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1991年6月 今中哲二
チェルノブイリ事故ソ連報告書(1991/1/17) について

 


 チェルノブイリ事故の原因は、人為ミスではなく設計の欠陥であるとソ連政府の委員会が認めた、という報道は、昨年はじめ頃から流れていたが、その最終報告書らしきものを入手した。その概要をお知らせする。

 表題は「1986年4月チェルノブイリ4号炉事故の原因と状況について」で、原子力産業安全監視ソ連政府委員会の報告書になっている。中身は、ソ連最高会議チェルノブイリ事故調査委員会の命を受けて、1990.2.27に設立された特別調査員会(シテインベルク委員長他5名)の報告である。

 全文78ページで、図表はなく、技術的に深く突っ込んだ内容はない。一見したところおもしろそうな感じではなかったが、少し読んでみると、かなりカゲキに設計開発者や規制担当者をやり玉にしたり、チェルノブイリ事故は起こるべくして起きた、と述べている。案外興味深いので、ロシア語辞書を片手に頑張ってみた。

 

全体の構成は次の通り:

第1章 序                    3ページ

第2章 チェルノブイリ4号炉建設の経緯  2ページ

第3章 チェルノブイリ4号炉の設計における

   いくつかの安全規則・基準不適合について  19ページ

第4章 事故の原因と状況            38ページ

  4.1.事故のときに実施されていた実験の内容と性格  2

  4.2.技術的事故経過(86/4/25-26) 4

  4.3.委員会が調査した記録とデータ 2

  4.4.事故前後の経過の数量的モデル化について 3

  4.5.事故原因についてのいくつかの見解 4

  4.6.事故原因についての委員会の見解 8

  4.7.運転員の行動について 9

  4.8.反応度操作余裕について 4

  4.9.事故原因 2

第5章 結論 6ページ

               (残りは、略号一覧、文献等)

 

第1章 序

 事故原因に関する公式見解は、1986年8月のIAEAの会議で報告されたように、「運転員による規則と実験手順違反の極めて信じ難い組合せ」である。しかしながら、86年10月のクルチャトフ研の報告は、公式見解は否定していないものの、安全防護系に欠陥があることに言及しており、「データと矛盾しない唯一の説は、制御棒**効果に関係しているであろう」と述べている。

 運転員の精神テスト結果の成績も、他の発電所に比べ問題はなく、チェルノブイリの運転員が劣っていたわけではない。今一度、設計開発、規制システム全体を含めて、事故の原因究明を行う必要がある。

 調査の過程で、RBMKの欠陥は86年5月から6月始めには分かっていたことが明かになった。しかし専門家にも広く知らされなかったし、IAEAの会議でも報告されなかった。さらにそれ以前84.12.28に、省庁間原子力科学技術評議会は、RBMKの設計欠陥に関連して、安全規則に適合するよう改善する措置をとることを決めているが、実施されなかった。

 本委員会としては、事故後ただちに全RBMK炉で技術的改善策を実施したことと、事故原因は運転員ミスである、という公式見解との食い違いにも興味を持っている。

 

第2章 チェルノブイリ4号炉建設の経緯

 1966年ソ連政府は、66-77年にかけて1190万kWの原発建設計画を決定(うちRBMK800万kW)。研究開発、機器製作、燃料供給等はソ連中機械製作省が担当し、具体的設計、建設、運転はソ連エネルギー省が担当。

 1967年原発建設地点としてチェルノブイリを決定(2基200万kW)。70年暮れ炉型としてRBMKを最終決定。RBMKの開発は、中機械製作省の研究所が行っていた。チェルノブイリの具体的設計は、水力計画研が行った。1974年には2基の増設が決定。

 RBMK−1000炉の技術設計は、レニングラード原発1号炉のとき、エネルギー技術研究開発研で審査され、1967年10月中機械製作省科学技術評議会で承認されている。その後いずれのRBMKも技術審査を受けていない。

 

第3章 チェルノブイリ4号炉の設計におけるいくつかの安全規則・基準不適合ついて

 1975年7月2日に承認された「クルスクおよびチェルノブイリ第2期原発の安全確保について」において、設計担当者が従わねばならなかった基準は、

 ・原発の設計、建設、運転における安全確保に関する全体規則、OPB−73

 ・原発の核的安全性規則、PBJ−4−74

の二つである。

 以下に、チェルノブイリ4号炉の設計が、以下に当時の基準に違反していたかを示す。

 

3.1.規則「核的安全性にかかわる装置はいずれも、原発の建設、運転にあたって技術的に実証されていなければならない」

 チェルノブイリ4号炉の安全設計は、形の上では、監督官庁や研究所の承認を得、基準を満たしていることになっているが、実際には、正のボイド反応度係数と安全制御システムに欠陥があり、基準を満たしていなかった。

 従って、原発の運転マニュアルにも、この欠陥に対応する手順を欠くことになった。

3.2.基準3.2.2「設計にあたっては、いかなる状態においても全出力反応度係数は、負になるよう努めねばならない。かりにある運転条件下で正になるようであっても、核的な安全性が確保されねばならない」

