ウクライナ国内ニュース

2007年10-12月


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2007年12月

07/12/03
ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)閣僚評議会は11月30日、1932-33年のウクライナ大飢饉の75周年にあたって犠牲者を追悼する共同声明を承認した。声明は、犠牲者を弔う行事の実施をウクライナやOSCE各国に奨励している。

07/12/05
最高会議は4日、ティモシェンコブロックと我らのウクライナから推薦されたYatsenyukを、賛成227人というきわどい過半数で新議長に選出した。他の会派は投票に参加せず、地域党と共産党は議場から退席した。

07/12/06
ユーシェンコ大統領は6日、首相候補としてティモシェンコを正式に指名した。しかし、ティモシェンコ首相の最高会議での承認は、ティモシェンコブロックと我らのウクライナとの合意に従い、政府機能に関する一連の法案が採択された後の予定である。

07/12/07
ユーシェンコ大統領は6日、ロシアとのガス価格問題は、政治的問題とは切り離すべきだと述べた。ロシア第一副首相Medvedevは、その発言に対して、「賢いスタンス」であり、ウクライナ政府もそれに従うことを望む、と述べた。

07/12/10
首相候補に指名されているティモシェンコは7日、EU各国の大使と面会し、新政府の政策について説明した。ティモシェンコは、「ウクライナの将来はEUに向かっている」と述べた。

07/12/11
ユーシェンコ大統領は10日、ナチスによる大量虐殺や1932-33年の大飢饉を公的に否定する行為を罰する法案を最高会議に提出した。違反者は、2年の懲役刑か罰金刑となる。

07/12/12
ユーシェンコ大統領は11日の最高会議に出席し、ティモシェンコを首相に指名するとともに、Yehanurovを国防大臣、Ohryzkoを外務大臣に指名した。しかし、首相の承認投票で賛成は、議席の丁度半数の225票で、過半数に達しなかった。

07/12/13
ユーシェンコ大統領は12日、ティモシェンコを首相候補として再び最高会議に提案した。11日の投票では電子投票システムに欠陥があったとして、ティモシェンコブロックと我らのウクライナの側は記名投票を試みたが、地域党が議長席を占拠したため流会となった。

07/12/14
ユーシェンコ大統領は13日、「最高会議や政府は新たなリーダーシップで2008年を迎えることを確信している」と述べた。「ウクライナ国民は、政治家がしかるべき責任をとり、国益を保つことを期待している」と付け加えた。

07/12/17
ユーシェンコ大統領は16日、最高会議が期日までに新政府の結成に至らなくても、議会解散はしない、と述べた。最高会議でのあらたな首相信任投票は18日に予定されている。

07/12/18
最高会議は18日、450議席のうち賛成226でティモシェンコ首相を承認した。投票に参加したのはティモシェンコブロック(BYuT)と我らのウクライナ・人民防衛ブロック(NUNS)だけだった。BYutは156人全員が賛成、72人のNUNS議員のうち、Spondatenkoは病気欠席、Plyushchは棄権し、70人が賛成した。

07/12/19
最高会議は18日、ティモシェンコ内閣のメンバーを承認した。ティモシェンコブロックからは、Turchynov第1副首相ら12人、我らのウクライナ・人民防衛ブロックからはVasyunyk副首相ら10人が入閣した。外務大臣と国防大臣は、大統領が、それぞれOhryzkoとYehanurovとを指名した。

07/12/21
ティモシェンコ首相は20日、彼女の政府は選挙公約の一言一句まで実現すると述べた。19日の最初の閣議では、ソ連時代の貯蓄目減りを2年以内に補償することが話し合われた。

07/12/21
地域党は20日、新内閣による政府要員の政治的パージを批判する声明を出した。ヤヌコービッチ前首相は、とくにLutsenko内相を批判した。Lutsenko内相は、12人もの次官は多すぎると述べた。

07/12/27
地域党は21日、ヤヌコービッチ前首相を首班とする「影の内閣」を結成した。財務相Azarov、国防相Kuzmuk、外務相Hryshchenkoなど。

