金、無料医療、6人のボディーガードに車1台が供与される。
 
 
 
 


2005年1月

05/01/04
ヤヌコービッチは12月31日、首相の座にとどまることは無意味だと述べて首相を辞任した。「新しい政府でいかなる公職につくことも不可能だ」と述べた。

05/01/04
ユーシェンコは12月31日、キエフの独立広場で新年を迎える集会に参加し、「我々は14年間独立していたが自由ではなかった。ついに自由となった」と演説した。集会には、グルジアのSaakashvili大統領も参加しメッセージを述べた。

05/01/05
ユーシェンコに選挙協力したティモシェンコは4日、ユーシェンコが首相に指名するなら議会での承認に必要な226票の賛成を集めることができると述べた。ティモシェンコは、ユーシェンコが首相であったときの2001年から2002年にかけて、エネルギー担当の副首相だった。

05/01/06
次期大統領ユーシェンコは5日、スキーリゾートのTvsovetsで、数日後に首相候補の名前を明らかにすると語った。大統領選挙でユーシェンコを支持した、産業企業党のキーナフとティモシェンコブロックのティモシェンコが、内閣を引き受ける用意のあることを表明している。

05/01/07
最高裁は6日、12月26日の大統領選挙に関して中央選管を告発していたヤヌコービッチの訴えを棄却した。6日の最高裁決定で、ヤヌコービッチ側の法的抗議手段がすべて閉ざされたわけではないが、今後の訴えで勝つ見込みはもっと小さくなった。

05/01/10
ユーシェンコ次期大統領は10日、イラクで爆弾により死亡した8人の兵士に対し哀悼を表するとともに、家族に対する国家の補償義務を約束した。イラクからの撤兵はユーシェンコの選挙公約のひとつである。

05/01/11
中央選管は10日、12月26日の決選投票でのユーシェンコの勝利を公式に発表した。ユーシェンコの得票率は51.99%(1510万票)で、ヤヌコービッチは44.2%(1280万票)だった。

05/01/11
クチマ大統領は10日、外務大臣Hryshchenkoに対し、6月までにイラクからウクライナ軍を撤退させる計画を策定するよう命じた。イラクには1600人のウクライナ軍が駐留しているが、10日の爆弾事件では8人が死亡し6人が負傷した。

05/01/12
最高裁は11日、ヤヌコービッチ側の要求を受け入れ、12月26日の選挙結果を政府公報誌に印刷することを控える決定を行った。この決定により今週に予定されていたユーシェンコの大統領就任は延期されることになった。ヤヌコービッチ側は、昨年の大統領選挙全体が無効であると主張している。

05/01/13
社会党のMorozは12日、ユーシェンコが指名するなら首相を引き受ける用意があると語った。Morozは、1994-98年に最高会議議長をつとめ、その後反対派になった。首相候補として自ら名乗りあげたのは、Tymoshenko、Kinakh、Poroshenkoについで4人目である。

05/01/14
ドネツクで13日、約6000人のヤヌコービッチ支持者が集会を行い、ドンバス地方の自治と大統領選挙の無効を訴えた。Luhanskでも1000人のヤヌコービッチ支持者が集会を行い、同じく大統領選挙の無効を訴えた。

05/01/18
最高裁は17日、ヤヌコービッチによる控訴の審議をはじめた。最高裁は、21日までに判断を下し、控訴が棄却されると、ユーシェンコの勝利が確定し、政府公報誌に選挙結果が掲載される。

05/01/19
2つの反対派ブロックのひとつであるヨーロッパ連合自由ベラルーシは18日、2006年の大統領選挙候補として、ベラルーシ社会民主党の前党首Statkevichを指名した。Statkevichは、先週の党大会で党首を交代したばかりである。

05/01/19
ヤヌコービッチ側の訴えを審議している最高裁は18日、12月26日の選挙結果を政府広報紙に発表する許可を出した。これにともない、ヤヌコービッチ側の訴えはまもなく棄却されるものとみられている。

05/01/19
ドネツク市で18日、約5000人がヤヌコービッチ支持の集会を開き、支持者たちは、市の中央広場では90張のテントを張った。ウクライナに連邦制を導入する国民投票を訴えて、署名活動がはじまっている。

05/01/19
キエフでは、15日のユーシェンコの指示に従い、フレシチャトク通りを占拠していたテントの撤収がはじまった。11月21日の2回目投票後には約450のテントがあったが、現在も約100のテントが残っている。いくらかのテント住人は、ユーシェンコの就任式まで継続することを決めている。

