ウクライナにおける事故影響の概要

ドミトロ・M・グロジンスキー

ウクライナ科学アカデミー・細胞生物学遺伝子工学研究所(ウクライナ)

 


はじめに

1986年4月26日は,チェルノブイリ原発4号炉が爆発し全ヨーロッパに放射能汚染を引き起こした日として,歴史に残ることになろう.初めの爆発とその後の熱は,揮発性の放射性物質を上空1500mに吹き上げ,その後,これらの物質は広く拡散することとなった.厖大な放射能を含んだ雲は,風向きによって,北,東,南そして西へと流れ,数1000km離れた地にも降り積もった.チェルノブイリの破壊された原子炉から放出された放射能は,ウクライナだけではなく,ベラルーシ,ロシア,ポーランド,スウェーデン,ノルウェー,フィンランド,ドイツ,ハンガリー,スロベニア,リトアニア,ギリシャ,ブルガリア,スロバキア,さらに多くの国々を汚染した.揮発性の放射性核種と,微細なホットパーティクルが事故直後の数日間に,これらの国々で検出されている.穀物,野菜,牧草,果物,牛乳,乳製品,肉そして卵までもが放射能で汚染され,その汚染は時には,それらの食物を廃棄しなければならないほど強いものであった.

放出された放射能の総量は,5000万キュリーをはるかに超えた.破壊された原子炉建屋の屋上では,1986年5月から6月にかけて,1時間あたり10万レントゲンという猛烈な放射線量率であった1

ウクライナ人全体の被曝は主として,チェルノブイリ事故後に強制避難させられた地域以外の放射能汚染によってもたらされた.

セシウム137によるウクライナの汚染面積は以下の通りである2,3 

土壌汚染レベル、Ci/km2

汚染面積、km2

5-15

2,355

15-40

740

40以上

680

合計

3,775

さらに,1〜5Ci/km2のレベルで汚染している農業用地の面積は,33160km2にも達していることが明らかになっている.

原子炉から放出された放射能は,北,西,東,南,南東,南西の雲に乗って汚染を広げた.放出された放射能の量は,200京ベクレルをはるかに超え,広範な地域に広がった1

放射能汚染をうけた国土の広さは,大変重要である.すでにみたように,セシム137で高度に汚染されたウクライナの国土は,3700km2を超える.この放射能汚染によって,ウクライナは数万km2の森林と耕地を失った.

地表汚染は大変スポット的(斑点状)に生じている.この点状の汚染は,放射能雲が広範な地域に拡散していく中で形成された.現在では,ウクライナにおける汚染の地域的な分布が十分に調査されている.斑点状の汚染の大きさは,直径数mのものから,数100kmにおよぶものまである.

汚染地域にすむウクライナの住民の数は以下のとおりである1,3

土壌汚染レベル、Ci/km2

住民数、万人

1-5

122.73

5-15

20.423

15-40

2.97

40以上

1.92

合計

148.04

国土の汚染は,その後,大規模に,そして長期間にわたって発生することになる大変危険な放射線学的および放射線生態学的な影響の出発点となった.

生態学的・放射線生態学的な影響,経済的な重荷,政治的な圧力,そして政治家の間に広がった懐疑,さらにはウクライナ人の間に広がった巨大な倫理的・心理的な病気は,11年前にチェルノブイリ原発事故がウクライナにもたらした一連の帰結である.

放射線生態学的影響

 チェルノブイリ事故による放射線生態学的影響の主なものは以下のとおりである.

  1. 厖大な核分裂生成物が大気中に放出され,生態系に侵入した.放射能は,地上の生態系のあらゆる部分に拡がり,結果的に,微生物,きのこ,植物,昆虫,その他の動物,そして人間まで,すべての生き物が放射能で汚染された.
  2. 放射能は地下水に移動し,また表層の水をも汚染した.
  3. 放射能が食物連鎖に入り込み,人間に達した.大人も子供も,また人間の周囲にあるあらゆるものが放射能で汚染された.たとえば,キエフ中心部の樹木の葉は,1986年に7万〜40Bq/kgの放射能を含んでいた.
  4. 放射能が生物圏に侵入したため,多数の人間を含めて,すべての生き物に対して,被曝を与えることとなった.チェルノブイリ原発事故の放射性降下物から人間が被曝する経路には次の3つがある.第1に,地表に沈着した放射性物質からの外部被曝,第2に,大気中を漂う放射性物質の吸入,第3に,汚染した食べ物を食べることである.全体の被曝の中で,汚染した食べ物を食べることから生じる被曝が特に大きい.外部被曝に比べて内部被曝の方が,はるかに高い生物学的な影響をおよぼすことにも注意しておこう.
  5. 天然のバックグラウンド以上に被曝することは,人間にさまざまな病気を引き起こすし,放射能汚染地域の動植物群の状態を変化させる.

