チェルノブイリ通信

この通信は、現地の仲間から送られてきたチェルノブイリ問題に関連する最近のトピックスです。

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30* 2001年12月10日 原子力公社がK2/R4完成のためのEBRDの資金提供を拒否 ボロジーミル・ティーヒー

29* 2001年10月23日 ドイツ・ロッカム市でのチェルノブイリ国際会議 アラ・ヤロシンスカヤ

28* 2001年9月3日 「ウクライナでの使用済み核燃料の乾式貯蔵テスト」 ボロジーミル・ティーヒー

27* 2001年7月19日 ヨーロッパ議会のチェルノブイリ決議 アラ・ヤロシンスカヤ

26* 2001年5月10日 「チェルノブイリ事故15周年の日」 ボロジーミル・ティーヒー

25* 2001年4月11日 環境保護法・原子力利用法改悪案の促進宣言に関する声明 アラ・ヤロシンスカヤ他

24* 2001年3月15日 「環境天然資源省がHPを開設、しかし問題はますます厳し」 ボロジーミル・ティーヒー

23* 2001年1月18日 「チェルノブイリは閉鎖されたが、問題は続く」 アラ・ヤロシンスカヤ

22* 2000年12月26日 「建設が中断されているウクライナ2原発の完成計画」 ボロジーミル・ティーヒー

21* 2000年11月5日 「自らの命を守るリクビダートルたちの斗い」 アラ・ヤロシンスカヤ

20* 2000年7月7日 「爆発から14年、チェルノブイリ原発は閉鎖されるだろうか?」アラ・ヤロシンスカヤ

19* 2000年5月3日 「チェルノブイリ原発に関する最近の話題より」 ボロジーミル・ティーヒー

18* 2000年4月4日 「被災者のための学校や病院は建設されず」 アラ・ヤロシンスカヤ

17* 2000年1月1日 「ウラルにおけるチェルノブイリの“痕跡”」 アラ・ヤロシンスカヤ

16* 1999年10月1日 「チェルノブイリ事故によるベラルーシの健康被害」 ミハイル・マリコ

15* 1999年9月29日 「モスクワの子供たちがチェルノブイリを学んでいる」 アラ・ヤロシンスカヤ

14* 1999年6月11日 「G7へ向けウクライナNGOが原発建設に抗議」 ボロジーミル・ティーヒー

13* 1999年5月27日 「マフィアがチェルノブイリ被災者の特典を悪用」 アラ・ヤロシンスカヤ

12* 1999年4月1日 「チェルノブイリのくびき」 アラ・ヤロシンスカヤ

11* 1999年3月31日「ベラルーシの原発計画は10年間凍結」 ミハイル・マリコ

10* 1999年3月1日「ウクライナの2原発完成計画に東欧・ウクライナのNGOが抗議」 ボロジーミル・ティーヒー

9* 1999年1月28日 「チェルノブイリ被災者の救済資金は空っぽ」 アラ・ヤロシンスカヤ

8* 1998年11月20日「チェルノブイリ原発閉鎖とヨーロッパのうごき」 ボロジーミル・ティーヒー

7* 1998年10月28日「環境と人権」 ミハイル・マリコ

6* 1998年10月6日「小さな“チェルノブイリ汚染地”での大きな問題」 アラ・ヤロシンスカヤ

5* 1998年7月24日「チェルノブイリ4号炉「石棺」の現状レポート」 ボロジーミル・ティーヒー

4* 1998年7月1日「リクビダートルたちへの政府支援打ち切り」 アラ・ヤロシンスカヤ

3* 1998年5月12日「ベラルーシの甲状腺ガン」 ミハイル・マリコ

2* 1988年4月22日「汚職事件がチェルノブイリの危険度を増している」 ボロジーミル・ティーヒー

1* 1998年4月13日「チェルノブイリ法改悪の動き」 アラ・ヤロシンスカヤ



原子力公社がK2/R4完成のためのEBRDの資金提供を拒否



 
 
 
 

2001年12月10日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
 「ウクライナの電力の半分は原発によって作られている」、とウクライナ原子力公社・エネルゴアトムのNedashekovsky総裁は、公社の状況を述べている。公社の最近の成功のひとつは、ウクライナ政府の決定によって、エネルゴアトムが今後、ウクライナの4カ所の全原発(ザポロジェ6基、南ウクライナ4基、ロブノ3基、フメリニツキ1基)の運転管理に責任をもつことになったことである。

 IAEA(国際原子力機関)や他の組織の援助により、ウクライナの全原発で、安全制御システムの改善が実施され、また実規模の訓練センターが開設されている。

 ウクライナの原発の資金状況も改善され、エネルゴアトムは、以下のようないくつかの計画を開始した。

(I) ザポロジェ原発での使用済み燃料乾式貯蔵。

(II) ドニエプル川のTashlyk水力発電所の完成(2年後に2つの発電機で30万kW、完成時で90万kW)。

(III)フメリニツキ原発2号炉とロブノ原発4号炉の2005年までの完成。

 フメリニツキ2号炉とロブノ4号炉の完成計画(K2/R4プロジェクト)については長い間議論が続いている。ヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)はこの計画に資金提供を予定している(EBRDの最近の約束では、安全系に対し1億7200万ドル)。K2/R4プロジェクトにはウクライナとヨーロッパで強い反対が続いている。ウクライナのNGOが開催した公開ヒアリングや国際NGO“CEE Bank Watch”によると、ウクライナの人々の80%以上が2つの原発の完成に反対している。

 K2/R4プロジェクトをめぐる状況は最近になって変化した。CEE Bank WatchのHlobilによると、11月29日のEBRD総裁評議会で、ウクライナ代表のPoluneevはEBRDに対し、K2/R4プロジェクトに対するEBRDの資金提供は必要でない、と告げた。このことはもちろん、ウクライナがK2/R4プロジェクトを放棄したことを意味はしない。おそらく、他の資金の方がより魅力的だ、ということであろう。ウクライナのNGOの考えでは、エネルゴアトムにとって、国際機関から資金を受けるにあたって要請されるであろう、環境アセスメントや世論対策のプロセスは、EBRDの資金提供がないほうが簡単になるであろう。

 エネルゴアトム総裁Nedashkovskyによると、2010年以降に閉鎖される原発の代替として新たな原発建設をウクライナは必要としている。それに対してエネルゴアトムはすでに、米国、フランス、カナダ、ロシアなどから資金提供の申し出を受けている。
 
 



ドイツ・ロッカム市でのチェルノブイリ国際会議
2001年10月23日
アラ・ヤロシンスカヤ他(モスクワ)

 

9月の末、ドイツのロッカム市で「チェルノブイリから15年」という国際会議が開催された。4日間の会議で、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの汚染地域の生態系と住民の健康状態が議論された。もっとも興味深く印象的だったのは、ベラルーシの科学者の報告であった。

サハロフ国際環境大学学長のAlexander Milyutin博士は、チェルノブイリ事故によるベラルーシの汚染地域の現状と将来について報告した。彼の報告によると、短半減期の放射性ヨウ素による汚染レベルは多くの州でたいへん大きく、数百万の人々が「ヨウ素アタック」と専門家が呼んでいるような被曝にさらされた。しかしながら、ヨウ素の土壌沈着に関する測定データはきわめて限られており、汚染地域全体にわたる詳細な汚染地図を作ることは困難である。ベラルーシでもっとも大きな汚染があったのは、チェルノブイリ原発に近い、ゴメリ州のブラーギン、ホイニキ、ナローブリャ地区で、土壌の汚染は1平方m当り3万7000キロベクレルかそれ以上に達した。チェチェルスク、コルミャンスク、ドゥダ・コシェレスク、ドブルシ各地区の土壌汚染は1平方m当り1万8500キロベクレルで、(ゴメリ州北部の)ベトゥカ地区では1平方m当り2万キロベクレル/平方mだった。

ベラルーシのセシウム137汚染の特徴は、不均一でスポットが認められることである。たとえば、ゴメリ州ブラーギン地区のコビラン村のセシウム137汚染は、1平方m当り170キロベクレルから2400キロベクレルと変動している。チェルノブイリ原発近くでのセシウム137の最高汚染レベルは1平方m当り5万9200キロベクレルで、250kmも離れたモギリョフ州チェリコフ地区のチュジャーニ村でも1平方m当り5万9000キロベクレルという局地的汚染スポットが認められている。ブレスト州、ミンスク州、グロードゥノ州の汚染レベルは、1平方m当り37キロベクレルから185キロベクレルである。こうした汚染の現状が、将来はどのようになるのだろうか。

ベラルーシの科学者たちは独自の方法で、2016年から2046年にかけてのセシウム137汚染の予測地図を作製している。セシウム137汚染の変化を解析した結果によると、1986年にはベラルーシ国土の23.7%が1平方m当り37キロベクレル(1平方km当り1キュリー)以上の汚染であったが、その割合は2016年には16%(1.5分の1)になり、2046年には10%(2.4分の1)となる。1平方m当り555キロベクレル(1平方km当り15キュリー)以上の汚染地域の減少率はもっと大きく、60年間で10分の1になる。そして、1平方m当り185から555キロベクレル(1平方km当り5から15キュリー)の地域は4分の1になり、1平方m当り37から185キロベクレル(1平方km当り1から5キュリー)は1.8分の1と予測されている。


ウクライナでの使用済み核燃料の乾式貯蔵テスト



 
 
 
 
 
 
 
 

2001年9月3日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
8月24日、ウクライナは独立10周年の記念日を祝った。その直前の8月18日、ザポロジェ原発で使用済み燃料の乾式貯蔵テストがはじまった。このテストは、ヨーロッパの原発大国のひとつであるウクライナにとってきわめて重要である。なぜなら、ウクライナは14基のVVER原発を有しながら(チェルノブイリ型RBMK炉は2000年12月に最後の原子炉が閉鎖された)、これまで使用済み燃料の貯蔵施設をもっていなかったからである。ザポロジェ原発は6基の原子炉をもつヨーロッパ最大の原発である。

