東海臨界事故が教えたもの

 

2000年12月12日

四日市大学環境情報学部  古川 路明



T.はじめに

 昨年の9月30日に起こった日本初の臨界事故は,日本の「原子力平和利用」に関わる業務を実行する際に急性放射線障害で死者が出た点でも初めての例である。また,一般人が放射線被曝を受けた点で,世界的にみても例のないことであり,国際的な関心の的となった。多くの海外の雑誌などにも取り上げられた。イギリス科学雑誌”Nature”の巻頭言(資料@,参照)の試訳を参考1として載せる。(日本の原子力行政の末期的情況に関する鋭い指摘には驚かされる。)

 原子力資料情報室と原水爆禁止日本国民会議の共同で「JCO臨界事故総合評価会議」が設置され,多くのメンバーを集めて多面的な検討を試みたが,非常に特殊な事故であったために評価会議の構成メンバーの間でも意見は一致しないことが多く,報告書も統一のとれたものには成らなかった。ここでは,私の意見を述べることにする。
 

U.事故の経過

 1999年9月30日10時35分,茨城県那珂郡東海村のJCO東海事業所の「転換試験棟」で臨界事故が起こった。東海事業所の主要な業務は,軽水炉用の核燃料製造のための再転換作業(気体になりやすい六フッ化ウラン(UF6)を酸化ウラン(VI)(UO2)に変える作業)である。
 事故は軽水炉用燃料に関する作業ではなく,高速中性子炉「常陽」のための燃料の溶液製造の最後の工程で起こった。常陽は核燃料サイクル開発機構が建設し,運転している実験炉である。事故にいたった作業が軽水炉用燃料製造と異なる重要な点は,軽水炉用の燃料に含まれる低濃縮ウラン(235U存在度,3 - 5%)ではなく中濃縮ウラン(235U存在度,18.8%)を取り扱っていたことにある。中濃縮ウランを含む硝酸ウラニル(UO2(NO3)2)の濃厚溶液(370g-U/リットル)の大量(約45リットル)を「沈澱槽」という円筒状の容器(内径45cm,高さ60cm)に入れたために臨界状態に達し,瞬間的に激しい連鎖反応が起こり,その後も臨界状態が続いた。(沈澱槽は薄い硝酸ウラニル溶液にアンモニアを吹き込んで不溶性のウラン化合物を沈澱させるための設備で,ウランの濃厚溶液を入れる容器ではない。)10月1日早朝に沈澱槽の周囲の冷却水の除去およびポンプ車を用いるホウ酸溶液の注入によって臨界はようやく終結した。その間,中性子とガンマ線が放出され続けた。

 

V.常陽用の濃縮ウランの再転換

 JCOは厳しい経営状態にあった(資料B,参照)。優秀な人材の流出が予測される事態であった。「JCOでの「常陽」用濃縮ウランの再転換実績」(資料C)の内容を検討してみると,昭和47年(1972年)に,住友金属鉱山は加工施設としての許可を取らずに濃縮ウラン(600kg-U,235U存在度,23%)の加工をおこなっている。昭和47年2月に同社から科技庁に提出された許可申請書によると,詳細な情報が得られる。同社は,23%濃縮ウランを含む六フッ化ウランおよび二酸化ウランの年間使用量を40kg(235Uの重量,9.2kg)とし,昭和48年3月31日までの期限を付けて許可を受けている。この数量と実際の加工量(600kg-U)との差は大きい。
 濃縮ウラン硝酸溶液の製造は,硝酸ウラニル溶液製品の納入は昭和61年(1986年)に始まっている。旧動燃は困難な加工作業の依頼をおこなった。溶液製品に対する仕様は,ウラン濃度370g/リットル,遊離の硝酸0.5N以下である。このように過剰の酸が少ない状態で濃厚溶液を製造するのは決して容易ではない。常陽は実験炉であるので,この作業は旧動燃がおこなうのが適当だと考えている。
 濃縮ウラン溶液の製造について「裏マニュアル」の存在が話題になった(資料D,参照)。作業手順を検討してみると,簡素な設備を用いて困難な作業を達成しようとする苦肉の策であったことがわかる。私は,経験豊富な技術者が手順書を作成したと考えている。

 

