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1991.9.17 今中


1991年ソ連報告書第4章(全訳)
                      注:下線は原本強調部分
(?)は要再検討部分
 

第4章 事故の原因と状況

4.1:事故のときに実施されていた実験の概要

 事故が発生したのは、チェルノブイリ原発4号炉において、第8タービン発電機の慣性回転による所内用電源の実験が行われていたときであった。

 この実験が必要となったのは、事故時の重要な防護システムの一つが、運転開始までに完成していなかったためである。タービン発電機の慣性を利用して必要な所内電源を確保する計画は、主建設局(GK)により提案されたもので(60)、循環ポンプと給水ポンプに必要な電力を供給し、炉心での強制循環による冷却を確保するためのものであった。慣性を利用するこのような発想は、RBMK炉の設計に取り入れられ、承認されている。(たとえば、スモレンスク原発第2期計画の安全確保に関する技術的実証書では、「...所内電源喪失をともなう最大設計事故の際には、タービン発電機の慣性運転により給水ポンプを作動させ冷却水が破損ループに供給される...」)。

 給水ポンプは、ECCS(緊急炉心冷却システム)が備えている3つのサブシステムの1つであり、発電所電源喪失をともなう最大設計事故に対する設計では、その電源はタービン発電機の慣性エネルギーを用いて確保されねばならないことになっている。しかしながら、チェルノブイリ4号炉は、それに関する機能が試験されることなく、1983年12月運転開始となった。このような機能試験は、運転開始前に、さまざまな出力レベルで実施されるべきものである。

 1982年、ドンエネルギー研究所の提唱で総設計局(GP)や水力計画研究所の代表がチェルノブイリ発電所に集まり、3号炉を用いて同じ実験が行われた。その結果、タービンの慣性によって得られる電流の持続時間が十分でなく、タービン発電機の励磁制御システムの開発が必要なことが判明した。

 1984年と1985年には、モデルの原発を選んで追実験が行われた。1982年と1984年の計画では、各ループの循環ポンプのうち1台ずつだけが慣性タービンに接続され、1985年と1986年の計画では2台ずつが接続された。1984、1985、1986年の計画では、ECCSは予め手動によりバイパスされることになっていた。

 本委員会の見解では、このような実験は、炉心の挙動に関係する電源供給を変化させ、緊急防護系へ撹乱を持ち込む以上、単なる電気系の実験として実施したことは違法であった。実験は、原子炉に関係する複雑な実験として分類されるべきであり、その実施計画は、総設計局、主建設局、科学技術指導部(NR)や国家の監視委員会などの、適切な承認を得るべきであった。しかし、事故当時施行されていた規則、PBY04-74やOPB-82では、その種の計画の実施に際して上級組織の承認を得るようには、発電所当局に要求していない。

 実験計画全体は、装置の実際的な検査という観点から作成されたと思われるが、実験そのものは反対されるようなことではない。現時点で同様な実験の計画を考えてみると、当時の計画は、安全確保という面で十分ではなかった。しかし、問題の実験計画を含め、運転規制文書全体(規則やマニュアル)は、計画されたことを安全に実施するのに十分なものであった。事故の原因は、そうした計画にあったのではなく、実際に動いているRBMK-1000炉の運転特性に、計画立案者が無知であったことにある。

 実験計画において熱水工学的に特殊であったのは、炉心への冷却水流量を、はじめに通常より増やしたことであった。炉心入口での冷却材不飽和度が小さい状態で、蒸気含有量が最低となった。この2つの要因は、それから出現する事態の規模に、直接影響した。

 

4.2:4月25日〜26日の技術的事故経過

 本委員会は、以下の事故経過に基づいて、委員会の分析と結論を導いた。それらの情報源は、4.3節で示す。


  <時刻>             <事象>

1986年4月25日

(運転日誌による時間、分)

 01:06      原子炉出力低下開始:反応度操作余裕ちょうど31本。

 03:45      黒鉛ブロックの循環ガスを窒素・ヘリウム混合物から窒素への切り替え開始。

 03:47      熱出力1,600MW。

 04:13〜12:36   熱出力1,500MWの状態で、No-7とNo-8タービン発電機の調節システム特性と振動特性の測定を順次実施。

 07:10      反応度操作余裕13.2本。

 13:05      No-7タービン切り離し。

 14:00      冷却系からECCS切り離し。

 14:00      キエフ電力指令所からの要求により実験の実施を延期。

 15:20      反応度操作余裕16.8本。

 18:50      実験に関係しない装置の電源を、運転中のNo-6タービンの変圧器に切り替え。

 23:10      出力低下中。

          反応度操作余裕26本。

1986年4月26日

(計算機の打ち出しによる時間、分、秒)

 00:05      熱出力720MWになる(日誌より)。

 00:28      熱出力約500MWで、局所出力自動制御系から、(AR1とAR2の)平均出力自動制御系へ移行。移行中、計画予定外の出力降下により熱出力30MWまで低下(中性子計はゼロ)。出力上昇開始。(日誌より)。

 00:34.08”    蒸気ドラム水位の異常。

 00:43.37"     〃

 00:52.27"     〃

 01:00.04"     〃

 01:09.45"     〃

 01:18.52"     〃

 00:36.24"    蒸気ドラムの圧力低AZ信号の設定を、55kg/cmから50kg/cmに変更。

 00:39.32"〜00:43.35" DREGプログラム不作動。

          運転員、両タービン停止AZ信号をバイパス。

 00:41〜01:16   空回転振動特性測定のため、No-8タービン切り離し(日誌)。

 00:52.35"〜00:59.54" DREG不作動。

 01:03      熱出力200MWまで上昇し、そこで安定(日誌)。

 01:03      7台目の循環ポンプ(No-12)オン(日誌)。

 01:07      8台目の循環ポンプ(No-22)オン(日誌)。

 01:12.10"〜01:18:49" DREG不作動。

 01:19.39"〜01:19.44" 「1PK−上」(?)信号。

 01:19.57"より  「1PK−上」信号発生。

 01:22.30"    諸パラメータの磁気テープへの書き込み。(読み出しは、事故後スモレンスク原発で実施。PRIZMAプログラムによると、反応度操作余裕は8本だった。)

 01:23.04"    オシログラフのスイッチオン。No-8タービンへの蒸気調節停止弁閉。4台の循環ポンプ(No-13と-23のペアとNo-14と-24のペア)による実験開始。

 01:23.10"    ECCSボタン押。

 01:23.30"    「1PK−上」信号消失(3分33秒継続)。

 01:23.40"    AZ−5ボタン押。制御棒炉心挿入開始。

 (テレタイプによると、01:23.39")

 01:23.43"    AZS警報(炉周期20秒以下)、AZM警報(熱出力530MW以上)発生。

 01:23.46"    実験対象循環ポンプ第1ペア、電源オフ。

 01:23:.46.5"   実験対象循環ポンプ第2ペア、電源オフ。

 01:23.47"    循環ポンプ流量急減、実験対象外のポンプ(No-11,-12,-21,-22)で40%に、実験対象(No-13,-14,-23,-24)のポンプは、ほとんどゼロ(?)。

          蒸気ドラム圧力急増。

          蒸気ドラム水位上昇。

          平均出力制御系(AR1、AR2)「測定部不調」信号。

 01:23.48"    循環ポンプの流量復活。実験対象外のポンプはほぼ始めの量まで。実験対象のポンプのうち、左ループのポンプは始めの15%。右ループのうち、No-24は始めの10%に、No-23はほとんどゼロ(?)。

          蒸気ドラム圧力さらに上昇(左列で75.2kg/cm、右列で88.2kg/cm)。

          タービンバイパス急速減圧弁、K1とK2作動。

 01:23.49"    「炉容器内圧力上昇」信号(圧力チャンネル管の破損)。

         「48ボルト電圧喪失」信号(制御棒駆動部クラッチ電源の喪失)。

         「自動制御棒(AR1、AR2)駆動部不調」信号。


 原子炉当直長の運転日誌によると、

「1時24分、強い爆発、制御防護系SUZの制御棒は原子炉の下端まで達せずに停止。制御棒クラッチの電源スイッチオフ。」

 

4.3:委員会が調査した記録とデータ

 事故前および事故の経過は、以下に述べる機器や計算機システムの記録に基づいて分析された。

 ・記録用チャートを備えた測定器。

 ・診断記録プログラム(DREG)と原子炉パラメータ計算プログラム(PR  IZMA)を備えた計算機を含む中央制御システム(SKALA)。

 ・臨時に設置されていた、タービン慣性実験の重要なパラメータ記録用オシログラフ。

4.3.1:記録計

 比較的ゆっくりしたプロセスを記録するためのものであり(チャート速度240 mm/hr以下)、パラメータの極値はうまく決定できても、急速な非定常プロセスの再現には役立たない。

4.3.2:中央制御システムSKALAとそのサブシステム

 原子炉の主要なパラメータを5分毎に計算し記録する。5分という時間は、B−3M型計算機の能力に対応している。当然ながら、5分という間隔では、急速なプロセスの分析には役立たない。