07/12/28
ユーシェンコ大統領は27日、憲法審議会を設置する大統領令を出した。大統領によると、憲法修正問題は最高会議だけの権能ではない。審議会には、地方政府、科学アカデミー、人権団体の代表も含まれ、大統領が議長を務める。




2007年11月

07/11/01
ユーシェンコ大統領は10月31日、各政党が新たな国家統一宣言に署名するというアイディアへの賛同を表明した。必要ならば議会リーダーシップを分散するという考え方にも賛成する、と大統領は述べた。

07/11/02
ユネスコ総会は1日、1932-33年のウクライナ大飢饉の犠牲者を追悼する決議を採択した。決議によると、スターリン体制下で700万から1000万の人々が餓死した。しかし、「ジェノサイド」という言葉は使っていない。

07/11/05
ウクライナ外務省は2日、第2次大戦中のウクライナ反乱軍(UPA)と1932-33年の大飢饉に関する、ロシア大使チェルノミルディンの発言は不適切でありその役割を越えたものであると批判した。ロシア大使は、UPAを公的に認知したり、また大飢饉を公式に否定することに刑事罰を与えようとするウクライナの動きを批判した。

07/11/06
10月18日から28日にかけて2000人を対象に行われた世論調査によると、ティモシェンコブロック(BYT)と我らのウクライナ・人民防衛ブロック(NUNS)の連立に賛成が45%、反対が42%だった。それにリトビン・ブロックを加えると賛成は41%だった。地域党とNUNSの連立賛成が25%で、地域党とBYTは14%だった。

07/11/07
ティモシェンコは6日、地域党が新議会の招集を妨げていると批判した。新議会招集のための予備グループ会議が6日に開かれたが、中央選管による新議員登録がまだであることを理由に地域党代表は退席した。

07/11/08
キエフで7日、共産党主催の十月革命90周年のデモに1000人以上の参加があった。前日、キエフ地区裁判所は集会禁止の市当局の判断を支持する決定をしていた。一方、反共産党のデモでSvoboda党の2人が拘留された。

07/11/09
第1副首相兼財務相Azarovは8日、地域党は12日に開かれる新議会招集のための予備委員会に参加するであろうと述べた。リトビンブロックのLytvynも同様の意向を発表した。予備委員会はこれまで定足数に達せず流会していた。

07/11/13
黒海とアゾフ海を結ぶKerch海峡で11日、暴風により少なくとも10隻の船が沈没したり破損した。ロシアのタンカーVolgoneftからは2000トンの燃料油が漏れだした。

07/11/13
新議会招集のための準備委員会が12日に開催され、地域党、リトビンブロック、共産党も参加した。しかし、議会開催日など具体的なことは決められなかった。委員会の定数は30人で、ティモシェンコブロックと我らのウクライナは合わせて半数の15人。

07/11/16
新議会招集の準備委員会は15日、11月23日に議会を招集すると発表した。準備委員会は、その議長に地域党のBohatryova、副議長に我らのウクライナのZvarychとリトビンブロックのSharovを選出した。

07/11/19
ドネツク州Zasyadko炭坑で18日ガス爆発が発生し、19人が死亡し少なくとも69人が負傷した。さらに30人の救出作業が行われている。爆発当時は、地下1000mで約450人が作業をしていた。Zasyadko炭坑では、1999年からこれまでに約140人が事故で死亡している。

07/11/21
ユーシェンコ大統領は20日、「1932-33年のウクライナ大飢饉は世界的悲劇であり、世界中の人々がこの悲劇について知るべきだ」と述べた。大統領は2008年を犠牲者追悼の年として宣言している。

07/11/26
新たに選出された最高会議が23日、ようやく開かれた。はじめに、前議長Morozが開会議長をつとめ、議会準備委員会議長のBohatyryovaが引き継いだ。ヤヌコービッチ内閣が辞任し、60日以内に新内閣が作られる。