W.核燃料取扱施設としての転換試験棟

 敷地境界については,資料Eが参考になる。転換試験棟はJCOの作業場所として飛び地のような位置にあり,住友金属鉱山の建物(使用施設)と廊下で連結されている(資料F,参照)。「周辺監視区域」の境界はこの廊下を横切っている。「事故調査委員会報告,参考V-2」によると,この廊下は「管理室」とされている。これは「放射線管理室」を意味し,この表示は施設を許認可する際の基準に適合させるための配慮であるが,実際にこの廊下が管理室であるとは考えにくい。
 放射性物質などを施設外に排出する排気設備については,調査委員会に詳細な報告はなされていない。1983年11月22日付けで「日本核燃料コンバージョン(株)」から科技庁に提出された「核燃料物質加工事業変更許可申請書」(第1回事故調査委員会,配布資料1 - 16)には,「転換試験棟の排気は隣接する住友金属鉱山株式会社の使用施設屋上(地上約18m)から廃棄する。これが気体廃棄設備の排気口となる。」と記されている。

 

X.作業員などの放射線被曝

 作業にあたった作業員3人は,重度の被曝を受け,各々が17Gy-Eq(グレイエクィバレント),10Gy-Eq,3Gy-Eqの線量に達する被曝をした。どの作業員の被曝線量も,致死量を超える,ないしはそれに近い値である。最大の被曝を受けた大内氏は1999年12月21日に,中程度の被曝を受けた篠原氏は今年4月27日に亡くなった。最も被曝の軽かった横川氏は12月中旬に退院している。(貴い犠牲となった二人に対する医学者の献身的治療については,別途に考えるべきであろう。)
 他の職員,社外の一般作業者,消防職員などに,被曝したものが多い。職業人に対する年間許容線量(50mSv)に近い被曝を受けた例もある。
Y.周辺への放射線と放射能のもれ
 中性子線の影響が大きい。速中性子の減速過程で生成した高速水素原子核のエネルギーが生体中で失われるので,アルファ線の場合の様に影響が大きい。中性子による核反応では,放射能が生成することが多い。重要な反応は,中性子吸収とともに光子が放出される捕獲反応(n, γ)である。今回の事故では,工場内のみならず,周辺に存在する多くの物質の中で放射能が検出された。当然のことながら,住民への被曝は通常の年間被曝線量を超える例が出ている。今後の追跡が必要である。
 放射能の放出については,影響がより少ないと思う。放射性ヨウ素の放出量はその全体の10%程度であり,希ガスであるキセノン(Xe)の放出も20%以下と見積もられる。京都大学原子炉実験所の小出裕章によるヨモギ葉中のヨウ素の測定結果に基づくと,放出されたヨウ素の分布は狭い範囲に限られ,1キロメートルを超える地点では検出されていない。表1に,放射性ヨウ素の存在量を示す。
  表1 主な放射性ヨウ素の存在量(臨界終了時,概算)
核種
半減期存在度
  壊変
核分裂収率(%)*)
生成放射能強度 (Bq)
129I
1.57×107
 β-
0.9
31.5
131I
8.04日
 β-
3.1
7.45×1010
132I
2.30時間
 β-
4.7
2.62×1011
133I
20.8時間
 β-
6.6
1.16×1012
134I
52.6分
 β-
7.8
2.79×1012
135I
6.57時間
 β-
6.3
1.96×1012
136I
1.39分
 β-
6.2
2.22×1012
137I
24.5秒
 β-,(→137Xe,3.82分)
5.7
2.04×1012
138I
6.5秒
 β-,(→138Xe, 14.1分)
5.5
1.97×1012
*) S. Katcoff, Nucleonics, 15, No 4, p. 78 (1958)による。
**) ◎, ○および△の印は放射線影響の大きさの程度を示す。

 
 

 工場内の汚染いついては,必ずしもはっきりしていない。かなり汚染した場所が拡大していることは,インターネットを通じて入手できる資料からも想像できる(資料G,参照)。
 