 プログラムDREGは、大量のデータを対象とし、割り込みもできる。DREGは、数100ものデジタルやアナログの信号を調べ記録する。直接測定される信号の計算機への読み込み時間は1秒以下である。しかし、出力、反応度、冷却水流量その他の重要な原子炉パラメータを、DREGは記録しない。制御棒の状態については、211本のうち9本だけが記録され、そのうち、3つの自動制御系からは1本ずつである。これらのパラメータは、直接測定される量ではないので、計算機の回答時間はかなり大きい(1分)。いくつかのパラメータについては、記録時間は短いにもかかわらず、中央制御システムSKALAの中でのDREGプログラムの優先度が低いこととも関連して、その回答時間はかなりあいまいである。その上、事故直前1時間のうちにDREGは、SKALAの運転停止(?)に関連して、3回不作動を生じている。このため、情報が喪われた。その他のSKALAの機能である、PRIZMAプログラムと炉の状態の磁気テープへの書き込みプログラム(RESTART)は、作動サイクルがかなり大きく(5分)、システムの停止やプログラムの事情により同様に中断している。その上、PRIZMAの計算結果は自動的には打ち出されない。

4.3.3:オシログラフ

 実験計画の一環として、迅速なパラメータをモニタリングするため、オシログラフが臨時にセットされた。

 オシロにより、No-8タービン、No-13循環ポンプ、No-4給水ポンプ、8Aライン、8Bライン(?)に関するパラメータが、精度よく得られている。これらの電気信号とSKALAに記録された原子炉パラメータとの時間合わせがないことが欠点である。しかし、オシロの電気パラメータのグラフとDREGプログラムの記録を解読し突き合わせると、かなり正しく一連の事象を時間合わせできる。キーポイントは、No-8タービン蒸気停止弁閉の時刻と運転員によってAZ−5が押された時刻である。

 DREGの記録によると、No-8タービン蒸気停止弁閉は、1時23分04秒である。この時刻は、オシロ記録でもパラメータの変化で判別できる。また、AZ−5信号が出たのは1時23分40秒であったが、オシロ記録でもその時刻が認められ、電気パラメータの変化が良い精度で記録されている。それらによって、ECCSボタンを押した時刻や循環ポンプをオフした時刻が決定された。このようにして、循環ポンプ第1ペアの電源オフは、1時23分46秒とされ、第2ペアのオフはその0.45秒後とされた。つまり、これらの事象はAZ−5ボタン押から、6.0〜6.45秒後に発生した。

 オシロ記録は、ECCSボタン押は、No-8タービン蒸気停止弁閉から6.6秒後であったことを示している。

注:「ECCSボタン」は、最大設計事故を模擬する目的で特別に設置されたボタンで、No-6ディーゼル発電機を始動させるとともに、No-8タービン実験中の原子炉の一連の機器を作動させる。

4.4:事故前後の経過の数量モデル化について

 事故時の原子炉の状況を示すパラメータが、いかに十分記録されていたとしても、事故を検討するにあたっては、事故前後のプロセスを数量化することが欠かせない。単に、記録の欠落部分を補ったり、測定できないパラメータを計算するというだけでなく、事故の結果が重要なパラメータの初期値に如何に依存するかという感度解析のためにも必要である。この解析なくしては、事故後にとられた事故対策の妥当性を判定できない。

 本委員会が入手しうる情報を分析した限りでは、RBMK-1000炉について、実験データに基づいて実証され、十分に適用されるような、複雑な解析モデルは、現時点においても作られていない。現象を分析するためのモデルとしては、エネルギー技術開発建設研究所(NIKIET)、クルチャトフ原子力研究所(IAE)、全ソ原発開発研究所(VNIIAES)、ウクライナ科学アカデミー・キエフ原子力研究所(KIYI)、その他若干の研究所における、一連のさまざまな仕事がある。外国においても一連の解析が行われており、その計算結果をソ連の専門家も検討している。

 事故前後の経過に関するさまざまな計算結果を、互いにに矛盾のないよう、また測定結果と一致するよう突き合わせることによって、事故の進展をかなり現実に近いものとして、現在では描くことができるようになったと思われる。

 事故後最初に行われた解析は、1次元モデルを用いたクルチャトフ原子力研究所の解析 (28)で、そのモデルでは、制御棒の状態の反応度への効果は空間モデルから得られた値を使っている。計算結果は、1時10分からの基本的な事象を全体としてはうまく表わしているが、定性的なものであり、炉心での詳しいプロセスは得られない。それ故、反応度、出力などのパラメータの挙動を満足の行くよう表わすことはできない。解析結果と測定データとの食い違いがこのことを示している(1時23分38秒の「1PK−下」信号や1時23分43秒の流量低下などは、実際にはかった)。

 キエフ原子力研究所では、RBMK炉のメッシュ分割型非定常中性子モデルが開発され、事故の解析に用いられた。そのモデルでは、中性子の挙動は、非定常1エネルギー群の拡散で記述され、50cm間隔という大きなメッシュで平均化されている。冷却材密度と制御棒位置の変化は、定数を変更することによって処理され、燃料温度の変化の影響は、反応度の温度係数によって考慮されている。高さ方向での燃焼度分布は、(REFUELER)プログラムによる予測データを用いている。1群の定数は、WIMSプログラムにより2群から計算される。このモデルは、全ソ原発開発研究所で開発された複合プログラムDIKRUSに組み込まれているもので、原子炉中性子の迅速挙動計算に用いられる(33)。このモデルにより、1986年4月26日1時22分30秒でのチェルノブイリ4号炉の状況を基に、AZ−5信号による制御棒挿入時の状況の研究が実施されている。

 初期条件のデータに合わせてモデルのパラメータを入念に設定し、炉心における熱発生のようすの適切な計算と、燃料棒の熱的挙動や蒸気含有量の適切な計算とを組み合わせることによって、チェルノブイリ事故の解析のために現時点で最適なモデルを得ることができる。

 このようなモデルに基づく事故経過の計算結果は、最後の9秒間について、DREGプログラムで記録されたものと矛盾しない(AZ−5ボタン押の3、6、9秒後に、AZSとAZM信号、蒸気ドラムの圧力水位上昇、炉容器内圧力上昇)。

 しかしながら、このモデルを十分適切なものとみなすわけには行かない。なぜなら、このような型の原子炉を、荒っぽい網目形状に対する非定常1群方程式で近似するやり方では、おそらく、十分に確かな結果は得られない。さらに、(制御棒位置、出力密度分布などの)初期条件データは、計算開始の1分10秒前に記録されたものである。この期間中に蒸気ドラムへの急激な給水は終了し、34秒たったときには、タービン蒸気停止弁が閉になっている。このように、1時23分40秒にAZ−5ボタンが押されるまでに、パラメータが変化した可能性がある。にもかかわらず、その計算結果は、現在において最も満足のゆくものの一つであり、それ自身が用いている仮定のうちに本質的に非現実的なものはないし、他の研究結果とも矛盾していない、と本委員会は考えている。それゆえ、その計算を事故プロセスの分析の基本として採用できるものと考える。

 ソ連において、RBMK炉の中性子挙動モデルで最新のプログラムは、クルチャトフ研で開発されたSTEPANである(52)。

 このモデルでは、3次元形状での中性子挙動が非定常2群の拡散方程式によって記述され、18グループの遅発中性子(U235、Pu239、Pu241それぞれ6グループ)が用いられる。RBMK炉の各格子に対する2群の拡散定数は、以下の5つの変数により決定される。すなわち、燃料燃焼度、冷却材密度、燃料および黒鉛温度、およびキセノン濃度である。定数の初期値はWIMSプログラムで計算される。

 本委員会のみるところ、STEPANプログラムによる事故の進展の詳細な解析、すなわち(反応度操作余裕の限界値、炉心入口での冷却材不飽和度などといった)すべての要因に関する解析は、現時点でも実施されていない。

 上に述べた、さまざまな計算モデルが抱える特殊性や欠点に加えて、初期条件の不確かさという困難に、いずれの計算もが直面する。すなわち、チャンネルの高さ方向での同位体組成の分布を、中央制御システムが計算していないのである。従って、具体的な運転条件ではなく、チャンネルでの一般的な熱発生を基に、分布を計算により想定する。こうした条件では、事故直前のキセノン135の非定常的な分布を正しく計算できない。このことの影響は、おそらく無視できないであろう。従って、(中性子束、出力、反応度、温度といった)炉の状態、(最大反応度到達や即発臨界、温度限界値などの)事象の時間、(最大中性子束値、出力密度、燃料棒破損などの)指標についてのパラメータの確かさが低下することになる。

 本委員会の見解では、RBMK炉の解析モデルの改良、その実証、およびチェルノブイリ事故への適用は、きわめて遅々としており、優先度の低い仕事となっている。その結果、計算機技術とRBMK炉物理開発の現状と合致するようなレベルでの定量的に十分な解析は、いまだに実施されていない。

 4.5:事故原因についてのいくつかの見解

 事故原因に関する最初の公式見解は、1986年5月5日、一般機械製作省第一次官A.G.メシコフ立会いのもと、チェルノブイリ発電所で開かれた省庁間委員会で決定された(46)。その内容は、冷却系における流量喪失にともない炉心部チャンネル中で沸騰が生じた結果、原子炉の制御不能な暴走に至った、というものである。流量喪失は、給水流量と循環流量の不整合の結果とされている。