07/11/27
我らのウクライナ・人民防衛ブロック(NUNS)の議員で元首相のYehanurovは26日、ティモシェンコブロック(BYT)との連立協定を一部改訂するよう求めた。NUNSとBYTは10月中旬に連立協定を結んだが、署名していない議員がまだ6人残っている。問題となっているのは、消費税の廃止、ソビエト時代の貯蓄目減りの補償、徴兵制の改革など。

07/11/28
ユーシェンコ大統領は27日、ティモシェンコブロックとの連立協定への署名を拒んでいる我らのウクライナ・人民防衛ブロック(NUNS)の議員に対し、個別に説得を行う意向を明らかにした。「NUNSが分裂の危機にあるわけではなく、意見の違いがあるだけだ」と大統領は述べた。

07/11/29
大統領府秘書長Balhaは28日、ユーシェンコ大統領が我らのウクライナ人民防衛連合の議員で連立協定に署名していない7人と話し合い説得した、と発表した。大統領によると、新議会でティモシェンコブロックと我らのウクライナ人民防衛ブロックが連立を妨げる障害はなくなった。

07/11/29
ユーシェンコ大統領は28日、現在のような徴兵制は2008年11月で終了し、2009年からは応募兵制に移行すると発表した。大統領は政府と参謀本部に対し2008年2月1日までに詳細な行動計画を作るよう命令した。

07/11/30
29日に開かれた最高会議で、ティモシェンコブロック(BYT)と我らのウクライナ人民防衛ブロック(NUNS)は、227人が署名した連立合意書を提出した。NUNSのPlyushch議員は、「大連立」を支持するとして署名しなかった。NUNSリーダーLutsenkoによると、彼が署名しなければNUNSから除名される。12月4日の議会で議長を選出する。

07/11/30
EU評議会は、ウクライナ国民のEU入国ビザを簡素化する協定を承認した。協定はウクライナ議会で承認されたあと、2008年1月1日から発効する。



2007年10月

07/10/01
9月30日の選挙について、「選挙は有効であり、法にのっとり民主的に行われた」と中央選管委員長Shapovalは述べた。「どのような結果であろうと私は受け入れる、新たな"マイダン(独立広場)決起集会"は起きない」とユーシェンコ大統領は述べた。

07/10/02
中央選管の発表によると、開票率96.67%の段階での得票率は、地域党34.12%、ティモシェンコブロック30.85%、我らのウクライナ・人民防衛14.32%、共産党5.35%、リトビンブロック3.95%、社会党2.92%である。

07/10/03
開票率99.94%の段階で、地域党34.28%、ティモシェンコブロック30.77%、我らのウクライナ・人民防衛14.20%、共産党5.38%、リトビンブロック3.96%、社会党2.87%となった。中央選管によると最終結果は15日までに発表される。

07/10/04
ユーシェンコ大統領は3日のテレビ演説で、選挙で議席を獲得した5党に対し話し合いを行うよう訴えた。「地域党、ティモシェンコ・ブロック、我らのウクライナの3つが妥協すれば政治状況は安定する」と大統領は述べた。

07/10/05
我らのウクライナ・人民防衛ブロックのリーダーLutsenkoは4日、ティモシェンコブロックとリトビンブロックを加えた多数派形成が望ましい、と述べた。「ティモシェンコが首相の座を望むなら、我々はそれを支持する」とLutsenkoは述べた。

07/10/09
ヤヌコービッチ首相は8日、選挙の勝利者として、地域党は新たな政府を組織することを望んでいると述べた。しかし、首相の座が得られなければ、地域党は野党にまわるとの見解を示した。

07/10/10
ヤヌコービッチ首相によると、地域党とティモシェンコブロックとの間で連立に関する話し合いは行われていない。一方、ティモシェンコの側は、地域党と我らのウクライナとが連立を組むなら、彼女のブロックは野党に回り、次の大統領選挙に向けて準備をはじめる、と述べた。

07/10/11
ティモシェンコブロックの副議長Turchynovは10日、選挙の後もヤヌコービッチ内閣がまだ続いているのは「国家の危機」であると警告した。「我々の敵は、ティモシェンコが首相となるのを恐れている」と述べた。