放射能で汚染された土壌で生育する植物は,土壌中の放射能濃度と,関連するキャリアー(その放射能と挙動が似ているため運び手となる物質)の生物学的な重要度に比例して,それらの放射能を取り込む.一例として,芝土ポドゾル土壌といくつかの植物中の放射能濃度を表1に示す.

表1 土壌および,破壊された原子炉近傍の植物中の放射能濃度,1987年7月4

 

放射能濃度(Bq/kg,乾燥重量)

セシウム137

セリウム144

ルテニウム106

ジルコニウム95/ニオブ95

土壌

51,800

296,000

92,200

40,700

カラスノエンドウ

71,780

17,430

3,700

410

クローバー

45,500

90,300

8,000

14,360

シナガワハギ

9,770

9,200

1,400

1,400

エンドウ

4,400

1,500

330

150

ルピナス

4,100

10,700

5,550

1,440

アルファルファ

1,800

2,150

1,400

70

カラスムギ

330

520

150

75

オオムギ

260

330

40

40

表1から明らかなように,放射能の取り込み率は植物の種類によってかなり違う.また同じ種の中でさえ,かなりのバラツキがある.たとえば,冬ライ麦の場合,乾燥重量1kg当りに含まれているセシウム137の量は,1100Bqから14900Bqまで変化していた.植物への放射能の移行係数(CA)は,最近になって集中的に研究されている.この係数の値が,植物や,放射能の物理・化学的状態,土壌中のキャリアーなどに依存して大きく変わるという事実に,注目が集まってきた1

は土壌の酸性度にも依存する.エンドウ豆,トウモロコシ,冬小麦,大麦,砂糖大根,キャベツの場合の代表的なCAの値は,0.06から0.30程度である.

このCAという係数の値は,塩分に耐久性のある植物の場合にははるかに大きくなる.その点を表2に示す.

表2 耐塩性植物におけるストロンチウム90の移行係数(CA)

種類

CA

アカザ科  

クリマコペテラ

2.38

ホウキギ

1.59

ヒラホウキギ

2.03

アカザ

1.59

トガリアカザ

1.06

ペトロシモニア

2.80

アッケシソウ

1.70

生態系のさまざまな構成要素に含まれる放射能の総量,および食品(主として,牛乳,肉,キノコ,魚)への移行係数が,人間の被曝量を決める.

破壊された原子炉から30km圏内のゾーンと呼ばれる場所で,特別に危険な場所は4号炉を埋葬した「石棺」である.この墓には,途方もない残骸と,炉心の残りの放射能が包み込まれている.石棺は現在でも危険な建物としてある.なぜなら,その中には約200トンの核燃料が含まれ,それは超高レベルの放射能を含んだ溶岩状の固化体となっている.現在のところ,核燃料を含んだ物質は未臨界状態にある.しかし,石棺内への水の侵入,地震,石棺の状況変化などにより,現在の未臨界状態が臨界状態へと変化しうる.また,汚染地域の池や川に沈殿している物質がどうなるか,大量の放射能が降り積もったために死んでしまった「赤い森」の放射能が今後どうなるかは,現在のところ予測するのは難しい.石棺の運命もまた,現在では予測できない.

放射線影響評価

事故のまさに直後から,災害の規模についての情報は,不当に見くびられ,また誤解されてきた.今日でさえ,世間一般の見方は,人類におよぼされた破局的大災害の実相からはるかにかけ離れている.放射線の専門家の間に,はっきりと浮かび上がってきた論争は今日に至っても,チェルノブイリ事故の医学的影響を巡って続いている.チェルノブイリ事故後,ウクライナの人々の間に生じてきたおびただしい病気の真の原因が何なのか,意見が分かれているのである.事故後に罹病率が増加した原因は,心理的な要因にあるのであって,それ以外にはありえないとする見解を支持する人たちがたくさんいる.「放射線恐怖症」なる用語が,放射線関連の論文の中に現れるようになっている.しかしながら,罹病率は環境の放射能汚染と深く関連しているという見解もまた存在している.すでに,低線量被曝の効果,および甲状腺に対するヨウ素の影響について,信頼できるデータがある.