 それより少し前の5月1日、クルチャトフ研所長のA.P.アレクサンドロフに宛て、また5月9日には国家指導者たちに宛てて、クルチャトフ研のRBMK炉信頼性・安全性グループの長、V.P.ヴォルコフは手紙を送り、「問題とされているような運転員の操作によるものではなく、炉心の構造と、そこで生じる中性子の挙動への認識不足が事故をもたらした」という見解を述べている。構造の欠陥と大きな正のボイド反応度係数により、制御棒を挿入する際に反応度の正への逸脱をもたらしたことが事故の原因だ、というのである。

 5月の末までには、冷却系の状態のより掘り下げた熱水工学的解析が、機械建設試験局(OKBM)(冷却系開発担当者)、水力計画研、VTI研(?)の代表者たちにより実施されたが、循環ポンプのキャビテーションや流量喪失は確認されなかった(44)。キャビテーション発生までの余裕が最も小さかったのは、暴走より約40秒前の1時23分 00秒であったが、そのときでもポンプの流量喪失が発生するレベル以上にあった。

 同じく5月の末、エネルギー省の専門家グループ(A.A.アバギャン、V.A.ジリツォフ、V.S.コンヴィス、V.Z.ククリン、B.Y.プルシンスキー、A.S.スルバ、J.N.フィリモンツェフ、G.A.シャシャリン)は、得られているデータと計算を検討した結果、事故調査報告書に以下のような事故原因を書き加えた。すなわち、制御防護系SUZの制御棒概念の基本的誤り、正のボイド反応度係数と出力係数、給水流量小のときの循環流量大、運転員による反応度操作余裕の規則違反、炉出力の小ささ、防護系機器の不十分さと運転員への情報不足、設計および技術的規則における反応度操作余裕の違反がもたらす危険性に関する指示の欠如、である。

 アレキサンドロフが議長をつとめた省庁間科学技術評議会(MVNTS)の2度の会議(86年6月2日と6月17日)において、炉の構造の欠陥が事故の最大原因と指摘した全ソ原発開発研究所(VNIIAES)の計算結果は、たいして注目されず、基本的に、すべての原因は運転員の誤りによることになった。省庁間科学技術評議会の見解は、IAEA(国際原子力機関)へ報告され、専門家や一般社会に、事故をもたらした原因について一方的な情報を広めることとなった。

 1986年8月ウィーンで開かれたIAEA会議の報告(47)では、冷却系の流量喪失という説も消えている。その報告では、「事故の第一原因は、原子炉運転員たちによる運転手順と規則違反のきわめて信じ難い組み合わせである」。事故の出発点となった事象は示されていない。しかし、事故プロセスの重要点を次のように述べている(47p.309)。

 実験開始、つまり1時23分まで、炉のパラメータはほぼ安定した状態にあった。蒸気停止弁閉にともなって、蒸気ドラムの圧力はゆるやかに上昇を始め、その速度は約6kPa/secであった。同時に、8台の循環ポンプのうち4台が、慣性発電運転に入ったため、炉心への冷却水流量が低下を始めた。この前(1時20分)に、運転員は給水ポンプの流量を絞っていた。

委員会注:実際には、この操作は、200MWの出力に対応する平均的な給水量に戻したもので、両ループおのおの約120トン/時となった。
 炉心流量の低下と蒸気ドラム給水量の低下は、蒸気発生に関して圧力上昇と競合しながら、結局は炉出力の上昇につながった。なぜかというと、炉出力と蒸気生成の間には、正の関係があったからである。タービン慣性実験開始前の条件では、炉心における蒸気含有量はきわめて小さく、このときの出力上昇は、定格出力のときに比べ何倍も大きかった(p.309)。

 この出力上昇こそ、運転員に緊急防護AZ−5ボタンを押させたものである。制限されている以上に手動制御棒を炉心から引き抜いていたという技術規則違反の結果、AZによる制御棒一斉挿入の効果は不十分なものとなり、正の反応度は上昇を続けた(p.311)。

 以上の公式見解に従うと、事故の出発点は、タービン蒸気停止弁の閉鎖であり、すなわち、給水量が少ない状態で慣性発電の実験を開始したことである。

 本委員会の意見では、上述の説には、補足されるようなデータを示すでもなく、計算によっても確認されていない、という欠陥がある。とくに、アメリカの専門家(49)は、IAEAに提出されたソ連専門家の情報を基にした研究で、次のように述べている。「計算結果は、実験当時の出力変化と爆発という事象と一致しない」。同様の結論が、1990年のエネルギー技術開発建設研究所(NIKIET)の報告(72)に含まれており、所長のE.O.アダモフによって発表されている (73)。

 1986年クルチャトフ原子力研究所は、考え得る事故原因として、原子炉において急激な反応度上昇をもたらす一連の事象を検討している(28)。

 考え得る事故原因が、実際に得られているデータやDREGプログラムの記録と矛盾するかどうか分析された。

 以下の13項目が列挙され、さまざまな専門家によりさまざま側面から事故原因としての検討が行われた。

 1.圧力抑制プール内での水素爆発。

 2.制御棒チャンネル冷却系下部での水素爆発。

 3.破壊活動(爆薬による循環系配管破損)。

 4.循環ポンプ圧力コレクターまたは分配コレクターの破損。

 5.蒸気ドラムまたは蒸気集合管の破損。

 6.制御棒押出し部効果。

 7.平均出力制御系の誤動作。

 8.運転員による手動制御棒操作の荒っぽいミス。

 9.循環ポンプキャビテーションにともなう圧力管チャンネルへの水・蒸気    混合物供給。

10.流量調節弁でのキャビテーション。

11.蒸気ドラムからの下降配管での蒸気充満。

12.炉心での蒸気・ジルコニウム反応と水素爆発。

13.ECCSタンクからの圧力ガス供給。

 クルチャトフ研の検討では、No.6以外の上記の説は、いずれも得られているデータと矛盾していた。

 本委員会としてはここで、この分析を参考にして、冷却水漏れに関する全ソ原発開発研の計算(33)に言及する必要があると考える。実験に先立って循環系から大規模な(口径300mm?)冷却水漏れがあり、原子炉固有の大きな正のボイド反応度係数の結果、あのような大規模な事故に至った、という説である。事故調査ではしばらく、たとえば、キャビテーションにより循環ポンプが振動して、循環系に破損が生じたというようなことが考えられていた。しかしながら、冷却水漏れ原因説(上記No.3,4,5)は、蒸気ドラム圧力・水位および一連のパラメータがそれを示していないことから退けられた。さらに、事故後何年かたって行われた4号炉建屋内の観察でも、事故の出発点となるような破損は認められていない。

 以上に基づいて、本委員会としては、制御棒押出し部による反応度効果原因説を掘り下げて検討せねばならないと考える。制御棒の構造と関連するこの原因説が、実験に際して行われた一連の技術的操作のすべて、およびRBMK炉特性の計算結果と一致するかどうか、また、信じ難いような仮定を置かなくともがなくとも矛盾しないかを検討する。

 クルチャトフ原子力研副所長N.N.パナマレフ・ステプニ、エネルギー技術開発建設研所長E.O.アダモフ、全ソ原発開発研所長A.A.アバギャンの署名入り90年3月26日の手紙には、以下のような記述があり、押出し部原因説には反ぱくしていない。

 「なかでも、制限値以下の反応度操作余裕、炉心入口での冷却材の小さな不飽和度が重要であったが、一連の原因により、原子炉が規則違反の状態に置かれた結果、事故が発生した。こうした条件下で、正のボイド反応度係数、制御防護系SUZの構造欠陥、および複雑な過渡状態から生じた中性子分布の不安定さ、といったことが出現した。即発中性子による暴走事故が原子炉で発生した」(51)。

 炉心外で冷却系統に撹乱があり、それにより正のボイド反応度が出現し事故に至ったという、エネルギー技術開発建設研が主張するような(72)ことは、上の引用では全く認められない。現時点までに判明している明らかな矛盾を考えると、その説に固執することは、余分な骨折りであろう。

 本委員会は、事故プロセスを再現するような計算を、自ら実施することはできないが、事故時に原子炉で測定されたデータや、さまざまな組織で実施され発表されている計算結果に基づいて、事故前後のシナリオを以下のようにまとめ、運転員の行為や原子炉特性の影響について、独自の立場から適切に評価することは可能である。

4.6:事故原因に関する本委員会の見解

4.6.1:実験に至るまでの運転と実験準備

 86年4月25日1時6分に始まり、26日0時過ぎに720MW以下に達するまでの出力降下作業中、事故を思わせるような事象はなかったが、この間2つの技術規則違反があった。すなわち、反応度操作余裕の制限値以下での運転とECCSのバイパスである。

 26日0時28分から、炉の安全性に関係する重要な事態が発生した。局所出力自動制御システム(LAR)から平均出力自動制御システム(AR)への切替えの際、原子炉運転班長は、ARの測定系に出現したアンバランスを速やかに解消することに失敗し、炉の熱出力が500MWから(だいたい)0〜30MWのレベルまで低下してしまった。