最終決定の前に、3つのコンクリート製のコンテナーが1年間テストされ、それから300以上の容器が制作される予定である。3つのコンテナーは、ザポロジェ原発にとって(ロシアへ使用済み燃料を引き渡すのに比べ)1年間で980万ドルの節約になる。コンテナーの設計と製作は、米国で同様の施設をもっている、DE&S社と共同で行なわれる。

使用済み燃料貯蔵には、市民グループや(貯蔵所から10kmの)ニコポル市当局が大きな関心を示すとともに、ウクライナ緑の党が強く反対している。原子力産業が土地を永久に破壊し、当局は市民の声を聞かない、と彼らは非難している。「緑」の団体は、大統領や内閣に数千もの手紙を送り、使用済み燃料をチェルノブイリ原発周辺の無人地帯に貯蔵するよう要求している。

一方、原子力産業と政府は、貯蔵テストに先立って、ロシア側から政治的、経済的な圧力を受けたと表明している。ロシアはこれまでウクライナの使用済み燃料を引き取ってきた。ロシアの原子力施設が使えなければ、電力の30%を生産しているウクライナの原発は停止してしまうであろう。

もうひとつの悲しい事件が、原子力発電と石炭火力発電との比較論議を引き起こしている。8月19日、ドネツク州ザシオトゥコの炭坑で、メタンガス爆発と火災により40人以上の労働者が死亡した。不幸なことに、ウクライナの炭坑ではそうした災害が毎年のように発生しており、石炭100万トン当り平均4.5人の犠牲者である。原発推進者は、(死者を含めた)炭坑のコストを考えると、原子力エネルギーは石炭火力にくらべ安全で環境に優しいと宣伝している。ウクライナは現在、炭坑の維持と解体の両面できびしい社会的、環境的問題に直面している。
 
 


ヨーロッパ議会のチェルノブイリ決議


2001年7月19日
アラ・ヤロシンスカヤ他(モスクワ)

 
 

ヨーロッパ議会は2001年5月2日、チェルノブイリ事故15年にちなんで原子力安全に関する決議を採択した。その決議によると、1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発4号炉事故は、「作業員が早期に死亡し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシに広範な高濃度放射能汚染をもたらし、ヨーロッパ全域にわたって放射能を降らせた」。さらに、「世界でもっとも汚染された地域であるにもかかわらず、いまだに住民が住み続けており、事故から15年後の現在も、ガン、とりわけ甲状腺ガンや白血病、また、その他の重篤な病気が発生している」。ヨーロッパ議会の議員らは、従来の被曝評価モデルでは被曝によって現在発生している病気を適切に予測できなかったことを強調している。議員らはまた、チェルノブイリ原発閉鎖の代償として、ウクライナのエネルギー産業の改革、チェルノブイリ「石棺」の補強、建設途中のフメリニツキ2号炉とロブノ4号炉の2原発完成のため、G7とEUがウクライナにローンを提供することも指摘している。

ヨーロッパ議会の決議は、チェルノブイリ事故の長期的な健康影響と環境影響の評価、事故影響の軽減のためのプロジェクトに関し、あらゆる努力を支持すると述べている。また、被災地域での死亡率が対策のレベルに大きく依存することを指摘し、チェルノブイリ事故にともなう社会的・健康的困難との闘いに対し、ロシア 、ウクライナ、ベラルーシを経済的に支援するよう呼びかけている。

しかしながら、決議で注目すべき点は、チェルノブイリの健康問題が目下の重要な問題であるなかで、15周年を機会にこの6月に開かれたWHOの国際会議を高く評価していることと、その会議に<IAEAが参加しなかった>(括弧はヤロシンスカヤ)ことである。「従来の被曝リスクモデルに対し疑問を投げかける科学的証拠、とりわけチェルノブイリ放射能汚染の影響に鑑み、ヨーロッパ全域にわたるチェルノブイリ影響の疫学研究を実施するようヨーロッパ委員会に要求するとともに、IAEA、UNSCEAR、ICRP、Euratomに対し、被曝リスクモデルを再検討するよう要請する」と決議は述べている
 
 



チェルノブイリ事故15周年の日


2001年5月10日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)

 
 

チェルノブイリ事故15周年の日、ウクライナはとても平穏であった。これは、チェルノブイリがすでに「ホットニュース」ではないことを示している。反対派政治家らは記念日を政治的に利用しなかったし、学者たちも市民の不安をあおって予算の増額をねらうようなことはなかった。主な行事は、クチマ大統領が参列して行われた、キエフとチェルノブイリでの教会礼拝であった。大統領は、チェルノブイリは「全世界の悲劇で悲しみ」であると語った。

ウクライナ非常事態省は、(ウクライナ、ロシア、ベラルーシ各国政府の公式報告をふくめた)行政省会議と科学的会議をミックスした、なんとなく奇妙国際会議を開催した。社会的保障と健康防護の問題(つまり資金とその配分の問題)が、会議のセッションでの主要な議題であった。

ウクライナにとって困難な課題は、昨年12月に最後の原子炉が運転停止したチェルノブイリ原発の廃炉問題である。問題は、原発職員の余剰と失業問題(ソ連型原発は、西側の同規模原発に比べ2?3倍の職員を抱えている)だけでなく、3号炉が、「石棺」や数年前に停止した1・2号炉を管理するための電気と熱を供給していたことにもある。

西側からのあからさまな圧力によってウクライナはチェルノブイリ原発の停止を余儀なくされたが、チェルノブイリと同型の原子炉はロシアではまだ11基が運転されていることも問題である(サンクトペテルブルグ4基、スモレンスク3基、クルスク4基)。チェルノブイリ原発が危険だということで停止されたのに、なぜ他の原発は動いているのか?そのうち7つの原子炉は、ウクライナ人口の半分の水源であるドニエプル流域に位置している。

ロシアの「緑」運動の有名なリーダーであるYablokov教授によると、チェルノブイリの犠牲者は最終的には5億人に達する。この数字には、チェルノブイリ周辺からの避難民などとともに、数年間におよぶ事故の後始末作業で働いた「リクビダートル(事故処理作業従事者)」の子孫も入っている。

一方、ウクライナの「緑」グループのホームページにチェルノブイリについての情報がほとんどないことは象徴的である。ただ、「ウクライナ緑の党」によるウクライナ南部の古い化学汚染のクリーンアップ活動が記念日を想い起こさせたのみであった。おそらく彼らは、大衆に自分たちのことをアピールする機会として利用したのであろう。



 
 

環境保護法・原子力利用法改悪案の促進宣言に関する声明


2001年4月11日
アラ・ヤロシンスカヤ他(モスクワ)
国会議員のみな様

「環境保護法」ならびに「原子力利用法」修正案の第2回採択を前にした4月6日、「….法令修正案が採択された場合には、我が国は相当なる資金源(10年間に約200億ドル)を得るものと理解している…..我々はそうした法案の適切性を支持するものである」と述べて法案の採択を促す、「全ロシア社会団体代表者」の宣言なるものがマスコミで報道された。採決に影響を与えて我が国を全世界の核のゴミ箱にしてしまおうという宣言に「社会エコロジー団体代表」として署名しているのは、ロシアエコロジー連盟議長(そしてロシア「緑の十字架」会員)のV.Pimenovと、「ケドラ」副代表のA.Safonovである。

ロシア「緑の十字架」の幹事会メンバーである私たちは、ロシアにとって有害な宣言が、私たちの団体の名前により署名、発表されていることをマスコミ報道で知り、その恥知らずな行為に対し驚きと憤慨を表明するものである。本問題を議論したり決議したような集まりは、「緑の十字架」ならびに、全国から148もの団体が加盟しているロシアエコロジー連盟(「緑の十字架」もその主要メンバーのひとつである)のいずれにおいても開かれていないことを、議員諸君ならびに社会に対し明らかにしておきたい。「緑の十字架」議長、ロシアエコロジー連盟会長であり、かつ「ケドラ」副議長であるS.I.Baranovskyも、宣言が報道された後、そのことを断言している。

このように、今回の宣言には怪しげなものが感じられる。ロシアエコロジー連盟に加入している148団体の意見をごまかしているような「宣言」の影響によっていかなる法案が採択されることも不道徳であると私たちは確信している。不当な「宣言」を発表に至った事情について議論するため、ロシア「緑の十字架」とロシアエコロジー連盟の幹事会と全体会議を速やかに開催するよう、ロシアエコロジー連名に加入している148団体を代表し、私たちはそれぞれのリーダー(彼らは同一だが)に対し求めるものである。

Rarisa Skuratovskaya
医学博士候補、健康と人権国際委員会メンバー、「緑の十字架」幹事会メンバー
Jemma Fircova
ソビエト連邦政府賞受賞、レーニン賞受賞、核事故に関する政府ならびに独立系調査委員会専門委員、「緑の十字架」幹事会メンバー
Alla Yaroshinskaya
哲学博士候補、もう一つのノーベル賞受賞、ユネスコ国内委員会メンバー、核拡散問題独立系専門家、「緑の十字架」幹事会メンバー

モスクワ
2001年4月6日


環境天然資源省がHPを開設、しかし問題はますます厳しい


2001年3月15日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)


ウクライナ環境天然資源省が新たなホームページを開設した(www.menr.gov.ua)。このサイトはウクライナ語のみだが、貴重な情報を提供している。たとえば、ウクライナの5カ所の原発の運転、補修、解体の状況といった情報である。

もちろん、すべての問題がホームページに掲載されているわけではない。昨年12月15日のチェルノブイリ原発閉鎖の直前に、ウクライナ議会で、原発閉鎖にともなう公聴会が開かれた。そこで明らかにされた数字はきわめて印象的なものであった。