チェルノブイリ事故の影響がなかったかのように嘘をついたり,それを忘れ去るべき過去のこととして記憶から消し去ってしまおうとさえするような,恥ずべきまた非人間的な動きがあることを,私は注意しておきたい.チェルノブイリ原発事故によって原子力の権威は地に落ちたが,多くの場合,上のような見方は原子力への偏向した支持者たちによってなされてきた.しかし私は,この事故は決して忘れ去られてはならないと信じる.むしろそれどころか,私たちは,事故の影響を慎重に明らかにしなければならない.なぜなら,以下に述べるように,チェルノブイリ事故による放射線の影響は,未曽有で大規模な生態学的な危険と関連しているからである.

第1に,ベータ線,ガンマ線,アルファ線によって同時に被曝をうけるような場合には,放射線の効果が大きくなる.

第2に,被曝人口が前代未聞に厖大である.

第3に,人々の本当の被曝量は,事故直後に考えられていた値より,はるかに大きい.

このような状態においては,チェルノブイリ事故による放射能汚染の本当の恐ろしさを明らかにし,定量的に評価し,また予測するために,従来からの放射線についての知識をそのまま用いることはできない.

汚染地域(0.5Ci/km2以上)に住む人々の数は500万人を超える.チェルノブイリ事故の被災者は,被曝のうけ方によって以下の6つのグループに分けることができる.

  1. 破壊された原子炉の周辺で事故処理作業に従事した人々.この地域は,原子炉から半径30kmの円内である.この地域は,「30kmゾーン」あるいは「強制避難地域」と呼ばれ,このゾーン内で働いた人々は「リクビダートル」と呼ばれている.
  2. プリピャチ市,あるいは30kmゾーン内のその他の居住地からの避難者.
  3. 高レベルに汚染された地域からの移住者.
  4. 高レベルに汚染された地域に住み続けている人々.
  5. 放射性ヨウ素によって,甲状腺に大量の被曝をうけた子供たち.
  6. 被曝した親から生まれた子供たち.

 以下,放射能汚染地域に現れた主な放射線影響の概要を示すことにしよう.放射線障害には大きく分けて2つある.すなわち,非確率的影響と確率的影響である.

非確率的影響には,体細胞がうける損傷と免疫系の障害がある.これらの障害は,主として放射線に特異的でない病気として現れてくる.同時に,急性の放射線障害もまた非確率的影響に含まれる.こららの障害の現れ方は,被曝線量,線量率,放射線の種類,そして外部被曝と内部被曝の関わり合い方によって決まる.

確率的影響は,その発現が確率現象であることに特徴がある.細胞の変質によって引き起こされるガン,体細胞あるいは生殖細胞の突然変異発生が,放射線による確率的影響に含まれる.

人々の間に起きているこうした障害の発現について,現時点で何がわかっているのであろうか?

大変悲しいことであるが,事故後の10年間に人々の健康状態は大きく損なわれた.

チェルノブイリ事故の大災害による人々の健康影響を評価するためのもっとも重要なデータベースは被災者国家登録である.1995年1月の時点で,ウクライナの国家登録には,432543人が含まれている.ウクライナ内務省の軍医学登録には,約3万6000人が含まれている.

ウクライナにおいては,合計して300万人を超える人々がチェルノブイリ事故によって,病気になったと考えられる.そのうち約100万人は子供である5

近年ひどく悪化したウクライナの人々の健康状態に,簡単にふれておくべきだろう.その点を以下の表に示す6

表3は,ウクライナでは1991年以降,死亡率が出生率を上回っていることを示している.

近年,乳児死亡率の増加率が大変高くなっている(表4).乳児死亡の主要な原因は,チェルノブイリ事故に被災した住民の場合と同じである(表5).

