安全管理の不適切さがもたらした危険

 先週起こった日本の核事故は原子力産業にとって大きな打撃である。しかし、それはまた、あの国の科学技術の管理に関する広範な問題点の反映でもある。

 原子力の推進者は、日本の東海村の核燃料製造工場で先週起きた事故を信じられないというように首を横に振っているに違いない。その工場では、訓練を受けていない、防護されていない作業員が、手数を省いて作業の能率を上げるために、スチール・バケツの中で莫大な量の濃厚なウラン溶液をスプーンで気楽に混ぜていたらしい。そのために容器内の溶液が臨界に達し、作業員は致死量になり得る中性子線にさらされた。周辺の住民は退避させられ、310,000人におよぶ東海地区の住民は屋内にこもって、窓を閉め切って待機するように勧告され、不安におびえていた。

 東海村の事故は近年おこった多くの事故の中でもまさに最悪のものである。その責任は、はっきりいって政府にある。もっと具体的にいえば、原子力の安全を十分に管理する能力がないことを身をもって証明した、科学技術庁にある。しかし日本で安全管理の効果があがっているのかという問題は、原子力ーあるいは科学技術庁ーに限らない。例えば、同じような不備は、日本の製薬業界の管理にもみられているー非加熱血液製剤のようなー効能に問題があったり、全く危険そのものの医薬品を売り出すことが許されているのである。

 十分な数の職員と十分な専門技術を備えた有能な管理組織体の設立が、日本政府にはできないようだ。科学技術庁の原子力安全委員会は、少人数の役人チームによって作成された書

類を十分に検討することなく承認する非常勤の専門家集団である。この任にあたる役人の数はあまりにも小さく、このような巨大で潜在的に危険な産業の安全管理に必要な専門的技術に欠けていることが問題である。同じように、薬品市場の大きさがアメリカ合州国に匹敵するこの国に、合州国の食品医薬品局(FDA)に相当する組織は存在しない。

 この事故の後、状況は著しく好転するだろうか? 今日までの記録に基づいていえば、おそらくそうはならないであろう。2001年に科学技術庁が文部省と合併されると、原子力安全のほとんどの局面に対する責任は、おそらく通産省あるいは権限が強化される総理府へ移ることであろう。しかし多少の責任は合併された省庁に残るかもしれない。政府が新しい管理組織体に十分な資金、人的資材、専門的知識および責任を委任しなければ、過去の問題はそのまま継続するであろう。しかしながら、過去の多くの失敗にもかかわらず、権威に対する尊敬が依然として高い日本の社会においては、このような事態に立ち向かう国民的圧力は弱い。

 これは世界の原子力産業にとって悪いニュースである。ある人たちは二酸化炭素放出抑制のための原子力利用の拡大を呼びかけているが、原子力利用は20年後には、ほとんどの先進諸国では低下すると予想されている。アジアにおいてのみ、中国、日本、韓国ではかなりの拡大が予測され、東南アジアと南アジアにおいてはある程度の拡大は望めよう。しかしながら、日本では原子力発電所の立地計画に対する反対運動は年々強まっている。そして東海の事故が、長い年月にわたって反対運動を今までにない高みにまで押し上げることは間違いないであろう。