低レベル被曝の特殊性とリクビダートルへの影響

 

エレーナ・B・ブルラコーワ他15名

ロシア科学アカデミー・生物化学物理研究所(ロシア)


 

はじめに

 チェルノブイリ原発事故がもたらした破局的事態の特徴は,放出された放射能の総量,汚染地域の面積,住民や事故の処理に参加した人々の大量の被曝だけではなく,事故初期の非常に強力な“ヨウ素の打撃”と,以前には絶対的に安全と考えられていた低レベルの慢性的被曝を数100万の人々がうけ続けていることにある.それゆえ、低線量被曝の作用メカニズムと医学・生物学的な影響を明らかにすることが,放射線の安全性基準を確立するために必要な基本的問題の1つとなっている.

 最新の研究によると,低レベル被曝は細胞に長期間継続するさまざまな変化をひき起こし,その結果細胞機能に変化をもたらすこと,そして低レベル被曝で生じるプロセスは高レベル被曝によるものとは異なっていることが明らかになっている.低レベル被曝では,線量・効果関係,つまり被曝量の増加にともなう効果量の変化のしかたが直線型とは顕著にずれており,それゆえ,高レベル被曝で得られた結果を外挿して低レベル被曝のリスクを評価することは不適当である.

 こうした事情から,チェルノブイリ事故以前の放射線生物学は,事故がもたらすであろう健康影響を予見できなかったし,また子供や大人における病気の増加に対して有効な予防手段をとることができなかった.

 ここ数年の医学的な調査と基礎的な研究の結果は、これまで絶対的に安全だとしていた低レベル被曝に対するわれわれの考え方に変化をもたらし,また,原子力産業や放射性廃棄物埋設などの問題に関する態度にも変更をせまるものであった.

リクビダートルの健康状態に関するこれまでのデータ

 旧ソ連最高会議のチェルノブイリ事故調査委員会の活動を通じて,リクビダートル(事故処理作業)に従事した人々,および放射能汚染地域に住む子供と大人たちの健康状態について,さまざまな医療機関からの報告を入手した.そのデータの詳細は,「チェルノブイリ原発事故:原因と結果」の第2巻に示してある.

 ここでは,そうした報告の基本的な結果について簡単に述べておこう。1986-1990年のすべてのレポートには,放射能汚染ゾーンでの作業の後にリクビダートルに観察された健康状態の変化が報告されている.たとえば,サンクトペテルベルグの軍医学アカデミー病院では,数100人のリクビダートルの検査が行なわれている.チェルノブイリでの作業の後に彼らに現れた疾病でもっとも多かったのは,高血圧症(20.8%),慢性胃炎(14%),神経系失調(12.2%),虚血性心疾患(3.7%),慢性肝炎(1.8%),慢性気管支炎(1.8%),胆汁管障害(1.2%)などである.軍医学アカデミーには,すべてのリクビダートルの健康状態について事故以前の何年か分の情報があるため,これらのデータの信頼性はきわめて大きい.モスクワの研究所(ロシア保健省・診断治療研究所,泌尿器科研究所)もまた,軍隊に動員されリクビダートルとして作業にあたった人々を調べている.もっとも頻繁に現れた疾病は,内分泌・神経系,心臓循環器系,消化器系,骨格筋系,男性生殖器系などの障害である.甲状腺機能の長期間観察では,調べられた人々の10%に機能変化がみられた.

 アルメニア共和国保健省の放射線医学研究所では,約1100人のリクビダートルが登録され,健康状態の追跡調査が実施されている.1987-1990年の観察結果は,神経系疾患の増加傾向(1987年に31%1990年に51%)を示している.また,消化器系や呼吸器系の疾患も増加している.さらに,リクビダートルの免疫状態に規則性をもった変化が生じている.細胞の免疫力が明らかに低下しており,これにはT細胞性免疫の低下が関係している.

 ウクライナの国家登録には18万人のリクビダートルが登録されている.内分泌系と免疫系の疾患が,とくに男性において毎年顕著に増加している.1990年の男性の罹病率は,1988年に比べ3.77.1倍になった.血液・造血器官の疾患は,男女ともに増えていて,1990年には1988年の5倍になった.神経系と循環器系の疾患は1988年の23倍に増加している.

 当時の医師たちが,被曝量1020センチグレイのリクビダートルたちに対して,被曝の影響をみいだせなかったことに注意する必要がある.多くの場合,25センチグレイ以上をうけたリクビダートルのグループでは,かなり大きな罹病率がこれまで述べた疾患で認められている.ところが,リクビダートル全体では明白な線量・効果関係を示していない.リクビダートルに関する当時のもっとも大きな情報源は,ソ連時代に設立された全ソ地域登録で,そこにはロシア、ウクライナ、ベラルーシのリクビダートル226900人が含まれていた.全ソ地域登録データによると,リクビダートルの全罹病率は,個別の国ごとでもCIS(独立国家共同体)全体でも,統計的に有意に増加している(1.52倍).つぎの5つの疾患については,被曝量との相関性が認められ,被曝量30センチグレイ以上のグループの罹病率は被曝量05センチグレイのグループの値よりも有意に大きい.1)神経系疾患,2)精神障害,3)血液・造血器官の疾患,4)消化器系疾患,5)自律神経失調症.

 この当時の医療当局は,被曝がリクビダートルの健康状態に悪影響をもたらしているとまじめには受け取らなかった.罹病率が本当に増加したというより,それまで明らかでなかった病気が確認されただけだという説明を試みた.または,健康状態の変化はすべて“放射線恐怖症”,すなわち実際の被曝とは関係のない精神的ストレスの結果であるとした.