表3 ウクライナにおけるチェルノブイリ事故後の出生率と死亡率(住民1000人当り)

出生率

死亡率

人口増加率

1990

12.7

12.1

0.6

1991

12.1

12.9

-0.8

1992

11.4

13.4

-2.0

1993

10.7

14.2

-3.5

1994

10.0

14.7

-4.7

1995

9.6

15.4

-5.8

表4 ウクライナにおけるチェルノブイリ事故後の乳児死亡率

乳児死亡件数

1000人当りの数

1990

8,525

12.84

1991

8,831

13.90

1992

8,429

13.98

1993

8,431

14.93

1994

7,683

14.54

1995

7,314

14.68

表5 1990-1995年の乳児死亡の主要な原因

病気

1万人当り件数

割合,%

出産前からの病気

48.4

33.0

先天性障害

42.6

29.0

呼吸器系の病気

14.5

9.9

感染症・寄生虫症

11.2

7.6

ウクライナにおける労働年齢人口の死亡率も,特に男性において,最近著しく増加している(表6).

チェルノブイリ事故影響の疫学調査は,ウクライナ全体で認められている,健康状態の総合的な悪化をふまえながら実施されなければならない.

チェルノブイリ事故後,事故の被災者では病気の発生率が年々増加している5

住民の健康状態を示す一般的な指標,すなわち健康な人々の割合の変化をみると,被災した大人,青年,子供の健康状態が急激に悪化していることを示している(表7).

健康な人の割合は,チェルノブイリ事故被災者の3つのグループにおいて,時間の経過とともに劇的に減少している.1987年以降,健康人の割合は,80%から20%へと減っているし,場合によってはもっとひどくなっている.一例を挙げれば,ロブノ州ドブロビツキー地区では,ここ数年,健康と認められる子供は一人もいない.この地区では,高レベルの内部被曝が観測されている.

表6 労働年齢人口の死亡率(10万人当り) 

 

1990年と比較した1995年での増加(%)

1990

1992

1994

1995

死亡全体

男性

697.7

826.9

942.8

1055.1

+51.2

女性

199.3

216.9

234.7

256.8

+28.9

腫瘍

男性

226.5

279.9

312.0

349.7

+54.4

女性

41.2

49.3

54.1

60.2

+46.1

循環器系

男性

202.1

242.0

286.4

322.2

+59.4

女性

50.4

54.1

60.2

65.9

+30.1

表7 健康とみなされる人の割合,%

被災者グループ

リクビダートル

30kmゾーンからの避難者

被曝した親から産まれた子供

1987

82

59

86

1988

73

48

78

1989

66

38

72

1990

58

29

62

1991

43

25

53

1992

34

20

45

1993

25

16

38

1994

19

18

26

リクビダートルと30km圏内(強制退避区域)からの避難者の健康状態

 公式文書においては,チェルノブイリ事故被災者は以下の4つのグループに分類される.

 チェルノブイリ被災者の死亡率が全体として,あるいは個々の主要な疾病ごとにウクライナの平均値を上回っていること,そして時とともに増加の傾向がはっきりしてくることが,疫学データによって証明された7,8.表8に示すように,罹病率の値が急激に増加している.

主要な病気についての罹病率データは表9に示す. 

表8 チェルノブイリ事故被災者の罹病率(1万人当り)

被災者グループ

大人と青年

14歳以下の子供

1987

4,210

7,866

1994

12,559

16,026

 表9 被災者の大人と青年の罹病率(1万人当り)

疾病の種類

国民全体の平均値

1987

1996

血液・造血器系の疾病

12.7

30.5

12.6

内分泌系の疾病

41.1

70.0

41.6

リンパ・造血器系の腫瘍

3.0

6.7

-

表10 大人・青年の罹病率の内訳,1994年 

病気の種類

%

呼吸器系の病気

35.6

神経系の病気

10.1

循環器系の病気

8.6

消化器系の病気

6.4

骨・筋肉系の病気

6.4

生殖器,泌尿器科系の病気

6.1

チェルノブイリ事故の事故処理作業者で病気になった人は,1987年に比べて,2.7倍に増加している.第4グループの子供たちでは最近の数年間に2.5倍に増加した.病人の数は,第3グループで56.3%,第2グループで33.6%,それぞれ増加している.

罹病率の疾病別内訳は,チェルノブイリ事故被災者に特徴的なものとなっている.疾病の割合を表10に示す.血液および造血器系の病気は,最近8年間のうちに3.9倍になった.