チェルノブイリ・シェルター「石棺」の中の4号炉の残がいは、永久的に監視する必要がある。現在の建物を維持・補強し、環境への問題を起こさないように改造するためには、今後8年間に7億5800万ドルが必要である。この対策は暫定的なものにすぎず、石棺から放射性物質を除去するものではない。発電所に必要な人員は常時800-900人で、さらに毎年の建設作業で1200人が必要となる。必要な資金を確保するため国際基金が設立され、ウクライナ側は5000万ドルを拠出した。

残りの3基の原子炉解体に必要な費用は7億9300万ユーロで、(チェルノブイリ原発職員の町である)スラブチチ市の社会保障プログラムに要する資金は18億フリブナ(3億3000万ドル)である。
原子炉の解体にあたっては、原発サイトでのインフラ整備が必要となる。西側からの資金的・技術的援助によって、新たな施設・設備の建設が予定されている。そのいくつかを述べると:
-使用済み燃料の空冷保管所:ヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)から6610万ユーロの資金提供。
-固体放射性廃棄物処理施設:TACISプログラムから4080万ユーロの資金提供。
-液体放射性廃棄物処理施設:EBRDからの1970万ユーロとウクライナ政府の1100万ドル。

原発職員の解雇は、スラブチチ市を窮乏させるであろう。チェルノブイリ原発の職員数は現在5791人であるが、2001年中には4200人に、2008年には1885人になると予想されている。スラブチチ市の失業率は現在5%であるが、2008年には50%以上という厳しい事態に至る。



 

チェルノブイリは閉鎖されたが、問題は続く

2001年1月18日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
チェルノブイリ原発は、必要な資金を提供するというクリントン米国大統領の約束の基に、ようやく閉鎖された。しかし、そのことは、チェルノブイリ問題が終わったことを意味するものではない。旧ソ連のロシア、ウクライナ、ベラルーシでは、約800万人がいまだ汚染地で暮らしており、50万人以上のリクビダートルが、自らの生存のための斗いを当局と続けている。

最近になって、ある特殊な問題がクローズアップされている。すなわち「Izhelikvidator」問題である。Izhelikvidatorとは、チェルノブイリ事故処理には参加していないのに、偽って特別証明書を受けている人々、つまり「偽リクビダートル」のことである。チェルノブイリのリクビダートル救済に関する法令は、給与の割増からはじまって無料の医療やサナトリウム利用といったことまで、広範な特典を定めている。

リクビダートル証明書を不正に受けた人がどれだけいるかは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのどこにも統計はない。しかし、そうした人がいることは、折にふれて名指しで新聞が報じている。チェルノブイリの地獄の中で作業をしたのは、労働者、運転手、兵士といった人々であったが、偽リクビダートルはたいてい、遠くの安全な場所から指令を出していた共産党「委員会」の幹部である。(その一人が、旧ソビエト国家水理気象委員会議長のユーリー・イズラエリである。)

1992年にキエフのジャーナリスト、ムコラ・フリエンコは、リクビダートル証明書を受けていた、ウクライナ議会広報誌「ウクライナの声」編集長セルゲイ・プラブデンコとその3人のスタッフとの斗いを開始した。彼は、チェルノブイリ省の新聞に「偽リクビダートル」という論文を発表した。

フリエンコ論文の「主役たち」は逆に、ウクライナの検事総長にあてて、フリエンコ論文を調べて告訴するように求めた。調査の結果、「偽リクビダートル」件は真実であることが明らかになったが、幹部たちは勇敢なジャーナリストに対する告発を続けた。しかし、最終的に勝ち目はないとわかって告発を取り下げた。

彼らのうちふたりは、偽リクビダートル証明書を返上した。しかしその後、「ウクライナの声」編集長プラブデンコとその秘書官スージャはリクビダートル証明書の再発行をうけ、しかも秘書の方は「チェルノブイリ疾病障害者証」を受けている。

以上のように、偽リクビダートルの物語は現在も続いている。ウクライナの有名な詩人ワレリー・ラザレンコは、「偽リクビダートル」と詩を作って偽チェルロビラーに捧げている。ウクライナ検事総長は、プロブデンコとスージャが本当にチェルノブイリ事故処理に携わったかどうか新たな調査を開始した。チェルノブイリは閉鎖されたが、その多くがこのような形で、チェルノブイリ問題は未解決である。
 
 


 建設が中断されているウクライナ2原発の完成計画

2000年12月26日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)


 チェルノブイリ原発の最後の原子炉は運転を停止したが、ウクライナ西部にあるフメリニツキ原発とロブノ原発の2つVVER型原子炉の建設完了(K2R4計画)に関する議論が進行中である。この2つの原子炉は、半分以上建設が進んでいた1991年に政府が建設を中止していたものである。数年前、建設停止の決定は取り消され、2000年12月のチェルノブイリ原発閉鎖にともなう代替電力源として、G7諸国がウクライナに建設完成資金の供与を約束したのであった。

最近、ウクライナNGOの代表が、EBRD(ヨーロッパ復興開発銀行)頭取Siton氏および当該銀行エネルギー部門長Frank氏と、キエフで会談した。その会合はNGOの要請で実現したものである。

EBRD側の説明によると、西側諸国の意向にそってEBRDはウクライナに、K2R4原子炉の安全性向上とウクライナの原子力規制強化のために2億1500万ドルを提供する。ウクライナ側が一定の条件を満たした場合に、この資金の提供は提供される。EBRD側は、資金提供はウクライナ政府の要望であることを強調した。

EBRDによると、建設完了のための資金総額は17億ドルである(技術的設計がまだ完了しておらず最終的な額ではない)。必要資金の主要部分(約15億ドル)は、原子力公社などのウクライナ側企業、ユーロアトム、ロシア企業によって投資される。計画の主契約者、機材の供給者はロシア企業となるであろう。

ウクライナの2つの原発完成は、2030年までに30基の新たな原発を建設するというロシアの計画と軌を一にしている。ウクライナには13基の原発があるものの、原子炉やその機材の設計・建設、核燃料の製造や再処理、運転員の訓練といったためのインフラストラクチャーを備わっていない。

人々の反対にもかかわらず、ロシアはロストフ原発の新しい原子炉を運転開始しようとしている。ロストフ原発では、ロシアの法令で要求されている緊急時対策の多くが有効でないことが明らかになっている(原発30km圏からの避難道路、市街地への水道の確保など)。一般住民だけでなく、自治体当局も不十分であることを認めている。

原子力発電推進へのロシアのこうした積極的姿勢は、石炭の価格上昇、輸出資源としてのガスや石油資源の需要といったエネルギー産業の切迫した事情を反映したものである。非効率なエネルギー消費システムをかかえ、必要な化石燃料のわずかな部分しか産出していないというウクライナの状況は、もっと深刻なものである。
 
 


自らの命を守るリクビダートルたちの斗い

2000年11月5日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)


数カ月前、ツーラ州のチェルノブイリ・リクビダートル(事故処理作業従事者)25人が、州当局の建物の前にテントをはり、無期限座り込みをはじめた。(ツーラ州は、1986年4月のチェルノブイリ事故により、ロシアで大きな汚染をうけた州のひとつである。)彼らは、政府に対して数年間分の未払い手当を即時に払うよう要求した。また、社会保障を引き下げるチェルノブイリ新法をロシア議会が採択しないことと、Matvienko第1副首相とPochinok労働社会保障大臣の罷免を要求した。こうした行動は、他の州のリクビダートルらにも支持された。

数日前、ツーラ州から150人のリクビダートルがモスクワへやってきた。州当局者はだれひとり彼らの要求に耳を傾けなかったので、クレムリンのプーチン大統領へ直訴に来たのであった。残念なことに、モスクワの警官は、彼らが赤の広場に入ることを妨げたばかりか、くたびれた不幸な人々を「ミュータント」と呼んだ。警官たちは、リクビダートルのひとりが倒れて死んでしまったことにも気を止めなかった。リクビダートルらは、クレムリン脇のアレクサンドロフ公園へ向かい、かれらのチェルノブイリ勲章とメダルを無名戦士の墓の上においた。それは彼らの、自分たちの運命に対する当局の冷淡さへの反抗であった。警官たちはすべての勲章とメダルを、警察署へもちさった。

こうした事件のあと、Pochinok労働社会保障大臣はリクビダートルの代表と会い、チェルノブイリのヒーローたちの社会保障問題について議論した。大臣は、未払い手当を2003年から支払うという先の決定をとりけし、来年から支払うと約束した。さらに、「第1級と第2級の障害者に対しては今年の末に支給する」と述べた
ロシア議会も、新チェルノブイリ法の2回目審議の段階で、詳細な見直しを求めて法律委員会へ差し戻すと決めた。

以上のように、ツーラ州のリクビダートルたちによる政府との斗いは、今回は勝利することができた。しかし、チェルノブイリのような事態が将来ふたたびロシアで起きたとき、いったい誰が国や世界を守るために働いてくれるであろうか、


爆発から14年、チェルノブイリ原発は閉鎖されるだろうか?


