ソ連共産党中央委員会政治局
チェルノブイリ原発事故対策特別作業班会議
議事録

 チェルノブイリ事故が発生した1986年当時のソ連においてもっとも権力をもっていたのは、共産党中央委員会の政治局である。事故が起きるとただちにその政治局に特別作業班が設置され、情報収集と対策の基本方針を決定する役割を果たした。その秘密議事録の存在が、ソ連崩壊直後の1992年、ジャーナリストで元ソ連最高会議員であったヤロシンスカヤによって暴露された(「イズベスチヤ」1992年4月24日、和訳「技術と人間」1992年9月号)。
 ヤロシンスカヤは著書「ЧЕРНОБЫЛЬ:Совершенно секретно」の第2部で議事録の全文を公表している(第1部和訳「チェルノブイリ:極秘」平凡社1994年)。
 本議事録はチェルノブイリ事故の実態とソ連政府の対応を明らかにするうえで貴重な資料である。現在、文部省科学研究費助成研究「ベラルーシ、ウクライナ、ロシアにおけるチェルノブイリ原発事故研究の現状調査」(代表:今中、H12〜14年)の作業の一環として、平野進一郎が議事録本文の全訳を進めている。
 議事録は全部で40回であるが、これまでに第21回までの翻訳を終了した。議事録の内容がすべて事実ともかぎらず、また行間をくみ取るべき表現もあるが、チェルノブイリ事故に関心をもつ方々の参考になるものと考えている。

2001年8月 今中哲二

 議事録の全訳を希望される方は、今中まで(imanaka@rri.kyoto-u.ac.jp)連絡下さい。 2002年3月


 
第1回(1986年4月29日)
第2回(4月30日)
第3回(5月1日
第4回(5月3日)
第5回(5月4日)
第6回(5月5日)
第7回(5月6日)
第8回(5月7日)
第9回(5月8日)
第10回(5月10日)
第11回(5月11日)
第12回(5月12日)
第13回(5月13日)
第14回(5月14日)
第15回(5月16日)
第16回(5月20日)
第17回(5月22日)
第18回(5月26日)
第19回(5月28日)
第20回(6月2日)
第21回(6月4日)
第22回(6月9日)
第23回(6月12日)
第24回(6月20日)
第25回(6月25日)
第26回(7月2日)
第27回(7月7日)
第28回(7月10日)
第29回(7月23日)
第30回(7月31日)
第31回(8月13日)
第32回(8月22日)
第33回(9月5日)
第34回(9月19日)
第35回(10月17日)
第36回(11月15日)
第37回(1987年1月4日)
第38回(3月16日)
第39回(7月13日)
第40回(1988年1月6日)