11に認められるように,放射能汚染地域に居住している人々の罹病率は,ウクライナ平均の罹病率よりもはっきりと大きい.

1987年に15.3%であった腫瘍罹患率は,8年後の1994年には33.4%に増加した.悪性腫瘍の主な型は,消化器系(31.8%),呼吸器系(16.9%)リンパ,造血器組織(5%)の腫瘍である.

チェルノブイリ事故に被災した大人・青年の死亡率は1987年から増加してきた.その点を表12に示す.

表11 厳重な放射線管理下の住民の罹病率(1996年,1000人当り)

病気の種類

被災者

ウクライナ全体の平均

造血器系の病気

30.2

12.6

循環器系の病気

430.4

294.0

内分泌系の病気

54.2

37.8

消化器系の病気

280.9

210.1

骨,筋肉系の病気

333.0

307.1

表12 被災者グループ別,1996年の死亡率

被災グループ

指標(1000人当り)

リクビダートル

9.06

30kmゾーンからの退避者

11.60

厳重な放射線管理下の住民

18.42

ウクライナの労働年齢人口

6.50

ウクライナ国民全体の平均

15.20

チェルノブイリ事故被災者の死亡原因の構成は以下のとおりである.

循環器系の病気   :61.2%

腫瘍        :13.2%

外傷        :9.3

呼吸器系の病気   :6.7%

消化器系の病気   :2.2%

13に示すように,最近被災者の中から,疾病障害者と認定される人々が劇的に増加している.過剰な被曝をうけた人々の健康状態についてのデータは,ウクライナの北部地域が,人間が生きるには適していないことを疑問の余地なく示している.

表13 疾病障害者と認定された割合(1000人当り)

被災者グループ

その他

リクビダートル

30kmゾーンからの退避者

1987

9.6

20.5

5.4

1994

232.4

95.2

9.3

子供たちの健康状態

チェルノブイリ事故で被曝した子供では,1987年から1996年まで慢性疾患がたえず増加してきた.表14は,チェルノブイリ被災地域の子供の発病率と罹病率の値である.

この約10年間で,罹病率は2.1倍に,発病率は2.5倍に増加した.罹病率の増加が最も激しいのは,腫瘍,先天的欠陥,血液,造血器系の病気であった.最も罹病率が高いのは,第3グループ(厳重な放射線管理下の住民)の子供たちである.同じ期間において,ウクライナ全体の子供の罹病率は,20.8%減少していることを指摘しておく.

このように,被災地域の子供たちの罹病率は,全ウクライナ平均での子供の罹病率をはるかに超えている7,8.被災地域の子どもたちの病気の構成を表15に示す.

同じ期間に,先天的欠陥の発生率は5.7倍に,循環器系および造血器系の罹病率は5.4倍に増加している.

妊娠中と出産時の異常の増加に伴い,新生児の死亡率が増加している.また,1987年に1000人当り0.5件であった014歳の子供の死亡率は,1994年には1.2件に増えている.

神経系と感覚器官の病気(5倍に増加),先天的欠陥(2.4倍に増加),感染症・寄生虫起源の病気,循環器系の病気などによって,子供の死亡率は増加している.

他の地域の子供に比べ,問題の子供たちのガン発生率も明らかに大きい.被災地域の子供の,腫瘍発生率は1987年からの10年間で3.6倍に増加している.ガンの種類によって,その死亡率の増加傾向は,必ずしも一定していない.しかし,汚染地域の子供のガン死亡率は,他の地域の子供よりも大きくなっている.

表14 被災地域の子供の罹病率と有病率(1000人当り)

発病率

罹病率

1987

455.4

786.6

1994

1138.5

1651.9

表15 被災地域の子供の病気の構成

疾病の種類

%

呼吸器系の病気

61.6

神経系の病気

6.2

消化器系の病気

5.7

血液,造血器系の病気

3.5

内分泌系の病気

1.2

甲状腺ガン

今日では,チェルノブイリ事故が甲状腺ガンを増加させたことに議論の余地はない.甲状腺の悪性腫瘍を引き起こした原因が,破壊された原子炉から放出された放射性ヨウ素にあることもまた確定されている.事故前は,甲状腺ガンはまれな病気であり,主に年長者に特徴的な病気であった.子供や青年においては,甲状腺ガンの年間発生率は100万人当りおよそ0.2ないし0.4件であり,全腫瘍の約3%を占めたと推定されている.1981年から1985年にかけて,ウクライナの子供にみられた甲状腺ガンはわずか25例に過ぎなかった.

