本稿は「技術と人間」1992年9月号に掲載された.


 
暴かれたチェルノブイリ秘密議事録
アルラ・ヤロシンスカヤ
今中哲二・訳

(イズベスチヤ紙、1992年4月24日)


チェルノブイリのウソ
 4月26日1時23分50秒、ヒロシマの300倍もの放射能とともに、原子の爆発が鳴り響いた。チェルノブイリ以前、大地にそのようなことが起きるはずはなかったが、今では、すべての人がそのことを知るようになった。しかし、クレムリンの壁の向こうの共産党政治局秘密会議は、機密の封印とともに秘密のままであった。会合の参加者は、チェルノブイリについてすべての真実を知っていたが、ウソと情報隠しにより、国と世界をだましたのであった。彼らはまさに、真実を、東側諸国向け、西側諸国向け、IAEA向け、そして国民向けと振り分けて配給したのであった。国民には、ほとんど何も知らされなかった。

 我々が今日、ソ連共産党中央委員会政治局作業グループの議事録を「公開」できるまでには、チェルノブイリから6年もの年月が必要であった。
 

クレムリンの賢者たちの秘密議事録
 ソビエト連邦最高会議において、私は、チェルノブイリ原発事故時の職員の職務行動を調査する委員会で活動することになった。その委員会には、あらゆる文書を審査し入手する権限が与えられていた。中機械製作省、保健省、国防省、国家水文気象委員会などといった、ほとんどの官庁は、あつれきはあったものの、必要とされた秘密情報を提出した。共産党中央委員会政治局だけが、正式な問い合わせに対応しなかった。私の信じるところでは、1991年8月の出来事がなかったとしたら、このような文書を入手することはなかったであろう。

 共産党を禁止したエリツィンの命令の後、共産党文書保管所からの移管が始まり、チェルノブイリ原発事故処理の問題に関する政治局作業グループ、そのグループの長はルイシコフであったが、その会合の秘密議事録を我々はようやく受け取った。しかし、専門家とか学者が、議会複写室で、議事録のコピーをたった一枚依頼しても、拒否された。議員として、私が申請書を書いても、同じく拒否された。その「拒否権」は、プローニンとかいう、最高会議第2機密部の相談役が持っていた。最高会議事務局特別部の彼の上司、ブルコの話では、彼らには、たとえ議会の委員会の要請であろうと、「機密」とか「最高機密」とかの判のある文書のコピーを許可する権限はない、そのためには、その文書を機密に指定した組織に出向き、機密を解除してもらってからでないと...、ということであった。

 思えば、この手続きがひと騒動で、数カ月もかかった。共産党はもはやなかったが、政治局のいく人かのメンバーは、平穏に人生が送れるよう画策していた。死にかかっている議会において、共産党の手下たちが、組織の秘密を守ろうと用心深く警戒にあたっていた。

 それら貴重な文書を読むと、原子炉の喉元から放出された、重要で最も恐ろしい放射能が、メンデレーエフの周期律表から抜けているのではないか、と感じる。それは、ウソ-86というアイソトープである。ウソが地球規模であればあるほど、破局も地球規模であった。

<ウソその1.放射線の被害>
 政治局作業グループの最初の会合は、1986年4月29日に開かれた。5月の中旬まで、会合は毎日開かれた。(指導者たちは、当時情報がなかった、と何年もの間断言してきたし、つい最近もニコライ・ルイシコフはロシアテレビのインタビューに対して、「そのときは少ししか知らなかった」と誓っている。)

 5月4日から、作業グループには、病院へ収容された住民に関する連絡が入り始めた。

<<機密。議事録その5、1986年5月4日。参加者:政治局員、ルイシコフ、リガチョフ、ボロトニコフ、チェブリコフ。政治局員候補、ドルギフ、ソコロフ。書記、ヤコブレフ。内務大臣、ヴラソフ。
 (...)次の連絡を確認する。5月4日の状況において、病院に収容された者1882名。検査した人数全体は3万8000人。
 さまざまな段階の放射線障害が現れたもの204名、うち幼児64名。18名が重体。>>

<<機密。議事録その7、1986年5月6日。参加者:政治局員、リガチョフ、チェブリコフ、政治局員候補、ドルギフ、書記、ヤコブレフ。
 (...)シシェーピン同志(ソ連保健省第1次官:著者注)からの以下の連絡を確認する。5月6日9時において、病院に収容された者3454名に達する。うち入院中は2600名で、幼児471名を含む。>>

<<機密。議事録その8、1986年5月7日。共産党書記長ゴルバチョフ同志が作業グループの会合に参加。参加者:政治局員、ルイシコフ、リガチョフ、ボロトニコフ、チェブリコフ、政治局員候補、ドルギフ、内務大臣、ヴラソフ。
 (...)数日間で1821名を病院に追加収容。5月7日10時現在、入院中の人数4301名、うち幼児1351名。放射線障害と診断された者、うち520名、ただし内務省関連の従事者を含む。重体は34名。>>