 しかし,最近のロシア国家放射線疫学登録のデータでは,リクビダートルや被曝住民において,さまざまな種類の病気の増加が記録されている.まず第1に注目されるのは,ガンが一貫して増加していることで,1990年に10万人当り151件であったものが,1991年に175件,1992年に212件(同じ年のロシア男性全体のデータをリクビダートルの年齢構成に当てはめた値は128件),1993年に233件(同140件)であった.リクビダートルのガン発生率は,ロシア全体の値に比べ1993年には65%大きかった.

 リクビダートルの内分泌系疾患は,対照レベルに比べ18.4倍,精神障害は9.6倍,循環器系疾患は4.3倍,全疾患では1.5倍になっている.表1に示すように,リクビダートルではさまざまな病気の罹病率が増え続けている

表1 リクビダートルの罹病率(1986-1993年,10万人当り)

病気の分類

1986

1987

1988

1989

1990

1991

1992

1993

感染症,中毒

36

96

197

276

325

360

388

414

腫瘍

20

76

180

297

393

499

564

621

悪性腫瘍(ガン)

13

24

40

62

85

119

159

184

内分泌系の疾患

96

335

764

1340

2020

2850

3740

4300

血液・造血器官の疾患

15

44

96

140

191

220

226

218

精神障害

621

9487

1580

2550

3380

3930

4540

4930

中枢神経系,感覚器官の疾患

232

790

1810

2880

4100

5850

8110

9890

循環器系の疾患

183

537

1150

1910

2450

3090

3770

4250

呼吸器系の疾患

645

1770

3730

5630

6390

6950

7010

7110

消化器系の疾患

82

487

1270

2350

3210

4200

5290

6100

泌尿器系の疾患

34

112

253

424

646

903

1180

1410

皮膚および皮下組織の疾患

46

160

365

556

686

747

756

726

 チェルノブイリ事故の影響を被った人々の大部分に免疫系に変化が認められている.この変化は主に,免疫系の中心的器官である胸腺と胸腺の中で発達するTリンパ球に関係している.これらの細胞の機能が害されると,ウィルスや微生物に対する防御,腫瘍に対する抵抗性,免疫反応のバランス維持といった機能が損なわれ,その影響は広範な形で生じる.被曝した人々の血清中の胸腺ホルモン量は平均して3分の1から5分の1に減少し,それにともなってTリンパ球の防御機能も3分の1から4分の1に低下している.被曝をうけた人々では,免疫力低下が起きやすく,その結果免疫による防護機能も低下し,それがガンや感染症の増加へとつながる.チェルノブイリ事故の被災者には,老化の際に現われるような,免疫力の変化が認められている

 以上のように,リクビダートルの健康に深刻な変化が生じていることは疑いない.しかし,病気増加の原因については,被曝の影響なのか,あるいは事故ゾーンで働いたことにともなう精神的問題なのかといった議論が続いている.リクビダートルや子供たちの甲状腺ガンについては,国際機関(WHOIAEA)も現在は,その主な原因は事故直後のヨウ素131による被曝であると認めている.しかし,甲状腺以外の病気については,人々の精神的心理的な反応によってひき起こされたと国際機関は考えている.

マウスを用いた低線量照射実験

 放射線被曝は,いろいろな反応の直接的な原因になるだけでなく,“ストレス”要因であることもよく知られている.その“ストレス”の程度はおそらく,直接的な効果と同じく,放射線量や線量率に関係しているであろう.しかし,細胞死,細胞の変異,1本鎖や2本鎖のDNA損傷,DNA・タンパク質結合などいったことの線量・効果関係が熱心に調べられているのに比べ,被曝ストレスについてはほとんど研究されていない.

 われわれは長い間,さまざまなストレス要因に対して生体が示す“酸化ストレス”の研究を続けてきた.そこでわれわれは,“酸化ストレス”やその他の生化学的あるいは生物物理学的な指標を用い,放射線被曝というストレス要因の線量・効果関係,およびその放射線量率への依存性を明らかにする研究に着手した.われわれが着目した検査指標(パラメータ)は,細胞や生体器官における,酸素活性,脂質の酸化度や抗酸化状態に関するものである.なぜなら,こうしたパラメータの変化が,病気の原因,病気の重さ,治療の可能性,悪性度の診断,放射線障害,神経系の障害,糖尿病,循環器系疾患,呼吸器系疾患,消化器系疾患などの特徴として現れるからである6,7

 具体的にはマウスにガンマ線を照射して,肝臓とリンパ球のDNAのアルカリ溶液への溶出速度;脾臓DNAの中性溶液への溶出とその硝酸セルロースフィルター(CNフィルター)への吸着特性;および(電子常磁性共鳴(EPR)の緩和時間測定に基づく脂質の微小領域粘性といった)核膜,ミトコンドリア膜,シナプス膜,赤血球膜,白血球膜といった生体膜の構造特性に関する実験を行なった.また,細胞機能については,アルドラーゼ(訳注:糖代謝に関係する酵素の1つ)と乳酸脱水酵素の活性およびそれらのアイソザイム(訳注:同じ機能をもつ酵素で構造が少し違うもの)の形態;アセチルコリンエステラーゼ(訳注:神経伝達物質であるアセチルコリンを分解する酵素),超酸化物不均化酵素(SOD,訳注:超酸化物イオンO2-を減らす反応の触媒となる酵素),グルタチオン酸化酵素(訳注:グルタチオンは生体内の酸化還元反応に関係する細胞内物質)といった酵素の活性;超酸化物イオンラジカルの生成速度;上記各種の生体膜に含まれる脂質の組成とその抗酸化状態;およびその他の損傷要因が細胞,生体膜,DNA,各種器官へおよぼす効果,といった検査を実施した8-14