 炉の制御に失敗した結果、出力低下にともない炉心にキセノン毒が蓄積され、それにともなう負の反応度を補いながら出力を200MWまで上げる間に、制御棒が引き抜かれ反応度操作余裕が減少した。このとき、運転員が意識していたかどうかは分からないが、本委員会の見解では、緊急防護系によって核分裂反応を停止できないという規則違反の状態に炉は陥った(4.8節参照)。

 出力の再上昇から200MWで安定し、1時23分に至るまでの間、(第4ペアの循環ポンプのスイッチが入れられた以外)炉は、通常の状態にあり通常の運転操作が行われた。たとえば、タービンバイパス急速減圧弁(BRU−K)の操作、蒸気ドラム水位の手動調整、原子炉補償(制御棒位置調整のことか?)などである。

 1時22分30秒、中央制御システムSKALAは、炉のパラメータを磁気テープに記録したが、その際PRIZMAプログラムによる反応度の計算は行われていない。事故後、中央制御システムの磁気テープをチェルノブイリ発電所からスモレンスク発電所に持ち出し、そこで「PRIZMA−ANALOG」プログラムにより計算が行われた。事故当時、炉制御室やSKALAシステムの運転員は、反応度操作余裕の値をはじめ、計算によって得られるパラメータの値を知ることはできなかった。

 事故の原因と全体を評価するという立場から、本委員会は、このときの炉の状態を以下のように考えている。

 炉心での出力密度の分布は、高さ方向で二つの山が形成され、上の山の方の中性子束の方がかなり大きかった(71)。このような分布は、燃焼の進行した炉心、制御棒のほとんどが引き抜かれた状態、炉周辺部より中心部で著しいキセノン毒といった場合において特徴的に現れるものである(29,47)。計算(61、48)に示されているように、このような分布は、制御棒の構造とあいまって、炉挙動の安定性という観点からは、きわめて不都合なものである。

 そのときの炉心への冷却水は、沸点まで3度Cというきわめて小さな不飽和度であると同時に、炉心の上部だけで、わずかに蒸気が発生していただけであった(33)。(なんらかの原因で)いくらか出力が上昇すると、沸騰までの小さな不飽和度の結果、炉心での蒸気含有量が増加するが、増加の割合は、炉心上部においてより炉心下部においての方がかなり大きい。

 このように、実験前の炉心のパラメータは、炉心下部において暴走が発生しやすい状態にあった。本委員会の考えでは、このような状況は、通常に比べ炉心への冷却水流量が増えていただけでなく(通常の6台に比べ8台の循環ポンプが運転され、流量が増え蒸気の発生を妨げていた)、なによりも炉の出力が小さかったことによる。似たような冷却パラメータの状態は、炉の停止のたびに生じる可能性がある。

 1時23分、実験開始直前の炉の状態は次のようであった。熱出力200MW、(PRIZMA−ANALOGプログラムによると1時22分30秒に)反応度操作余裕8本、中性子分布は上の方が大きい二つ山、冷却水循環流量56,000m/hr、給水流量200ton/hr、熱的物理的諸パラメータはほぼ安定。

 炉の運転班長は、実験準備が整ったと判断し、オシログラフのスイッチを入れ、それから蒸気調整停止弁を閉鎖した。1時23分04秒のことであった。

 それから約30秒間の4台の循環ポンプの実験中、炉のパラメータは順調で、予期されていた範囲内にあり、運転員の操作を要するようなことは何もなかった。

 しかしながら、『おそらく86年4月26日00時30分以降、反応度操作余裕の低下した状況においては、緊急信号によるにしろ手動によるにしろ、炉心の損傷を引き起こさずに、問題の構造の原子炉の緊急防護系を機能させることは不可能となっていた』、かどうかについては、さらなる研究を必要としている。

4.6.2:実験開始

 1時23分04分、実験が始まり、原子炉は以下のような経過をたどって行った。

 タービン回転の低下とともに、No-8タービンから電気を受けていたポンプ(No-13,-14,-23,-24)の回転数が下がり、冷却水循環能力も下がって行った。残りの循環ポンプでは若干流量は増加した。全流量は、実験開始から35秒間で、はじめの流量に比べ10〜15%ほど減少した。

 流量の低下に対応して、炉心での蒸気含有量は増加し、その効果は、タービンへの蒸気弁閉にともなう圧力上昇で、ほんのわずか相殺された。

 この段階の数量解析を、ソ連(48)およびアメリカ(49)の専門家が行っている。それによると、全体的パラメータの理論予測値と実際の記録とはよい一致を示している。両方の計算とも、このときに加わったボイド反応度は大したものではなく、自動制御棒ARの若干の炉心への挿入(1.4mまで)で相殺されたことを示している。

 No-8タービンの慣性実験中、炉出力の上昇はなかった。このことは、1時19分 39秒から1時19分44秒にかけて、および1時19分57秒から1時23分30秒にかけて、つまり実験前と実験中の大部分の期間において、DREGプログラムが「1PK−上」信号を記録していることから確認できる。この信号のときは、自動制御棒は炉心へ挿入されない。(??今中)1時22分37秒に最後に記録された制御棒位置は、AR1、AR2、AR3それぞれ、1.4、1.6、0.2mであった。

 このように、実験開始からAZ−5ボタンを押すまでの間、炉出力をはじめ、蒸気ドラムの圧力・水位、冷却水循環流量と給水流量といった諸パラメータには、運転員の操作や警報システムの作動をうながすような兆候は何もなかった。

 たとえば、気付かれることなく炉の暴走を始めさせるといったような、事象やメカニズムを、本委員会が見出すことはできなかった。本委員会の言えることは、なんらかの原因により、正の反応度が加わるような撹乱が生じると、炉出力は上昇して緊急防護系さえ役立たなくなるような原子炉の状態がかなり続いていた、ということである。

4.6.3:事故の発生と拡大

 1時23分40秒、原子炉の運転班長は、緊急停止ボタンAZ−5を押した。

 何故彼がAZ−5ボタンを押したか、本委員会ははっきりとさせることはできなかった。

 それに続く出力上昇のスピードは、記録計の能力を越えたものであった。従って、踏み込んだ分析は、理論的な根拠に基づくほかない。そして、その分析の妥当性を、4.3節で述べた方法で時間補正をしながら、測定データを基に確認することになる。

 物理的計算により炉内の出力密度分布を再現すると(33)、かなりの確かさで高さ方向の分布が確認されるとともに、径方向においても出力分布に大きな歪み(歪み度2.0)のあったことが示された。このように、炉心全体での出力分布の最初の歪みはきわめて大きかった(31,71)。

 出力分布の変化を扱える解析モデルを用いた、互いに独立して行われた計算結果は、定性的にきわめて満足の行く一致を示している(34,73)。上に述べてきたことと反するような結果は認められていない。従って、引き続いて以下のようなプロセスが生じたと考える。

 AZ−5信号により、制御棒が動きはじめると、出力分布にさらに大きな歪みが発生した。炉心上部では、制御棒の吸収体部が入り始め、中性子束は減少を始めた。一方炉心下部では、中性子を吸収していた水柱が押し出され、中性子束は増加を始めた。

 炉心の側壁に配置されている電離箱式出力計の記録によると、炉出力はいくらか低下したあとで上昇している。先のモデル計算の結果はどちらも、実際上すべての出力は、約2mの高さの炉心下部で発生したことを示している。下部燃料棒の線出力密度は、その燃料棒の炉心断面での位置に対応して、さまざまなレベルまで、瞬間的に上昇した。計算に基づくと、AZ−5ボタン後の局所的出力上昇により、炉出力は5秒間ではじめの数十倍にもなる。計算(71,72)では、3秒後までに電離箱計からの警報がすべて発せられる。文献(33)の計算がこの警報に言及していないのは、おそらく見落としをしたためであろう。

 4系統の制御棒がすべて炉心から引き抜かれていたこと(補助吸収体だけ入っていた)、炉心の大部分で出力密度の二つ山分布があり、高さ方向の中性子分布が不安定で、一方に負の反応度、他方に正の反応度が加わった場合とりわけ不安定になってしまう状態にあったことにより、炉心全体の出力密度分布に強度の歪みが発生した(71,72,73)。

 これらを考えると、そのような中性子分布の状態で動き始めた制御棒は、炉心における出力密度の高さ方向分布に深刻な歪みをもたらさずにはすまなかった。

 計算(33)に基づくと、炉心での出力分布歪み度は、Kv=5.5にも達した。(同じ計算では)炉出力ははじめの約30倍になり、ある部分の燃料棒の線出力密度は一瞬のうちに定格の100%を越えた。従って、一部の圧力チャンネルでは、炉心下部の燃料棒のエンタルピーが、それ以上では燃料棒破損を生じるという限界値に達した。

 日本の専門家の研究(73')では、燃料のエンタルピーが220Cal/g-UOを越えると、燃料棒破損の始まることが、実験結果の直接観察により示されている。285Cal/g-UOのエンタルピーで燃料棒は破裂し、320Cal/g-UOで爆発的な(こなごなに粉砕される)破砕に至る。