 RBMK炉の設計では、正のボイド係数に注意が払われてきた。その値は、炉心の構成、燃焼度などに依存する。

 ボイド係数と全出力係数の測定は、1973年のレニングラード1号炉の試運転から行われている。ボイド係数が大きくなると、炉周期も短くなることが実験的に確認されており、運転上の問題にされていた。

 1976年、炉の安定性向上のため、濃縮度2%への変更と、部分自動制御システム(LAP)を採用し、チェルノブイリ4号にも適用した。それでも、燃焼が進みかつ制御棒の反応度操作余裕が26から30本のときのボイド係数は約5βになる。こうした話は、定格の50%以上での運転時についてであり、それ以下の出力、事故や過渡時については、ボイド係数の計算も測定もなかった。

 開発担当者は、低出力における危険な特性を予想しなかったし、低出力運転に関して如何なる制限も設定していない。

 設計基準事故の解析においては、集合配管破損にともなう炉心半分での冷却材喪失が検討されている。この場合、圧力管での冷却水蒸発により最初に正の反応度(2βまで)が現れるが、その後、たとえ安全防護系が機能しなくとも、負の反応度の出現により炉は自然停止することになっていた(1973年の解析)。実際には、ボイド発生により5βの反応度が生じ、自然停止どころか暴走に至ることが、その後の計算(1980、85、87)で示されている。

 炉の不適切な特性について、開発担当者、発電所、監視組織のいずれも注意を向けなかったし、事故時における特性は、結局分かっていなかった。

 計算機技術の遅れも、こうした事態をもたらした原因のひとつであろう。炉の特性計算では、3次元非定常の中性子、熱特性計算が必要であるが、こうした計算は最近緒についたところである。

定格出力、中間出力、最低出力、また過渡時、事故時のいずれにおいても、RBMK炉の「核的安全性が実証されている」とは言えない。炉心設計の誤りがこのような状況をもたらした。炉心の特性は、基準3.2.2及び規則2.2.3を満たしていない。

3.3.基準3.1.8「警報システムには、以下の警報を設定しなければならない。事故警報:安全保護系作動、事故的条件。警告警報:安全保護系作動近接、放射線増、機器異常」

 IAEAへの報告では、反応度操作余裕低下のマニュアル違反が運転員の主要な誤りとされている。しかし、設計開発にあたって、反応度操作余裕の警報は考えられていないし、そもそも安全保護系とも関連させられていない。事故後にあわてて安全保護系に入れられたのである。

 かくも反応度操作余裕が重要であったことを、開発担当者が予測しなかったのは、基準3.1.8の違反である。

3.4.基準3.3.1「制御防御系は、核反応を速やかに停止させ、未臨界状態を保持できねばならない」

 開発担当者は、様々な条件下でいろいろ変化する反応度係数を、満足に検討していない。また、上端から制御棒を入れる際に正の反応度が現れることを考えていない。これらと、制御棒挿入速度が遅い(18秒)ことがあいまって、制御防護系は、機能するどころか、自ら暴走をもたらした。

 開発担当者は、制御防護系の有効性を評価できなかった。事故後の解析では、制御防護系の有効性は反応度操作余裕に大きく依存する。たとえば、反応度操作余裕30本の場合では、大きく負の反応度が現れる。15本では、AZ−5信号の6秒後に1βの負の反応度がはいる。7本では、8秒後正の反応度が入り、暴走を始める。これらは事故後はっきりしたことであり、開発担当者が反応度操作余裕の制限値を設定できたとは考えられない。

RBMK−1000の出力制御には二つのシステムがある。ひとつは、「出力分布監視系」で、そのセンサーは炉心に挿入されている。もうひとつが、「制御防護系」で、センサーは生体遮蔽内と炉心に配置されている。ふたつの制御系は互いに補い合っているが、低出力では事情が異なる。出力分布監視系が有効に機能するのは、出力が10%以上のときで、それ以下では、部分制御装置(LAPとLAZ)が機能しない。RBMKのように幾何学的に大きな炉心で、低出力時にLAP−LAZが切り離された際、側面に配置された電離箱は中心部を感じないし、その上すべての電離箱は中央に高さにあるので、出力の高さ分布も不明になる。かくして、低出力時には運転員はメクラの状態になり、経験や勘に頼らざるをえない。

 普通の運転から一旦停止し、キセノン毒が蓄積された状態で炉を起動し低出力で運転した場合には、出力分布は高さ方向、径方向とも大きく歪んだ状態になり、そこで停止することは極めて危険な状態になる。

 制御防護系は、基準3.3.1を満たしていない。

3.5.基準3.3.5「反応度操作において重要な機器の一つの不作動を仮定してもいずれかのシステムにより炉を停止し未臨界に保たれねばならない」

 3.4でも述べたように、この基準は満たされていない。

3.6.基準3.3.21「事故時において防護系が、迅速に自動的に炉を停止できることを確認しなければならない」

 RBMKは迅速に働く防護系を欠いており、制御棒の挿入時間は18〜21秒である。その原因は、開発設計者が、反応度の問題を十分に検討しなかったからである。

 IAEAの会議では、速度が遅くとも数が多いことでカバーされると報告しているが、事故直後に、挿入時間2.5秒の防護系を設置しており、そうした考えは間違っている。

3.7.基準3.3.26「事故防護系は以下の場合迅速に連鎖反応を停止できること。異常な出力、異常な出力(または反応度)上昇率、制御防護系電源喪失、防護系計器故障、プロセス系統異常信号、AZボタン。」