 検査を行なったすべてのパラメータにおいて,2つの山をもつ(bimodal)線量・効果関係が認められた.すなわち,放射線量ともに放射線の効果はまず増加し,低レベルでの最大値に至る.それから効果が減少し(ある場合にはマイナス側にまで減少し),その後再び,放射線線量の増加ととも効果が増加する,という関係を示した.たとえば図1は,6センチグレイ/日の線量率でマウスをガンマ線照射した実験から得られた,脾臓DNACNフィルターへの吸着割合(図中の2)に関するデータと,肝臓細胞の核膜に含まれる脂質の微小領域粘性(図中の1)を電子常磁性共鳴の緩和時間(τ1)測定によって調べたデータである.DNAの構造特性(CNフィルターへの吸着割合)と核膜脂質の微小領域粘性はともに,照射線量とともに極端な変化を示し,612センチグレイの線量で最大値となる.6センチグレイの線量でみられる効果の大きさは,それより2030倍も大きな線量での効果に匹敵していることに注意したい.

図1 放射線照射後のマウスに観察された脾臓DNAのCNフィルターへの吸着割合(2の線)と肝臓細胞核膜脂質の微小領域粘性(1の線)(照射線量率6センチグレイ/日)

 

 低線量域での山の高さの値とその最大値に対応する線量は,研究対象としている指標の性質と線量率に依存する.図2のデータは,線量率がもっと小さい条件(0.6センチグレイ/日)で,ゲノム(訳注:DNAや遺伝子全体をさす用語)構造と核膜の変化を調べた実験結果である.図1との比較から明らかなように,照射線量率を下げると最大値を示す線量が低線量の側へシフトしている.このような山の位置のシフトは,検査したパラメータにおいて共通して観察された現象である.

 中性溶液にDNAを溶出してCNフィルターへの吸着特性を調べる実験結果は,ゲノムの構造に変化が起きたことを示している.さらに制限酵素を使ってDNA塩基配列の特性を調べることができる15.図2に示したように,0.6センチグレイ/日の照射線量率では,脾臓DNACNフィルターへの吸着割合(図2の1)は,1.2センチグレイの線量で最大値を示し,5.4センチグレイでは対照(線量ゼロ)と変わらなくなる.

 マウス脾臓のDNA配列を制限酵素EcoRIを使って調べた分析結果においても,DNA鎖の塩基配列に繰り返し現れる部分であるMIF-Iの量の変化(図2の2)が認められ,この結果もゲノムに構造変化が起きていることを示している.このパラメータの線量・効果関係は,線量率の減少とともに山の位置が低い側へ移動した,DNACNフィルター吸着特性とよく似ている.方向は反対であるが,リンパ球DNAのアルカリ溶液への溶出速度(図2の3)も,1.2センチグレイで最小値となり,似たパターンを示している.

図2 照射後のマウスに観察された各種パラメータの線量・効果関係(照射線量率0.6センチグレイ/日)

1. 脾臓細胞DNAのCNフィルターへの吸着割合

2. 脾臓細胞DNAの塩基配列中MIF-1量

3. リンパ球DNAのアルカリ溶液への溶出速度

4, 5. 膜脂質の電子常磁性共鳴の緩和時間

 核膜脂質の微小領域粘性を調べる電子常磁性共鳴測定用のプローブ(検査端子)は,膜の2つの相(膜の疎水領域(T)と親水領域(U))においた.脂質の微小領域粘性を指標とする核膜の構造特性(図2の4と5)は,2.4センチグレイの線量で極値を示すが,2つのプローブ(4と5)では微小領域粘性の変化の方向は互いに逆であった.DNAの構造特性(CNフィルターへの吸着)の場合とは違って,この膜の2つ相での微小領域粘性は,69.6センチグレイの線量において対照(線量ゼロ)とは顕著に異なっている.

 DNAの構造変化と膜の構造変化に関する以上の実験結果は,線量率が小さな実験において山の位置が同じように移動することを明らかにしている.

 図3のデータは,マウスの赤血球膜を対象にその脂質の微小領域粘性の変化を調べたものである.これまでのすべてのケースと同じように,低線量域で最大値がみられる.

 

図3 照射マウスの赤血球の膜脂質に観察された微小領域粘性の変化(線量率:6センチグレイ/日)

 細胞機能の活性を評価するため,照射した動物の細胞膜と細胞質にあるいくつかの酵素について,それらの酵素が関係する反応の速度パラメータを調べる実験を行なった.酵素反応の速度パラメータの変化は1.22.4センチグレイの線量ですでに観察された.しかも,1.2センチグレイの線量で生じた速度パラメータの変化は長い間保持された.また,酵素機能のバランスの乱れとして,乳酸脱水素酵素とアルドラーゼではそれらのアイソザイムの相対比の変化が認められた.表2は,超酸化物不均化酵素(SOD)とその基質(訳注:酵素反応を受ける物質,この場合は超酸化物イオンラジカル)の相互関係の変化データである.

 以上のことも,低線量照射にともなう細胞機能の活性に関する線量・効果関係が非直線的なものであることを示している.

