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国立西洋美術館エントランス

地獄の門

「汝らここに入るもの一切の望みを棄てよ」
(ダンテ神曲地獄編より)

国立西洋美術館

1959年、松方コレクションを基に設立される。
所在地:上野公園内 設計:ル・コルビジェ
(フランス)

中世末期から20世紀初頭の西洋の美術品を収蔵

オーギュスト・ロダン
1840-1917)フランス

貧しい下級官吏の息子としてパリ生まれる。
極度の近視であり、学業成績も思わしくなかった。
デッサンする事・絵を描く事が唯一の楽しみであった。

理解ある姉の助けで専門学校へ通い、彫刻を学ぶ。
芸術家の登竜門である国立美術学校の入試は3回失敗するものの、
下彫工や建築装飾の仕事を続けながら、芸術への情熱を失わなかった。

1875年、イタリア旅行で接したミケランジェロの彫刻に衝撃を受ける。
1877年、「青銅時代」を発表。一躍脚光を浴び注目されるようになる。
その後、「カレーの市民モニュメント」「バルザック記念像」で
国際的な評価を得、「近代彫刻の父」と称されるに至る。

日本美術の愛好家・コレクターでも知られる。

ふたつの住居とアトリエと全作品は国に寄贈され、
現在は「
ロダン美術館」(含浮世絵その他)として公開されている。

地獄の門

原型は1880−1917制作
ブロンズ
高さ5.4m×幅3.9m×厚み1m
重さ7t

現在、世界に7つの鋳造作品original editionが存在する。

開館と同時に設置され、1999年に免震化と保存の為の
修復(背面の支柱やボトルの取り替え)工事が施された。

★★★

フランス政府から「国立装飾美術館」の門扉の注文を受け、
ただちにテーマを「地獄の門」に決定。
ミケランジェロの「最後の審判」、愛読書ボードレールの「悪の華」、
当時多くの芸術家に敬愛されたダンテの「神曲」
等から構想を得ている。

度重なる納期延期もあって、1888年、政府より
制作中止の勧告が下ったが、
ロダンは制作費を返し(買い取った形で)制作を続けた。
1898年には一応の完成をみたが、
生前に鋳造される事はなかった。

制作過程から数々の優れた単体作品「考える人」「天使の堕落」
「アダムとイヴ」「接吻」その他が生まれた。

★★★

「国立装飾美術館」の建築そのものが中止になったという事情によるもの。
パリにある「装飾芸術美術館」(Musee des Arts Decoratifs)は民間運営


ライフワークとして37年間制作され続けたといわれる超大作・・・
実は、1898年以降、死の前年まで放置されていました。


構想に不満が生じたらしい事や、7年の歳月を掛けて1897年に完成した「バルザック記念像」が不評であり、
侮辱を受けたことが原因とみなされています。「バルザック」以後、意欲的・野心的な作品の制作発表はありませんでした。

(参考図書:「現代世界美術全集」その他)


撮影・編集:Y.FUJIKAWA
撮影日:2002/3/9

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