05/01/20
ブッシュ米国大統領によって新国務長官に指名されたライスは18日、上院外交委員会のヒアリングで、キューバ、ミャンマー、ジンバブエ、イラン、北朝鮮に加えて、ベラルーシを独裁国家として名指しした。Savinykh外務省報道官は、ライスの発言は認識不足であり外交的にマイナスである、と述べた。

05/01/20
最高裁は20日、ヤヌコービッチの控訴を棄却し、ユーシェンコの大統領当選を確定した。これにともない、ユーシェンコ大統領の就任式は最高会議で23日に行われるてはずとなった。

05/01/20
UNIAN通信は20日、昨年の大統領選挙にのぞむにあたって、大統領当選の際にはティモシェンコを首相に指名するという協定が、ユーシェンコとティモシェンコの間で交わされていた、と報道した。

05/01/21
ヤヌコービッチ前首相は20日、ドネツク地域のテレビで演説し、ウクライナ東部の都市で行われている大統領選に抗議するテント村を撤収するように呼びかけた。「テントを撤収し、別な手段で政治対決を継続しよう」と訴えた。

05/01/24
ユーシェンコは23日、最高会議で正式に大統領就任の宣誓を行い、「ウクライナの民主主義を守り、国家の統一と独立を救った人々に感謝する」と演説した。その後、独立広場に集まった50万人の人々を前に、「我々の場所はEUであり、私のゴールはEUの中のウクライナである」と述べた。

05/01/24
ウクライナ大統領の就任式に参加したパウエル米国務長官は23日、「ウクライナのために出来る限りの援助をする用意が米国にはある」と述べた。ロシアからは就任式にMironov
上院議長が参加した。ユーシェンコ新大統領は24日にモスクワを公式訪問する。

05/01/25
ユーシェンコ新大統領は24日、ティモシェンコを暫定首相に指名した。ティモシェンコが正式に首相となるには最高会議で226票以上の賛成が必要である。ティモシェンコは、ユーシェンコ首相時代の2000年にエネルギー燃料担当の副首相であったが、2001年にクチマ大統領に解任され、収賄などの容疑で1ヶ月間拘留された。

05/01/25
ユーシェンコ大統領は24日、大統領選挙で同盟関係にあった、Moroz社会党党首とKinakh産業企業党党首に対しても、政府でのしかるべきポストを用意すると述べた。

05/01/26
ユーシェンコ大統領は25日、ストラスブルグのEC議会評議会で演説し、「ウクライナ大統領として、民主主義を後戻りさせず、EU加盟に向けて全力を傾ける」と述べた。また、200o年のGongadze記者殺害事件の究明を行うと述べた。

05/01/26
首相候補に指名されたティモシェンコは26日、226票を大きく越える賛成により、最高会議で首相ポストが承認されるだろう、と述べ、新内閣の課題は、税制の改革と闇経済の追放であると加えた。

05/01/27
ユーシェンコ大統領は26日、BBCのインタビューに答えて、数週間以内にEU加盟の公式申請を行うと述べた。また、ルカシェンコ政権下のベラルーシの情勢について、EUと同じ見解をもつと語った。「オレンジ革命の際に、ユーシェンコ支持の勇気あるベラルーシの若者と出会った」と述べた。

05/01/27
Luhansk州知事Yefremovは26日、辞表を提出した。Yefremovは1998年から知事を務めた。Luhansk州は、ヤヌコービッチ前首相の強力な地盤で、大統領選挙では91%がヤヌコービッチを支持した。

05/01/28
キエフ地区裁判所が、Kryvorizhstal製鉄会社の株93.02%をIMS社に譲渡することを禁止した。IMS社は、クチマ前大統領の義理の息子Pinchukとヤヌコービッチ前首相の側近Akhmetovが所有し、8億ドルでKryvorizhstal社を買い取る予定だった。Kryvolzhstal社は、ウクライナの鉄の3分の1を生産し、その資産価値は40から50億ドルと見られていた。

05/01/31
ユーシェンコ大統領は28日、スイスで開かれた世界経済フォーラムに参加し、ウクライナは今年11月までに世界貿易機構(WHO)に参加するための条件を整えると述べた。また、新内閣にヨーロッパ統合担当副首相のポストをおき、我らのウクライナのRybachuk議員を任命すると明らかにした。