 事故防護系の欠陥はこれまでにも指摘してきた。AZー5ボタンが押されて出力が増大した際、異常出力信号も異常上昇率信号も役にたたず、燃料棒の破損を防げなかった。

 複数の圧力管破損に対応できる設計になっていない。複数管破損で蒸気が炉容器に漏れると、炉上部構造板が持ち上がり、その結果制御棒は入らないし、炉心の制御棒も抜け出してしまう。

3.8.基準3.3.28「AZは、防護系の一つが機能しなくても有効であり、燃料棒の破損は限度以下であり、未臨界状態が維持でき、部分的な臨界にもいたらないことがが実証されねばならない」

 RBMKの制御棒は、上部の吸収棒と下部の押出棒がコネクターで結合される構造になっている。押出棒は黒鉛でできており、中性子の吸収は水より少ない。したがって、上端から制御棒が挿入されると、下部では水を押し出して正の反応度を与えることになり、場合によっては炉心下部で部分臨界を引き起こす。

 原発建設部と技術首脳部では、事故以前よりこのことは知られていた。1983年11月から12月に、イグナリーナ1号とチェルノブイリ4号の試運転において実験的にも観測されていた。手動制御棒の引き抜き制限、制御棒下部の構造変更、制御棒チャンネル冷却方法の変更など、いくつか対策が上げられていたがいずれも実現されなかった。1983年にすでに次のように書かれている。「たとえば、タービンのひとつを止めて出力を50%に低下させると、キセノン毒で反応度余裕は低下し、出力分布の歪も大きくなる。この時AZが働くと、正の反応度が現れる。おそらく、詳細に解析すれば、別の危険な状況も判明するであろう。」

 エネルギー技術研究開発研は1984年次のような勧告を出している。「炉心から引き抜く制御棒の数を150本に制限する。残りは吸収部が少なくとも0.5mは炉心に入っていること。」この勧告に従っても、一斉挿入すると正の反応度になる場合がある。

3.9.基準3.3.29「AZは、キチンと最後まで作動すること。信号消失にともなう防護系の解除は、その設計が実証されていること」

 制御防護系の設計にあたっての原発建設部の考え方は次の文が示している。「事故信号にともなって、すべての制御棒または一部の制御棒を挿入し、迅速に不可避的に炉を停止させるという旧式の原則は受け入れ難い。開発されたシステムでは、炉を停止させるのではなく、定格出力からしかるべき低出力へと速やかに移行させ、その出力で安定的に運転を行う。」

 出力異常などの信号にによる防護系作動を途中で解除してよいという根拠は示されていない。こうした考え方は、安全確保というより、電力生産を優先する発想である。

3.10.本委員会の調べたところでは、RBMK−1000の制御防護系の欠陥のすべては、事故までに分かっていたし、その対策も明らかであった。

3.11.これまでに述べた以外に別の違反を指摘する。格納容器の問題である。規則では、「事故時において放射能放出は、気密室で局所化するか、限界値いかであれば外部に放出される」、「気密室外にある一次系または補助系は、破壊された場合にあっても、周辺住民や職員の安全がたもたれるよう、その健全性を確認すること」とされている。

 チェルノブイリ4号炉の設計にあたっては、気密室での配管破損が検討され、その際の子供の甲状腺線量は2.1レムと評価されている。しかし、より重大な状況、つまり炉容器の破損とか、複数の圧力管破損にいたるような燃料破損は検討されていない。

 格納容器があったからといって、事故の結末に関係するかどうかは分からないが、事故評価をキチンとやっていなかったことは指摘さるべきである。こうしたことは、諸外国では取り入れている「深層防護」「多重防護」の思想を無視してきたことを示している。

3.12.1976年、中機械制作省が設置した委員会の決定によると、流量喪失時の燃料挙動、AZ−5作動やボイド発生にともなう中性子挙動などがRBMKの安全性に重要な関係があるとして、研究開発の必要性を指摘するとともに、ボイドによる正の反応度の出現に対して迅速に炉を停止する必要性を述べている。

 その決定には、ボイドによる正の反応度の出現に対応できるような迅速な防護系を開発すべきだ、というクルチャトフ研の意見も添えられている。

 こうした動きは、1975年11月30日に発生したレニングラード1号炉の事故に関係している。この事故は公式には、製作時の欠陥による圧力管破損が原因とされているが、実際は炉の特性によるもものであり、事故前の反応度操作余裕は15本以下の状態であった。