<<機密。議事録その12。1986年5月12日。ここ数日間で、病院収容 2703名追加、これらは主にベラルーシ。入院治療中は1万198名、うち 345名に放射線障害の兆候あり。そのうち子供35名。>>

 作業グループの会合でのこれら一連の秘密情報と、大量の情報の中での一貫した沈黙との関係は、どう解釈すべきなのであろうか。つまりは、貴族のための真実と、農奴のための真実とに分けられていたのである。

 1986年6月4日の議事録その21では、<<ソ連および外国の学者とジャーナリストに対する定例記者会見参加者への指令>>として以下のような準備がなされている。<<病院への収容に関する質問への回答としては...、適切な数字を確認する。この間、医療機関に出向いたすべての人々が検査された。急性放射線障害の診断が、187名の被災者になされ(全員発電所の人員である)、うち24名が死亡した(2人は事故時に死亡)。病院に収容された住民には、子供も含め、放射線障害の診断は確認されていない。>>

 ウクライナ共和国保健大臣ロマネンコは、事故から数年たっても、ウクライナ共産党の(1989年)5月の総会で、以下のように断言している。「全責任をかけてお伝えするが、209名の発病者以外に、現在、放射線と関連したり、関連しそうな発病は、人々には認められない」。

 こうした宣言の謎を解く鍵が、作業グループの文書に秘められている。数千もの放射線被災者が、いかに奇跡的に、突然に健康を回復したか見てみよう。

 <<機密。議事録その9、1986年5月8日。(...)ソ連保健省は、放射線による住民の許容被曝基準を、従来の10倍にするという新基準を決定した(添付書類)。特別な場合には、この基準は、従来の50倍まで引き上げることが可能である。>>(!:著者)。議事録はさらに加えて、<<...かくして、現状の放射線の状況においても、今後2.5年間にわたり、すべての年令の住民の健康は保証される。>>医療衛生に関する国家水文気象委員会の結論の秘密資料には、ソ連保健省第1次官のシシェーピンと国家水文気象委員会第1次官のセドゥーノフとが署名している。こうして、治療や薬もなしに、数千もの同胞が、1986年5月8日、一挙に治癒したのであった。(その方法の有効さ、簡単さ、「科学性」は次のような思いを抱かせる。薬、医療器具、ベッドの不足という現在の困難を考えるなら、以下のような指令を出したら如何なものか。本年5月1日以降、体温の正常値は36.6度ではなく、たとえば38度、「特別な場合」には39度である、と。)

 事故から数年後、「70年間に35レム」という有名な基準、これにはベラルーシやウクライナの学者、さらにはソ連最高会議の専門家も反対しているが、その基準の提唱者であるイリイン科学アカデミー会員は、議会の公聴会において、以下のように認めている。「基準を、35年間に7レムへと下げるとしたなら、移住を想定する住民数は、現在の16万6000人から、約10倍にも増やさねばなりません。150万人以上の人々の移住であります...。社会としては、そのような行動がもたらす、すべての危険度とすべての利益を秤にかけねばなりません(下線著者)。」その発言を聞きながら私は、いったい誰がそのような秤を操るのであろうか、と考えた。すべての人の命に対して敬虔な医者であろうか、それとも、小骨でも分けるように、この人はこちら、その人はそちらとやってしまう、けちな会計係なのであろうか。その後、そのイリイン自身さえ、以下のように認めざるを得なかった。「160万の子供たちが、我々を心配させるほどの被曝を受けております。これに対してどうすべきなのか、という問題を解決せねばなりません」。 注意しておきたいのは、これらの被曝は、「機密」という共産党の判子によって公認された科学的「処方せん」に従い、新しい「基準」によって算出されていることである。文明国家で行われているように、犠牲を許さないという道徳的規範の観点から子供たちを調べるなら、その数字は何倍に増えることになるであろうか。

<ウソその2.汚染農地からの「きれいな」食物>
 <<機密。議事録その32、1986年8月22日。(...)長寿命放射能によりさまざまな濃度で汚染された地域における農業生産活動について、ムラホフスキー同志から連絡された勧告と対策(別添)を確認する。>>
 これらの議事録を残したクレムリンの賢者たちは、セシウム137が1平方km当り1キュリーの牧場からさえも、牛たちが放射能汚染牛乳を産出していることなど知ることはなかった。
 <<...現在保管されているか、今年度買い入れ予定の放射性物質を含む肉は、政府貯蔵庫に適切に貯蔵するものとする。>>