被曝からガンが発現するまでの潜伏期は,平均約8年から10年の付近でばらついている.被曝量の大きさと潜伏期の長さの間には関連がない.しかし,甲状腺ガン発生率の増加は予測されるよりもはるかに早く,すなわち事故後4年にして始まり,現在も増加中である.

甲状腺ガンは事故時年齢が3歳以下の子供で,著しい増加を示している.この甲状腺ガンの特徴は大変攻撃性が強いことである.半数の症例では,ガンが甲状腺の外側に広がっていき,周辺の組織や器官までもを冒している.子供の甲状腺ガン症例数を表16に示す9

 小児甲状腺ガンの大部分,94%は乳頭状甲状腺ガンである.

小児甲状腺ガンの増加は今後長い年月にわたって続くと考えるのが合理的である.現在まだその発生率はピークに至っていない.

表16 ウクライナにおけるチェルノブイリ事故後の小児甲状腺ガン症例数

(事故時年齢,0歳から19歳)

症例数

10万人当り件数

1986

15

0.12

1987

18

0.14

1988

22

0.17

1989

36

0.28

1990

59

0.45

1991

61

0.47

1992

108

0.83

1993

113

0.87

1994

134

1.00

1995

166

1.30

放射線影響に関する放射線生物学的研究

ウクライナ国民の健康を悪化させている真の原因が何であるかは,さまざまな実験材料を用いてなされている放射線生物学の研究から明らかにできる.われわれは,確率的および非確率的影響を引き起こす上で,低線量の慢性被曝がどのような役割を果たすかを明らかにするために,植物を材料として実験を行なった.実験は,チェルノブイリの放射性降下物で汚染された地域において,管理された条件下で行なった.

減数分裂の時の“遺伝子交叉(crossing-over)”と被曝との間に密接な関係があることが,特定の植物の突然変異系で証明された.チェルノブイリ事故によってうけるのと同程度の被曝によって,花粉細胞のDNA修復プロセスがまず阻害されたり抑制されたりする10.現在までに行なわれた一連の実験の範囲では,チェルノブイリによる継続的な被曝をうけてきた樹木の現世代の花粉は,遺伝子の正確な修復ができなくなっている.内部被曝,および分裂組織内部に取り込まれたホットパーティクルに対して,形態発生の期間に起こる後生的な変化が大きな感受性を示している11.細胞が慢性的な被曝をうけると,DNA断片の移動性に変化が起き,そのことは,体細胞ゲノムの安定性にとって,低線量の放射線被曝が重要な意味を持っていることを証明している.

こうした基礎的な生物学的研究から得られた知見を,被曝した細胞内で起きる変化,およびチェルノブイリ事故による厖大な病気の増加のメカニズムを理解するための試みにおいて活かすべきである.

チェルノブイリ原発周辺で行なわれてきた放射線生物学的な研究結果から,最近,大変重要な新しい事実がみいだされている.

低線量被曝に関する最も重要な生物学的効果が,以下の点で明らかになった.

  1. 低線量率においては,生物学的効果の線量・効果関係が直線的でない.
  2. 異なった植物種を放射能汚染土壌で育て,DNAクロマトグラフィによる実験的研究を行なった結果,低線量被曝においてゲノムの不安定が引き起こされることが明らかになった.
  3. DNA分子の繰り返し構造の変化にともなう位置コントロール機能の破壊が,低線量被曝の格好の標的と考えられる.
  4. 細胞内のDNA修復機構が正確さを失う.われわれは今日まで,予定外のDNA合成(unscheduled DNA synthesis)を調べてきたが,チェルノブイリ事故後第1世代の花粉の場合,シラカバの木の花粉ではDNA修復機能が完全に失われていることをみいだした.同じ場所から採取したシラカバの木の第2世代の花粉では,予定外DNA合成の阻害は減少していた.しかしながら,それ以降の世代の花粉では,適切なDNA修復を行なえなくなっている.そのことは,低線量率での慢性被曝の場合,隠された障害が,DNA修復機構のどこかに依然として残っていることを示唆している.