 

表2 照射マウス肝臓細胞のミクロソームとミトコンドリア粒子に観察された超酸化イオンラジカル生成(VO2-)と超酸化物不均化酵素活性(Asod)の比

(照射線量率:0.6センチグレイ/日)

線量

センチグレイ

ミクロソーム

VO2-/Asod

ミトコンドリア

VO2-/Asod

0

1

1

0.6

1.8

1.6

1.2

3.4

0.8

2.4

1.7

1.8

5.4

2.0

1.2

 

 重要なことは,低線量照射の後に,個別の生体高分子,細胞,器官のさまざまな損傷要因に対しする感受性が変化していることである.たとえば,マウスに低線量照射を行なったわれわれの実験では,赤血球の溶血反応(赤血球のパンク)は増加し,神経伝達物質,興奮剤,抑制剤に対する感受性も変化を示した.また,低線量照射後には,定常的な照射,2回目の照射,および放射線効果増強剤や放射線防護剤に対する感受性も変化を示した.

 低線量照射の後,6,7,8グレイといった大きな線量での2回目の照射を行なった動物の脾臓と骨髄の細胞をこれまでと同じ方法で調べた.低線量でいったん照射された細胞は,2回目の照射に対しては異なった感受性を示した16

 低線量照射の長期的効果を予測するための基礎データを得る目的で,照射後の初期効果の時間変化を生体高分子レベルで調べた.マウスを低線量照射し,照射停止後の27日間,DNAや膜の構造特性の変化,また酵素反応の速度パラメータの変化を観察した.すべての生体高分子の構造変化は、照射後に非直線型の変化を示し,徐々にゼロ線量レベルへ戻る傾向を示した.

 図4は,マウスを1.2センチグレイで照射した後,脾臓DNACNフィルターへの吸着特性と核膜脂質の微小領域粘性に関する時間変化のデータである.電子常磁性共鳴プローブ1の照射後の変化(2の線)はプローブ2の変化(3の線)よりも大きく,線量・効果関係を観察した場合(図2)と同じくDNA構造の変化とは逆報告の変化を示す.

 

図4 1.2センチグレイ照射後に観察されたDNA構造と核膜脂質粘性の時間変化(線量率:0.6センチグレイ/日)

1. DNAのCNフィルターへの吸着割合

2,3. 膜脂質の電子常磁性共鳴緩和時間

 

 こうした実験結果は,照射の過程においても照射後においても,低線量照射によって膜に生じるプロセスとゲノムに生じるプロセスとが相互に密接な関係にあることを示している.

 低線量域で凸を示す非直線的な線量・効果関係は,生体物質への損傷がはじまる線量とその修復システムが作動を開始する線量との間にギャップがあるというアイデアで説明できよう(図5のA).この関係では,修復(適応)システムが十分に機能しない最初の線量域では,照射効果は線量とともに大きくなり,そして修復システムが強く働くようになると照射効果は小さくなる(あるいは、同レベルにとどまる).ときには,照射効果がなくなってしまったり,あるいは効果がマイナス側にまで行ってしまう.さらに線量が上がると,損傷作用が修復作用を越えて,再び照射効果が増加する(図5のB).この考え方を支持する一連の実験事実にもかかわらず,低線量率かつ低線量領域での線量・効果関係のメカニズムについては,最終的な結論にはいまだに至っていない.この現象には,別の説明も可能である.たとえば,低線量率の照射に対してとくに敏感な細胞の一群が存在しているという説17やその他のアイデア18,19である.

 

図5 放射線による損傷,修復,総合結果の概念モデル(A)と観察される線量・効果関係(B)

 一方,照射線量率が小さくなると,細胞全体の損傷において膜の役割が相対的に大きくなり,膜の損傷と関連する細胞内構成要素の変化に新たな現象が生じることを考慮せなばならない.

 低線量域における照射効果を解明するためには,線量・効果関係と照射線量率の役割を明らかにすることが非常に重要である.しかし,凸型といった非直線型の線量・効果関係において,照射線量率の役割を明らかにすることは難しい.

 この問題を調べるため,いくつかの照射効果パラメータを選んで,照射線量率を10倍変えてその影響を調べる実験を実施した.線量率の変化にともなう効果を,以下の4つの指標について比べてみた.

 1)線量・効果関係の最初の立ち上がり部分での単位線量(センチシーベルト)当りの効果

 2)線量率が違ったときに同じ効果がみられる線量

 3)低線量凸部での最大値(最小値)

 4)低線量凸部の最大値(最小値)を示す線量とそれに至る時間

 表3に示したのは,CNフィルターに吸着したDNAの割合,赤血球膜脂質の微小領域粘性(τ1),赤血球膜脂質のMDA(マロン酸ジアルデヒド.訳注:脂質酸化物が分解されてできる物質の1つ)を観察したデータである.

表3 さまざまな生化学パラメータ変化の線量率依存性

指標

生化学パラメータ

照射線量率(センチシーベルト/日)

0.6

6

1センチシーベルト当りの

効果量

DNA吸着割合

脂質のτ1

MDA

1

2000

900

0.3

750

300

同じ大きさの効果が

あらわれる線量

(センチシーベルト)

DNA吸着割合

 

 

脂質のτ1

 

 

MDA

0.6

2.4

5.4

0.6

5.4

9.6

0.6

5.4

9.6

2.0

12

30

12.0

20.0

26.0

7.2

18.0

18.0

低線量凸の最大値(最小値)

DNA吸着割合

脂質のτ1

MDA

2.2

1.2

1.2

3.0

1.8

2.1

最大値を示す線量(センチシーベルト)とそれがあらわれる時間(日)

DNA吸着割合

脂質のτ1

MDA

1.2 (2)

2.4 (4)

2.4 (4)

6 (1)

12 (2)

24 (4)

 表3から明らかなように,線量率が小さくなると,1センチシーベルト当りの効果は大きくなり,等しい効果を生じる線量も小さくなる.そして,着目しているパラメータの低線量凸の最大値は減少する.