注:日本の実験で用いられた燃料棒は、RBMK炉のものと同じではない。しかしながら、燃料破損の限界値に違いがあったとしても、文献(29)や(76)で示されている事故の破局的な破損のメカニズムは、基本的には変わらない、と本委員会は考える。
 

 以上のように、事故後の4年間に、エネルギー技術開発建設研究所、全ソ原発開発研究所、クルチャトフ原子力研究所、キエフ原子力研究所で炉物理専門家により精力的に行われた解析結果に基づくと、緊急停止のため炉心に挿入された制御棒が原因となって、出力分布の局所的な急上昇から、RBMK-1000炉全体の出力な深刻な上昇に至った、という可能性が大きい。

 従って、以上のことを考えると、事故の出発点は、低出力でかつ手動制御棒が制限値以上に引き抜かれたいた状態のRBMK-1000炉において、AZ−5ボタンを押したことである。

注:本委員会が知るかぎり、これまで述べてきたまでの事故のシナリオについては、今のところいかなる組織からも反論は出ていないし、それどころか、三つの先端的研究所、クルチャトフ研、エネルギー技術開発建設研および全ソ原発開発研の指導者たちが表明している公式見解(31)と一致するものである。以降のプロセスについては、まだ計算には基づいていないが、以下のように考えることができよう。

 文献(73)の研究の、破局的なプロセスに関する部分のデータ、および3章で述べた炉の構造と特性に関するデータに基づいて、事故の進展プロセスは次のようであった。

 大きな局所的発熱により、炉心の一部の燃料棒が破損・破裂した結果、燃料と水とが直かに接触して蒸気が発生し、その圧力管の圧力が上昇した。圧力管そのものも、燃料との接触や局所的圧力上昇で破壊に至った(73)。

 中性子束分布が炉心の中央部でへこんだ状態(この状態は運転にともなって不可避的にしばしば出現する)と、炉心下部に許容される以上の水柱が存在する状態(運転員の操作によるものでまれである)とが、暴走を始めたときに決定的な状態までになっていたとしよう。そして、出力密度の大きい部分で燃料棒が破損すると、蒸気が発生して大きなボイド反応度が局所的に出現する結果、炉心では不均一に暴走が進み、熱発生の大きい領域の燃料棒が急速に破損して行く。

 第1段階の程度は、制御棒の構造により決ってくるもので、冷却系や循環系の状態には関係しないが、その出力上昇は、RBMK-1000炉の構造に基本的に固有な、大きなボイド反応度を出現させ、さらなる出力上昇をもたらした。蒸気の発生と増加をともないながら、暴走状態の領域は炉心全体に広がって行った。

 暴走の始めの段階が部分的なものであったことは、左の蒸気ドラムと右の蒸気ドラムとで、圧力上昇がかなり違っていることから確認できる。局所的な暴走が急速に全体に広がったことは、多くのパラメータが示している(AZM警報、AZS警報、圧力上昇、炉容器内圧力上昇警報)。

 限られた数の燃料集合体の破損(だいたい3〜4体)であっても、炉の構造の特殊性のため、緊急防護系の機能が損なわれて炉自身の破損に至り得るし、至ったのである。いくつかの圧力管が破損すると、炉容器内の圧力が上昇し、さらに炉の上部構造板が部分的にでも破壊されると、それによってすべての制御棒が動かなくなってしまう。ここまで至ると、事態はほぼ決ったことになる。

 圧力チャンネル管の破損そのものは、限られた領域で蒸気を発生させ、部分的に中性子束を上昇させるだけであるが、管の破裂によってはじまる次の効果、すなわち、炉の冷却チャンネル全体での圧力低下は、炉心全体で大量の蒸気を発生させ、この炉に固有な大きなボイド反応度の出現を一気に引き起こす。ところが、循環系の密閉性破損の際にECCSを働かせるMPA警報は、このような場合作動しない。というのは、そのセンサーは堅牢な配管室には設置されているものの、炉心には設置されていないからである。

 炉容器内では、蒸気発生が嵐のごとく拡大して行くことになる。

 

 本委員会としては、事故プロセスのはじめの段階で炉心において生じた物理的現象は、以下の研究で十分に説明されると考えている。それらは、全ソ原発開発研とキエフ原子力研の共同研究(33)、およびエネルギー技術開発建設研の研究 (72)である。どちらの研究も、AZ−5信号にともなう制御棒の炉心への挿入プロセスの物理的解析を、循環ポンプのキャビテーションや循環系の密閉性破損といったような炉外からの撹乱現象は考えずに、行っている。

 両方の計算は定性的によく一致しており、炉心下部での出力密度の急変と不均一性の著しい増大を示している。しかしながら、事故原因に関する結論は相反している。全ソ原発開発研ら(33)の計算は、事故原因として、局所的な出力上昇をあげているが、エネルギー技術開発建設研(72)の計算では、その効果があったことは認めながらも、局所的な出力上昇は、定量的には燃料棒破損には至らない、としている。おそらく後者の計算では、炉心の熱水工学的モデルが不十分であった。エネルギー技術開発建設研の報告(71、72)には、熱水工学的プロセスについての計算方法が示されていない。

 報告の著者たちが、自分が行った事故プロセスの計算の確かさや方法の妥当性を示せない以上、本委員会としては、その結論(72)を正しいものとみなすことはできない。また、エネルギー技術開発建設研の研究(71)や別の組織の研究(48)においては、初期条件の少しの違いで、結果が大きく左右されると述べている。全ソ原発開発研の研究(33)をみると、中性子分布の初期条件でのいくらかの違いは、事故プロセスの特性から、急速に事態を悪化させてしまうことが分かる。たとえば、始めの出力密度が20%違っていると、6〜7秒後にかけての出力上昇速度は、400 MW/secと1000MW/secとなり、6.5秒後の炉出力は、それぞれ始めの31倍と64倍である。また、エンタルピーの限界値を越える燃料集合体の数は、それぞれ5体と40体である。

 本委員会としては、文献(33)の研究で示されているように、出力密度の初期値に含まれるいくらかの誤差により、燃料棒破損のようすがかなり違ってくることは、事実と考える。しかしながら、文献(72)の研究では、初期条件の小さな違いが結果に強く影響すると主張しながらも、では、どのような初期値であれば事故に至るのか、といったことを示していない。その結論では、事故を説明するためには、制御棒の構造による反応度に加えて、さらになにか別の要因による反応度上昇が同時に出現する必要がある、と述べ、以下のような要因を指摘している。「循環ポンプのキャビテーション、炉心入口への不均衡な蒸気供給、AZ信号に先立つ実験対象循環ポンプのオフ、炉心入口での冷却水沸騰、NVK(?)の気密性の部分的な破損、そして蒸気安全弁の瞬間的な開放などである」。

 おそらく、事故調査の初期に唱えられはじめたこうした説は、これからも、(事故後4年間どこの研究所も調べてなかったような)なんらかの定量的な根拠を見つけだすであろう。それはさてき、本員会としては、事故を解明し、なによりも、原子炉の構造的・物理的特性を改善しなけらばならないという立場にたって、反応度の問題に注意を集中すべきであると考える。制御防護系SUZの構造ならびに炉の物理的技術的特性のどんな不具合と関連して、チェルノブイリ発電所の運転員は、事故を引き起こしたのであろうか。問題点へのこうしたアプローチは、事故直後RBMK型炉において計画、実施された一連の組織的・技術的対策にみることができる(38,39,40,62)。

 4.7:運転員の操作について

 公式文書では、チェルノブイリ事故の基本的な原因は、運転員の操作であった、とされている。従って、本委員会としては、以下の2つの側面から、運転員の操作について独自に評価を行うことにする。まず第1は、運転規則(42)ならびにその他の遵守すべき義務に違反した一連の行為をすべて列挙することである。次に、事故の原因やその規模に、それらの違反がどの程度影響したかを、得られているデータに基づきながら、振り返って評価することを試みる。

 本委員会として強調しておきたいのは、運転員や開発担当者の違反がどの程度許されるか、ということを調べるのでは毛頭ないことである。

 4.7.1:86年4月25日(午前3時頃)、4号炉の出力降下作業中、熱出力約2000MWの頃、反応度操作余裕は26本以下まで低下した。チェルノブイリ3、4号炉運転の技術規則(9章)によると、反応度操作余裕26本以下での運転には発電所主任技術者(GIS)の許可が必要である。

 さらに出力が降下し、(25日7時頃)1500MWになったとき、反応度操作余裕は 15本にまで下がった。このような場合、技術規則9章によると、原子炉は停止せねばならない。運転員は技術規則を守らなかった。本委員会がみるところ、運転員は違反を意識していた。その時、PRIZMAプログラムは、自動制御棒AR1、AR2、AR3(全部で12本)の状況を計算できないという、不調を示していた。運転当直長はそれを運転日誌に記している。(計算機不調といった)そのような状況や(たとえば、PRIZMAが反応度操作余裕の計算を全く受け付けないような)似たような状況で、運転員がどう対処すべきか、運転規則その他の文書では指示されていない。ともかく、4月25日7時から13時30分の間、反応度操作余裕15本以下の状態で出力1500MWの運転を続けたことは、その責任者(?)を含め、チェルノブイリ原発運転員の技術規則9章違反である。といっても、その違反は、事故の原因ではないし、事故の結果にも影響はしていない。

