チェルノブイリ新聞切り抜き帖(1988年)

 


 

88/02/01 朝日新聞:モスクワ=記者
31日のソビエト・ロシア紙で、チェリノブイリ事故の医学的対策の責任者であるソ連生物物理学研究所長イリイン医学アカデミー副総裁は、10km圏は放射線環境学の研究区域にする案を明らかにした。また30km圏のうち、東南地域は住民の帰還も可能であるが、生活上の困難を考えると消極的にならざるをえない、と述べている。

88/04/15 朝日新聞
東京で開会中の日本原産大会に出席している、ソ連原子力発電省のボローニン第1次官によると、チェリノブイリ事故後100万人が検査を受け、とくに3万2千人が病院で精密検査を受けた。急性放射線障害は237名で、31人が死亡した。同次官はこれらの数字に今も変化がないことを強調、また原発周辺も含め大部分は除染により元どうりになった、しかしセシウムの高いところが点々とあるのでそこでは厳重な管理を行っている、と述べた。

88/04/30 毎日新聞:モスクワ=ロイター共同
29日夜のソ連国営テレビによると、チェルノブイリ原発事故の処理に携わった物理化学者レガソフ氏(52)が27日死亡した。国営テレビは死因を伝えていない。

88/05/02 読売新聞:ノーボスチ通信
ソ連原子力産業省のコワレンコ情報・国際交流部長によると、周辺600以上の村の除染が行われ、500万人以上が検診を受けている。移住者向けに2万1千戸を越す住宅が建設され、原発労働者のための新しい町スラブーチチャの1期工事も完成。事故処理の直接費用は約40億ルーブル、生産減などの損害を加えると約80億ルーブル(1兆6千8百億円)。

88/05/08 朝日新聞:モスクワ=新妻記者
チェルノブイリ事故被曝患者の治療にあたったモスクワ第6病院当局者は5日付イズベスチヤ紙で、「事故2年間で住民の間には1人も放射線障害が出ていない」と述べた。

88/05/23 朝日新聞:モスクワ=新妻記者
ソ連のチェルノブイリ事故の初めから現場でその処理作業を指導し、先月下旬に自殺したクルチャトフ原子力研究所の故レガソフ第1副所長が残した「チェルノブイリ回想記」が20日付けのプラウダで公表された。「原発はサモワールのようなものだ」とうそぶく原発幹部など、無知、お粗末な安全対策ぶりをレガソフ氏自身の体験した事実で告発しており、遺稿となった回想記にはソ連の原子力政策に対する強い警告がにじみ出ている。

88/09/06 新潟新聞:ロンドン=共同
ソ連医療遺伝子研究所のボチコフ研究員は、オックスフォードの学会で、ロシア共和国の60万人が生涯にわたり半年毎の健康診断を受けることになったと述べた。

88/09/29 北海道新聞:モスクワ=共同
27日のイズベスチャによると、ウクライナ共和国で遺伝性疾患の患者が大幅に増えている。共和国各地の特別施設には、不治の遺伝性疾患患者が10万人収容されており、毎年1万〜1万2千人増加している。放射線との関連に記事は触れていない。

88/10/10 毎日新聞:モスクワ=AP
プラウダは8日、チェルノブイリの町全体を取り壊すと報道。この町に人間が住める状態になるには数十年もかかる、というのが取り壊しの理由。事故前の人口は約1万人。

88/10/26 日経新聞:モスクワ=時事
25日付プラウダによると、チェリノブイリ原発党委員会のボロダブコ書記が解任された。同氏は、家族をキエフに住まわせ原発労働者用のスラブニッツ市への移住を拒否したことが問題視されたという。

88/11/03 読売新聞:モスクワ=記者
ウクライナ共和国南西部のチェルノフツウィ市(人口20万)で、子供の頭髪が抜け落ちる奇病が流行、放射能後遺症では、と市民の間に疑惑が広がっている。神経疾患をともなう脱毛症で先月までに子供82人が入院、現在も連日2〜3人の入院が続いている。地元保健当局は、放射能とは関係がないと否定。

88/12/19 読売新聞
原子力委員会の招きで来日した、ソ連科学アカデミー副総裁のベリコフ氏は、チェリノブイリ原発30km圏内の帰郷は当分の間不可能で、セシウム137の半減期は30年もあり、住民にいたずらに幻想をかきたてたくない、と述べた。