 膜脂質の酸化反応に対し,直接的に関与(MDA)あるいは間接的に関与(τ1)しているパラメータの変化が,線量率の変化と逆になる事実は,照射にともなう過酸化物生成の理論的計算が線量率との逆依存性を示していることを考えると驚くことではない20

 これらのデータすべては,低線量照射に対する生体の反応が,線量,線量率,照射開始からの時間の関数であることを示している.

 これまでの結果は以下のようにまとめられる.

 1)検査を行なったすべてのパラメータは,低線量において非直線的な線量・効果関係を示した.

 2)低線量照射により,生体高分子,細胞,器官,生物がもっている損傷要因への感受性に変化が生じる.

 3)照射後の効果は長期間継続する.

 4)多くのパラメータにおいて,線量率の変化とはと逆方向の依存性がある.

 5)低線量率の照射においては,膜機能の変化が放射線効果において重要な役割を果たしている.

 低線量照射により,酸化“ストレス”に関係するすべてのパラメータが変化することを実験データは示している.低線量でのストレス反応のレベルは,それより2030倍も大きな線量でと同じ程度である.その線量・効果関係は,単調な変化を示さず,直線的ではない.こうした線量・効果関係のパターンは,チェルノブイリ事故のリクビダートルや被曝住民に生じているいろいろな疾患の原因究明において考慮されるべきであろう.

 被曝した人々において疾患の原因となっているのは,精神的・情緒的なストレスではなくて,低線量率被曝にともなうストレス要因である.

リクビダートルの血液検査結果

 さまざまな被曝集団に共通して認められる規則性は何か,という問題の解明はとても興味深いものである.しかし残念ながら,この問題に対して定量的な結論を導けるほどのレベルで実施されている疫学的調査は非常に少ない.そこでわれわれは,チェルノブイリ・リクビダートルの血液を用いて細胞と細胞質の抗酸化状態を調べる調査を実施した.

 1986-1987年に作業に従事したリクビダートル104人と今まで放射線と何の接触もなかっと記録されている34人(対照グループ)を対象に,脂質酸化反応の調節システムに対する放射線の効果を調べた.

 リクビダートルの検査は,病気の有無とは無関係に実施されている,1992-1993年の定期検診のときに行なった.検査したリクビダートルはすべて健康であると判断されたが,彼らの多くは,検査時に,(疲れ,苛立ち,頭痛,風邪にかかりやすいといった)概してありふれたさまざまな症状を訴えた.

 リクビダートルグループと対照グループの平均年齢は,それぞれ43歳と45歳でほぼ同じであった.

 検査方法には,よく知られている標準的な生化学的,生物物理学的方法を用いた21-26

 血液サンプルは,胃が空っぽの早朝に検査対象者の静脈から採取した.

 検査によって得られた,脂質酸化反応調節システム(生体の抗酸化状態)に関する各パラメータの検査結果を表4に示す.

表4 リクビダートルと対照グループの抗酸化状態に関する生化学的検査結果

パラメータ

対照グループ平均値

リクビダートル平均値

ウィルコクソン検定の有意レベル

血清中脂質の2重結合:脂質mg当りの1018個単位

0.32

0.33

0.017*

赤血球中脂質の2重結合:脂質mg当りの1018個単位

0.303

0.30

0.000*

ビタミンE(任意単位)

20.90

19.05

0.034*

ビタミンA(任意単位)

2.99

2.85

0.056

還元型グルタチオン

19.53

22.19

0.001*

SOD(超酸化物不均化酵素)

125.41

115.11

0.682

グルタチオン酸化酵素

7.20

8.87

0.001*

グルタチオン還元酵素

5.12

4.86

0.760

赤血球溶血反応1

7.23

7.19

0.784

赤血球溶血反応2(脂質酸化後の溶血)

7.62

7.81

0.830

MDA(赤血球中のMDA:マロン酸ジアルデヒド)

1.93

2.22

0.008*

MDA(脂質酸化後の赤血球中MDA)

1.95

2.24

0.003*

赤血球膜脂質の電子常磁性共鳴緩和時間(τ

1.08

1.29

0.000*

赤血球膜脂質の電子常磁性共鳴緩和時間(τ2

1.94

1.77

0.022*

CP(セルロプラスミン:血清中の抗酸化タンパク質)

1.23

1.10

0.046*

TF(トランスフェリン:血清中の抗酸化タンパク質)

0.78

0.80

0.084

g値2.0のフリーラジカル

0.69

1.08

0.362

リンパ球の染色体異常

0.81

1.15

0.605

 検査データの統計的解析には,スチューデント検定,ウィルコクソン検定,マン・ウィットニー検定,コルモゴロフ検定,記号検定,マハラノビスの多変量距離検定(ホテリングのT統計量)などを用いた.

 検査パラメータの大部分において,リクビダートルグループと対照グループの間で有意な違いが認められた.天然の抗酸化剤のなかでもっとも活性の大きいビタミンE(トコフェロール)の血清中濃度と還元型グルタチオンとが,リクビダートルと対照とで有意に違っていた.また,抗酸化タンパク質であるグルタチオン酸化酵素とセルロプラスミン,および血清中脂質の不飽和度にも有意な違いが認められた.

 赤血球膜の検査では,脂質酸化プロセスの副産物(マロン酸ジアルデヒド)の量,膜脂質の微小領域粘性,および脂質の不飽和度が対照グループと有意に違っていた(表4).

