チェルノブイリ新聞切り抜き帖(1994年)


 

1994/1/11 毎日:ブリュッセル・重村記者
クリントン米大統領は10日、ブリュッセルで記者会見し、ウクライナがすべての核兵器をロシアに引き渡す非核化に合意した、と発表した。ウクライナは、弾道ミサイル176基と核弾頭1800発を7年を限度に廃棄、ロシアは10億ドル分の核燃料をウクライナに提供する。

1994/2/4 毎日
アレクサンドロフ元ソ連科学アカデミー総裁が3日に死去、90歳。ソ連原子力開発の指導者。

1994/4/1 毎日:ウィーン・高畑記者
IAEAは31日、チェルノブイリ原発の安全性に対して行った現地調査の結果、「事故炉の隔壁の劣化が進行中で重大な懸念があり、稼働中の原発にも多数の欠陥が確認された」とする報告をまとめた。チェルノブイリ原発では、3号炉と、先週から運転を再開した1号炉の2基が操業中。

1994/4/23 毎日:ウィーン・町田記者
チェルノブイリ原発の安全対策をめぐるIAEAの特別会議が終了。ローゼンIAEA安全対策局長は、チェルノブイリ原発の現状は依然、必要とされる安全基準を満たしていない、と述べた。

1994/4/27 毎日:モスクワ・三瓶記者
チェルノブイリ事故8年にあたり、ロシア各紙は事故についてさまざまに報道。国防省機関紙「赤い星」によると、事故処理作業にあたった30万人のロシア人のうち、3万人が身体障害者となりこれまでに5000人が死亡。

1994/5/7 毎日:モスクワ・時事
ロシアのベロヤルスク原発の高速増殖炉で6日、冷却剤の金属ナトリウムが漏れ火災が発生、30-40分後に鎮火。放射能漏れ、人的被害はなかった。

1994/5/11 毎日:バーデンバーデンAFP
チェルナウセンコ氏は10日、ドイツのラジオ放送で、チェルノブイリ事故による放射能汚染のため旧ソ連諸国で向こう10年間に1500万人が死亡するだろうと述べた。

1994/5/23 毎日
7月のナポリ・サミットの経済議題に、チェルノブイリ原発の完全閉鎖問題が入ることになった。

1994/5/30 毎日:モスクワ・飯島記者
旧ソ連が1956年9月、セミパラチンスク核実験場で軍事演習を行っていたことが明らかになった。爆発直後に空挺部隊員約300人が爆心地周辺に降下した。

1994/6/5 毎日
放医研の中島部長らが、家庭の砂糖の分析から被曝線量を推定する方法を開発し、チェルノブイリ被災地のサンプルを測定。プリピャチ市のアパートの砂糖から求めた、36時間の住民の被曝線量は0.042シーベルト。

1994/6/30 毎日:モスクワ・石郷岡記者
タス通信によると、カムチャツカ半島の原潜基地ペトロパブロフスクの廃棄物貯蔵施設で事故があり、放射能漏れ。放射能汚染値は8ミリレントゲン。

1994/9/2 毎日:モスクワ・三瓶記者
ロシア・チェリャビンスクの核燃料工場で31日から1日にかけて火災が発生、周辺に放射能漏れ。事故の規模はレベル3。

1994/9/27 毎日
チェルノブイリ原発事故の放射線影響に関する国際シンポジウムが10月3日から3日間、被災地のベラルーシで同国と日本の研究者による実行委員会の主催で開かれる。

1994/10/15 毎日
G7とウクライナは、チェルノブイリ原発を閉鎖することで大筋合意した。近くロンドンで専門家グループの会合を開き具体策の検討を始める。

1994/10/19 毎日:モスクワ・大木記者
ロシア防諜局は18日、モスクワしないでウラン238を密売しようとしたグループを逮捕、27kgのウランを押収したと発表した。

1994/10/28 毎日:ウィニペグ時事
カナダ・ウィニペグで開かれたG7のウクライナ支援会議で、クチマ・ウクライナ大統領は、チェルノブイリ原発を段階的に閉鎖すると発表した。

1994/11/17 毎日:モスクワ・大木記者
ウクライナ最高会議は16日、NPTに非核保有国として加盟することを、条件付きで批准した。これに関連しSTART-1に関する議定書も発効する。

1994/11/20 毎日
旧ソ連が1950-60年代に行った核実験・演習の機密映像を京大塚谷教授が入手。映像は延べ3時間。

1994/12/20 毎日:プラハAFP時事
チェコ内務省は19日、高濃縮ウラン3kgを押収、旧ソ連人2人とチェコ人1人を逮捕したと発表。押収したのはウラン235が90%の濃縮ウランで、ロシアの証明書がつけられていたという。