Z.起こった核分裂の数

 核分裂数は,(2.5±0.1)×1018個(235Uの重量として約1ミリグラム)とされているが,この値の正確さには問題があるが,公表された実験値から同じような値が得られる(表2を参照)。
 臨界状態が継続していたので,初期臨界量と継続部の量の比率は重要な情報である。臨界の初期に短期間に激しい臨界が起こり(バースト部),後に臨界が継続した期間(プラトー部)があった。調査委員会報告は,初期臨界量(バースト部)と臨界継続部(プラトー部)の量の比率について,「バースト部」:「プラトー部」=(1:8)の値を採用している。この「1:8」という比の値は11月初旬に発表された「緊急提言・中間報告」に示された結果(「バースト部」:「プラトー部」=1:1)と大きく異なっている。この差は大きいが,現在のところ後者(1:8)の方がより信頼できると考えている。

 

表2 核分裂総数の試算(沈澱層内の溶液)
 

核種
半減期(日)
放射能(Bq/mL)*)
原子数(mL-1)
核分裂収率(%)
核分裂回数(g-1)
核分裂総数
95Zr
64.02
2.68×105
2.14×1012
6.52
1.18×1014
1.96(±.10)×1018
99Mo
2.75
7.11×106
2.44×1012
6.07
1.44×1014
2.39(±.12)×1018
103Ru
39,26
2.53×105
1.24×1012
3.03
1.47×1014
2.44(±.12)×1018
131I
8.04
1.08×106
1.08×1012
2.89
1.30×1014
2.16(±.11)×1018
137Cs
10960
148×103
2.02×1012
6.18
1.17×1014
1.94(±.21)×1018
140Ba
12.75
1.59×106
2.53×1012
6.21
1.46×1014
2.42(±.12)×1018
144Ce
284.9
7.36×104
2.58×1012
5.49
1.68×1014
2.79(±.28)×1018
*) 臨界終了時の放射能強度

 

[.今後の課題

1) 事故の詳細はなお不明である。企業秘密などの壁を破ってより徹底した調査をおこなう必要がある。政府が設置した「事故調査委員会」は12月24日に報告書を公表して解散したが,国際的に通用する内容の報告書とはいえない。拙速の批判は免れない。

2) 事故の責任を重度被曝をした3人の作業員あるいはJCO(株)のみに負わせるのは誤りである(付録1,参照)。3人が作業をおこなったから事故が起こったのであるが,JCOが経験のない社員にもっとも危険な作業をさせるような状態にあることをよく知りながら放置し続けた他の組織の道義的責任はさらに重い。罪について,法律上の罪のみを問題にしてはいけない。

3) JCO関係者の他にも被曝した人は多かった。その人達に対する今後の対応に問題がある。3人の作業員以外は急性障害が見込まれる線量の放射線を受けていないが,今後も適切な健康管理とカウンセリングをせねばならない。

4) 安全審査などの見直しが急務である。現在の制度を根本的に見直して,第三者機関による安全審査へと移行すべきである。理想的な体制をつくるには,基本に立ち帰って考え直さねばならない。

5) 事故の際の防災体制などの対応について検討すべき課題が多く残った。事故の際に,科学技術庁職員およびその周囲にいる専門家は重要な貢献ができなかった。中央に判断を委ねる形の体制から大きく脱皮するべきである。

6) 日本の核燃料加工産業は危機的状態にある。採算性とともに,国際情勢などについても考慮した再検討が必要である。燃料再処理実施の有効性を十分に再評価せねばなるまい。

7) 高速増殖炉開発からの早期撤退がぜひ必要であり,その方向へ直ちに進むべきである。軽水炉の運転と建設についても早急に見直さねならない。
 
 

【付録1】{事故調査調査委員会委員長,吉川弘之氏の発言}

 調査委員会報告の最終章「結語にかえて」の冒頭で,吉川氏は次のように記している(調査委員会報告,[-1)。「株式会社ジェー・シー・オー東海事業所において起こった臨界事故は,定められた作業基準を逸脱した条件で作業者が作業を行った結果,生起したものである。従って,直接の原因は全て作業者の行為にあり,責められるべきは作業者の逸脱行為である。」
 
 

【資料@】 ”Nature”,401管,6753号,巻頭言1999年10月7日

【資料A】 「常陽新聞」,2000年10月11日

【資料B】 「第3回事故調査委員会」,配布資料

【資料C】 「事故調査委員会報告」,U-18,参考資料,p. 61

【資料C】 「事故調査委員会報告」,参考V-20

【資料D】 「事故調査委員会報告」,V-24

【資料E】 「事故調査委員会報告」,U-16

【資料F】 「事故調査委員会報告」,W-20

【資料G】 「科学技術庁」のホームページより