 チェルノブイリ5、6号の設計にあたってエネルギー技術研究開発研は1980年、技術的な安全上の問題点を列挙しているが、これまで指摘してきたことはほぼ含まれている。 

こうした状況を考えると、チェルノブイリ事故は、類まれなる運転員の規則違反などではなく、起こるべくして起こったもというのが本委員会の見解である。

3.13.RBMKの欠陥は、理論的にも実験的にも事故以前に分かっていながら、技術的対策はとられなかったし、運転員への警告も行われなかった。運転規則も一貫性を欠いており、運転員に分かりずらかった。設計開発者は欠陥を知っていながら、その意味を理解できず、結局事故につながった。

 本委員会として、以下のように結論する。

 チェルノブイリ3、4号の技術的設計は、当時有効であった基準、規則にてらして違反している。

 設計開発者は、こうした違反について、説明せず、分析せず、運転手順でも考慮しなかった。また違反を相殺するような技術的対策やシステム的対策も開発されなかった。基準(OPB−73)や規則(PBY−4−74)が出てから事故までには10年以上の時間があり、その間にチェルノブイリ4号炉は、設計、建設、運転された。原発建設部、総設計部、技術指導部のいずれもこの間RBMKを安全基準に合致させるよう有効な対策に着手しなかった。同様に、中機械製作省、エネルギー省、政府の監督、監視組織も怠慢であった。

 

第4章 事故の原因と状況

4.1:事故のときに実施されていた実験の内容と性格

 電源喪失時において、タービンの慣性発電により一次ポンプと給水ポンプを動かすという計画はだいぶ前(1976年)に提案され、チェルノブイリ4号炉でもECCS作動時には、タービン慣性発電を利用する設計になっていた。しかしながら、チェルノブイリ4号炉は、その機能をテストすることなく1983年12月運転に入った。

 1982年チェルノブイリ発電所に、ドンエネルギー研や水力設計研の関係者が集まり、3号炉を使って実験したところ、電流持続時間が十分でなく、励磁制御器の開発が必要なことがわかった。その後84年と85年にも実施されている。82年と84年の実験では、一次ポンプ1台とつなげたが、85年と86年には2台とつなげた。84、85、86年の実験ではECCSはブロックされた。

 本委員会の見解では、防護系のブロックをともなうこうした実験は、しかるべき上級組織の許可を受けるべきであったと考えるが、当時の規則では、そうした許可は必要とされていない。

 実験計画の内容は、当時としては悪いものではなかったが、計画をつくった人は、事故の原因となる炉の特性を知らなかった。

 

4.2:技術的事故経過

 運転員日誌と、事故後の計算機磁気テープ読み出しより。

1986/4/26

00.05 熱出力720Mw

   00.28 熱出力約500Mwで、部分出力自動制御から出力自動制御へ移行。移行の際、予期せぬ出力降下がおき熱出力30Mwに。(中性子計は0。)出力上昇操作開始。

   00.39.32-00.43.35 計算機不調

   00.41-01.16 空回転振動特性測定のため第8タービン発電機切り離し。

   00.52.35-00.59.54 計算機不調

   01.03 熱出力200Mwまで回復して安定。

   01.12.10-01.18.49 計算機不調

01.22.30 磁気テープへの書き込み(後のスモレンスク原発での解析によると反応度操作余裕8本。

01.23.04 (タービン、電流等記録のための)オシロ記録計オン。第8タービンへのバルブ閉。一次ポンプ4台実験運転開始。

   01.23.10 ECCSボタン押(実験のための模擬信号)。

   01.23.40 AZ−5ボタン押。制御棒挿入開始。

   01.23.43 AZS警報(炉周期20秒以下)、AZM警報(出力530Mw以上)発生。

   01.23.46 実験運転ポンプの第1ペア切り離し。

   01.23.46.5 第2ペアの切り離し。

   01.23.47 急激な一次ポンプ流量低下。

    気水分離タンクでの急激な圧力上昇と水位上昇。

        「自動制御棒位置測定器の故障」信号。

   01.23.48 流量の回復、気水分離タンクの圧力、水位上昇継続。タービンへの蒸気急速バイパス弁作動。

   01.23.49 「炉容器内圧力上昇」信号(圧力管の破損)。

        「制御系駆動電圧喪失」信号。

        「自動制御棒機能故障」信号。

 

4.3:委員会が調査した記録とデータ

4.3.1:記録計チャート

 記録速度が遅いので、最大値の判定に役にはたっても、急速な過渡現象には役立たない。

4.3.2:計算機SKALAと付属システム

 炉の状態は、5分毎に磁気テープに自動記録されているが、そんな時間間隔では役にたたない。診断プログラムDREGは、数百ものデジタル、アナログ信号を記録するが、出力、反応度、部分的流量などは入っていない。また制御棒位置も211本中9本だけを記録している。これらの情報を計算させるには、1分ほどかかるが、それはSKALAにおいて、DREGの優先度が低いためである。 また事故直前、DREGは、SKALAのメモリー不調で3回停止し、情報が失われた。

4.3.3:オシログラフ

 実験計画に従って、タービン、一次ポンプ、給水ポンプなどのパラメータのオシロ記録が行われた。AZ−5ボタンを押した時間が、計算機の記録から、01.23.04とわかるので、他の事象の時間はそれを基準に解読した。たとえば、第8タービンへのバルブ閉はAZ−5の6.6秒前であった。