07/10/12
ユーシェンコ大統領は11日、ティモシェンコブロックと我らのウクライナ・人民防衛ブロックが新たな内閣を作るだろうとの見通しを語った。公式には、中央選管の最終選挙結果が16日か17日に発表されてからのことになる。

07/10/15
ユーシェンコ大統領派は12日、10月14日をウクライナ反乱軍(UPA)創立65周年の日にする大統領令を出した。UPAリーダーBanderaの追悼碑が13日にリボフで除幕され、14日にはキエフやシンフェロポリで集会が開かれた。

07/10/16
中央選管は15日、9月30日の選挙の最終結果を発表した。有権者3900万人のうち2330万人が投票(投票率62%)だった。各党の得票率は、地域党34.37%(175議席)、ティモシェンコブロック30.71%(156議席)、我らのウクライナ・人民防衛14.15%(72)、共産党5.39%(27)、リトビンブロック3.96(20)だった。

07/10/17
ユーシェンコ大統領は17日のテレビ演説で、ティモシェンコブロックと我らのウクライナ・人民防衛の連立を支持すると述べた。「野党の権利は尊重され、野党は当局の行為を監視する必要がある」と述べた。

07/10/18
ティモシェンコと我らのウクライナ・人民防衛ブロックのリーダーKyrylenkoは17日、連立協定の内容を明らかにした。105ページの協定文はWEBで公開された。協定によると、ティモシェンコが首相となり、我らのウクライナ側は最高会議議長を占める。閣僚は50%ずつ配分される。

07/10/22
ユーシェンコ大統領は22日、キエフで開かれた東南ヨーロッパ国防大臣会議で、ウクライナのNATO参加への支持を訴えた。会議には、アルバニア、ブルガリア、ギリシャ、マケドニア、イタリア、スロベニア、米国、ウクライナ、ルーマニア、トルコ、クロアチア、モルダビア、グルジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロの代表が参加した。

07/10/23
我らのウクライナ・人民防衛(NUNS)ブロックから議員に当選した元首相Yekhanurovは22日、NUNSとティモシェンコブロックが連立に失敗すれば、自らはNUNSを離れる、と述べた。Yekhanurovによると、連立に至るまでには、土地売買モラトリアムや内閣法の改正などで両ブロックの調整が必要である。

07/10/24
ユーシェンコ大統領は23日、ティモシェンコブロックと我らのウクライナ・人民防衛との連立が11月はじめに成立することを期待すると語った。しかし、9月30日の選挙結果について5つの政党が高等行政裁判所に提訴しており、最高会議が開かれるかはその決定に左右される。

07/10/26
高等行政裁判所は25日、選挙無効の提訴を棄却し、9月30日議会選挙を有効と判断した。その結果、新議会の招集が可能となり、ティモシェンコブロックと我らのウクライナ・人民防衛の連立への道が開けたが、議会招集の日は未定である。

07/10/29
ユーシェンコ大統領は28日、新議会ではティモシェンコブロックと我らのウクライナ・人民防衛とのと連立は過半数を3つ越えるだけだが、それ以外に選択はないと述べた。

07/10/30
ユーシェンコ大統領は29日、前ウクライナ保安局長官Smeshkoの名誉大使称号、ならびに前ウクライナ保安局第1次官Satsyukの大将称号を剥奪する大統領令に署名した。2004年の大統領選挙の際に、ユーシェンコ候補がダイオキシンを盛られたのは、Statsyukの別荘で、Statsyuk、Smeshkoと会談したときだと言われている。

07/10/31
我らのウクライナ・人民防衛ブロックのリーダーKyrylenkoは30日、ブロックを基盤として単一政党を結成する意向を明らかにした。先の選挙でブロックは72議席を得たが、ブロックは以下の9つの政党の連合体であった。我らのウクライナ同盟、進めウクライナ!党、ウクライナ人民ルフ、ウクライナ共和党Sobor、ウクライナ人民党、キリスト教民主同盟、Pora党、祖国党、ヨーロッパウクライナ党。