2000年7月7日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)


1986年4月にチェルノブイリ原発事故が発生して以来、少なくとも3回チェルノブイリ原発を閉鎖するという決定が下された。最初の決定は、1989年のソビエト連邦第1回人民代議員大会での公聴会の後であった。その次は、1991年にソビエト連邦が崩壊した後、ウクライナ議会(ラーダ)が決定したものであった。しかし、いずれの議決も実施されなかった。

この度は、クリントン米国大統領がウクライナを訪問し、石棺の改善とウクライナのエネルギー産業に対し8000万ドル(約80億円)の支援を約束したことを受けて、ウクライナ政府が2000年末までにチェルノブイリ原発を閉鎖するという3度目の決定をしたのであった。決定は実施されると公言されており、このことは喜ばしい。

一方国連からは、チェルノブイリ事故の健康影響はこれからもっと悪化するであろうという報告が発表されている。「チェルノブイリ:破局はつづく」と題されたこのブックレットは、国連人権擁護局が2000年4月末にまとめたもので、チェルノブイリ事故から14年がたった現在もウクライナ、ベラルーシ、ロシアを合わせて700万人の人々が被災しつづけていると述べている。うち300万人が、直ちに医療ケアを必要とする子供たちである。この3カ国は、もっとも大きな汚染を蒙っており、国家財政のかなりの割合を被災者救済のために支出している。

国連レポートによると、晩発性の被曝影響がはっきりするのは2016年以降になってからであり、重大な健康影響がこれから増加するであろう。アナン国連事務総長によると、チェルノブイリに関連する国連の60の計画は、ウクライナ、ロシア、ベラルーシそれぞれ3つずつ合計9つの緊急な計画に削減される。これらの計画に加えて、病院の近代化、小児治療センターのネットワーク化、幼稚園、学校、病院の衛生向上といったことが計画されている。


 チェルノブイリ原発に関する最近の話題より

2000年5月3日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
チェルノブイリ原発事故14周年を迎えウクライナでは、放射能対策と健康影響に関連するコストについて新たな議論が起きている。

緊急事態・チェルノブイリ省によると、1991年以来チェルノブイリ事故の影響軽減のために費やされた費用は約50億ドルで、事故処理作業者に対する特典、健康被害への補償、医療など、被災者保護のための費用は35億ドルであった。チェルノブイリ関連支出はウクライナにとって重荷となっており、2000年には75億フリブナ(14億ドル)の費用が必要となるにもかかわらず、18億フリブナしか予算に計上されていない。事故処理作業者に対する特典のいくつか(電気、温水、給水費用の割引)は2000年4月から廃止された。

2000年1月1日段階で、350万人のウクライナ国民が「チェルノブイリ事故被災者」と認められている。キエフ、ジトーミル、ボリン、ロブノ、チェルニゴフ各州のいくつかの地区では農産物の放射能汚染が依然として続いている。甲状腺ガンの発生率は非常に大きく、過去4年間で1400人が手術を受けた。1986年に子供だった患者が大部分である。
もうひとつの最近の話題は、チェルノブイリ原発の最後の1基の閉鎖問題である。ウクライナ大統領は2000年末までに閉鎖すると宣言したが、深刻な社会問題が生じるであろう。チェルノブイリ原発当局によると、稼働している原発は年間1億ドルの利益を生み出している。

チェルノブイリ原発閉鎖と関連する西側からウクライナへの支援問題はいまだ決着していない。1995年12月にG7、EUとウクライナの間で、西側はウクライナのエネルギー産業改善のために資金援助し、ウクライナ側はチェルノブイリ原発を閉鎖するという協定が結ばれた。その後、17億ドルの費用を要するフメルニツキ原発2号炉とロブノ原発4号炉の建設完了(K2/R4計画)についての議論が起った。EBRD(欧州復興開発銀行)は、この計画にローンを提供すると思われたが、欧州各国での原発計画への強い反対のためこの計画は困難となっている。

最近のウクライナでの世論調査によると、エネルギー問題解決の方法としてK2/R4計画を指示しているのは17%にすぎず、73%が非核エネルギーの有効利用に賛成している。
(ウクライナのメディアに基づく)
 
 


被災者のための学校や病院は建設されず

2000年4月4日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
ロシア政府は、法律「チェルノブイリ事故被災者の保護について」に基づく政府プログラムの1992-2000年の実績をまとめた。

政府プログラムの第一の課題は、放射能汚染地の社会的・経済的状況を改善することであった。具体的には、社会施設の建設である。そのプログラムには、1526億ルーブルの資金が割り当てられたが、実際に投資されたはたった19%であった。

ロシア連邦の14の州で建設が実施された。なかでも、汚染が大きな州、つまり、ブリャンスク、カルーガ、ツーラ、オリョール州での規模が大きく、過去8年間に、延べ12万8974平方mの住居スペース、1万7043人分の学校が作られた。39億6000万ルーブルが公共施設の建設に使われた。

貧弱だったのは幼稚園の建設で、3465人分が作られただけで、1998-1999年にはひとつ幼稚園も作られなかった。汚染地域の病院建設についても同様で、862のベッドが増えただけで、1997-1999年にかけてはひとつの病院も作られていない。

汚染地域の住民にとって大きな問題のひとつに天然ガス供給の問題がある。1992-1996年には汚染地域のガス供給に関し1ルーブルの投資もされなかったが、1997-1999年にかけて、6億9414万ルーブルの投資がなされた。

これまで述べたように、政府プログラムの建設実績はみじめなものである。ロシア連邦では、チェルノブイリ事故以来、5万2447人が汚染地域から「クリーン」地域へ移住しているが、その多くは自分の家やアパートをもっていない。いまだ、3286の家族が住む場所の提供を政府に求めている。

汚染地域における建設実績と政府の予算状況を考えると、64のプロジェクトを2001年までに終えることは不可能であり、資金の不足は2兆350億ルーブルにも達する。



 
 

ウラルにおけるチェルノブイリの「痕跡」

2000年1月1日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
最近まで、チェルノブイリ原発事故によるウラル地方の放射能汚染に関する情報は発表されなかった。ウラル地方の人々には多くの病気が発生したが、当局は、軍用目的プルトニム生産のための再処理工場や原子炉からの廃棄物が関係するものと見なしてきた。しばらく前から、エカテリンブルグ(注:ウラル地方の中心都市)の医師たちは、甲状腺障害をもつ子供たちが次第に増加していることに気づいている。ウラル医学アカデミー教授のミハイル・レミャセフ博士は、子供たちの病気増加は1986年のチェルノブイリ事故にともなう放射能汚染によるものであるという見解を支持している。

チェルノブイリ事故による放射能汚染に関する公的情報はいまだに公開されていない。ウラル地方の科学者たちは、別の情報源から、当時のチェルノブイリ放射能の「痕跡」の本当の地図を作製した。その地図は昨年、ウラルの研究会ではじめて発表された。ウラルのある地域では1平方km当り2キュリーにおよぶ汚染が認められ、そのうちの70%はヨウ素131とセシウム137であった。

こうした秘密主義の結果、エカテリンブルグの子供たちは現在、3人に1人が甲状腺に障害をもっている。1995年に比べ倍増している。さらに悪いニュースは、場合によっては、甲状腺ガンもすでに報告されていることである。

地域の人々は子供たちの健康を心配しているが、連邦当局は、ウラル地方でのチェルノブイリ放射能の汚染に関する情報を明らかにしようとしない。また、地方当局には、チェルノブイリによるシベリア・ウラルの犠牲者の被害を防ぐ資金がない。
 
 



 チェルノブイリ事故によるベラルーシの健康被害
1999年10月1日
ミハイル・マリコ(ミンスク)
  チェルノブイリ事故によってもたらされた放射線被曝にともなう健康影響は、大きく2つに分類される。その1つは、チェルノブイリ原発職員や消防士たちのように、事故の処理に直接携わった人々に生じた急性放射線障害である。それが原因で、事故から数ヶ月の間になくなったのは28人であった。専門家の多くは、この28人の死亡だけが、チェルノブイリ事故がもたらした実質的な健康被害であると考えている。彼らはまた、子供たちの甲状腺ガン多発もチェルノブイリの被害であると認めている。

 しかしながら、実状ははるかに深刻なものである。今では、ベラルーシ、ロシア、ウクライナに住んでいる事故処理作業者における白血病の増加や、事故で被曝したすべてのカテゴリーの人々で甲状腺ガンが増加しているという信頼できるデータが得られている。我々の評価に基づくと、1986年〜1998年の間に、ベラルーシの青年・成人において約3200件の甲状腺ガンがチェルノブイリ事故によって引き起こされたことになる。

 白血病や甲状腺ガンは、放射線被曝にともなう、いわゆる確率的影響として知られ、広島・長崎では被爆生存者の追跡調査が行われている。その研究結果に基づくと、放射線被曝は、被曝がなくとも現われるさまざまなガンの発生率を高めることになる。 チェルノブイリ事故後のベラルーシにおいて得られた甲状腺ガン発生に関するデータは、放射線による甲状腺ガンの誘発プロセスを理解するうえで、科学的に非常に大事なデータとなっている。たとえば、チェルノブイリ事故以前は、放射線被曝にともなう甲状腺ガンの潜伏期は約10年と考えられてきた。一方、ベラルーシでの甲状腺ガンの観察データでは、潜伏期は約2年でしかなかった。

 多くの専門家は、放射線被曝にともなう固形ガンがそんなに短い潜伏期で発生することを理解できず、混乱に陥ったのであった。ベラルーシの専門家によるデータの信憑性を1995年に至るまで認めようとしなかったのはそのためであった。

 もう1つの理由は、ベラルーシの専門家の能力を低く見ていたことである。こうした西側専門家の態度は、チェルノブイリ事故によってベラルーシ、ロシア、ウクライナにもたらされた問題を解決するにあたって、大きな障碍となってきた。これらの貧しい国々での深刻な問題は、チェルノブイリ事故によって被曝を受けたあらゆるカテゴリーの人々において、実質的にすべての病気の発生率が有意に増加していることである。

 その事実を示しているのが表1である。1997年における、被曝を受けた子供(0〜14歳)と青年(15〜18歳)の罹病率の、国全体の値との比である。表の値は、今年の9月27-28日にミンスクで開かれた、「チェルノブイリ事故後のヒューマン・エコロジー」と題された科学会議に、L.Lomat、G.Galburt、V.Kulinkinaが報告したレポートから作成したものである。

 表からわかるように、被曝を受けた子供や青年の値を、そうでない子供や青年の値と比べると、特に大きな違いが認められるのは、内分泌系・消化不良・代謝異常、循環器系障害である。たとえば、チェルノブイリ事故の影響を受けた子供たちの内分泌系・消化不良・代謝異常の値は、クリーンな地域の子供の値に比べ1997年には6倍も大きな値である。

 L.Lomat、G.Galburt、V.Kulinkinaが報告した子供と青年の罹病率に関する値は、ベラルーシ国家チェルノブイリ登録(BSChR)を通じて得られたデータである。1997年の末の段階で、BSChRには32694人の子供と5400人の青年が含まれ、65000人以上の子供たちの医療データが集積されている。L.Lomatらによると、チェルノブイリ事故後1993年までは、こうした子供たちの罹病率は上昇を続けたが、1993年以降は、若干の減少が記録されている。