 

4.4:事故前後の経過の数量的モデル化について

 記録されたデータは十分ではないので、事故を検討するため、事故前後の状況をモデル化して解析せねばならない。こうした作業は、各種のパラメータが事故にどのように効くか、また事故対策の有効性評価のためにも必要である。

 RBMK−1000に十分適用できる実証済のプログラムは、現時点においても作られていないが、エネルギー技術研究開発研、クルチャトフ研、全ソ原発開発科学研、ウクライナ共和国キエフ原子力研などで計算が行われている。本委員会としては、いろいろな計算結果を突合せて、事故経過のほぼ妥当なストーリーが得られたと考えている。 

 1986年のクルチャトフ研の計算は、モデルが単純であり、計算結果も定性的であったり、データと矛盾したりしている。

 キエフ原子力研の計算は、非定常、エネルギー1群、空間メッシュ50cmの計算である。初期条件には、01.22.30の状態が用いられている。計算結果は、事故時の警報の出現などをよく再現している。しかし、1群近似であり、その限界をわきまえて考える必要がある。

 最も進んだ計算はSTEPANプログラムを用いたクルチャトフ研の1988年のものである(非定常、2群、3次元、遅発中性子18グループ)。2群の定数では、WIMSプログラムを用い燃焼度、冷却材密度、燃料と黒鉛温度、キセノン毒の5つのパラメータを考慮している。それでも、反応度操作余裕の意義を定量的に評価するといったことは困難である。

 プログラムの不十分さ以外に、事故時の燃焼度やキセノンの高さ分布といった初期条件がはっきり分かっていないといった困難さもある。

 

4.5:事故原因についてのいくつかの見解

 事故原因の最初の公式見解は、86.5.5にチェルノブイリ原発で中機械製作省第1次官、メシコフの立会いの会議で決まったもので、一次系流量喪失にともなうボイド発生による暴走、であった。

 その前、クルチャトフ研のRBMK安全担当グループ長のボルコービーは、86.5.1 に所長のアレクサンドロフに、86.5.9には手紙で国家指導者に、事故原因は、運転員によるものではなく、炉の構造欠陥にともなう暴走である、と伝えている。

 5月の末の水力設計研の一次ポンプの解析では、ポンプキャビテーション説を確認できなかった。

 同時期、エネルギー省の専門家たちは、制御棒の欠陥、正のボイド係数などが原因と指摘している。

 アレクサンドロフが議長の省庁間科学技術評議会の2回の会議(86.6.2と86.6.17)において、炉の欠陥が事故の第一原因と指摘する全ソ原発開発科学研の計算結果は認められず、すべての原因は運転員の誤りとする決定が行われた。これにより一方的な情報が、IAEAをはじめ広く専門家に流されたのであった。

 IAEAの会議では、アレコレ報告されたが、データに基づくキチンとした計算は示されていない。

 1986年10月クルチャトフ研で、気水分離タンクでの水素爆発、自動制御棒故障、ポンプキャビテーションなど13の想定される事故原因を上げて、それぞれ分析している。そして、実際のデータと矛盾しないのは、制御棒下部の押し出し棒効果だけであることを示している。

 LOCA原因説もあるが、データはそれを支持していない。

 本委員会としては、押出棒説に注目するが、可能性があるすべての原因について検討する用意がある。

 

4.6:事故原因についての委員会の見解

4.6.1:実験に至るまで

 4.25.01.06の出力降下開始から4.26夜中までは、反応度操作余裕低下とECCS切り離しという二つの規則違反はあったものの、とくに事故につながる事象はなかった。

 4.26.00.28、部分自動制御(LAR)から自動制御(AR)へ移行する際、運転当直長は、炉心のバランス確保に失敗し、熱出力が500Mwから0−30Mwに降下した。続く200Mwへの出力上昇にあたっては、キセノン毒効果に対抗するため、制御棒が引き抜かれ反応度操作余裕はさらに減少し、防護系が役に立たない状況となっていた。

 1時23分までの炉の状況にとくに異常はない。1.23.30にSKALAは磁気テープにパラメータを記録したが、その際プログラムPRIZMAによる反応度操作余裕計算は行われていない。運転員は反応度操作余裕の値を知らなかった。

 このときの出力分布は、後の解析によると、炉心中央がへこみ、上部と下部に山がある形で(上部の方が大)、不安定な状態であった。熱水力的には、冷却水未飽和度が極めて小さく(3度C)またチャンネル出口の蒸気含量も非常に少なかった。こうした状況では、少しの出力増加が、炉心下部において蒸気含量の急増をもたらす。

 かくして実験直前、炉は極めて暴走しやすい状況にあった。通常の6台に加えて全部で8台のポンプを運転していたことと、低出力であったことがこうした状況をもたらしたが、似たような状況は炉の出力降下のたびに生じる。