 図6 膜による細胞代謝でのフリーラジカル調節システム

 これらの検査結果は,いろいろなレベルの放射線被曝をうけた人々において,その後長い間(被曝後56年)脂質酸化反応の調節システムに変化が残っていることを示している.

 生体の膜が,細胞代謝を調節するための物理化学的機能をもっていることはよく知られている.この代謝調節システムに関連しているのは,脂質の過酸化ラジカルの発生,抗酸化物質,脂質の組成,膜脂質の流動性(微小領域粘性),膜にあるタンパク質受容体,多くの酵素,その他の特殊タンパク質などである.通常の条件ではこれらのパラメータのすべては,構造的にも機能的にも相互に関連しあっていて,1つのパラメータの変化が他の変化をひき起こす(図6).互いに拮抗する相関性(脂質酸化の速度が上がると酸化抵抗性のパラメータも大きくなる.あるいはその逆の関係)は,互いのパラメータを変化させて細胞代謝のバランスを維持し,環境変化や損傷要因に対する細胞,器官,および生体での適応反応として機能している.この調節システムの対応時間(訳注:攪乱ファクターの出現に対してシステムが対応するめやす時間)は,その組織(生体、器官、膜)に依存し,100秒から1万秒程度である.各パラメータの相関性がなくなったり変化した場合,あるいは損傷要因が長期間にわたって作用している場合には,このシステムは通常の状態へ戻れなくなる.膜の脂質酸化反応調節システムは,細胞中の他の調節システムと相互に関係しながら,損傷要因への細胞の抵抗性に寄与したり,免疫系,老化の過程,腫瘍の発生と成長,循環器系疾患の進展,神経・精神系の障害などとも関連している6

 すでに示したように,放射線照射によって,フリーラジカルの濃度が増し,抗酸化物質が減り,脂質にレシチンとスフィンゴミエリン(訳注:ともに脂質の1種)が多くなり,脂質はより堅く(微小領域粘性τ1が大きく)なり,逆に膜の親水性領域は柔らかく(τ2が小さく)なる.超酸化物不均化酵素(SOD),グルタチオン酸化酵素(訳注:還元型グルタチオンを酸化型グルタチオンに変える触媒で,その際に過酸化水素H2O2を消費する),グルタチオン還元酵素(訳注:酸化型グルタチオンを還元型グルタチオンにもどす酵素)の活性も変化する.各パラメータの相関性の破壊は,照射効果の後の方の段階で生じ,抗酸化状態を示すパラメータが互いに逆方向に変化したり,τ1とτ2が互いに同じ方向に変化したりするといったことが起きる.正常な場合には,抗酸化パラメータは並行して変化し,τ1とτ2の変化は逆方向である24

 放射線障害が起きるレベルに比べ数10分の1の被曝しかうけていないリクビダートルたちを対象に,赤血球の脂質酸化調節システムにどのような変化が起きているのか確かめることは重要な意味をもっている.この調節システムの各パラメータ間の相関性に関するこれまでの実験データを考慮し,フリーラジカル濃度の増加,溶血の強まり,抗酸化物質濃度の低下,膜脂質の堅さ(微小領域粘性)の増加といった変化が予想される.

 表4に示した結果では,予想された通り,リクビダートルの血液サンプルにおいては天然の抗酸化剤であるビタミンEと抗酸化物質であるセルロプラスミンの濃度が減り,フリーラジカルやマロン酸ジアルデヒド(MDA)が増えている.また,膜2つの相の脂質の粘性は,同じ方向への変化(τ1とτ2が増える)を示している.これらすべては,リクビダートルの生体組織で抗酸化状態に変化が起きていることを示している.

 放射線被曝の影響を議論するためには,被曝量との関係を明らかにすることが重要である.しかし残念ながら,検査したリクビダートルたちがチェルノブイリ原発事故ゾーンでうけた被曝量について確かな情報がないために,直接的な線量測定結果を用いて検査データを解析することはできない.

 そのため,抗酸化状態に関する検査と平行して,調査対象者全員について血液中リンパ球の染色体異常を調べた(細胞分裂中期にある培養リンパ球を観察する標準的方法).対象者1人当りおよそ300個の細胞分裂中期を観察し,すべての染色体異常の数,2動原体染色体やリング染色体といった染色体異常の数を調べた.

 よく知られているように,ある範囲の被曝量では,血液リンパ球における染色体異常全体の出現頻度や2動原体染色体とリング染色体を合わせた出現頻度は,被曝量とともに単調に直線的に増加する24-28.このことにより,細胞遺伝学的な観察結果から生物学的な線量推定が可能となっている.そこでわれわれは,リンパ球の染色体異常レベルの観察結果を基に,検査対象者をいくつかのグループに分類した.このグループ分けは,彼らの被曝量に対応していると考えることができる.

 リクビダートルは5つのグループに分けた.対照グループと最初のリクビダートルグループ(Aグループ)は染色体異常頻度が細胞当り0.5%以下の人々である.残りの4つのグループは,染色体異常頻度に応じて,0.51%(Bグループ),11.5%(Cグループ),1.52%(Dグループ),2%以上(Eグループ)である.

 検査したリクビダートル全体の平均染色体異常頻度を基に,生物学的手法により彼らの平均被曝量を推定すると15センチグレイとなった(2動原体染色体とリング染色体を合わせた頻度を用いると15.9センチグレイ).これらの値は,チェルノブイリに関するロシア国家放射線疫学登録において,1986年に作業に従事したリクビダートルに記録されている平均被曝量15.9センチグレイとよく一致している3

 AグループからEグループへと染色体異常頻度が増加すると,それにともなって,彼らがうけた被曝量も増加していると考えてよい.