注:技術規則12章では、原子炉の計画的停止および冷却ついて述べているが、反応度操作余裕の確保に関係する記述はない。

 その中では、出力を低下させるにあたって、「熱出力160MW(定格の5%)までは自動制御系ARを用い、それからは、ARM(?)またはAZ−5ボタン」を用いなければならない、と指示されている。

 これに関連して、以下のことを指摘しておく。

1.技術規則8.9.1項によると、反応度の値は、いかなる出力下においても制御されねばならない重要パラメータとされている。反応度操作余裕は、一連の重要パラメータのうちに入っていない。

2.RBMK炉の設計では、手動制御棒の有効性の尺度である反応度操作余裕を測定するような装置は考えられていない。運転員が反応度操作余裕の値を知るには、制御棒がどれだけ入っているのか、その位置を測定し、目盛りの非直線性を補正し、さらにそれらを合計しなければならない。または、中央計算機に命令を出して数分後に計算結果を受け取るかである。どちらにしても、運転員に対し、制御されるべきパラメータとして反応度操作余裕の確保を要求するのは、正当ではない。まして、その値が得られたとしても、出力密度分布の形に応じて、誤差をともなっているであろう。

3.反応度操作余裕は、緊急防護系(AZ)の有効性に関係するような最重要なパラメータであると、技術規則は運転員に注意をうながしてはいない。

 実際には、事故後の計算で示されたことであるが、手動制御棒を炉心から全部引き抜くようなことは、他の型の炉、たとえばVVER炉では禁止されていないが、RBMK炉では許されないことであった。RBMK炉では、炉心から一定以上の制御棒を引き抜くと、炉心下部において、それが排除される際に反応度の「正の導火線」となってしまう水柱ができてしまう。

4.7.2:86年4月25日14時、実験計画書2.15項(43)に従って、運転員はECCSのバイパスを手動で行った。冷却水循環系からECCSが切り離されたわけであるが、それは実験計画にあるように、「3系統のECCSからの注水を防ぐため」であった。技術規則2.10.5項の記載によると、計画停止後の再起動にあたっては、循環系の温度が100度Cを越えると、「ECCSは作動可能な状態になければならない」。同時に、「警報の切り替えと設定、バイパスに関する規則」の2項(45)では、発電所主任技術者に対し、ECCSの自動起動を解除する権限を認めている。その解除は、急速作動システム並びにシステム全体に対し認められている。ECCSをバイパスしたことは、技術規則2.10.5項違反であったと本委員会は考える。しかしながら、ECCSのバイパスは、事故の発生ならびにその進展には影響していない。なぜなら、事故前後の経過を通して、ECCS自動起動の信号は発生してないことが示されている。以上のことから、ECCS切り離しに関連して、「事故の規模を小さくできた可能性」(46)もなくはないが(?)、基本的には86年4月26日にそのような条件はなかった。

4.7.3:86年4月26日00時28分、(運転日誌によると)予期せぬ出力低下により、炉出力は30MWのレベルにまで下がってしまった。このときの状況について得られている情報は不十分であり、出力低下の原因について確かな分析をすることは困難である。00時28分、運転班長は日誌に次のように記している。「運転領域出力上昇率異常警報(AZSR)オン。<急速出力降下>ボタンにより、自動制御棒ARの配置低下(?)。AR1オン。AR−2の許容外不均衡解消。AR−2準備完了」。この記載の分析、DREGの記録、および制御防護系SUZのアルゴリズムを基に、本委員会としては、このときに発生した事態を次のように想定している。

 なんらかの原因(おそらく、給水流量または蒸気ドラム圧力変化といった循環系での撹乱)により、局所出力制御系(LAR)が切れ、自動的に平均出力制御系(AR1)に切り替わった。AR1は、負の側へのアンバランスを打ち消すため、自動的に上端(VK)まで引き抜かれた。

 AR2は、その測定部のアンバランスが大きすぎたため、自動的には作動せず、上端への移動は起きなかった。

 自動制御への移行にともなって、運転班長のパネルでは「AZSRオン」のランプが点灯し、すべてAZSR待機の状態になった(??)。

 この間、炉心にはキセノン毒が継続し、出力が下がり始めた。AR1とAR2の測定部のアンバランスが大きくなり、運転班長のパネルには「AR1測定部不調」、「AR2測定部不調」のランプがともり、DREGにも記録それはされた。おそらく運転当直長は、「急速出力降下」ボタンを用い、毎秒2%の割合で出力を下げ、AR1測定部でのアンバランスを解消させ、AR1の自動制御を作動させたと思われる。

 それから、出力制御系AR1を用いて、運転班長は、実験実施に向けて出力の回復作業に着手した。

注:86年4月26日00時28分にチェルノブイリ4号炉において発生した事象について補足する。

 出力分布計SFKRZの記録計は、30MW以下の熱出力を記録していない。そのとき、中性子計では、約5分間ゼロ出力が記録され、それから曲線的に上昇し、SFKRZに対応する、30〜40MWのレベルに達している。出力が小さく、またその出力を測定する計器が不確かであったことは、原子炉出力は実際上、最小制御可能出力(MKU)を下回っていたことを示している。技術規則6.7項では、MKU以下でさえなければ、如何なるレベルであろうと部分的な出力降下が認められ、その後の通常出力への復帰も許されている。

 ここで、前述の運転規則文書には矛盾があることを指摘しておきたい。技術規則6.1項では、短時間の原子炉停止にともなう、「循環系冷却水の温度低下をともなわないゼロレベルへの出力降下」について記載がある。しかし、ゼロレベルの出力が如何なるものか示していない。出力が中性子に関するものであれば、運転員は技術規則違反であるが、熱出力であれば(記録計チャートに基づいて)違反とはならない。

 当時施行されていた規則や運転手順書では、「最小制御可能出力(MKU)」とか「原子炉停止」とかが、実際の運転に対応するように、はっきりと定義がされていなかった、と本委員会は考える。

 本委員会の見解では、00時28分の原子炉出力の「崩落」とそれに続く出力上昇とが、悲劇的なプロセスの発生を決定づける主要な要因となった。00時28分から00時33分の間の運転状態の変化は、炉心に新たなキセノン毒を蓄積させ、運転員には制御できないような(3.4節参照)出力密度分布の変化をもたらした。このときの状態から事故発生までの出力密度分布の変動を計算するような研究は、いまだ実施されていない。

 運転員のこの時の操作が、正当であったか間違っていたかは、先に述べた技術規則の矛盾や、測定データの不十分さや矛盾を考えると、最終的な結論を下す事はできない。計算による分析もいまだに行われていない。

4.7.4:出力低下は、蒸気ドラムの水位と蒸気圧の低下をともない、その水位は警報設定値「-600」以下になったが、緊急防護系を作動させるAZ−5警報は発生しなかった。運転員が、炉の出力が下がった際、蒸気ドラム水位低AZ−1警報の設定値「-1100」を、AZ−5の設定値である「ー600」へ変更しなかったことに本委員会は着目している。(???)その理由について運転日誌に記述はない。運転員のこの操作は、「警報の切り替えと設定、バイパスに関する規則」9項(45)違反である。しかしながら、「-1100」以下では、別の警報が設定されており、その設定値は出力に依存せず変化しない。従って、「冷却系パラメータに関する警報はすべて切り離された」という言い方(29)は事実を示していない、と本委員会は考える。

注:適切な技術的装備を欠いていたため、事故防護の機能が、いかに運転員に負わされていたか、蒸気ドラム水位低にともなう警報を例にとるとよく分かる。設計決定書(77)では以下のように記されている。「蒸気ドラム水位の異常に関するAZ−1、5警報値の自動的な設定変更は許されない。なぜなら、ドラム水位の目盛りは「+400...-1200mm」であるが、AZ−1やAZ−3警報の作動により水位が「-600」まで低下してしまうと、そこでAZ−5警報を発生して原子炉が停止してしまう」。さらに注目すべき結論として、「警報値の自動的な設定変更や水位低下(?)にともなうAZ−5の自動的発生(または解除)のかわりに、警報の発生が予測される事態にあっては、運転員は、共通キー(?)を用いて設定値を変更するよう努めること」。(???)