4.6.2:実験開始

 01.23.04実験始まる。一次ポンプ4台(No.13、14、23、24)の電源を第8発電機に切り替え。流量低下が始まる。残りのポンプ4台(No.11、12、21、22)では、流量は若干増。全流量は35秒間に、10−15%ほど低下。流量低にともない、炉心の蒸気含量は増加したが、タービン弁閉にともなう圧力上昇によりいくらか相殺される。このときのボイド反応度はそれほどではなく、制御棒の若干の降下(1.4mまで)により相殺された、との計算がある。

 慣性発電中、出力の上昇はなく、このことはDREGの記録から確認されている。すなわち、01.19.57から01.23.30の間「1PK−上」の信号が記録されており、この状態では自動制御棒は炉心部に入らない。01.22.37の自動制御棒の位置は、1AR、2AR、3ARの3系統それぞれ、1.4、1.6、0.2mであった。

 実験開始からAZ−5を押すまでの間、運転員の介入や安全装置の作動が必要な状況はなかった。

4.6.3:事故の発生と拡大

 01.23.40運転当直長はAZ−5ボタンを押した。なぜ彼がそのボタンを押したか、本委員会は断定できなかった。

 炉心パラメータの記録系は、事故にはやさに追随できないので、計算を基に炉心の状況を再現する。

 AZ−5信号により、制御棒が降下を始めると、炉内出力分布の歪は拡大した。上部では、中性子束は減少を始めたが、中性子を吸収していた水柱が押しだされ、中性子束が増加を始めた。炉心傍の電離箱による炉出力計の記録は、いったんいくらか低下した後、上昇している。計算によると、炉心高さ2mのところで暴走し、AZ信号から5秒間で、出力は数10倍になった。

 1989年の全ソ原発開発科学研とクルチャトフ研の計算では、出力は30倍になり、暴走部分の燃料棒の線出力は定格の何倍にもなり、燃料棒の破損が生じた。

 事故の出発点はAZ信号であった。

 燃料破損による燃料と冷却水の接触は、部分的な蒸気発生と圧力上昇を生じ、さらに、燃料と圧力管の接触や圧力増により、圧力管の破損に至る。暴走の初期状況を決定するのは、炉心の出力分布歪、制御棒の位置などである。

 いったん暴走が始まると、RBMKの炉心構造の特性に従うまま、局所的だった暴走は炉心全体に広がる。 

いくつかの圧力管が破損すると、炉容器内の圧力上昇により、上部遮蔽体が部分的に破壊され、制御棒が動かなくなってしまう。圧力管破損はまた、冷却系全体の圧力低下により、炉心全体でのボイド発生をもたらす。もはや嵐の吹き荒れるにまかすしかない状態となる。

 こうした計算は、1990年エネルギー技術研究開発研も行っている。この計算では、AZ−5信号により暴走するものの、燃料破損には至らない、と述べ、事故を説明するには、ポンプキャビテーションやなど追加の事象が必要である、と結論している。しかし、その報告には計算方法がキチンと示されておらず、初期条件の少しの違いで計算結果が大きく変わってくると述べながら、どのような条件ならどうなる、といったことを示していない。彼らの報告を、本委員会は支持しない。先のクルチャトフ研らの計算では、初期出力の20%の違いで、6−7秒後の出力は、31−64倍の範囲になり、圧力管破損は5−40本と示されている。

 異説を唱える輩は、これからもそれなりの根拠を捜し出してでてくるだろう(といっても、事故この方彼らがキチンとした報告を出したことはないが)。本委員会としては、事故を説明し、炉の構造欠陥を改善するという観点から、反応度の問題に注意を向ける。同じ考え方は、事故後ただちに実施されたRBMKの改善策にもみてとれる。

 

4.7:運転員の行動について

 公式見解では、事故の第一原因は運転員の規則違反であるが、本委員会としても、運転員の運転規則違反とその意義を検討する。

 

4.7.1:4月25日、出力降下の途中(午前3時頃)で2000Mwになったとき、反応度操作余裕(OZR)は26本以下になった。運転規則では、26本以下の運転には主任技術者の許可が必要である。午前7時頃、1500Mwになったとき、OZRは15本にまで下がり、運転規則9項に基づき炉を停止せねばならなかった。本委員会の見るところ、運転員は意識的に違反した。この時、OZR計算プログラムPRIZMAは不調であったが、そのような不調に際してどうすべきは運転規則にはない。かくして、OZR15以下という規則違反の状態で、13時30まで出力1500Mwで運転された。といっても、この違反が事故の原因というわけではない。

運転規則12項では、炉の計画停止の手順が決められている。出力降下は、150Mwまでは、自動制御系を用い、それからARM(?)またはAZ−5で停止する、とされている。

運転規則では、OZRは、反応度に関係する重要なパラメータとみなされていない。OZRを直接指示する計器は設置されていない。運転員は、各制御棒の位置を読み取り、非直線性を換算し、足し合わせてるか、計算機に指示を出し、何分か後に結果の打ち出しをみるかである。運転員にとって、それを見ながら運転できるといった代物ではない。また、OZRが安全保護系の有効性に関係するなどということも運転規則にはない。