 <<機密。議事録その32第10項添付書類。(...)チェルノブイリ原発による汚染地域での牛の加工に際して、一部の肉に、許容基準を上回る放射性物質が含まれている。現在、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの各州の肉加工冷蔵庫には、1.1×10-7キュリー/kgから1.0×10-6キュリー/kgの汚染レベルの肉が1万トン保管されている。今年の8月から12月にかけては、そのような肉の生産が、さらに3万トン見込まれる。
 汚染食品の摂取により、人々の体内に放射性物質の大量に蓄積されるのを防ぐため、ソ連保健省は、汚染肉を国内に最大限に拡散させ(下線著者)、また、正常な肉と、1対10の割合でもって、それらをソーセージ、缶詰ならびに肉半製品といったものに利用することを勧告する。
  (...)以上のような肉を食用に利用するため、ソ連保健省の要求に従って非汚染肉で10倍に薄めて出荷するには、ロシア諸州(モスクワ市は除く)、モルダビア、カフカス諸国、バルト諸国、カザフスタン、中央アジア諸国の大部分の食肉コンビナートを、その加工のために組織する必要がある。ソ連国家農業委員会議長、ムラホフスキー。>>

 さらに、議事録その32第11項添付書類では、<<8月1日より、ソ連全域において、牛乳中放射性物質濃度の許容基準として、1×10-8キュリー/lという値が適用される。(「クリーン」な牛乳、その12級。著者注。)しかしながら、ベラルーシのいくつかの州のある地区では、牛乳の放射能濃度は、いまだに1×10-7キュリー/lのレベルであり、採用された基準内に収まらず、それらの牛乳の住民への日常的な供給が事態を複雑にしている。ブルガソフ。>>

 <<牛乳の住民への日常的な供給>>への特別な心配、などということを信じられようか。基準を下げれば、「クリーン」はない。また一方、「汚染」もたちどころに「クリーン」になる。まったく、秘密文書には、党に、政府に、ならびに西側向けに、必要な基準、被曝、限度がまとめられている。ソ連最高会議の専門家委員会のメンバーであるブルラコヴァ教授の話では、政府高官の一人が自信を込めて「VDU(暫定許容基準)の引き上げは、政府に170万ルーブルもの節約をもたらした!」と発言したという。

 事故から5年後になってはじめて、多数のソ連人民代議員の要請の後、連邦検察庁はようやく、「汚染」食品製造の事実を、刑事事件として取り上げた。検察庁第1次官のアンドレーエフは、議会の委員会に次のように伝えた。「... 1986年から1989年にかけて、許容基準を上回って上記の地域で生産された量は、肉4万7500トン、牛乳200万トンであった...ベラルーシの国境を越えて出荷された汚染肉は、1万5000トンであった。このような状況は、実質的に国全体へ汚染食品による放射能をもたらし、住民の健康状態に悪影響を起こし得るものである」

 1989年、ロシア共和国内閣の正式な承認のもと、ブリャンスク、モギリョフ、キエフ、ジトミール各州からの「汚染」肉が、アルハンゲリ、カリーニングラード、ゴリコフ、イワノフ、ウラジーミルその他の各州と、アルメニア共和国のチュフシエとコミ州に出荷された。
 連邦は崩壊し、連邦検事局も検事総長もいなくなった。しかし、「チェルノブイリ原発に関するブルジョア組織や工作員の情報ねつ造を摘発するための宣伝工作を強化しよう」と呼びかけた党官僚たちに罪があるように、独立した検察局が沈黙をつづけるなら、民主主義者にも、同じように罪があると言えよう。

<ウソその3.新聞報道について>
 政治局作業グループの会合について記事にすることは、もちろん許されなかった。ただ一度、5月26日(議事録その18)中央紙の編集長たちが会合に招集された。そして次のような指令が与えられた。<<第1に関心を向けるべきは、避難住民の正常な社会生活と労働条件を確保し、ならびに事故処理のために、共産党中央委員会と政府によってとられた諸対策についてであり、これらの対策実現のための積極的な活動を広く知らせることである。>>

 ほとんど毎回の会合で、新聞、テレビ、記者会見のための情報に関する問題が検討されている。すべての原稿が確認され、発表のための具体的なデータが指示されている。

 <<機密。議事録その9、1986年5月8日。(...)4.ボロビエフ同志とゴギナ同志のテレビ出演について。チェルノブイリ発電所の状況が改善されたことを考慮すると、上記の出演は控えた方が適切と考える。(...)6.ヨーロッパ諸国がソ連からの輸入制限を導入するとのタス通信の報道について。上述のメッセージの文章を承認する。1986年5月9日に発表のこと。(...)9.定例政府発表について。発表の文章を承認する。特別指令の後にそれを発表すること。>>