オオ麦の“鑞様変異(waxy reversion)”と“色素変異(pigment mutant)”を実験の指標として,管理された環境中で長期にわたる突然変異発生の実験を行なった12.これらの実験結果の一部を表17に示す.突然変異のような確率的影響は,細胞内に蓄積された放射性核種からの内部被曝と密接に関連していることが分かった.この場合,内部被曝の生物学的効果は外部被曝のものに比べてはるかに大きい.

表17 オオ麦花粉の鑞様変異の頻度

チェルノブイリ事故で放出された放射性核種に55日間被曝させた場合と,純粋なγ線照射場で被曝させた場合との比較

線量率

(マイクロシーベルト/)

総線量

(ミリシーベルト)

変異頻度

(花粉100万個当り)

放射線誘発の変異頻度

(花粉100万個当り)

  放射性核種による汚染

対照(0.96)

1.3 0.1

174

0

59

78 50

226

52

320

422 41

837

663

400

528 47

1235

1061

515

680 47

1705

1531

  低線量率ガンマ線照射
バックグラウンド

0.1

82

0

5

3.0

145

63

50

29.6

150

68

500

296

198

116

5000

2960

192

110

50000

29600

292

210

土壌が放射性核種で汚染されている場合,植物細胞の突然変異誘発効果は,測定された線量を基に外挿できないことが明らかである.低線量の被曝では,染色体異常の誘発率は慢性被曝でとても大きくなる.このことは,表18に示す実験結果も示している.

表18 植物の毛根頂部分裂組織に慢性被曝を加えた場合の染色体異常の誘発率

(放射性物質濃度,7万Bq/l)

植物種

対照

1986

1987

1988

1989

ハウチワマメ

0.9

19.4

20.9

14.0

15.9

エンドウ

0.2

12.9

14.1

9.1

7.9

ライムギ

0.7

14.9

18.7

17.1

17.4

コムギ

0.9

16.7

19.3

17.7

14.2

オオムギ

0.8

9.9

11.7

14.5

9.8

クロロフィルの突然変異も,放射性物質汚染による被曝によって増加する.ライ麦と大麦のアルビノ変異(白化現象)についての実験結果を表19に示す.

表19 30kmゾーンのライ麦におけるクロロフィルのアルビノ変異誘発率4,11

ライ麦の種類

対照

汚染土壌 (セシウム137,セシウム134,セリウム144

ルテニウム106その他: 18Bq/kg)

1986

1987

1988

1989

キエフ-80

0.01

0.14

0.40

0.91

0.71

クラコフ-03

0.02

0.80

0.99

1.20

1.14

 

上に示したデータは,組織内に取り込まれた放射性核種による低線量被曝が,強い遺伝的な影響を与えることを結論づけている.放射線の突然変異誘発機構と細胞変異機構は,植物細胞でも動物細胞でも同じであるといってよい.細胞内に蓄積された放射性核種からの被曝が,高い生物学的効果を持つことは疑う余地がない.低線量被曝に素早く反応する植物細胞を試験試料とした結果を,放射線の危険度評価に適用できることもまた疑う余地がない.

考察

1986426日にチェルノブイリ原発事故は発生した.疫学データを解析した結果は,環境の放射能汚染によって,人々の健康が著しく悪化していることを示している.健康の悪化は非常にさまざまな病気として現われている.

社会心理学的な影響もまた大変深刻である.事故が起きてはじめの数年間に人々が見たり聞いたりした経験は,多くのことに対する信頼を,時として,完璧にまた長期間にわたって失わせた.そして,巷には,罹病率の増加をひたすら放射能汚染とは別の原因(化学物質,重金属,そして主として社会心理学的な症状の発生)に求めようとする傾向が存在している.

原子力推進の当局側に属している専門家たちは,事故の初日から,リクビダートルや放射能汚染地域に住む住民の間に起きるすべての健康破壊が,放射線に直接的に関係しているのではないと証明しようとしてきた.チェルノブイリ大災害の被災者たちの病気発生率と,彼らの被曝量との関連について,どうしてそのような疑いを考え出すことができるのであろうか? 疑い深い人たちは,この関連性については,信頼でき,かつ充分な証明がなされていないと言うのである.このように考える人たちの根拠は以下のようなものである.