 リクビダートルのグループ分けに基づいて抗酸化状態に関するデータを整理した結果が表5であり,リンパ球の染色体異常レベルと抗酸化状態パラメータとの関係を示している.各パラメータの変化のようすはすべて単調なものではない.先に述べた照射実験において観察されたのと同様に,抗酸化状態に関連する各パラメータの変化は,複雑な線量・効果関係を示している.

 

表5 染色体異常頻度で分けたリクビダートルの抗酸化状態に関する生化学検査結果

パラメータ

対照

リクビダートル

A

B

C

D

E

血清中脂質の2重結合:脂質mg当りの1018個単位

0.34

0.29

0.31

0.31

0.27

0.34

赤血球中脂質の2重結合:脂質mg当りの1018個単位

0.33

0.25

0.26

0.31

0.29

0.30

ビタミンE

23.07

19.80

17.95

20.54

16.13

21.24

ビタミンA

2.99

2.65

2.50

3.20

3.05

3.22

還元型グルタチオン

16.70

23.82*

17.57

24.50*

21.98*

25.66*

SOD(超酸化物不均化酵素)

113.12

115.23

120.09

101.08*

136.5

106.76

GP(グルタチオン酸化酵素)

6.91

10.02

9.82

9.26

12.2

7.648

GR(グルタチオン還元酵素)

5.61

4.57

5.87

4.66

4.93

4.5

GP-GR

1.34

2.28

1.91

1.88

2.05

1.97

赤血球溶血反応1

6.78

7.86

11.14*

5.59

7.74

6.70

赤血球溶血反応2(脂質酸化後の溶血)

7.27

9.22

10.99*

5.88

6.86

8.17

MDA(赤血球中のMDA:マロン酸ジアルデヒド)

2.08

2.41

2.74*

1.88

2.67*

1.83

MDA(脂質酸化後の赤血球中MDA)

2.07

2.58*

2.58*

2.10

2.88*

1.85

赤血球膜脂質の電子常磁性共鳴緩和時間(τ

1.01

1.37*

1.24

1.39*

1.15

1.50*

赤血球膜脂質の電子常磁性共鳴緩和時間(τ2

2.20

1.51

1.66

1.99

1.48

2.08

CP(セルロプラスミン:血清中の抗酸化タンパク質)

1.16

1.01*

0.92*

1.15

1.18

1.20

TF(トランスフェリン:血清中の抗酸化タンパク質)

0.77

0.82

0.82

0.85

0.72

0.65

g値2.0のフリーラジカル

0.69

1.20*

1.05

1.02

0.92

1.04

リンパ球の染色体異常

0.11

0.18

0.68

1.15

1.66

2.64

 表5に示したパラメータの多くは,グループ間でさまざまなバラツキを示している.しかし,これらのパラメータ全体を1つのデータセットとみなして総合的に解析することが肝心である.そうした総合的な解析には,複数パラメータの変化を扱うマハラノビスの距離統計量(ホテリングのT統計量)を用いた.この方法では,実験データであれ疫学データであれ,複数パラメータの変化を,データセット全体に対する1個の総合的統計量であらわすことができる.抗酸化状態に関する15個のパラメータに着目して,対照グループのデータを各リクビダートルグループのデータと順次比較した.もっとも興味ある結果が得られたのは,リンパ球の染色体異常レベルが低い(0.5%以下)のリクビダートルAグループと同じく染色体異常レベルが低い(0.5%以下)対照グループとの比較であった.

 15個のパラメータをセットにして比較した結果,Aグループと対照グループとの間に統計的に有意な違い(p<0.05)が認められ,その有意差レベルは,他のリクビダートルグループを対照グループと比較した場合よりも強いものであった.

 先に述べた染色体異常頻度と被曝量の関係に基づくと,染色体異常頻度が小さいリクビダートルグループの被曝量は小さかったと考えてよいであろう.しかし,彼らの抗酸化状態に関するパラメータの検査結果は,実質的な変化を示しており,低線量の被曝においても,脂質の抗酸化調節システムに重大で恒常的な乱れが生じている可能性を示している.

 他のリクビダートルグループについても,生体の抗酸化状態に関するパラメータの解析結果から,よく似た結果が得られている.

 観察された変化が,ある具体的な病気と結びついているのではないことを指摘しておく.脂質の抗酸化調節システムの変化,その結果としての生体全体のバランス調整システムの変化は,おそらくは,臨床的には明らかでないままにその影響が補償されており,「前病気状態」とでもいうべき状態であろう.そして「前病気状態」は,条件次第でさまざまな病気へと進展する.リクビダートルの検査データは,低線量被曝をうけた人々において,さまざまな病気に進展するリスクが大きいことを示している.

 抗酸化状態とよく似た規則性が,リクビダートルの免疫特性の研究においてもみいだされている.

 免疫に関係するパラメータの線量依存性と抗酸化状態に関するパラメータの線量依存性とが似ていることは興味深い.免疫パラメータの解析結果では,15センチグレイ以下の被曝量グループで最大の変化が認められ,一方2025センチグレイの被曝量グループでは対照グループのレベルに近くなっている.

 こうしたデータも,低線量率被曝にともなう線量・効果関係は複雑な性質のものである,というわれわれの考え方を支持している.

 抗酸化と免疫に関する生体の状態が,健康に影響するいろいろな損傷要因に対する抵抗力を担っていることを強調しておきたい.いくつもの実験結果は,抗酸化状態を変化させることで免疫特性をある方向にコントロールしたり,あるいは逆に免疫特性を変化させて抗酸化状態をコントロールできることを示している.それゆえ,抗酸化能力と免疫力の不足は,低線量に被曝した人々において将来の疾患発生を予測する重要な指標となる.