 <<機密。議事録その5、1986年5月4日。(...)タス通信発表の文章を承認する。連邦内閣の定例発表は、5月5日に延期する。>>
 興味深いことに、議事録の文章には作成者の名前がない。これは、たまたまのことではない。跡を残したくなかったからである。

 <<機密。議事録その1、1986年4月26日。(...)10.政府発表について。新聞への政府発表の文章を承認する。チェルノブイリ原発事故と事故の影響への対策に関して、資本主義諸国の指導者たちに伝える文章を承認する。チェルノブイリ原発事故の影響処理の状況に関して、社会主義諸国の指導者たちに伝える文章を承認する。>>
 要は簡単である。国内用には第1の情報を、より正しくは情報隠しを、社会主義ラーゲリの兄弟たちには第2の情報を、「忌々しき」資本主義者には第3の情報を、ということである。

 <<機密。議事録その7、1986年5月6日。(...)モスクワ第6病院においてアメリカ人の医師が働いていることを考慮すると、当該病院において治療中の病人の数と病状に関するデータについては、適切に発表すべし、という連邦保健省の提案に同意する(下線著者)。>>

 <<機密。議事録その3、1986年5月1日。(...)チェルノブイリ発電所に隣接する地区にソビエトの記者の一行を派遣し、新聞やテレビのために、それらの地区の生活が正常に営まれていることを取材させる。>>

 いわば、お定まりの記事が許され、他の記事は禁止された。といっても、ときおり他の記事も出回ったり、失敗したりした。
 たとえば、イズベスチヤ紙の特派員マトゥコフスキーのベラルーシからの試みは、高級な会合の注意を惹いてしまった失敗例である。

 <<機密。議事録その28添付書類。テレタイピストたちへ。この電報は、局長以外に見せてはならない。コピーは廃棄せよ。(...)お知らせ。ベラルーシにおける放射能汚染の状況はきわめて複雑であることをお伝えする。モギリョフ州の多くの地区では、これまで我々が書いて来た地区のレベルを越える放射能汚染が観測されている。あらゆる医療文献を参照したところでは、これらの地区に人々が滞在することは、生命に対する大きな危険と関係するものである。(...)テレックスによってこのことを皆さんにお知らせする。なぜなら、この問題に関する電話での会話は禁止されているからである。1986年7月8日、マトゥコフスキー。>>

 記者の警告電報は、政治局作業グループに引き渡された。それを見て次のように決定された。

<<すべてを検査する必要がある。その結果を7月20日までに作業グループに報告すること。>>
 
 この不愉快な問題に関しては、これ以上に会合には出ていない。だれもその結果について報告していない...
 
 ソビエトや外国の記者に対する会見は、次のように準備された。

 <<機密。1986年6月4日(...)議事録その21添付書類。2.チェルノブイリ事故処理対策について...住民の安全確保、とりわけ汚染地域住民に対してとられた膨大な対応策について周知させること(...)。4.チェルノブイリ発電所から大気中に放出された、たいしたことはない量の放射能の拡散によって、生態系ならびに物資的にあたかも重大な損失がもたらされている、というような西側諸国のマスコミや当局の主張に対して、それらの主張には根拠がないことを示すこと。>>

 「たいしたことはない量」とは、なんと、セシウム137だけで広島原爆の300個分である。「重大ではない損害」とは、独立した専門家の評価によると、2000年までの損害額は、1989年の価格で、1800億から2000億ルーブルにのぼる。ただし、その計算には、何千もの人々の病気にかかわる損失は入っていない。

 *****

 さらに、ウソその4、事故処理に参加した軍隊について、ウソその5、発電所従業員の新しい町、スラブチチの放射能汚染について、ウソその6、事故後のチェルノブイリ発電所における「政治教育」とその要員の選出について、などなどと続けることができよう。

 この度の秘密文書は、古い真実を明らかにしている。自らの保身のため、「体制」は、その度に、必然的に邪悪をなし、必然的にその行為を秘密にする。イパティエフの子らが、ツァーリの家族に生まれたというだけの罪で、家の地下室で秘密裡に銃殺されて以来、「体制」は、何百万もの人々を、銃殺にしたり、裁判や審理もなくラーゲリや精神病院に押し込めてきた。「体制」は、ノバチェルカスクのデモの人々を殺し、アフガニスタンでは「黒いチューリップ」を積み上げ、トゥビリシでは神経性ガスをまき散らし、バクーとビリニュスへは戦車を投入した...チェルノブイリは、放射能という毒ガスによる緩慢なる死であり、同じく、「体制」による自らの民衆に対する犯罪である。

 自分の子供を食べてしまうメドゥーサ伝説のゴルゴンのように、「体制」は、何十年にもわたって、整然と民衆を殺し続けてきた。ゴルゴンに勝利する方法はただ一つ、それは、よく知られているように、彼女の頭を切り取ることである。