  1. 放射線に特異的とは言えない病気に関して,汚染地域に住む人々と対照グループとの間に,それらしい相違が見られない.
  2. 病気の診断技術は,最近の10年間で大変進歩した.したがって,チェルノブイリ事故の前と後の疫学データを比較することは正しくない.
  3. 健康状態悪化の原因は,他の要因,すなわち栄養状態を含めた生活条件の悪化および心理的な抑鬱効果にある.こうして,いわゆる“放射線恐怖症”が最大の注目を引くのである.

こうした否定的な見解に応えるために,疫学データを解釈する上での少なくとも2つの方法がある.その2つの考え方を紹介しよう.

第1の考え方.汚染地域での被曝グループにはあまりに厖大な数の人が属しており,他のグループと有効に比較することが困難である.そのため,適切な対照グループをみいだせない.しかし,実際の問題としては,ウクライナ全体の死亡率の地域分布をみてみよう.事故以前において,汚染地域はウクライナの他の多くの地域と比べて,死亡率がかなり低い地域であった.それゆえ,罹病率と死亡率の比較のために,ウクライナ全体を対照地域として考えることには合理性がある.別の方法は,罹病率の経年的な変化傾向を分析して比較評価することである.

第2の考え方.人々の健康悪化の真因を解析するために,放射線生物学的な研究データを活用すべきである.生物学的実験においては,適切な対照を選ぶことが十分に可能である.また,生物学的な効果をもたらす最初の出来事は,主要な細胞および分子遺伝子プロセスであり,私たちは,その線量・効果関係を評価するのに適した生物学的な試験系をたくさん知っている.

結論

1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故は発生した.疫学データを解析した結果は,環境の放射能汚染によって,人々の健康が著しく冒されていることを示している.冒された健康の結果として,非常にさまざまな病気が広がっている.チェルノブイリ周辺の子供たちの甲状腺ガン発生率を疫学的に予測した値は,実際の増加率ときわめてよく一致している.しかし,巷には,罹病率の増加を放射線被曝でない原因(化学物質,重金属,そして主として社会心理学的症状の発生)に求めようとする傾向がある.

チェルノブイリの大惨事はウクライナにとって重荷となった.あらゆる生態系の中で,空気,水,野菜が汚染された.人々の健康には,長期にわたる影響が現れ,耕地と森林が失われた.汚染地域の何1000にもおよぶ集落が集団で移住を余儀なくされ,数100万人の人々が重い心理的なショックに陥り,そして痛苦に満ちた予期せぬ悲劇を被ることになった.

事故から11年,原因と結果の両者で悲劇的であったこの出来事は,社会と環境との関わり合いを示しただけでなく,原子力社会に生きる人間の倫理的な側面についてきわめて重要な教訓を与えてくれた.

 


参考文献

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4. Grodzinsky D.M., Kolomietz O.D., Kutlachmedov Yu. Antropogenic radionuclide Anomaly and Plants. / Kiev: Naukova dumka. 1991. -158p. (In Russian).

5. Data of the National Commission on Radiological Protection of Ukraine, 1996.

6. Medical Ukraine/ 1996, No 3, p.9-10. (In Ukrainian).

7. Data of the Ministry of Health of Ukraine.

8. Indexes of Health of victims due to the accident at the Chernobyl Power Plant (1987 - 1995). Kiev: Center of Medical Statistics. 1996. p.4-6. (In Ukrainian).

9. Data of the Institute of Endocrinology of the Academy of Medical Sciences of Ukraine, 1997.

10. Bubryak I., Naumenko V., Grodzinsky D. Genetic damages occurred in birch pollen in condition of radionuclides contamination/ Radiobiologia, 1991, vol.31, No 4. p.563-567 (In Russian).

11. Grodzinsky D.M. Late effects of chronic irradiation in plants after the accident at the Chernobyl Nuclear Power Station / Radiation Protection Dosimetry. 1995, vol.62, No 1/2. p.41-43.

12. Boubryak I., Vilensky E., Naumenko V., Grodzinsky D. Influence of combined alpha, beta and gamma radionuclide contamination on the frequency of waxy-reversions in barley pollen / Sci. total Environ. 1992, 112. p.29-36.