 我々の仕事は、設計決定書のそのような要請が技術的に可能なものであるかを(実際に可能であったが)立証することではない。安全性を重視して炉を停止させるか、または経済性を優先させて炉の運転を継続するか、というジレンマが発生した状況において、後者を優先させ、運転員は安全装置の一つとみなして、その役割を無条件に信頼し、運転員の肩に事故防護の機能を負わせている、というのが設計計画書の考え方であり、そのことを立証するのが我々の仕事である。

 00時36分24秒、運転員は、蒸気ドラム圧力低にともなうタービン切り離し警報の設定を、55kg/cmから50kg/cmに変更した。「警報の切り替えと設定、バイパスに関する規則」12項(45)では、設定値の選択は運転員に任されており、この操作は規則に合致したものである。運転員は蒸気ドラム圧力警報をバイパスしてしまった、という公式文書での運転員非難を、本委員会は支持しない。
注:蒸気ドラム圧力低警報は、タービンを停止させる信号であり、文献(29)にあるような「熱的パラメータにともなう原子炉防護」の信号ではないことを強調しておきたい。客観的に考えて、文献(29)の著者たちは、次のように指摘すべきであった。つまり、原子炉の設計に基づくと、タービンの電気出力100MW以下のときは、圧力低警報を切っておくのが一般的である。さらに、その際、(たとえば、圧力抑制プール蒸気急速減圧弁(BRU−B)の開放や閉鎖不良、蒸気配管の破損などがあると)、反応度操作余裕の制限が守られていたとしても、ボイド反応度の出現により原子炉の暴走に至るかも知れない、と。
4.7.5:00時41分、(発電所当直長、原子炉当直長、電気系当直長および発電機運転班長の日誌によると)空回転にともなう振動特性の測定のため、No-8タービン発電機が、電源回路から切り離された。この操作は、No-8タービン慣性発電の実験計画では予定されていなかった。No-7とNo-8タービンの振動測定は、別の実験計画に基づき、86年4月25日に、出力降下作業中や1500〜1600MWの熱出力での運転中に、すでに部分的に実施されていた。(No-7タービンはすでに25日13時05分に切り離されており)一方のタービンが切り離された状態で、残ったNo-8タービンを、原子炉を停止させずに回路から切り離すためには、「両タービン停止AZ−5」警報の解除が必要となる。「警報の切り替えと設定、バイパスに関する規則」1項(45)では、タービンの電気出力が100MW以下のときは、この警報を解除するよう定めており、運転員の操作はそれに従ったものである。両タービン蒸気調整停止弁閉鎖にともなう原子炉停止信号を解除してしまった、という運転員への非難を、本委員会は支持しない。

4.7.6:4月26日01時までに、出力上昇作業は終わり、熱出力200MWのレベルで原子炉は安定した。熱出力200MWでタービン慣性発電の実験実施を決定したことは、実験計画からの逸脱であった。しかしながら、設計や運転手順に関する規則が、そのような出力レベルでの運転を禁止していたわけではない。事故当時チェルノブイリ発電所では、運転が許される最小熱出力レベルというような安全基準は設定されていない。本委員会が知る限り、RBMK-1000炉の運転に関連する基本的文書によると、設計開発担当者たちが、低出力運転の制限を、いかなるレベルであろうと設定しようと考えたことはなかった。それどころか、技術規則11章(11.4項)では、AZ−3警報の作動時や、(周波数変調といった)電力系統の紊乱の場合には、所内用電源として必要なレベル(熱出力200〜300MW)まで炉の出力を下げることを運転員に求めている。最小制御可能出力での運転時間についての制限もない。

注:技術規則では、4月26日のチェルノブイリ4号炉の場合と似たような運転状況は認められていたし、運転員による手違いのようなことがなくてもそのような状況は発生し得た。反応度操作余裕26本で通常に運転されているときに、AZ−3警報が作動するという状況は十分に想定される。その場合、AZ−3作動後、熱出力200〜300MW約1時間の運転で反応度操作余裕は15本以下になるであろう。そして、自動的であろうと手動であろうと、原子炉停止の操作が続けば、86年4月 26日の事態の再現となろう。
 本委員会としては、700MW以下の出力で運転したことをもって運転員を非難することには根拠がない、と考える。

 

4.7.7:01時03分と01時07分、実験計画2.12項「実験中の炉心冷却の確保について」に基づき、それぞれのループに1台ずつ循環ポンプ(No-12とNo-22)が追加運転された。86年4月26日当時、技術規則を含めいかなる規則も、いかなる出力であろうと、循環ポンプ8台全部を運転することを禁止はしていない。この意味では、運転員の操作に違反はない、と本委員会は考える。同時に、給水流量が500t/hr以下であるような低出力運転時においては、キャビテーションを避けるため各循環ポンプの流量を6500〜7000m/hに制限するよう、技術規則は定めている。4月26日の各循環ポンプの実際の流量はこの値を越えていた(技術規則5.8項違反)が、ポンプのキャビテーションには至っていない。このことは、DREGの打ち出しで分かるし、機械建設試験局(OKBM)その他の研究結果でも示されている。「実験対象のポンプと対象外のポンプはいずれも、暴走と炉心破壊の期間を含め、確実に炉心へ水を送っていた」と報告(44)されている。

 

4.7.8:実験準備および実施期間における運転員の行動について分析した結果、本委員会としては、以下に示すような、運転規則や手順の違反があったと考える。

 ・86年4月25日7時から13時30分まで、および4月26日01時以降、反応度操作余裕15本以下の状態で原子炉を運転したこと(技術規則9章違反)。

 ・ECCS全体を切り離したこと(技術規則2.10.5項違反)。

 ・蒸気ドラム水位低AZ警報の作動値を「-600」から「-1100」に変えたこと(警報の切り替えと設定、バイパスに関する規則9項違反)。

 ・各循環ポンプの流量を7500m/hrまで増加させたこと(技術規則5.8項違反)。 さらに、運転員には実験実施計画からの逸脱もあった(4.7.5及び4.7.6参照)。出力急落後の運転員の操作(4.7.3)が妥当であったかどうかについて結論を出すには、今後の研究を待たねばならない。

4.7.9:以上に述べた「原子炉をきわめて危険な状態に陥らせたチェルノブイリ4号炉の運転員たちの違反」(44)が、事故の原因およびその規模に、どのように影響したかを、本節の締めくくりとして、本委員会は指摘する。

 本委員会の見解では、ECCSの切り離しは、事故の発生にもその結末にも影響しなかった。

 暴走プロセスは、ポンプの運転状態や各ポンプの流量増には関係なく始まり進展たが、循環ポンプを通常の6台に替えて8台運転したことは、おそらく暴走プロセスの発生を抑える側に影響したであろう。といっても、このことについてはもっとキチンとした解析を実施せねばならない。

 警報設定値の変更や解除は、事故の原因ではないし、その規模にも影響していない。これらの操作は、(出力や出力上昇速度にともなう)原子炉そのものの緊急防護系には関係していないし、そういった警報を運転員は解除していない。

 実験開始出力の変更と出力降下時間の延長により、運転員には当初の計画では予定されていない操作が必要となり、炉出力制御の失敗へとつながった。最小制御可能出力(MKU)への不意の出力降下と出力再上昇、これらはその現れであるが、引き続いての原子炉の挙動にきわめてマイナスな影響をもたらした。

 低出力での運転は、正の反応度係数をきわめて出現させ易く、局所的な出力密度上昇に限らず、(たとえば、冷却水漏れのような)他の原因によっても、最大限にその効果が現れる。このように、運転出力の値は、事故の規模に影響した。皮肉なことに、設計段階において安全性の研究も実証もされなかった低出力こそ危険だったのである。

 当初の実験計画に従って、熱出力700MWで実験が実施されていれば、おそらく事故には至っていないであろう。しかしながら、このような見解が妥当であるかどうか、その正当性を判断できるような研究は、まだ実施されていない。

4.8:反応度操作余裕について

 反応度操作余裕の問題は、チェルノブイリ事故で最も重要なものの一つである。

 本報告4.7.1項と4.7.3項では、運転員の操作が技術規則に合致したものであったかを分析した。ここでは、事故後わかったことではあるが、RBMK-1000炉の設計や技術規則において、反応度操作余裕の役割がきわめて矛盾したものになっていることを指摘する。

 技術規則9章「原子炉運転にあたっての正常なパラメータと許され得る逸脱」では、以下のように定められている。

 「定格出力での通常運転されているときの反応度操作余裕は、少なくとも26〜30本なければならない。

 反応度操作余裕26本以下での運転には、発電所主任技術者の許可が必要である。

 反応度操作余裕が15本まで低下したときは、原子炉は速やかに停止せねばならない。

 発電所の技術責任者は、所与の原子炉の出力密度分布の安定性に関する具体的状況を定期的に(年1回)検査し、必要な場合には、科学技術指導部(NR)や主建設局(GK)によって承認済みの文書(?)に照らして再検査しなければならない。(??)」

注:「発電所の技術責任者」とは誰のことをさすのか、その規則でも他の規則でも定義されていない。同様に、出力密度分布の安定性に関する具体的状況、とは何であるのか、きわめて曖昧であると本委員会は考える。
 00時28分の状況(炉出力の急落)との関連で言えば、反応度操作余裕に関する技術規則の指示は、以下に引用するように矛盾している。

 「6.2項。<ヨウ素の凹>が生じないような短時間の原子炉停止後の出力再上昇は、一定以上の反応度操作余裕の値がある場合に許され、その値は、炉停止前の反応度操作余裕の値で決められる。原子炉停止前に必要な反応度操作余裕の値を、表に示す。

    <表6.1.>

===============================

原子炉出力(%、定格)  手動制御棒の反応度操作余裕必要値(本)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 80〜100             50

 50〜80              45

<50                 30

===============================」。

 

 「6.6項。短時間停止後、出力再上昇時において反応度操作余裕は15本以下になってはならない。

 炉を臨界にもって行くため制御棒を引き抜く間に、反応度操作余裕が15本まで低下し、さらに減少するようであれば、すべての制御棒を下端まで挿入しなければならない...」。