 以上のことは,生体の抗酸化状態に関する一連のパラメータの総合的な解析評価によって,さまざまな疾患のリスクが増えているグループを明らかにできることを示している.

 本研究の結果はまた,低線量被曝を含めて,放射線被曝をうけた人々に対し,天然あるいは合成の抗酸化剤を投与することの必要性をよりいっそう明らかにしている.

 

低線量被曝集団の健康指数の線量依存性

 リクビダートルの血液に観察された生化学的・生物物理学的パラメータの変化と,彼らの具体的な健康指標との関係について議論したい.

 われわれは先に,リクビダートルに観察されている,自律神経失調症,中枢神経系疾患,精神障害,胃腸系疾患などの疾患に関する線量・効果関係が,動物実験で得られる関係とよく似た傾向(単調ではなく,非直線型の線量依存性)を示すことを明らかにした1.原発事故で被曝をうけた人々に関する一連の生化学的・血液学的検査結果もまた,複雑な線量・効果関係を示している29,30

 ここでは,健康障害の総合的な指標として,リクビダートルの1000人当り疾病障害者率に着目し,その値とかれらの被曝量あるいはチェルノブイリでの作業時期との関係を解析してみる.リクビダートルのうち,1986年に作業に従事した人々の平均被曝量がもっとも大きく15.9センチグレイであり,1987年の作業従事者では7.9センチグレイ,1988年以降の従事者では34センチグレイと報告されている3

 図7はチェルノブイリ原発で働いた5年後のリクビダートルの疾病障害者率と各グループの受けた被曝量との関係を示している.図にみられるように,7.9センチグレイのグループが最大値を示すという極端な線量・効果関係が認められる.

図7 リクビダートルの疾病障害者率と被曝量の関係(作業から5年後)

 もっと興味深いのは,被曝にともなう晩発性の影響,すなわちガン発生に関する線量・効果関係を調べるてみることであろう.ガンや白血病の発現への低線量被曝影響の問題は,文献でも広く議論されている.放射線被曝は,ガンのプロモーター(促進要因)とインダクター(誘発要因)の両方の作用をすることがわかっている.被曝線量率と被曝量が大きくなると,(ある程度まで)プロモーターとしての作用が低下し,インダクターの作用が増加すると考えられている.

 チェルノブイリ・リクビダートルのガン発生データを検討してみよう.

 チェルノブイリ・リクビダートルのガン発生とその死亡率は,科学アカデミー会員A・ツィプの指導のもとで詳しく調査研究され,国家放射線疫学登録レポートとして発表されている31

 表6は,ツィプらが報告しているリクビダートルのガン発生率とガン死率データである31.線量依存性は単調でないし,さらに,表に示した例の多くでガン発生率と死亡率の値は,1025センチグレイで凸のピークを示し,25センチグレイ以上で小さくなっている.

表6 リクビダートルのガン発生率とガン死率(10万人当り)31

 

0〜5

センチグレイ

5〜10

センチグレイ

10〜15

センチグレイ

15〜20

センチグレイ

20〜25

センチグレイ

25センチグレイ以上

 ガン発生率
白血病

7.68

6.18

8.03

8.48

6.23

3.04

全ガン

117.5

122.30

157.51

142.94

134.54

180.56

消化器官と腹膜のガン

21.94

32.26

49.79

38.16

35.60

37.43

 ガン死率
全ガン

36.20

39.12

44.96

57.95

56.07

40.82

消化器官と腹膜のガン

9.32

15.10

20.87

21.20

24.92

17.0

 

 このような線量・効果関係は,しばしば観察されるものの,それがガンに関する唯一の線量・効果関係である,というわけではない.多くの例では,直線的あるいは2次多項式的な線量・効果関係が認められている.ガン発生やその死亡率の減少という現象が観察される被曝量範囲は,そのガンの種類や被曝の線量率に依存しており,場合によっては観察されない.たとえば,家屋内でラドンに被曝した人々やラドンによる線量率がさらに大きい鉱山労働者の肺ガン死データでは,直線的な線量・効果関係が認められている32,33

 多くの研究者は,被曝量とともにガン発生が増加するという関係が認められたときのみその関係性に意味がある,と考えている.しかしながら,これまで述べてきたすべての実験結果や人集団の観察結果は,文献データを含めて,“直線的あるいは2次多項式的な線量・効果関係の存在”が,低線量被曝および低線量率被曝にともなうガンの誘発や死亡の“必要条件ではない”ことを明らかにしている.被曝量との単調な相関性が認められないことや低線量域で最大値が観察されることは,低被曝被曝におけるガン誘発効果を否定するものではなく,むしろそのことを示すものである.

 最後に,本研究を通じて明らかにしてきた,低線量および低線量率被曝にともなう効果の規則性は,生体や細胞代謝に放射線がおよぼす影響の研究においてまったく新しい概念であることを強調したい.その効果の大部分は,被曝によって直接ひき起こされるものではなく,生体の免疫状態や抗酸化状態の変化,あるいは環境要因に対する感受性の変化といった,生体の調整システムを通して間接的にあらわれるものである.

 リクビダートルの血液検査と動物実験とにおいて,各パラメータの変化に共通する規則性が認められたことに注目したい.線量・効果関係だけでなく,生体システム全体としての反応に関与している多くのパラメータの変化においても,低線量率被曝にともなって共通する効果がみいだされている.

 


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