 被曝をうけた人々において一般的な病気の増加が認められたのは、チェルノブイリ事故からしばらくしてのことであった。ソビエト時代の医療責任者は、そうした病気の増加は、汚染地域で暮らす人々のいわゆる「放射能恐怖症」によるものである、という説明を試みた。そのような見解は、チェルノブイリ事故とその医学的影響の規模に関する本当の情報を隠蔽しておきたいというソビエトの政策の現れであった。残念なことに、そうした政策は、他の電力生産方法との経済的競争にさらされ厳しい状況に置かれて、生き残りをかけた斗いをしていた原子力産業によって支持されたのである。

 多くの放射線防護の専門家がいまだに、放射線被曝によって一般的な病気が増加するということを認めないのは、このことと関連している。Rosalie Bertellが何年か前に述べたように、放射線防護の専門家は、核兵器開発を含め国家の政策を正当化することを自分たちの職務と考え、人々の健康を守る気はないのであろう。

 チェルノブイリ事故の本当の健康影響を無視してしまうことは、次の核災害がどこかの先進国で起きた際に、大変に深刻で危険な状況をもたらすことになってしまう、ということを我々は肝に銘じておくべきであろう。

  表1 チェルノブイリ事故によって被曝した子供(0〜14歳)と青年(15〜18歳)における1997年の病気発生率と有病率の、国平均の値との比


 
子供
青年
病気の分類
発生率
有病率
発生率
有病率
腫瘍
2.44
2.46
2.61
3.01
内分泌系、消化不良、代謝異常
4.31
2.95
1.98
2.24
血液および造血系
6.02
3.79
6.41
5.11
精神疾患
2.65
1.42
1.31
0.96
神経系と感覚器官
1.54
1.45
1.33
1.01
循環器系
2.89
1.97
1.87
1.42
消化器系
2.56
2.02
1.94
1.93
泌尿器系
1.67
1.28
1.04
0.99
筋肉、結合組織の病気
1.82
1.71
0.97
0.84

*注:被曝した子供たち(または青年)の10万人当り罹病率の値と、セシウム137汚染が37kBq/m2(1Ci/km2)以下の場所での子供(または青年)の罹病率の比.


モスクワの子供たちがチェルノブイリを学んでいる

 

1999年9月29日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
 モスクワでは、さまざまな環境問題を1学年から学ぶ「エコロジー学校」が18ある。環境問題とは、一般的には大気汚染、土壌汚染などといった公害である。

 モスクワ大学においても、エコロジーに関する特別な講座がある。この10年間、エコロジーを扱う大学やアカデミーが増えつづけた。たとえば、科学アカデミー会員Nikita Moiseevが指導している国際政治・エコロジー大学、モスクワ経営学アカデミー、ロシア正教大学などである。こうした大学の学生たちは、さまざまな環境問題について、包括的で詳細な知識を身につけつつある。エコロジーや持続可能な発展といった問題に興味をもち、卒業論文にそうしたテーマを選ぶ学生たちがますます増えている。

 この10年間、モスクワの学校でのエコロジー教育は非常に盛んになった。高等教育機関での環境問題の研究だけでなく、普通の小・中学校においても、文学、数学、生物学といった科目と並んでエコロジーが取り上げられている。たいていの場合、地元の教師たちのイニシアティブによって、環境問題と環境を守るための最低限の知識を子供たちが学ぶべきだ認められるようになった。

 最も典型的な例をモスクワ第1128学校にみることができる。昨年度は最終学年生全員に、核に関連する環境問題を扱った「核百科事典」が配られた。今年は、英語の先生であるGalina Chernovaが、チェルノブイリ事故を取り上げて環境問題を教えている。その教科書となっているのは、今中哲二が編集し、京都大学原子炉実験所から出版された"Research Activities about the Radiological Consequences of the Chernobyl NPS Accident and Social Activities to Assist the Sufferers by the Accident."である。ロシア、ベラルーシ、ウクライナおよび日本の研究者によって書かれた科学的な論文の内容を理解できるよう、Galina Chernovaは、報告書の要約を作成している。生徒の親たちも、Galina Chernovaによる環境教育と指導を歓迎している。



 

G7へ向けウクライナNGOが原発建設に抗議

 

1999年6月11日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
 
チェルノブイリ原発を閉鎖する問題と、ウクライナのフメルニツキ2号炉とロブノ4号炉(K2R4プロジェクト)を完成する問題が、6月18日からボンで開かれるG7で話し合われる。2基の原発を完成するための費用として、ヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)がウクライナに巨額の融資を検討している。

チェルノブイリとK2R4の問題は相互に密接に関係している。ウクライナ政府は、チェルノブイリ3号炉の停止後の代替電源を必要としている。チェルノブイリ3号炉は、チェルノブイリ発電所で現在動いているただひとつの原発であり、4号炉が埋葬されている石棺の維持管理に必要なベースとなっている。

ここ数ヶ月の間、環境団体「緑の世界」の提唱により、ウクライナの80以上のNGOが、K2R4プロジェクトと、もっと広い視点から、ウクライナの今後の原発開発についてのパブリック・ヒアリングを開催しようと試みた。ウクライナの法律によると、そのようなヒアリングを開催するのは地方行政当局の義務とされているが、当局側からの協力は必ずしも得られなかった。

4月の末までに7つの地域でヒアリングが開かれ、それぞれ20?80名の参加者があった。すべての集会において、原発開発に反対する決議が採択された。ザポロジャ原発の西30kmにある町、ニコポルで開かれたヒアリングでは以下の事項が提起とされた。

・原発の緊急事態に備え、原発周辺の住民には社会的、医療的、経済的な保障が約束されねばならない。行政当局は食料や医薬品を備蓄すべきであるし、緊急の避難に備えて道路の補修と建設が必要である。
・地方行政当局は原発の許可にあたって投票権をもつべきである。原発は、保険用基金なしで許可されてはならない。
・原発運転の会社であるエネルゴアトム社は、その危険性のゆえ、ザポロジャ原発に計画している使用済み燃料貯蔵施設の建設を中止すべきである。
・原発周辺の住民と産業施設は、危険の代償として、電気代が割り引かれるべきである。
・ウクライナでのさらなる原発建設は、環境に害をもたらすとともに経済的な効率も悪い。省エネルギーとオールターナティブなエネルギー資源の開発にもっと努力すべきである。
・ ウクライナはK2R4を完成すべきでないし、チェルノブイリ原発も閉鎖すべきである。

中央と東ヨーロッパ11カ国の環境団体をたばねているCEEバンクウォッチネットワークが最近、原発完成についてウクライナの世論調査を行なった。調査に答えた1200のウクライナ人のうち、K2R4計画を支持したのはわずか9%で、24%の人々が原発の替わるものとしてガス火力発電所に賛成した。

パブリックヒアリングと世論調査の結果を基に、CEEバンクウォッチネットワークは、NGOに対しK2R4プロジェクト反対に賛同を求めるキャンペーンの開始するとともに、ボンでの決定に対し影響を与えようと試みている。このキャンペーンは、ドイツやイギリスの議会での動きと呼応しながら、EBRDにK2R4プロジェクトへの融資を実施しないよう働きかけている。



マフィアがチェルノブイリ被災者の特典を悪用
1999年5月27日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
1992年ロシア議会において「チェルノブイリ原発事故によって被災した市民への社会的保障について」というチェルノブイリ救済法が制定された。この法によって、チェルノブイリ被災者団体や被災者個人に数々の特典が認められることとなり、その中には、様々な物品の輸出や外国の車、タバコ、酒の輸入に関する免税の特権も含まれていた。
犯罪組織が直ちにこの特権の利用をはじめた。1994年の統計によると、チェルノブイリ団体の名前で行なわれた取引が国全体の輸出入に占める割合は以下のようであった。
非鉄金属輸出の22%

外国車輸入の40%

アルコール輸入の35%

もちろん、こうした取引を行なったチェルノブイリ団体の大部分はダミーの組織であった。

1995年ロシア議会は、マフィアの収入源をたつため、チェルノブイリ団体の抵抗を押し切ってチェルノブイリ救済法の修正を行ない、関税免除に関するチェルノブイリ団体の特典を廃止した。

それ以降、外国車を関税なしで輸入できるという特典は、被災者個人のみに認められることとなった。その権利をもつ被災者の数はロシア国内で25万人である。彼らは事故処理作業従事者であったり、避難住民である。ここに、被災者個人による関税免除外国車輸入の驚くべき統計を示そう。

1996年:945台

1997年:7200台

1998年:8000台

ロシア関税委員会によると、免税により失われた関税収入は1998年で10億ルーブル(5000万ドル、約60億円)に達する。もちろん、チェルノブイリの被災者が本当にそれらの車を買うことができたのなら結構な話であるが、実際には車の95%は彼らのものではない。

犯罪組織がチェルノブイリ被災者に車の購入を「依頼」しているのが実態である。もしも被災者が節税の依頼を拒否したならば、殺してしまうと組織から脅されることになる。70代や80代の貧乏な老婦人が、ベンツやランドローバーといった高級車の関税免除を申請している姿は滑稽としか言いようがない。

ロシア議会において、以上のような問題が数週間前に議論された。代議員らは、チェルノブイリ救済法の目的から逸脱した特典を廃止することで合意に至った。法改正に関する最終結論は、夏休暇の後になるであろう。


チェルノブイリのくびき

1999年4月1日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
 ブリャンスク州は、チェルノブイリ事故により、ロシア連邦のなかでもっとも大きな汚染を受けた州のひとつである。事故後の数年間に、数万人の人々がクリーン地域へ移住した。しかし、1995年以降は、ロシア経済の落ち込みとともに移住はほとんどストップしてしまった。現在、多くの新しい村々が建設途中のまま放置されているのをみることができる。たとえば、ブリャンスク州の小さな町ノボジプコフでは、汚染地域のスビャツクからの移住者のための何ダースもの住宅が、90%完成しながら、資金不足のため建設中止になっている。