 これらの引用に基づけば、次のようなことになる。

 第1に、技術規則は、反応度操作余裕を出力密度分布に関連する要因とのみみなしている。

 第2に、反応度操作余裕の制限値を、それに違反すると事故に至るような安全上の制限値としては扱っておらず、反応度操作余裕が15本以下になった場合について適切に記述していない。

注:反応度操作余裕に関する矛盾した指示は、設計に関する文書にもある。たとえば、文献(63)では次のように記されている。「定格出力での通常運転においては、反応度操作余裕は25本以下また35本以上であってはならない。発電所主任技術者の承認があれば、最小反応度操作余裕値以下での運転が許されるが、その場合でも、反応度操作余裕10本以下で3日以上運転してはならない」。
 以上のように、運転規則において反応度操作余裕は、緊急防護系の機能に関係するような指標としては扱われていない。このような扱いの理由は、(本報告4.7.1の注で示したように)設計に携わった開発担当者が、運転員を「歩くコンピュータ」かのようにみなし、事故防護の機能を、機械装置ではなく運転員に不当に転嫁したためであろう、と感じられる。設計にあたって、反応度操作余裕の制限値は、緊急防護系を作動させることが必要な値としては検討されていない(本報告3.3と3.7参照)。

 しかしながら、本委員会としては、次の点を重要な結論として指摘する。すなわち、開発担当者は、反応度操作余裕の低下が、緊急防護系の機能確保という観点から危険であることをよく知りながらも、発電所の運転員にはそのことをしかるべく通知しなかった。もしも運転員が問題点を知っていれば、開発担当者によって自らに背負わされた事故防護系としての役割を回避できたかも知れない。

 実際、1984年、設計段階で考えられていなかったような、制御棒の構造にともなう正の反応度効果による出力上昇が出現した。主建設局は、他の組織やRBMK炉をもつすべての発電所に通知を出し、炉心から完全に引き抜く制御棒の数を最大150本にし、残りの制御棒は少なくとも0.5mは炉心に入っているように制限する意向であることを伝えた(32)。

 事故後の研究に基づいて、現時点で考えると、それらの制限の提案が意味するところは次のようなものであろう。

 RBMK炉の出力密度の高さ方向分布は、きわめて不安定であり、炉心中央で凹のような形になる場合がある(二つ山分布)。その場合に、手動制御棒が挿入されると、炉心下部では正の反応度が生じ、一方炉心上部には負の反応度がもたらされる(<天秤>効果)。そのとき、水柱の量がある一定の値以上に形成されないよう制限しておけば、もたらされる正の反応度の大きさを減少させることができる。そのために、一定量以上の制御棒の完全引き抜きを禁止する。そうすれば、制御棒の押出し部が炉心下部で水柱にとって代わることによって生じる反応度の<導火線>効果は減少する。また、完全に引き抜かれていない制御棒の吸収体部は、中性子が存在するところまですでに入っており、AZ−5信号から数秒後には、制御防護系SUZ制御棒の主な部分は炉の反応度に対し有効に作用する。

注:暴走に至るかどうかは、炉心部に存在する、手動制御棒の吸収体部の量と押出し部の下の水柱の量とに強く依存する。そのため、炉心に部分的に挿入されている制御棒の長さを合計して、必要な反応度操作余裕の値を計算することは困難である(少なくとも、事故のときの制御棒の状態について)。
 しかしながら、緊急防護系の有効性に対する反応度操作余裕の明かな重要性にもかかわらず、1986年まで技術規則にそのことは取り入れられなかったし、RBMK炉原発の運転員にもその説明はなかった。如何なる状況においても、「...如何なる運転状態にあろうと、緊急防護系は有効に作動し、核分裂連鎖反応を停止させ、炉の暴走を防止する、と運転員が期待していたのは正当であった」(65)。しかし、その期待ははずれていたし、事故が実際に起きるまで、RBMK炉の運転員は、反応度操作余裕の値によっては、(事故以前の制御防護系SUZ制御棒の構造のため)出力密度分布の制御ができなくなるばかりか、なによりも、緊急防護系が有効に機能しなくなってしまう、ということを知らされていなかった。

 (制御棒押出し部の下の水柱をなくすという)制御棒の改造勧告後、主建設局は、事故から4年たってようやく、次のような発表を行った。「RBMK炉の(反応度操作余裕に関する)この問題について入念に研究した結果、出力密度分布を適切に制御するのに必要な反応度操作余裕は26〜30本である、と決められていた」(51)。確かにそうであったかも知れないが、本委員会としては、現在の規則で定められている反応度操作余裕の値(定常運転時43〜48本で、30本が限界値、それ以下では運転停止)と、事故までの制限値とがかなり違っていることに着目している。(?)

注:明らかに、RBMK原発においては、(反応度操作余裕が制限値に至った場合も含め)事故防護の機能の多くが、信頼性が高いとして運転員に負わされていた。このことは、原子炉の安全確保という複雑で多岐にわたるシステムにおいて、運転員を、絶対的に信頼できる要因とみなしていたことを示している。そうした考えの誤りは、事故後4年半たって、科学技術指導者たちも認めるようになった。「ソ連邦における軍事用原子炉での長年にわたる無事故運転により、次のような単純な(?)発想が深く根付いてしまった。つまり、正しい運転マニュアルをたくさん作ること、すなわち安全の確保である、という発想である。もちろん、運転マニュアルは守られねばならない。しかし、それでは不十分なこともはっきりした。チェルノブイリの第一の教訓は、原発の安全性はマニュアルだけでは守られない、ということである。なんらかの原子炉パラメータに異常が発生し原子炉を停止せねばならない場合、運転員の操作によるのではなく、自動的に停止することが必要である。さらには、自動停止システムを勝手に切り離したりすることができないような措置が必要である」(75)。

 正当ではあるものの遅きに失するこの声明に加えて、1986年当時のRBMK炉運転マニュアルは、妥当というには複雑であった、と述べておく。

 

4.9:事故の原因

 事故の出発点は、運転班長が原子炉停止のため緊急防護系制御棒挿入ボタン(AZ−5)を押したことであった。なぜ彼がボタンを押したかは、いまだはっきりしない。

 事故の原因は、原子炉出力の制御不能な上昇であった。その第1段階は、制御棒押出し部の挿入にともなう反応度の増加であった(72、33、73)。

 反応度の増加を、制御棒の吸収体部は抑えられなかった。その原因の一つは、制御棒の挿入速度が小さかったことである。さらには、実験開始以前に運転員が、炉心から手動制御棒を制限されていた量以上に引き抜いていた結果、制御棒の構造にともなって、暴走第1段階の瞬間的出力上昇につながる条件が形成されていた。

 第1段階での反応度増加は、炉心における蒸気生成と反応度との大きな正の関係により、さらなる出力上昇をもたらした。実験開始の出力が小さかったことと熱水工学的特性とににより、最大限のボイド反応度効果が出現し、さらに出力密度分布の歪みが大きかったことも事態を悪化させた。

注:事故の原因については多くの報告が出ているが、複雑な問題も付随している、ということを指摘しておく。それらの報告の中で、文献(54)は事故の原因について次のように簡潔に述べている。「チェルノブイリ事故を分析した結果、その原因は以下の通りであった。制御棒押出し部の効果が大きかったこと、ボイド反応度の効果が大きかったこと、および事故プロセスで炉心の出力密度分布にきわめて大きな歪みが形成されたことである。最後の事象は、最も重要なことの一つであるが、炉心のサイズが大きかったこと(7*12m)、(吸収体部、押出し部、水柱部をふくめ)制御棒の挿入速度が0.4m/secと小さかったこと、およびボイド反応度効果が約5βと大きかったことによる。これらのことすべてが、チェルノブイリの惨事の大きさを決定した。

 以上のように、チェルノブイリの災害をもたらしたものは、運転員の操作ではなく、まず第1に、RBMK炉の炉心における蒸気の生成が反応度へもたらす影響への、科学技術指導者たちの無理解であった。それこそが、運転時の信頼性の不適切な解析、運転中に大きなボイド反応度が一度ならず出現した経験の無視、制御防護系SUZの有効性(チェルノブイリで実際に役に立たなかったし、また、設計想定事故のような場合も役に立たないだろう)に関する誤った確信、そして妥当でない運転規則の作成、をもたらしたものである。

 さらには、そうした科学指導者たちのお粗末さは、RBMK炉心で進行する中性子物理的プロセスに関する研究の低レベルさ、たとえば、さまざまな方法で得られた結果の不一致の無視、現実に近い条件での実験的研究の欠如、専門的文献の分析の欠如、といったことに現れている。炉心で進行するプロセスを実証し、RBMK炉原発の安全性を実証することが、彼らの仕事であり、最終的には、中性子物理的プロセスに関する誤った計算方法が、主建設局に引き渡されることになる。

 エネルギー省が長い間、RBMK炉心の中性子物理的不安定性の研究に消極的であり、AZ信号作動の際にAZMやAZS警報が発生するということを一度ならず経験したのに、必要な注意を向けず、事故の状況を十分に検討するよう要請しなかったことは、きわめて重要な問題である。

 ...チェルノブイリのような事故は避けられないものであった、ということを確認する必要がある。」