4.7.2:25日14時、実験計画に従って、ECCSがバイパスされた。これは、運転規則違反であるが、事故のシナリオには関係しない。

4.7.3:4月26日0時28分、運転日誌によると、炉の熱出力が30Mwまで急速に低下した。日誌には「”出力上昇率大(AZSR)”発生。”急速出力降下”ボタンによるAR挿入。AR−1オン。AR−2のアンバランス解消。AR−2準備OK」と記されている。

 何らかの原因(おそらく冷却系での流量や圧力変化といった外乱)により、部分自動制御(LAR)が切れ、自動的に平均自動制御(AR−1)への切り変わった。その際のアンバランスでAR−1の引き抜きが生じ、AZSR信号が出た。 キセノン毒により出力が低下し始め、ARの測定器系アンバランスが増大した結果、「AR−1測定系不調」「AR−2測定系不調」の信号が発生した。当直長は、出力降下ボタンにより毎秒2%で出力を低下させ、AR測定系のアンバランスを解消し、AR−1の自動制御に移行させた。そして、AR−1制御により実験に向けて出力の回復操作に取り組んだ。(若干、読み違いがあるかも知れません!今中)

 この場面は補足しておく。出力分布制御系の記録では、熱出力は30Mw以下にはなっていない。一方中性子記録計は、約5分間0を示し、それから30−40Mwに上昇している。低出力運転に関する運転規則は矛盾している。6.7項で、制御可能最低出力(MKU)以上なら、いかなるレベルでも運転を認めているが、MKUそのものがはっきりと示していない。また、6.1項では、短時間の0出力運転を規定しているが、0出力が、熱なのか中性子なのか分からない。

 00.28-00.33の5分間は、その後の事故発生にきわめて重要であるが、本委員会としては、より詳細な解析がない以上、これ以上のことを言えない。

4.7.4:出力低下にともなって、気水分離タンク(BS)での水位と圧力の低下が生じた。しかし、水位低警報の設定を運転員が低くしていたため、AZ−5信号は作動しなかった。一応運転規則違反であるが、別の勧告では、水位の過渡的な変化によりみだりにAZ信号を作動させないこと、とされている。警報を完全に切ったのではなく、ほぼ下限値に変更したのであるから、公式見解が言うように、運転員が警報を完全に切り離したというのは当たらない。(理解不十分なところあり!今中)

 また、圧力低にともなうAZ信号も切り離したが、運転規則では運転員に任されている行為であった。そもそもこの警報はタービン停止に対応しているものであり、電気出力100Mw以下では作動させないことになっている。

4.7.5:0時41分、空回転での振動特性測定のため、第8タービン発電機を回路から切り離した。その際、タービントリップに連動するAZ−5信号はバイパスしてあった。運転規則では、電気出力100Mw以下のときは、その信号はバイパスするよう求めており、これをもって規則違反というのはあたらない。

4.7.6:1時頃、出力上昇をやめ200Mwで実験にとりかかることに決定した。当初の実験計画の出力とは異なるが、運転出力についてとくに制限した規則があったわけではない。それどころか、運転規則では、AZ−3信号が作動したときとか電力網の都合しだいでは、熱出力200ー300Mwで運転を持続するよう運転員に求めている。かりに、AZ−3作動の後、1時間ぐらい運転したとすると、86.04.26と同じ状況が出現する。

4.7.7:1時3分と7分、実験計画に従い、”経験に基づき炉心冷却確保のため”一次ポンプ2台が追加運転された。いかなる規則も8台の運転を禁止しているわけではない。運転規則ではキャビテーション防止のため、補給水が500t/h以下のときは、各ポンプの流量を6500ー7000m3/hに制限している。ポンプ流量はこの値を越え、規則違反であったが、各種のデータは、実際にはキャビテーションが発生していなかったことを示している。

4.7.8:実験の実施にあたっての運転員による規則違反は以下の通り。

・反応度操作余裕を15本以下にしたこと。

・ECCSをバイパスしたこと。

・気水分離タンク水位信号の設定を変更したこと。

・一次ポンプの流量を7500m3/hまで増やしたこと。

・規則の違反ではないが、計画以下の出力で実験を実施したこと。

4.7.9:これらの違反と事故との関連についての本委員会の見解は以下の通り。

・ECCSのバイパスは事故と関係ない。

・8台のポンプ運転は、たぶん暴走しにくい方向に作用した。しかし、より詳細な計算が必要である。

・信号のバイパスや設定値変更は、事故原因ではなく、また事故の規模とも関係しない。

・計画外の出力で実験を実施したことは、予期せぬ出力低下とその後の出力上昇の結果であるが、きわめてマイナスに働いた。炉の設計にあたって、安全性が研究、実証されていない低出力が危険であったのは、皮肉というしかない。当初の計画通り700Mwで実験していたら、事故を免れたかもしれない。しかし、そのように断定するのも尚早である。

 

4.8:反応度操作余裕について

 反応度操作余裕(OZR)の問題は重要なので、詳しくみてみよう。運転規則での反応度操作余裕の扱いは矛盾している。

 運転規則第9項、「通常運転において、OZRを26−30本以下にしてはならない。26本以下での運転には主任技術者の承認が必要である。15本以下のときは速やかに炉を停止すること。