 移住者にとってもうひとつの問題は、新しい場所での仕事がないことである。たとえば、モスクワ市長、ユーリー・ルシコフの音頭で、ブリャンスク州のクリーン地域に建設された新しい村モスコフスキーには、ガスと電気設備をもつ快適な2階建て住宅が建てられ、ある牧畜コルホーズがまとまって移住してきた。しかし、新しい場所で彼らは仕事を続けることができなかった。牛乳や肉が汚染されていることをおそれて、州外の人々は誰もブリャンスク州の農産物を買わないからである。快適な住宅は与えられたものの、彼らには仕事と収入の道がなくなった。

そうした状況で彼らに何ができただろうか?彼らはもっともシンプルな解決策、つまり汚染地域に戻ることを選んでいる。なぜなら、汚染地域にいれば少なくとも、ささやかなチェルノブイリ補償を受けられるからである。たとえば、立ち退き対象地域に住んでいる人々は、月に50ルーブル(現在のレートで約2ドル)が支給される。また汚染地域で働く人のには月300ルーブル(約12ドル)の賃金が保証されている。ノボジプコフの人々の平均賃金が月290ルーブルであることを考えれば、ささやかな金額がいかに人々にとって重要か想像できよう。

しかし、汚染地域の人々が払わねばならない代償はもっともっと大きなものである。それは自分たちの健康である。チェルノブイリ事故から12年間の間に1,025件の甲状腺ガンが確認されている。事故以前には、同じ長さの期間で247件であった。ノボジプコフ病院の医師によると、ガンの増加がこれからも続くであろう。


ベラルーシの原発建設計画は10年間凍結
1999年3月31日
ミハイル・マリコ(ミンスク)
原発建設に関する特別政府委員会は、1998年12月29日に開かれた最終会合において、ベラルーシでの原発建設計画を10年間凍結する勧告を採択した。この委員会は、1998年3月28日に設置され、ベラルーシにおける原発建設の必要性と可能性を審議してきた。委員会は34名で構成され、各省庁や科学アカデミーの代表に加え、政府組織に属さない、エコロジーやエネルギーの専門家などが含まれていた。採決の結果は、10年間凍結に賛成24名、反対7名、棄権3名であった。

ここで、ベラルーシにおける原発計画の歴史を振り返っておこう。ベラルーシで最初に原発建設計画が持ち上がったのは1960年代のことであった。実際に建設が始まったのは1980年代初めで、場所は、ミンスクから約30kmのルデンスクという小さな町であった。電気出力100万kWのソビエト型軽水炉(VVER-1000)2基が、ミンスクに電力と暖房用熱水を供給する予定であった。

しかし、この建設計画は、以下の2つの理由で80年代終わりに中止となった。1つは、1988年にソビエト当局が、原発建設に関する新しい規則を導入したことである。その規則では、100万人以上の都市から100km以内での原発建設が禁止された。当時のミンスクの人口は約160万人であった。2つめは、チェルノブイリ事故の結果、ベラルーシのほとんどすべての国民が、原子力発電に対し恐れや心配を抱くようになったことである。

この不安はきわめて強かったので、ベラルーシ共産党中央委員会は1989年11月、共産党組織のすべてのレベルにおいてベラルーシでの原発建設に反対するという決定を行なうに至った。この決定は、国家の政策や経済に関してそれまで国民を無視してきたソビエト・ベラルーシにおいて、前代未聞の決定であった。

90年代に入ると、エネルギー供給の面においてベラルーシの自立を助けるであろうという期待から、原発建設計画が政府の手によって復活させられた。ベラルーシは、ガスや石炭を産せず、ほんのわずかの石油が出るだけである。これらの資源の輸入は、ベラルーシの経済状態を圧迫している。

1993年、原発建設計画を含む、電力供給に関する政府プログラムが立案された。1994年3月30日、そのプログラムは科学アカデミーの特別専門家会議で議論された。政府プログラムが原発利用を進める根拠は、原子力発電はもっとも安全、クリーンかつ経済的である、というものであった。また、2酸化炭素の放出が気象変動をもたらす最も重要な人工的要因であり、その放出を減らすことも強調されている。

原発計画に反対の側は、以下のように主張した。

この会議の参加者は、ベラルーシでの原発建設について他にもさまざまな批判的意見を述べた。たとえば、ベラルーシでのエネルギー利用を合理的かつ効果的にすること、従来の火力発電に替えてコンバインドサイクルを導入すること、代替(自然)エネルギーの利用などである。この科学アカデミーの会議は、原発推進側に非常に大きなダメージを与えることとなった。

その次に推進側が大きなダメージを受けたのは、1997年4月14日に開かれたベラルーシ議会での原発建設に関する特別ヒアリングであった。議会は、政府の原発計画に対し否定的な態度を表明した。議会のそうした態度にもかかわらず、政府側はなんとか原発計画を進めようとし、1998年になって特別政府委員会を設置したのであった。最初に述べたように委員会は10年間凍結案を採択した。

以上の経過は、ベラルーシ政府が、現在の政治的状況においても、すべての計画を実現できるわけではないことを示している。政府は、これからもあらゆる機会をとらえて原発建設を進めようとするであろうが、その度に解決不能な困難に出会うことになろう。

たとえば、原発敷地の選定はもっとも困難な問題となろう。ベラルーシ大統領は1998年11月、専門家が原発建設の必要性を認めた場合には国民投票によって計画を決定することになる、と約束している。一方、ベラルーシ国民の大半が原発建設に反対であることはよく知られている。政府による将来の原発計画に対し、ベラルーシ国民は重要な影響力を発揮するであろう。


ウクライナの2原発完成計画に東欧・ウクライナのNGOが抗議

1999年3月1日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
東欧のNGOネットワークであるCEEバンクウォッチとウクライナ・エコロジーセンターは1998年11月、「フメルニツキとロブノの2原発完成に関する重要な問題点」という報告書を共同で発表した。

2000年に予定されているチェルノブイリ原発閉鎖にともなう電力損失の補償として、ソビエト型軽水炉VVER1000であるフメルニツキ2号炉とロブノ4号炉の完成(K2/R4計画)が提案されている。ヨーロッパ復興開発銀行では、K2/R4計画に必要な17億2500万ドルの融資が1994年以来検討されてきた。

CEEバンクウォッチは報告書の中で、ウクライナのエネルギー供給(第1章)、経済・財政状況と政治的観点(第2、3章)から考えて、K2/R4計画がメリットのないものであることを多くの資料を用いて示している。危険性の調査からは、安全性の改善に必要な100以上の問題が指摘されている。しかし、その多くは、ウクライナ原発公社「エネルゴアトム」による改善計画には含まれていない。当該原発の安全性レベルは、西側の基準より低く、なかでも、火災対策、圧力容器の健全性、原子炉制御装置に問題が認められている。IAEAも1996年3月に、VVER-1000/320の問題点をまとめた報告書IAEA-EEB-VVER-05を発表している。

未完成のソビエト型原発ということでは、これまでに同様の問題が2回あった。ドイツでは、ステンダル原発のVVER-1000建設が中止になり解体された。チェコのテメリン原発VVER-1000では、安全性に必要な改良を加えて完成することが、チェコ・エネルギー局とウエスチングハウスにとって経済的に困難となっている。

たとえウクライナ当局が、安全性を改善することに同意したとしても、その炉に対して新たな安全性評価が必要とされるであろう。いずれにせよ、K2/R4原発の運転は2002年よりずっと遅くなってしまい、チェルノブイリ原発の代替にはならない。


チェルノブイリ被災者の救済資金は空っぽ

1999年1月28日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
モスクワから約200km離れたイワノボ市の地方新聞、イワノフスカヤ・ガゼータの編集長から私は、数日前に手紙を受け取った。彼は、「チェルノブイリ同盟」の地方評議会員をしている。

手紙の中で彼は、イワノボ州に住んでいるチェルノブイリ事故処理作業従事者(リクビダートル)への政府の援助がまったくお粗末であると述べ、チェルノブイリ同盟総裁であるエフゲニー・カーメニーのインタビュー記事を中央マスメディアで報道したいと私に相談してきた。

返事の中で私は、そうしたインタビュー記事の掲載が本当に、ロシア連邦法「チェルノブイリ事故被災者救済法」で定められているものの現在履行されていない、被災者への補償を政府に実施させる力になるのかどうかを問いただした。そうであるなら、これはイワノボ州の問題というより、チェルノブイリ事故の影響を受けた16州全部にわたる問題である。彼の返答は、チェルノブイリ連邦法の不履行に対する、最後でささやかな抵抗である、というものであった。

カーメニーによると、リクビダートルたちはサナトリウムでの無料の保養を昨年の9月から受けていない。政府の不履行は500万ルーブル(昨年価格で50万ドル、現在で25万ドル)に及んでいる。医療給付についても同じような状況にあり、医薬品の無料支給が停止された。

もっとも困った事態は、病気や労働不能のリクビダートルへの補償金の支払いを州の社会保障局が拒否していることである。この半年間、補償金が支払われていない。 昨年9月以来、ロシア連邦政府は、法律の存在とは無関係に、リクビダートルや汚染地住民への保障の一部をカットしてきた。