 技術指導者は、年1回出力分布の安定性を検査し、場合によっては承認済の分布と比較検討すること。」

 第6.2項、「短時間停止後の出力上昇は、キセノン毒との関連で、停止前のOZRが以下の値以上のときに許される。出力80−100%(50本)、50ー80%(45本)、50%以下(30本)。」

 第6.6項、「短時間停止後の出力上昇にあたって、OZRは15本以下であってはならない。炉を臨界に持ち込む過程で、OZRは15本にまで減少し、さらに減少を続けるかもしれない。」

 またある勧告では、「主任技術者の承認があれば、3日以内なら、OZR10本以下で運転してもよい」と述べている。

 いずれの運転規則も、OZRを安全保護系に関連するパラメータとみなしてはいない。OZRを安全上重要なパラメータと考えていたのであったら、AZ信号系に入れるべきだし、しかるべく運転員に教えておくべきである。そうすれば運転員は事故を防げたであろう。

 1984年、原発建設部は、全RBMK発電所にたいし、制御棒の引き抜きを150本に制限し、残りは0.5m以上炉心に入れておくように、という通達を出している。しかし、その意味は運転員に解説されず、運転規則にも入れられなかった。「如何なる状況でも、安全保護系により暴走を防げる」と運転員が考えていたのは正当であった。

 

4.9:事故原因

 チェルノブイリ事故は、当直長がAZ−5ボタンを押したことから始まった。制御棒の押出し棒が入ると、出力上昇が始まった。制御棒がほとんど引き抜かれOZRが小さかったこと、制御棒の挿入速度が遅いこと、出力が小さかったこと、出力分布の歪が大きかったことなどが、正のボイド反応度の出現とあいまって、制御不能な暴走にいたらしめた。

 事故の責任は運転員にはない。それはまず、設計開発指導者たちの炉の特性に対する無理解であり、それが、ボイド特性の不十分な解析、正のボイド係数のたびかさなる無視、安全保護系への盲信、不十分な運転規則といったことをもたらし、事故へとつながった。

 科学技術責任者たちは、炉の特性を実証するという面できわめてレベルが低く、実験的研究をおこたったり、専門的文献の検討をしていなかったりで、結局、原発建設局へ間違った結果を引き渡して、安全性を実証したといっていたのである。 エネルギー省が、RBMKの不安定さに対する対策をおろそかにし、また、AZ作動の際に「出力大(AZM)」や「出力上昇率大(AZM)」信号が出たのを、一度ならず無視したのもきわめて重大である。

 チェルノブイリのような事故は、不可避であった。

 

第5章 結論

 IAEAのINSAG報告が指摘しているように、チェルノブイリ事故の根底にあるのは、「安全文化」の欠如であった。「安全文化」は、原発の安全に関係するすべて人の責任において達成される必要がある。「安全文化」とは、一種の精神文化であり、まず組織の指導者たちが範を示さねばならない。人材の養成にあたっては、仕事の安全に関わる意味付け、誤操作のもたらす結末などについてキチンと教育する必要がある。 

チェルノブイリ事故は、「安全文化」からみると、開発、設計、運転、監督すべての面において不十分であったことを示している。

 

5.1:RBMK炉の構造の欠陥が、チェルノブイリ4号炉で重大な事態を引き起こした

 

5.2:安全保護系の機能を、機械にまかせず運転員に委ねるというやり方は失敗した。設計の欠陥と運転員への信頼過剰が事故につながった。

 

5.3:ソ連の原発開発における経済性優先のシステムは、安全性の責任をだれも担おうとしない

 原子力の利用に関する法令は不十分であり、安全性について最終的な責任を負う組織がない。一応政府の役所はあるが、決定する組織とその責任を負う組織が違っていたりする。また、役所の改変により当の組織がなくなることもある。結局、危険物は残るが、その責任者がいなくなる、といった状況になる。

 世界の常識としては、周辺住民の安全に対する責任は、当の発電所が担うべきものであろう。責任は権限なくして果たせないが、発電所には権限が与えられていないし、その上級組織にもない。

 規則を決めるには、原発建設局、科学指導局、総設計局、監督機関などの承認が必要である。これらの組織の決定に従わない場合は、発電所の運転を止めるしかないが、決定の責任をそれらの組織はとらない。

 本報告では、チェルノブイリ4号炉の設計がいかに当時の基準にてらして違反していたかを指摘したが、その設計は、すべてのこうした組織により承認されたものであった。

 政府の原発安全監督組織は、事故の3年前に作られたが、原発建設や電力生産の組織とも関連しており、独立した監督組織とはみなせなかった。事故後、改組されたものの、法的基盤、財政基盤、人材などを欠くとともに、ソ連内の複雑な要因が、健全な安全監視システムの発展を妨げている。

 チェルノブイリ事故の教訓は、たんにRBMK炉を改良すればよいというものではなく、原子力開発のすべての面において「安全文化」を根付かせることである。

 

5.4:チェルノブイリ事故の解明は終わったとみなしてはならないし、真実を探求し教訓を引き出すため、これからも続けなければならない。

(概要終わり)