さらに状況を悪化させているのは、連邦政府が1999年から導入した、5%あるいはそれ以上の消費税であり、サナトリウムの保養や交通費の支払いに必要となる。

問題は、追加の5%を誰が負担するかである。連邦政府は負担を拒否しているし、貧乏なリクビダートルや疾病障害者も払えない。

チェルノブイリ同盟は、こうした当局の行為は、法によって定められた彼らの権利を侵害するものとして州の検察局へ告訴を行なった。

発行部数100万部のロシア全国紙トゥルード(労働)の編集長は私に、チェルノブイリ同盟とのインタビュー記事を近いうちに掲載してくれると約束してくれた。

ロシアにあって、新聞は最後の望みとなっている。


チェルノブイリ原発閉鎖とヨーロッパのうごき

1998年11月20日
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
1995年に調印された覚書きに基づき、チェルノブイリ発電所は2000年に閉鎖される予定であるが、閉鎖にともなう電力生産損失の補償のためG7はウクライナに支援を行うことになっている。チェルノブイリ原発では現在、3号炉のみ稼働中で、ウクライナの電力の約3%を生産している。1号炉は現在廃炉のための作業中であり、2号炉の炉心は、1991年の火災事故以降に撤去された。

ウクライナ側の主張によると、電力生産の損失を補償するただひとつの方法は、現在建設中のフメルニツキ原発2号炉とロブノ原発4号炉を完成させることである(K2/R4計画)。G7は、ヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)に対し、この計画に財政支援するよう要請している。K2とR4の完成に向けて、EBRDは、ウクライナの原発事業者である"エネルゴアトム"に対し1億9000万ドルの融資を検討している。EBRDの融資が実現した場合には、他の国際組織や企業からさらなる融資が見込まれている。

EBRDの融資手続きの一環として、K2/R4計画の環境インパクトに関する公聴会がウクライナの3つの都市で開催された。ウクライナの環境グループは、計画の経済性に疑問を呈するとともに、計画そのものに反対した。また、オーストリアのグループは、当該原発の事故により中央ヨーロッパ諸国が被害を受ける可能性があるという、オーストリアでの研究結果を明らかにした。さらに他のNGOグループは、環境影響評価で用いられている最悪事故のシナリオが時代遅れなものであると訴えた。

EBRDが1億9000万ドルの融資を拒否した場合には、より安く原子炉を完成させるため、ウクライナ側が、もともとの設計に従って、ロシアの財政支援と技術支援に頼ることもありうる。その場合には、ウクライナ政府はチェルノブイリ原発閉鎖の問題も再考することになろう。

9月25-27日のウィーンでの会議において、環境NGOグループは、K2/R4完成計画に反対する共同行動を実施することを決定した。「ノー・ニューチェルノブイリ!」と名付けられた共同行動は、1998年12月14日にヨーロッパ各国で展開される。共同行動をまとめているのは「ヨーロッパひとつぶの種」グループである。

しかしながら問題は、ウクライナの2つの原発計画とチェルノブイリ閉鎖にとどまらない。問われているのは、ヨーロッパにおける原子力施設の将来である。


環境と人権
19981028
ミハイル・マリコ(ミンスク)
標記のような名前の国際会議が、19981019-20日にミンスクで開催された。主催したのは、環境NGOのひとつであるベラルーシ社会エコロジー同盟「チェルノブイリ」で、国連ベラルーシ事務所、ベラルーシ資源環境保護省、国際環境アカデミー(ミンスク支部)、およびエコロジー専門家協会が後援した。

 多数の科学者やNGOメンバー、緑の党をはじめ、議会やさまざまな省庁の代表、環境問題法律家が参加した。国外からは、ドイツ、ロシア、米国、スウェーデンからの参加者があった。

会議では、以下のテーマについて議論された。

−ベラルーシにおける主要な環境問題

−ベラルーシの環境に関する法制度とその確立

ベラルーシの専門家の報告によると、ベラルーシには深刻な環境問題が山積している。チェルノブイリ原発事故は、すでに破局的な状態にあった環境問題をいっそう深刻なものにしたのであった。もっとも深刻な環境問題は、硝酸基、殺虫剤、重金属などによる地下水の汚染である。農村地帯では、ほとんどすべての人々が許容レベル以上に汚染された水を飲用している。もうひとつの重要な問題は、工業都市の大気汚染である。ベラルーシの都市の多くで、大気汚染が許容レベルを大きく超えている。

産業活動および一般生活からでてくるゴミと排水の処理の問題がきわめて深刻化している。

専門家によると、環境汚染レベルと人々の罹病率との間に相関が認められている。ベラルーシでは腫瘍発生率の増加と平均寿命の短縮が恒常的に認められる。また、先天性の障害も増加している。汚染のひどい都市での疾病発生率は、国全体の平均より大きな値である。このような現象すべてが、人為的な環境汚染にともなう悪影響を示している。

ベラルーシ共和国の1996年憲法は、快適な生活環境に対する権利を定めている(第46条)。また憲法の第34節は、ベラルーシのすべての国民に環境に関する情報入手の権利を認めている。さらに、すべての国民は、国家および地方の立法に参加する権利がある(憲法第37条)。しかし、こうした権利の行使は、別の法や制度によって実質的に規制されている。したがって、憲法で定められた権利の有効性は非常に制限されている。「環境と人権」会議の参加者は、このようなベラルーシの法制度の特殊性と現状について報告した。

ブレスト州からの参加者は、ある農村集落に隣接する小さな森を、町の生活排水の処理場にしようとする地方当局の計画に反対する運動について報告した。その町は、集落も属している地区の中心都市である。村の人々は、実施される段階になってはじめてその計画について知った。その森の地下水は深さ約0.5mにあり、排水処理によってその将来地下水が汚染されるため、住民全員がその計画に反対した。汚染の危険を大きくしているのは、予定地の土壌が砂質であることであった。計画の立案者は、ビニールハウスで用いられているシートを使って、排水と地下水を遮断することにした。

たいへんな困難と非合法手段をもって村の住民が水影響に関する技術評価書のコピーを入手してみると、計画予定地は環境基準をみたさないと書かれていた。村の住民は政府当局に陳情したが、政府は地方当局の計画を支持し、ムダに終わった。

モギリョフからは別の例が報告された。周辺では通常な生活が不可能なほどひどい公害をまきちらしている化学工場の操業を停止させるため、緑の活動家のグループが、地方裁判所に訴訟を試みた。最初の困難は、工場が政府に所属しているという理由で、裁判所が訴訟手続きを始めることを拒否したことであった。モギリョフの活動家たちは、1年以上にわたって工場と裁判所を相手にたたかわねばならなかった。さまざまな調査を実施するためといって裁判所が費用を請求したため、彼らは多額の支払いをせねばならなかった。

最終的にモギリョフの活動家たちは敗北してしまう。なぜなら、環境保護に責任をおっている政府当局が、その工場に対する有害物質の基準を、放出の現状にみあうレベルに変更したからであった。

たいへんに興味深い事実が、ベラルーシ緑の党の共同議長から報告された。緑の党は、ベラルーシの4つの環境法について建議書を作成した。その仕事を行なったのは、ベラルーシの優秀な専門家たちである。環境法のそれぞれについて合計で30以上の提案が含まれていた。しかしながら、緑の党の建議書に含まれている提案はベラルーシ議会においてひとつも審議されなかった。

これまでに述べてきた事実は、ベラルーシにおける環境保護問題の現状を如実に示している。同時に、憲法で定められているはずの、快適な環境、情報入手、立法参加といった権利が、なぜ言葉だけのものであるのかを説明している。

「環境と人権」会議の成果は、以上のようなベラルーシの状況を明らかにしたことである。会議参加者は、情報の公開や、一般市民や環境NGOが環境問題解決に参加できる権利をベラルーシ政府に要求する特別決議を行なった。決議はまた、環境保護政策立案における市民の権利を定めた国際協定を調印・批准するようベラルーシ政府に求めている。


 

小さな“チェルノブイリ汚染地”での大きな問題

199810月6日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ)
リャザン州が、チェルノブイリ事故によって放射能汚染を受けたロシアの16の州のひとつであることはよく知られている。放射能汚染レベルでみると、リャザン州は5番目の州である。

ずっと以前に比べると、リャザン州の人々は最近までさまざまな社会的保障を受けていた。しかし、昨年末ロシア政府は、議会の反対にもかかわらず、汚染地域の住民や事故処理作業従事者の半数に対し、特典や経済援助を停止する措置をとった。前の第1副首相、オレグ・シスエフは、なぜ特典が廃止されたのかという議員らの質問に対して、放射線状況が改善されたためそうした町や村を指定から削除したと答えている。

政府の決定は、住民だけでなく、地方当局にとっても驚きであった。なぜなら、少なくとも232の村々でこの数年間調査が実施されていないのである。人々の健康状態がどうなっているのか誰も知らない。モスクワの官僚たちが、リャザン州の汚染地域と非汚染地域をどのようにして区分けしたのかは大きな謎となっている。

問題の一例を、3つの村から構成され、78人の子供を含む住民数300人のキチュコボ行政区にみてみよう。3つの村のひとつがチルコボ村である。これまでチルコボ村は汚染地域に指定され、人々は「チェルノブイリ保障」を受けてきた。医療費は無料で、学校の給食や幼稚園も無料であった。ロシアの経済困難の中で人々はその恩恵を受けていた。しかしある日、特別な法律で保障されているはずのすべての特典が、チルコボ村住民の半数から剥奪されたのであった。チルコボ村の学校、図書館、郵便局、診療所は汚染地域のままである一方、別の住宅地域はクリーンゾーンであると宣言され社会的保障が廃止された。チルコボ村の子供たちの半数に甲状腺の異常が認められているなかで、人々はこの措置を「ブラックジョーク」と呼んでいる。

チルコボ村のあるリャシク地区は、リャザン州の中でもっとも汚染のひどい地区であるが、地区の人々は昨年1年間に30億ルーブルに相当する医療を無料で受けている。この数字からも、チェルノブイリ事故により人々の健康が悪化していることがわかる。しかし中央政府はそれを考慮に入れていない。

ロシアの経済状態はまったく展望のない状況にある。政治家たちは権力をめぐって毎日政争に明け暮れており、チェルノブイリ問題やその被災者たちは忘れさられようとしている。


 

チェルノブイリ4号炉「石棺」の現状レポート

1998年7月24
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ)
崩壊したチェルノブイリ4号炉が埋葬されている「石棺」(シェルター)の現状についての科学的調査結果が、はじめて詳細かつ総合的に発表された。以下のような本がキエフで出版された。

A・A・クルチニコフ編、V・N・ヘラスコ、A・A・クルチニコフ、A・A・コルニェーエフほか著、「石棺:その過去、現状、展望」(ロシア語)、Intergrafik社、1997年、224ページ.

この本は、以下の6章で構成されている。

1.チェルノブイリ事故の技術的側面

2.石棺建設の歴史

3.石棺内の核物質の組成と状況

4.石棺の現状

5.石棺による環境影響

6.石棺の環境リスクをなくす改造に関する展望

それぞれの章に詳細な文献リストがあり、石棺の興味深い状況に関する全部で32枚のカラー図と写真がある。

第1章では、事故の経過、事故後に作られた事故モデル、および環境汚染を低減するためにとられた対策が記述されている。事故モデルによって、第3章で詳述されている核燃料含有物質の組成と状況の解明が試みられている。実際の核燃料含有物質の分布状況が、モデルによる予測と比較されている。

第4章と第5章では、石棺の環境影響と環境リスクが論じられている。最もありえそうな緊急事態は石棺の火災とされている。より確率の小さな事態としては、屋根の崩落(年間10分の1の確率)、重大な地震(年間1万分の1)、ハリケーン(年間1万分の1)があげられている。そうした事態で実際に出現する状況は、もちろんさまざまな要因に依存する。屋根の崩落の場合、敷地内での1カ月間の吸入被曝量は2シーベルトになると予測されている。火事の場合、敷地内の作業者の吸入被曝量は、30分で0.03シーベルトに達すると見積もられている。

最悪のシナリオは、核燃料含有物質において核連鎖反応持続の条件が発生することである。この場合、核燃料含有物質は蒸気爆発によって飛散するであろう。10%以下の核反応生成物が建屋外に放出され、敷地内の放射能濃度は基準値の50%以下であろう。

石棺を環境的に安全なものに改造するための作業は、資金難のため、ただちには着手できない。国際組織や専門家と協力によって、段階的な対策が勧告されている。次のような3段階である。

1.石棺の安定化その他の短期的対策.

2.環境に対し無害なものにするための準備(放射能を環境に放出することなく、その中で核燃料含有物質を解体撤去作業をするための、石棺を覆うドームかアーチ「第2シェルター」の建設を含む).

3.石棺の無害化(解体撤去し、安全な貯蔵地に放射性廃棄物を処分する).

現在第1段階が実施されている.石棺構造物の補強や緊急事態でのリスク低減対策などである。ここ数年は、このような努力が中心となろう。なぜなら、第2シェルターの建設に比べ、ひと桁以上も安上がりで現実的な対策だからである。


 

リクビダートルたちへの政府支援打ち切り

1998年7月1日
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ) 
チェルノブイリの事故処理のため、旧ソ連から60万の人々がかり出された。彼らは「リクビダートル」と呼ばれている。彼らは、事故の拡大を防ぎ世界の人々や将来の世代を守ったのであった。

彼らはいまどうしているだろうか?

統計資料によると、ロシアでは現在168000人のリクビダートルがおり、そのうち4万6000人が重篤な病気になっている。この2年間だけで、1万5000の人々が早死に至るであろう病気になった。モスクワでは、3万人のリクビダートルが住んでおり、そのうち2500人が疾病障害者に認定されている。主要な病気は、肝臓、肺、胃といったガンや甲状腺の疾病である。チェルノブイリ被災者の子供たち約1000人にさまざまな病気が認められている。

ここ何年来、こうした被災者はすべて、ロシア連邦の法律「チェルノブイリ原発事故被災者に対する社会保障について」に基づいて保護が与えられていた。彼らは、チェルノブイリ事故処理作業に参加して亡くなった家族の補償を受けたり、無料の医療(入院と外来)、医者の処方に基づく無料の医薬品、サナトリウムでの毎年の無料の療養や休養などを受けていた。残念なことに、その連邦法は少し前に停止となり、ロシア下院の議員らがそうした特典すべてを排除した法律案を上程している。まだ案にとどまっているものの、それが採択されると、数千人のリクビダートルが政府からの社会保障を失うことになるであろう。ロシアではすでに、多くの病院や薬局でのサービスは有料になっている。そうした悲しむべき状況が進んでいるのは、モスクワ、アルハンゲルスク、トゥベル、ノボゴロドといった州である。毎月300500ルーブル(5080米ドル)という疾病障害者年金では、リクビダートルたちは生存すら危うくなるであろう。

リクビダートルのグループは現在、エリツィン大統領とキリエンコ首相にあてて、168000人のリクビダートルを困窮させて緩慢で苦痛な死に至らしめる下院の法律案に反対するよう手紙を書いている。


ベラルーシの甲状腺ガン
1998年5月12
ミハイル・マリコ(ミンスク) 
チェルノブイリ事故後にベラルーシ、ウクライナおよびロシアの子供たちに観察された甲状腺ガンの急増が、事故によって引き起こされたものであると専門家の間で国際的に認められるまでにはかなりの時間が必要であった。しかし、このことはいまでは広く認められた事実となっている。

一方、放射線生物学や放射線医学の専門家たちは、チェルノブイリ事故後まもなくから観察されている青年や大人の甲状腺ガンの増加には関心を示していない。

図1からわかるように、ベラルーシの子供たちの甲状腺ガンの数は1995年に最大値の91例を記録している。それ以降、甲状腺ガンの数は明らかな減少傾向を示している。この減少については簡明な説明が可能であろう。すなわち、事故によって被曝を受けた14以下の子供数の減少が、小児甲状腺ガンの数の減少につながっている。被曝を受けた子供とは、事故が起きたときに生まれていたか、または事故後9カ月以内に生まれた子供たちである。14歳に達した子供たちは青年グループに移行するのであるから、被曝子供集団の大きさが常に小さくなって行くことは明白である。こうした年齢変化にともなって、小児甲状腺ガンの数も減少している。

一方、ベラルーシの青年と大人の甲状腺ガンの数は増加している。1977年から1997年にかけてのベラルーシの大人の甲状腺ガンデータを図2に示す。筆者の解析によると、チェルノブイリ事故によって1986年から1997年にかけてベラルーシの青年・大人に引き起こされた甲状腺ガンの数は2708件となる。一方、同じ期間に対し14歳以下の子供たちに引き起こされた甲状腺ガンの数は562件であった。

図1 ベラルーシの子供の甲状腺ガン

 

図2 ベラルーシの青年・大人の甲状腺ガン


 

汚職事件がチェルノブイリの危険度を増している

1988年4月22
ボロジーミル・ティーヒー(キエフ) 
いまだに運転を続けているチェルノブイリ発電所の安全性を改善したり1986年の事故影響の克服のために、ウクライナ当局は外国から何億ドルもの財政支援を受けている。

1998年2月18日、ウクライナの環境NGOグループは声明を発表し、支援金がダミーの会社やコンサルタントを経由して原子力産業の幹部のふところに流れている、と指摘した。

環境グループのスポークスマンであり、ウクライナ議会チェルノブイリ委員会の監査長であるボロジーミル・ウサテンコによると、合計5億6000万ドルが、過大請求、不履行、不必要、ときにはインチキによって乱用された。ヨーロッパ委員会原子力安全スタッフのボノチオ氏も、支出された金額の3分の1しか適正な会計報告がないことを認めている。

2月27日、ヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)は、チェルノブイリ3号炉の安全性改善のために予定されていた1500万ドルの支出を停止すると発表した。ウクライナにおけるEBRDの代表、ヤロスラフ・キナフは、「我々のスタッフの調査によると、資金が不適切な仕事に支出されたり、何年も前に完了していることに支払われたりしている」と報告している。

今後より詳細な調査が実施される見込みはあまりない。というのは、銀行家や政治家たちは、次なる事故が発生したときに責任を問われないように心がけているからである。さらには、チェルノブイリ4号炉の石棺を「環境的に安全なシステム」に改造するプロジェクトに、関係者のすべてが共同して取り組まねばならないという状況がある。


チェルノブイリ法改悪の動き
1998年4月13
アラ・ヤロシンスカヤ(モスクワ) 
19971218日、ロシア連邦政府は、「チェルノブイリ原発事故による放射能汚染ゾーンの居住区リストについて」という特別政令No.1582を決定した。このことは、19951115日に採択された、チェルノブイリに関するロシア連邦の主要な法律「チェルノブイリ原発事故被災者に対する社会保障について」が変更されたことを意味している。しかし、議会の上院(連邦評議会)はこの変更に同意していない。

1998年1月28日連邦評議会は議会決議No.31を採択し、ベルゴロド、ブリャンスク、カルーガ、クルスク、レニングラード、リペツク、オルロフ、ペンザ、リャザン、タンボフ、ツーラ、ウリヤノフの各州とモルドビア自治共和国の放射能汚染地域にある3500の居住区に適用されている社会保障を存続させようという評議会の提案にもかかわらず、ロシア政府が2837カ所の居住区の社会的経済的特典を剥奪してしまった、と抗議した。432の居住区では、社会保障のレベルが引き下げられた。議員たちは、政令がもたらすであろう社会的経済的な悪影響を心配したのである。彼らは、汚染ゾーンの指定変更によっても、チェルノブイリ被災者を救済するという義務から政府が解放されるわけではない、と強調している。

ロシア連邦評議会は、政府に対し政令No.1582の執行を停止すること、また、汚染レベルの低下にともなってゾーンの指定が変更されるとしても、事故による損失補償を含めた新たな被災者救済の概念を作るように提案した。

1998年3月4日、ロシア議会下院(ドゥーマ)も連邦評議会の決議を支持する決定を行なった。ドゥーマの議員たちは、汚染ゾーンの指定変更は汚染地域住民の生活を悪化させ社会的経済的問題がいっそう深刻になる、と指摘している。

にもかかわらずロシア政府は、すでに政令を実行し上記の人々に対する政府からの支援を停止した。この問題は、ストライキや人々の抗議につながるであろう。